とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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とあるバレンタインデーの物語 ~ The_tales_of_a_certain_St Valentine's_Day. 前編




 二月十二日の日曜日。学園都市の繁華街は、どこもバレンタイン商戦の真っ只中だ。
 本番直前、最後の日曜日を迎えて、お目当てのチョコや製菓材料を求める学生たちでごった返している。
 そんな喧騒の中、ここ、第七学区にあるファミレス『Joseph's』で、彼女らはちょっと早めのランチタイムをとっていた。
 ふたりの横に置かれているのは、他の女の子と同じく製菓材料、つまり手作りチョコ用の材料だ。

「――それで御坂さんは、上条さんに渡すチョコ、どんなのにするんですか?」

 そう切り出したのは佐天涙子。そして彼女の前にいるのは超能力者第三位、御坂美琴。
 佐天は美琴に頼まれて、これから自分の寮でいっしょにチョコを作る手伝いをする予定なのだ。
 彼氏に渡すチョコを作るのに、常盤台の寮だと周囲の目が煩わしく、いろいろと困ることが多いらしい。

「特に決めてはいないの。でも初めてのバレンタインだから、やっぱり当麻には手作りを渡したいなって思ったんだけどね。佐天さんには迷惑だった……かな?」
「いえいえいえ、迷惑だなんてとんでもないです! むしろお手伝いできるならいくらでもって感じですよ! ――それで上条さんって、どんなのが好きなんですか?」
「うん、そうね。――甘さは控えめで、苦味のない方がいいって言ってたわ」

 美琴はクリスマスの日に、上条当麻へ想いを告げ、それをしっかりと受け止めてもらうことが出来た。
 当の本人は、美琴への恋愛感情を自覚してはいなかったものの、今までの付き合いの中、憎からず思うことも度々あったからか、すんなりとその願いを受け入れた。
 もちろん美琴も、彼の無自覚を承知の上で交際を申し込んだのだが、アンタの不幸を私がぶっ飛ばしてみせると言ってのけたのが、彼の琴線に触れたらしい。
 あるいは断わられるかと危惧していた彼女の不安も、あっさりと回避され、無事(?)、その日からふたりの交際がスタートした。

「ならミルクチョコメインで、甘さ控えめでいきましょう。――形はどうします?」
「オーソドックスだけど、ハート形にするわ。やっぱりストレートに気持ちを伝えられる方がいいと思うの」

 そう言って柔らかな笑みを浮かべ、食後のミルクティーを口元に運ぶ超能力者の姿に、佐天は思わず頬を緩めていた。
 白井が言っていた、――お姉様がまるで本当の淑女みたいですの、とはこういうことか、と彼女は思った。
 どちらかといえば、活発で、お転婆なところをよく見聞きしていたが、落ち着いた雰囲気の美琴の姿は、さすが常盤台のお嬢様、といった感じがする。
 あの類人猿の所為で、お姉様が一晩中惚気られて、最近は不眠症ですの、と愚痴をこぼしていた白井も、そのことばかりは文句のつけようが無いらしい。

(でも白井さんだって、いつのまにか上条さんのこと、あまり類人猿呼ばわりしなくなったよね)

 佐天とて、そんな美琴たちとの付き合いは決して長いわけではないが、数々の事件や修羅場を共に潜り抜けてきたおかげで、今では親友ともいえる間柄だ。
 もちろん大切な友人に彼氏が出来たなら、それを喜んで応援するのも親友の役割ということもわかっている。

「――しかし御坂さんから告白だなんて、ちょっと予想外でした。でも御坂さんが告白するくらいだから、上条さんってやっぱり高位能力者なんですよね?」
「ううん、無能力者(LEVEL0)よ?」
「ええっ!? そうなんですか? 上条さんって無能力者(LEVEL0)だったんですか!」
「能力レベルのことなんて、当麻は全然気にしてないわよ? 私だってそんなの気にも留めなかったし、当麻のそんな所も私、好きなんだから」

 学園都市の頂点に君臨する『超能力者(LEVEL5)第三位』という立場の人間が、ある意味自分の立つ拠り所を否定した上に、それが気にならないとまで言っている。
 この街に住む誰もが知っている、自らの弛まぬ努力によって、LEVEL1から頂点へと辿り着いた超能力者の成功物語。
 そんな成果をまるで「些細なこと」と言わんばかりに、当の本人がさらりと言ってのけたことに、どれほどの努力を重ねても、その成果を手に入れられなかった佐天涙子は、複雑な思いを抱く、はずだった。
 今の彼女は、かつて乗り越えてきた「幻想御手事件」と「乱雑開放事件」の中で、能力レベルより、人にはもっと大切なことがあるのだということを知ったから。
 佐天はむしろ、目の前の超能力者に、さらりとそんな言葉を吐かせた「無能力者」上条当麻に、尊敬の念さえ抱いていた。





「上条さんって、さすが高校生なんですね。なんだか大人って、感じがするなあ」
「そうかなぁ。当麻ってバカだし、鈍感だし、それほどイケメンっていうわけでもないし、髪の毛はツンツンしてるし……」
「あはははは。御坂さん、それって言いすぎじゃないですか?」
「だって佐天さん聞いてよ! 当麻なんていつも危ない所へ行っちゃうのよ? 人が心配してるって言うのに、お前は安心して笑ってればいいんだー、なんて言ってくれちゃうし……」
「……あ、はは、は」
「そりゃあね、当麻には怪我なんてしてほしくないし、もし何かあったら私が助けに行くって決めてるけど……」
「…………あ、あの」
「でも当麻の背中って結構かっこいいのよね。真剣な顔されたらドキドキしちゃうし、抱きしめられたらそれだけで幸せな気持ちにさせてくれるし……」
「…………」

 佐天はかつて、勝気で溌剌としていた美琴が、こんな惚気を言い、しかもうっとりと恋する乙女な表情をしているところを見たことがなかった。
 以前はこんな話題を出そうものなら、顔を真っ赤にして、ごにょごにょと俯いてしまうのが常だったというのに、この一月ちょっとで、彼女にいったい何があったのだろう。
 恋は女を変えるというが、美琴の場合、付き合いだしたらこれほどまでに変わってしまうものなのだろうか。

「――御坂さんって、ホント変わりましたよねえ」
「え、えっ? そ、そう……かな?」

 佐天からの問いかけに、美琴はきょとん、とした顔をする。

「前は上条さんの話をするだけで、――アイツなんて全然気にしてないんだからっ、みたいな言い方してたのに、今はそんな惚気まで言っちゃってるんですよ?」
「惚気じゃないわよ? 全部本当のことだもん。当麻はいつだって私のこと、御坂美琴として見てくれるし、私の笑顔が一番可愛いって言ってくれるんだから」

 しれっとした顔で、更なる惚気を言うようになった美琴に、佐天は思う。

(あの御坂さんがこんなにデレデレ乙女になるって、上条さんたら御坂さんのこと、すごく愛してるんだろうなー。ますます興味が湧いちゃったよ)

 そもそも超能力者が無能力者に恋の告白をしただなんて、この学園都市でも聞いた話がない。
 LEVEL5という希少な存在が、どこで何をしているのか全く分からないが、『学園都市の看板』とも言える彼女が、一介の無能力者の高校生とお付き合いをすること自体、異例なことである。
 それは佐天が大好きな、都市伝説に匹敵するくらいの大事件なのだ。
 だが美琴の恋人である上条が、都市伝説での「全ての能力を打ち消す能力を持った能力者」なのだとは、さすがの佐天でさえも知りはしない。
 同時に彼が第一位を倒した無能力者であることも。




「だってあんなにも活発で勝気だった御坂さんが、今はこんなにも恋する乙女になってるんで、ちょっとびっくりしてるんですよ」
「私? 何も変わってないわよ? 今だってビリビリもするし、寮監にお仕置きされるようなことだってしょっちゅうだし」

 そうは言ってもそこは女の子同士。ちょっとした雰囲気や仕草の変化でわかってしまう。
 ましてやこの佐天涙子、恋愛沙汰での洞察力や観察力はとにかくハンパないのだ。

「どこか柔らかくなったというか、きれいになったっていうか。――御坂さん、上条さんに愛されてるんだなあって感じますよ」
「そう? 私はそんなの、全然意識したことないんだけどね」

 そう言って、ちょっと小首をかしげる美琴の仕草さえも、佐天には妙に色っぽく思えてしかたがない。

(うっわー! 御坂さんったら、こりゃもう破壊的な可愛さだよね。上条さんがいくら鈍感だって言っても、これ、絶対イチコロだよ)

 昨年の夏休みの終わり頃に、クッキーの作り方を教えたときとは比べられないほど、美琴は大人びた雰囲気を漂わせるようになった。
 落ち着いた振舞いに、艶っぽい仕草が混じるようになり、ますますその美しさに磨きもかかってきた。
 だから佐天は余計に聞いてみたくなった。

「御坂さん、今、幸せですか?」
「ええ、とっても幸せよ。当麻と一緒に居られるだけで幸せ。――でもいきなりどうしたの?」
「だって御坂さん、去年の秋頃、それはもう見ていられないくらいに落ち込んでいたじゃないですか」

 それはちょうど上条が、ロシアで行方不明になっていたときのこと。
 あの頃のことを思い出したか、美琴がすまなそうな顔をする。

「ごめんね、あの時は。私、みんなに心配かけちゃってたみたいで」
「いえ、あたしたちも力になれなくてすみませんでした。――でも御坂さん、上条さんと付き合いだしてから、本当に幸せそうだなって思えるんです」
「それじゃ前の私は、幸せじゃなかったみたいじゃない?」
「あああ、そんなつもりで言ったんじゃないんですけど……」

 冗談よ、と言いながら、ころころと笑う美琴の顔は、心満たされたように優しく穏やかだった。
 彼女をそんな風に変えてしまった無能力者の存在に、佐天はなんだか、自分も励まされるような思いを抱いていた。

(――上条さんにも一度、会ってみたいなあ)

 好奇心旺盛な佐天にしてみれば、このふたりの恋路が気になって仕方がない。
 お年頃な彼女にとって、能力レベルを超えた恋愛関係なんて、まさしく少女漫画的な甘い夢物語。
 自分だってもしかしたら、高位能力者と恋に落ちるかもしれない、と彼女は思う。
 たとえば超能力者(LEVEL5)第一位とだなんて、想像するだけで、実にロマンチックではないか。
 なんなら第二位は初春にでも譲ってあげよう、と少女の無責任な夢は果てしない。
 そんな夢の世界をぐるりと一回りしたところで、ようやく佐天は現実に戻ってきた。

「ところで御坂さん。――ちなみに上条さんとはドコまでいったんですか?」
「げほっ!? ごほっごほごほっ!?」

 唐突な質問に、美琴が思わずむせかえる。同時に顔を赤くして、

「い、いきなりなんなのよ、佐天さん。――ドコまでって、その……ええっと……」
「キスはしましたよね? もしかして、その先も、とか? うわー、御坂さん、大人の階段上っちゃいました? やるうーー!!」
「ちょ、ちょっと待ってよっ! 何もっ! 何もまだしてないって! キスだってまだなんだからっ!!」
「――へっ? ええっ!? キス、まだなんですか?」

 付き合いだしてもう一月は過ぎているというから、キスなんてとっくに済ませているものだと思っていた佐天は、呆気にとられた。
 さっきだって、抱きしめられたらそれだけで幸せな気持ちになると言っていたではないか。なのにキスもまだだとはどういうことなのか。




「当麻っって、そんな雰囲気になると、なぜかすうっと逃げちゃうのよね。――私ならいつだってOKなんだけどな」
「上条さんって、もしかして相当な奥手だとか? でも抱きしめてはくれるんですよね」
「うん。――来ないなら、いっそコッチからって思う時だってあるけど、その時の当麻って、どこか寂しそうな顔をしてるのよ」
「寂しそうな、顔?」
「……私の勘違いかもしれないんだけどね。当麻に聞いたって、別になんでもないぞって言ってるし」
「…………」
「もしかしたら私に、女の子の魅力が足らないのかなあ。胸だってまだこんなだし、たまにビリビリもしちゃうから……」

 そう言って、伏し目がちになって肩を落としている美琴に、佐天は何とかして彼女の力になりたいと心から思う。
 佐天には同じ年頃の女の子として、美琴の気持ちもよくわかる。もちろん女の子にとって、好きな人とのキスが、どんな意味を持つのかについてもだ。
 付き合っている彼氏に手を出されないどころか、キスさえしてもらえないというのは、自分に女としての魅力が無いと言われているも同然なのだから。
 しかしあいにくと佐天は、上条に会ったことが無い。だから彼が何を考えているのかがわからない。
 無責任な煽りをして、それが原因で二人が別れることになって、美琴に顔向けが出来なくなるようなことは避けたい。
 せめてこのふたりを次のステップに進ませてやりたいと思うのは、いろいろ助けてもらったお礼とまでは言わないまでも、少しでも友人の役に立ちたいからだ。
 決して好奇心からなのではないと思いたい。

「――御坂さん、いっそ上条さんに……」

 面と向かってキスして、って言ってみたらどうですと言いかけたところで、

――Prrrr♪Prrrr♪
――Prrrr♪Prrrr♪

「あ。初春からだ」

 佐天の携帯へメールが届いた。同時に美琴のそれへもメールが届く。

「こっちは黒子ね。――風紀委員の仕事が終わったみたいよ」

 白井黒子と初春飾利の息の合ったコンビネーションぶりが想像でき、お互い顔を見合わせて笑ってしまった。
 ふたりはカチカチと携帯を操作して、ここにいない友人たちの状況を知る。

「――それじゃ材料も買ったことだし、早く帰って始めないと間に合いませんね」
「ありがとうね。せめてここは私が奢るから」
「ごちそうさまです。でも材料代まで出してもらったのにいいんですか?」
「気にしないで。手伝ってもらうのは私の方なんだから」

 そう言って彼女たちは佐天の寮へと向かった。
 風紀委員の仕事が終わった白井と初春のふたりとも合流し、全員でバレンタインのチョコを作ることになっている。
 そこへ向かう道すがら、美琴と他愛の無い会話をしながら、佐天は先ほどの、伏し目がちな美琴の姿を思い出していた。
 
(なんで上条さんは御坂さんにキスしないんだろう。男子高校生だったら普通、キスどころかその先だって考えてるって聞いてたんだけどなあ)

 女子中学生の考えとしては、いささか不穏当な内容も無くは無いが、それも思春期ならではのこと。
 おませで、恋に恋する乙女としては、極上のお手本が目の前にあるのなら、それをしっかりと見てみたいという興味だってある。
 ならばいっそ、当の本人たる上条に聞いてみようかと思ってはみたものの、

(あたし、上条さんの連絡先、知らないや。まさか御坂さんに聞くわけにもいかないし……。何かいいアイデアないかなあ)

 思ったら即行動が持ち味の佐天涙子。この翌日に思わぬ扉を開けることになろうとは、彼女はこの時、想像すらしていなかった。




 翌十三日の朝、佐天は寒気がするので、熱を測ってみたら、見事に三十八度を越していた。

(昨日人ごみの中へ行ったから、どこかで風邪を拾ってきたのかな……)

 予防注射をしているから、インフルエンザではないだろうと思うが、とにかく休まねばと思い、初春に欠席の連絡を頼む。
 携帯での通話を終えて、彼女は頭から布団を被りなおすと、もう一度眠りについた。
 それからどのくらい時間が経っただろう。びっしょりと寝汗をかいたためか、ずいぶんと体調は回復していた。
 いっそ、このまま寝て過ごそうかとも思ったが、明日は大事なバレンタインデーだ。うかつなことで、また学校を休むことになってはつまらない。
 それなら早めに医者へ行くべきだと思い、彼女はのろのろと布団から這い出すと、温かな服を着込んで病院へ向かった。

 診察の結果、ただの風邪だとわかり、薬を飲んで寝たら明日には回復する、とカエル顔の医者に、そう告げられた。
 ほっと安心して、待合いで会計と薬を待つ間、佐天はぼんやりと周囲の様子を眺めていたその時。

『――上条さーん! 上条当麻さーん!』

 どこかで聞いたことのある名前が耳に飛び込んできた。と同時に、診察室へと向かう、ツンツン頭の少年の後姿が見える。

(あれ? あの人、上条当麻さんって言ってたよね。もしかして御坂さんの……)

 そう思った佐天は、自分の会計を済ませた後も、そのまま待合いで、その少年が出てくるのを待った。
 やがて戻ってきた少年は、熱があるのか、やや上気した顔をしている。時折ゴホゴホと咳き込んでもいるようだ。
 美琴から聞いていた特徴的なツンツンした髪も、ちょっとしんなりとして彼女の目にも、力なく映って見える。
 再び窓口で名前を呼ばれた彼が、のろのろと薬を受け取ったのを確かに見届けた佐天は、病院を出たところで後ろから少年に声を掛けた。
 黒の学生服に、首元に巻いた白地に緑色の柄がついたマフラー。そこに見えたのは、少年には似つかわしくないゲコ太の模様だ。

(間違いないね。ゲコ太柄のマフラーなんて、絶対御坂さんのプレゼントに違いないよね、アレは)

「――あの、上条さんですよね?」

 見知らぬ少女に、背後から名前を呼ばれた上条が振り返る。
 彼が目にした、長い黒髪に白い花飾りをした女の子に見覚えは無い。
 夏休み以前の記憶を失っている上条は、かつての知り合いに会ったのかと思い、戸惑いを隠せないようだったが、

「あの、御坂さんの彼氏さん、上条当麻さんですよね?」
「え? あ? ――君は、御坂の友達、なのか?」
「はい。はじめまして。棚川中学一年の佐天涙子といいます」

 はじめまして、と言われたことで、彼もようやく落ち着きを取り戻し、表情に安堵の色が浮かんだ。

「あー、はじめまして、だな。上条……って名前は知ってるんだっけ。高校一年だ。佐天さんは美琴とは学校も学年も違うのか?」
「はい、白井黒子さん……ってご存知ですよね? そっちからの友達なんですよ」
「白井ってことは、君も風紀委員なのか?」
「いえ。風紀委員はもう一人の友人で、初春ってのがいましてですね……」

 気さくな感じで話しかけてくる佐天に、上条はなんとなく好感を覚えているようだった。
 美琴の友人ということで、堅苦しいことを嫌う彼女たちの付合い方が、そこに垣間見えた気もしたのだろう。
 それはとりもなおさず上条と美琴のやりとりにも通じるものを感じたからか、彼もいつの間にか、すっかり彼女に気を許していた。




「――で、御坂さんがですね……」
「へえ? 美琴ってそうなんだ。アイツ、俺の前では――なんだぜ?」
「あはははは。でも御坂さんって、…………なんですよ。それで―――なんですから」

 ぶらぶらと歩く病院からの帰り道。
 ふたりともちょっとハイな気分でいるのは、決して風邪の発熱作用の所為だけではないのだろう。
 ここにいない恋人のエピソードを聞いて、笑ってしまう彼氏ってどうなんだ、と思いながらも、上条は自分の知らない美琴の姿を知ることが出来て嬉しかった。
 佐天の方も、あの憧れの超能力者が、彼氏の前ではどんな風に振舞っていたのかを聞いて、こちらも好奇心を満足させることが出来ている。
 お互いの知らない御坂美琴のことを話しているだけで、十分に楽しい時間が続いていた。

「――そうそう、上条さん。ひとつお願いがあるんですけどいいですか?」
「ん? 俺に出来ることなら構わないけど」
「あのですね……携帯の番号を交換してくれませんか?」
「構わない、っと言いたいところだけど……さ」

 それまで笑っていた上条が、ちょっと真面目な顔をする。
 彼のそんな表情を見た佐天は、上条が思いのほか誠実な人間であることを知った。

「――やっぱり御坂さんに内緒じゃダメですか?」
「ああ。俺の番号だけなら構わないかもしんねーけど、美琴の友達の番号を、アイツのいないところでっていうのは、さすがにちょっと気が引けるというか……」

 鈍感だと言われる上条だが、恋人に黙ってその友人と携帯番号を交換し、誤解を招くようなことは避けたいという心遣いは持っている。

「上条さんって、結構真面目なんですね。御坂さんはあっちこっちでフラグを立ててるって言ってましたけど」

 その言葉に上条がまたか、というような顔をした。
 なぜかやたらと周りの人間にそんなことを言われ続けてきたが、そんな都合の良いことなんて有り得ないと、彼は思っているのだから。

「なんだって俺は毎度毎度そんなことを言われるんだ? そもそも俺はいつも美琴一筋だって、前からアイツにも言ってるんだけどなあ?」
「うわー。そこで惚気ますか? ――なら御坂さんの気持ち、上条さんはわかってあげてます?」
「美琴のか? 俺は読心能力者じゃないが、出来る限りの努力はしてるつもりだけどな」
「だったらひとつお聞きしますけど……」

 昨日の美琴との会話を思い出しながら、佐天はこれこそ願ってもないチャンスだと感じていた。
 彼女のいない今だからこそ、その彼氏、上条の気持ちを聞くにはもってこいのタイミングだと。

「――御坂さんが、上条さんにして欲しいことがあるようなんですが、知ってましたか?」

 佐天の問いかけに、上条はちょっと躊躇っていたようだが、直に何かを感じたのか、ぽつりと口を開いた。
 それは先ほどまでニヤニヤと笑っていた佐天の顔が、いつの間にか真剣なものに変わっていたからだ。
 おそらく彼女は、美琴のために何かを伝えようとしているのだろうと、上条にも分かったから。

「ああ、分かってる。多分……だけどな」
「それ、本当です? 上条さんのこと、御坂さんはバカで鈍感だって言ってましたけど」
「…………はあ。女子中学生って、容赦ないなあ」

 生意気なこと言ってすみません、と頭を下げかけた彼女を押しとどめながら、苦笑いを浮かべた上条だった。
 実際のところ、自分がバカで鈍感かどうかは別にして、恋人が望んでいることに、彼は確かに以前から気が付いてはいる。
 けれどその一歩を踏み出すことに、ずっと躊躇いを感じていたのも事実だ。
 その理由を、果たして今日初めて知り合った彼女に打ち明けても良いものか。
 上条は迷ったが、なぜかこの年下の女の子は、そんな自分の躊躇いを何とかしてくれそうに思えたから。

「なら、誰にも言わないって約束してくれるか?」
「はい。誰にも言いません。あたしと上条さんだけの秘密です」

 じっと見つめてくる彼女の黒い瞳の色に、強い説得力を感じた上条は思う。
 美琴もこの子にかかれば、おそらく何の隠し事も出来ないのだろうなと。
 もちろん上条は知らない。この少女ともう一人、花飾りの少女が揃った時、たとえ美琴とふたり一緒に対決したとしても、洗いざらい白状させられてしまうであろうことを。

「わかった。――それは……」




「――キス、だろ?」

 上条は恥ずかしさを堪えながら言った。おそらくこの次は、彼女から冷やかしの言葉が来るものだと彼は覚悟したが。

「正解です。御坂さん、上条さんにキスして欲しいって言ってました……」

 思いのほか冷静で、真面目な声の佐天に、彼は戸惑いを感じる。がそれを確かめる間もなく、彼女から更なる疑問の言葉が届けられた。

「――そこまで分かってて、どうして御坂さんにキスしてあげないんですか? 今どき中学生カップルだってそれくらい、してますよ?」
「…………そうなのか?」
「御坂さん、自分に魅力が無いからだって悩んでました」
「――それは違うからな!」

 もちろん上条とて健全な男子高校生だ。キスはもちろん、その先のことに興味も、そして欲望だってあるのだから。

「美琴は……俺なんかにはもったいないくらい、可愛くて魅力的な女の子だよ」
「なら、なぜなんですか?」
「だからだよ。――正直なところ、悩んでるんだ」
「何をですか?」
「俺は、アイツを、――美琴を、本当に幸せにしてやれるのか、って事をさ」

 その言葉に、佐天は足を止めて思わず彼を見上げていた。
 どこか遠くを見るような目をしていた上条の表情が、なんだか悔しそうに、そして寂しそうにも見える。
 ああ、と彼女は心の中で呟いた。

(もしかしてこれが御坂さんが言っていたことなのかな)

 今の彼の表情には心当たりがあった。
 そう感じられたのは、彼女自身も以前に、そんな悩みを持ったことがあったから。

(この人も、私と同じ無能力者、だったよね)

 彼の悩みは、自分が無能力者だから、美琴の力になれないと思っていることなのだろうと佐天は思う。
 それでも、彼には諦めて欲しくなかった。
 無能力者(LEVEL0)であっても、上条は唯一、御坂美琴の支えになれる人間だということを、彼女から聞いて知っているから。

「俺は美琴を傷付けたくないし、アイツを……そんな目に遭わせたくない」
「…………」
「だからもしかしたら、今ならまだ……間に合うかもしれないって思っちまったんだ、俺は」
「――――ッ!」

 上条の言葉に、彼女の胸がドキッとする。――止めて! と思わず叫びそうになったのを、ぐっとこらえた。
 佐天は、彼が言おうとしているその先の言葉を、聞きたく無いと思ったから。
 もしかしたら、上条は間違った思いを持ってしまっているのでは、と感じられたのだ。

「――これ以上美琴を受け入れたら、本当にアイツを傷付けてしまうんじゃねえかってな」
「か、上条さん……それ……ほ、本気なんですかッ!」

 昨日見た、幸せそうな美琴の表情が、たちまちにしてどこかへ消え失せるようなことだけは、絶対にさせたくなかった。
 もし上条が、本気でそう思っているのだとしたら、彼女の幸せはどうなるというのか。
 もちろん佐天にも、上条の気持ちだって痛いほどわかる。力を持たない者の辛さ、悲しみ、葛藤。これまで幾度と無く、味わされてきた屈辱と無力感。
 それでも自分に力が無いから、能力が無いからと諦めかけたとき、大切な友達から教えられたのは一体なんだったかを彼女は思い出していた。
 「幻想御手事件」で彼女が得たもの。
 「乱雑開放事件」で彼女が学んだもの。
 今ははっきりと、彼女にもわかっているのだから。

「御坂さん……あんなにも幸せそうな御坂さん、あたし、今まで見たことがなかったんですよッ!」

 だからこそ、何が何でも彼の『バカげた思い』を翻させなければならないと、彼女は心に決める。
 あの時、「幻想御手」に手を出した自分を、救いだしてくれた大切な友人たちのように。
 自分の弱さを認め、受け入れ、そうして今だって大切な友達でいてくれる、初春や白井、何よりも憧れの超能力者、御坂美琴のためにも。

「以前の御坂さん……確かにいつも笑ってました。――でもそれは、無理して、我慢して、独り耐えてただけなんです」
「ずっと一人で苦しんでた事だってあるんですよッ! あたしたちに心配させまいとして、我慢して我慢して、一言だって弱音、吐かない人なんですッ!」 
「…………」




 一生懸命に訴えかけてくる佐天を、上条が黙ったまま見つめていた。
 彼の瞳が、いつの間にか優しい光を湛えていたことに、彼女は気付かない。

「そんな御坂さんの支えになんて、あたしたちじゃなれないんです。――なりたくてもなれないんですからッ!」
「お願いです、上条さん! 御坂さんを支えてあげてください! それは上条さんにしか出来ないんです!」

 黒い瞳に涙を浮かべ、こぶしを握り締めて、必死になって訴える少女。
 そんな彼女の言葉は、目の前の少年に、果たして届くのだろうか。

「御坂さん、上条さんと一緒に居られるだけで幸せだって言ってるんですよ! 上条さんはそこにいるだけで、ちゃんと御坂さんを幸せにしてるんですッ!!」
「…………」
「上条さんが御坂さんを幸せに出来ないなんて……そんなことないんですから……」
「――――ごめん」

 上条のそのひと言に、佐天は崩れ落ちそうな気がした。
 それでもなんとかこらえようと、震えが止まらない足に力を入れる。
 俯いてしまった視界はすっかり涙で滲んで、顔を上げることさえ出来なかった。
 あたしの言葉は、どうしたらこの人に届くんだろうと、くやしさと無力感に、佐天が奥歯をかみ締めたその時、

――ぽん、と彼女の頭に、なにかが載せられた感触がした。

「……ふぇぇ?」

 突然のことに、佐天は流れそうな涙を拭うことも忘れて、顔を上げた。
 すると上条が、優しい笑顔をして、彼女の頭に手をやっているではないか。

「本当にごめんな。――美琴の友達だってのに、泣かせちまって」
「え? か、上条さん?」
「言っておくが、俺は美琴と別れるだなんて、そんなバカなこと、絶対にやらねーからな?」
「――――え? でも、さっき……あれ!?」

(御坂さんを幸せにする自信がないから、――別れた方がいいだなんて……上条さん、何も言って無かった……よね?)

 ようやく早とちりに気付いた佐天が、首筋まで真っ赤に染まる。
 もしかして言う必要のない、とんでもなく恥ずかしいことまで言ってしまったと思い、

「す、すみません。私の早とちり、でした?」
「そんなことないぞ? そもそも俺が紛らわしい言い方をしたのが悪かったんだ。――しかし美琴にも、頼りになる友達がいるってわかって、俺も安心したよ」

 上条が安心したように、柔らかな笑みを浮かべている。
 頼りになる友達と言われたのが、佐天には本当に嬉しかった。ともすれば天にも昇るような気持ちを落ち着かせるために、――はあっと大きく息を吐いた。

「――じゃあ、上条さんが悩んでるのは、いったいなんなんですか?」
「それはだな……」

 上条が少し真剣な顔をして、内緒話をするように、佐天の耳元で囁くように言った。

「今まで彼女なんて出来たことがなかったんで、美琴にキスしてもいいのか迷ってたんだよ。それにどうやってキスしたらいいのかもわからないんだ」
「はあ?」
「キスするときって、鼻が邪魔にならないのかなんて、美琴に聞くわけにもいかねーしな」
「――そんなこと、悩んでたんですか?」
「だから上条さんは、誰にも言うなって言ってるんですッ!」
「あはははは! 上条さんって面白い人だったんですね!」

 結局、さんざっぱら佐天に笑われて、しゅんとした上条だった。

「――とにかくやってみればいいじゃないですか? 御坂さんなら上条さんにキスされるのだったら、下手でも気にしませんって」
「それでも年頃の男の子は、彼女には少しでもいいカッコしたいんですっ!」
「だったらリンゴでも買って、練習したらどうです? ――なんならあたしが練習台になりましょうか?」

 からかうような佐天の言葉に、上条がごほごほと咳きこんだ。
 この年下の中学生の煽りスキルは、相当なものがあるように思った彼は、

「こらこら。年上の高校生をからかうもんじゃありません!」
「えへへへ。すみませんでした」
「――まあでも、おかげで悩みも消えたし、ありがとうな」

 そう言って、ニカリと笑った上条に、佐天もにっこりと笑みを返す。

「だったら、ジュースでも奢ってください」
「おう、また今度な。今日は早く帰って寝ないと、明日も休まなきゃならなくなりそうだよ。げほごほっ……」
「あははは。どうぞお大事に!」

 病院帰りだというのに、いろいろ弄られて却って病状が悪化しそうな上条と、弄ったことですっかり調子を取り戻しつつある佐天だった。


 ~~ To Be Continued ~~



とあるバレンタインデーの物語 ~ The_tales_of_a_certain_St Valentine's_Day. 後編




 年齢も性別も学校も違うふたりの交流は、やがて終わりの時を迎える。それは各々の寮へ向かう分かれ道までやって来ていたから。

「俺はこっちだから」
「あたしはこっちなんで。――そうそう、御坂さん、明日のバレンタインデー、張り切ってましたから、楽しみにしててくださいよ」
「あー、そっか。明日なんだっけ。教えてくれてありがとな。それじゃ!」
「はい、また今度!」

 佐天はそう言って、上条と別れていく。その後に、彼女は携帯を取り出しながら呟いた。

「御坂さんに、上条さんが風邪引いて休んでること、教えてあげなくちゃ」

(誰にも言わないって言いましたけど、やっぱり御坂さんにだけは言っちゃいます。ごめんなさい、上条さん)

 美琴に言えば、間違いなく彼女は上条の看病に行くだろう。
 いっそその時に、キスしちゃえとでも煽ってやろうかと思い、

「さっきのこと全部教えちゃおっと……」

 なにやら企むような、黒い表情をする佐天。

「御坂さん、上条さんとキスしたら、どんな風になっちゃうのかな。――今度は、初春も呼ばなきゃね」

             ◇     ◇     ◇

 一方、上条は通りを向こうへと遠ざかっていく、佐天の後姿を見送りながら、呟いていた。

「ありがとうな、佐天さん。――俺は美琴を不幸にせずに済んだみたいだよ」

 それはまるで、ほっと安堵のため息を吐くかのよう。
 上条が抱えていた悩みとは、あの時、佐天が思っていた通りのことだった。
 自分の不幸が、美琴まで巻き込んでしまうのではと、彼は自信を失いかけて、疑心暗鬼に陥りかけていたのだ。
 そんな彼の間違った思いを、彼女は見事に覆してくれたのだから。

『――上条さんはそこにいるだけで、ちゃんと御坂さんを幸せにしてるんです』

 佐天にそう言われて、彼はようやく目が覚めた気がしている。
 美琴を泣かせてでも別れようかなんて、一時は本気で悩み、眠れぬ夜を過ごしたこともあった。
 インデックスに不審がられて、誤魔化したことさえもある。
 誰にも相談できず、ひとり苦しんでいた上条の『バカげた幻想』を、ひとりの無能力者の少女がいとも簡単にぶち殺してくれたのだ。

「俺は一緒にいるだけで、美琴を幸せに出来てたんだ。――本当に……よかった」

 風邪で体調は最悪だったが、気持ちはなにやらすっきりとしている。
 まるで今まで胸を塞いでいた重荷が取れたかのよう。

「だったら今度こそ、俺は、美琴に向き合わねえとな。――でないと本当にアイツを不幸にしてしまう」

 優しい笑みを向けて来る恋人の顔を思い出しながら、彼は家路を辿る。
 やがて再び襲ってきた、ぞくぞくするような寒気に身震いしながら、彼は足を速めた。

「だけど今日は一日寝て、明日には学校へ行かないとマズイな……」

 相変わらず出席日数が危ないから、病気だからといってうかつに休むことも出来ない。
 だがもしインフルエンザなら、そういうわけにいかない。それは周りの人にも迷惑がかかるから。

「――しかしインフルエンザじゃなかったのは助かったぜ」

 大切な人に風邪をうつしてはいけないから、もちろん美琴にも内緒にするつもりだ。
 なにかあったら言えといわれているが、一晩だけなら世話をかけるほどでもないだろうと彼は思っていた。
 今だって、彼女は明日の準備に忙しいと聞いたから尚更だ。
 それと小萌先生までもが風邪で寝込んでしまっているため、インデックスの世話は一方通行に頼んできた。
 打ち止めや番外個体がいれば、彼女とて退屈することはないだろう。

「うー。本格的に寒気がしてきた。とにかく薬を飲んで寝よう」

 ようやく部屋にたどり着いたときには、体調は悪化の一途を辿っていた。とにかく寒い。正確かどうかもわからないが、体温計には三十八度なんて表示されている。
 ぐらぐらと目眩を感じ、彼は慌てて薬を飲んで寝着に着替えると、そのままベッドに潜り込んだ。




 どのくらい寝たのだろう。上条が目を覚ましたとき、自分の頭に、冷たいものが載っていることに気が付いた。

(あれ? 俺、いつの間に頭冷やして……あれ?)

 額に載せられていた冷えたタオルをとって、ベッドから身体を起こしてみれば、台所でなにやら人の気配がする。

(誰か来てるのか? まさか――美琴か? でもアイツ、確か明日の準備で忙しいはずじゃ?)

 病院からの帰りに佐天から、明日のバレンタインに向けて、美琴が張り切っていると聞かされたから、今日は来ないものだと思っていた。
 だがそんな予想を裏切るかのように、

「――あ? 起きた? 具合はどう? 当麻」

 彼の前に現れた、エプロン装備の家庭的超電磁砲。恋人だった。

「あ? ああ、美琴か。ていうかお前、今日は何でここに?」
「当麻が風邪で寝込んでるっていうのに、私が来ないわけにいかないじゃない。当麻のことは、佐天さんに教えてもらったわよ」
「え? ああ佐天さんにか。――でもまあ、よく寝たんで、さっきよりはかなり楽になったな」

 彼女に口止めしておくべきだったか、と上条は思ったが、今となってはもう遅い。
 それに美琴の様子からして、自分のために食事の仕度をしてくれていたのだろう。
 なにより彼女が目の前にこうしていてくれたことは、正直嬉しかった。理性では風邪をうつしたくないと思ってはいても、だ。

「病院で会ったんだってね。――それよりインデックスはどうしたの? あの子に風邪をうつすわけにいかないでしょ?」
「ああ。だからインデックスは一方通行に預けてきた。小萌先生もダウンしてるって言うから」
「それでなのね。さっき土御門のお兄さんが来て、当麻のクラス、今日から三日間、学級閉鎖だって言ってたわ」

 美琴が、はい、と連絡事項が書かれたプリントを手渡してくれた。
 どうやら上条が寝ている間に、土御門元春がやって来て、いろいろ学校関係の連絡を持って来てくれたらしい。
 おまけに学級閉鎖ということは、

「休んでも、病欠にはならないって訳か。助かった!」

 と思いきや、受け取ったプリントの間からはらり、と落ちた手書きのメモが一枚。
 見れば、――覚悟しとくんやで、と青い字で書かれていた。
 どうやら恋人が看病に来てくれているのがバレたらしい。

「ううう、学校始まったときが怖い……不幸だ」

 がっくりと肩を落とした上条。ようやく彼女が出来たというのに、今度はリア充だからという理由で何かにつけて風当たりが強い。
 そんな彼の様子も気にも留めず、美琴が彼の首筋に手を入れてきた。

「んっ……なっ!?」
「あら。まだちょっと熱いわね」

 思わぬ美琴の行動に、上条の心臓がドキドキと高鳴っている。
 だからなのか、首筋に当てられた美琴の手が、ひんやりとして心地よかった。
 まだまだ熱が下がりきらないのか、それとも今のことで、却って熱が上がってしまったのか。

「おなか空いてるでしょ? 食欲はある? 薬飲むんだったら、なにか食べなきゃね」
「あ、ああ。そういや今日はまともに食ってねえや」
「そんなことで、風邪が治るわけ無いじゃないのよ。――ちょっと、起きてみて? つらくない? 大丈夫?」

 美琴が彼の身体を起こそうと、背中に手を伸ばしている。
 上条の背中に回された彼女の手は、華奢なようにも思えたが、彼には同時に力強くも感じられた。
 年下の女の子のはずなのに、なんだか年上のお姉さんのようにも見えてしまったのはなぜだろう。
 彼女の顔を見れば、いつもの優しい笑みがそこにあって……。
 いつの間にかじっと、彼女の顔に見惚れている自分に気が付いた。昼間、彼女の友人とした会話が思い出されて仕方がない。

(――俺なんかにはもったいないくらい、可愛くて魅力的な女の子だよ)

「私の顔、どうかした? なにか付いてるの?」
「んあ? あ、なんでもない。……大丈夫、だ」

 つい見惚れてました、などと言えるわけも無く、彼は熱で火照った顔をさらに赤くしてしまう。
 同時に男の本能が、身体の奥底からじわり、と溢れてくるような気がしたから、慌てて視線を逸らしていた。
 そんな彼に美琴は、――変な当麻? と呟いただけだった。




 ベッドから起きあがると、幸いにも目眩や頭痛も感じられない。ただ寝汗をかなりかいたため、シャツがじっとりと湿って気分が悪い。

「――汗もかなりかいてるわね。今、熱いタオル持ってくるから、着替えなさい。その間に晩ご飯の用意をするから」
「お、おう……」

 甲斐甲斐しく世話を焼く恋人に、感謝の念を持ったままでいると、晩御飯という言葉につられたか、お腹の中から、ぐぅ♪と音がした。
 どのくらい寝たのかと窓を見れば、外はもうすっかり暗くなっている。時計に目をやれば、すでに完全下校時刻を過ぎていた。
 美琴から渡された、お湯で絞ったタオルで身体を拭き、新しいシャツに着替えたらさっぱりとして気持ちいい。
 やがて目の前の炬燵の上に、――ドン、と鍋が置かれた。

「今夜は特製うどん鍋にしてみたの。これ食べれば、身体の中から温まるわよ」

 たっぷりのうどんと消化のよい根野菜にキャベツ、刻んだお揚げと鶏肉、さらには落とし卵。だしを効かせた醤油味の汁に、おろししょうがをたくさん入れて。
 美琴が中くらいの器によそい、はい、と上条の前に差し出した。ここでは大きい器がインデックス、中くらいなのは上条、やや小振りなのが美琴の器だ。
 たっぷりと盛り付けられた器から香る出汁の匂いが、彼の空っぽの胃袋を刺激する。
 いただきます、と箸をつけてうどんを啜りこめば、口の中に広がる野菜の甘みと旨み。鼻へと抜ける出汁の香りも、まろやかに広がる。
 刻んだ揚げから出た風味としょうがのアクセントが汁の味と相まって、やさしくお腹の中へと収まっていくようだ。
 同時に身体の芯から、ほかほかと温みが感じられる。

「美味い。――ほんとに美味いよ」
「そう? よかったあ……」

 彼の目の前で、美琴がやや小振りの器に、うどんをよそっている。鍋から立ち上る湯気の向こうに、恋人の幸せそうな顔が揺らいで見えた。
 箸を動かす自分を見ながら、満足そうに笑っている。その表情を見ただけで、上条はなんだか急に、胸が詰まるような思いを感じていた。
 彼女が魅せるこの幸せを、自分は危うく失わせてしまうところだったのだ。こうして一緒に居るだけで、幸せだと言ってくれていたというのに。
 よく見れば、確かにそう感じられる美琴の笑顔は、何物にも変えがたい気がして、彼の胸中に忸怩たる思いが広がった。
 改めて、自分は恋人に正面から向き合っていなかったことを自覚させられた。
 だが、これからは彼女を不幸にさせないためにも、きちんと向かい合うと決めたのだ。誰よりも愛しい恋人が幸せなら、自分だって幸せなのだから。
 そう思ったとたん、じわり、と上条の視界が滲んだ。いつのまにか箸を動かすのも止めて、じっと美琴の顔を見つめていた。

(――幸せ、だな)

 何のためらいもなく、素直にそう思っていた。
 自分には幸福なんてありえないのだと思っていたが、いつのまにかこの少女は、そんな幻想さえも殺してくれていたらしい。




「どうかしたの? 調子悪いの?」

 心配そうに美琴が上条を見つめている。
 思わず彼は口にしていた。

「――ちゃんと見てなかったって思ってさ」
「えっ?」
「美琴が幸せだったら、俺も幸せなんだなって」
「え? は? ――ふぇぇっ!?」

 上条からの言葉に、美琴の顔がたちまち真っ赤になる。
 慌てたように、手に持った器を台の上に置くと、彼女は両の手で口元を覆い、うるうると瞳を潤ませた。

「や、やだ……。そんなこと、急に、言われたら……」
「え、あ? いや俺、まずいこと言っちゃったか?」
「ううん、違う、の。――その、私も……当麻が幸せだったら……幸せだなって思ってたから」

 美琴の鳶色をした瞳から、ぽろりと落ちた涙が一粒。上条は彼女がこぼした滴を、きれいだと思った。
 なんとなく手を伸ばすことさえ憚られるように感じて、じっと彼女の瞳をみつめることしか出来なかった。
 この瞬間だけは、お互いの気持ちが通じ合えたような気がしている。
 自分のこの想いも、美琴の想いも繋がったように感じて、彼は湧き上がるような喜びをかみしめていた。

   ◇  ◇  ◇

 付き合いだしてから、すっかり雰囲気が変わってしまった美琴だが、今では以前よりずっと、愛しく思っている。
 初めて出会った夏前のことは、自分の記憶には全く残っていないが、夏休みの終盤に差し掛かった頃、自販機の前で出会った時は、活発で勝気な少女だった。
 そんな彼女とわいわい騒ぎながら歩く帰り道は、とても楽しくて、心地よかった。自分の欲しかった、日常の風景がそこにはあったから。
 彼女と並んで歩きたいと望む気持ちは、記憶を失う前から、いつの間にか自分の心に刷り込まれてしまっていたのだろう。
 あの時、美琴を絶望から救うことが出来たのは、無意識のうちにも、彼女を失いたくなかったからだと、今ははっきりとわかる。
 アステカの魔術師とあの約束が出来たのも、美琴と一緒にいられる世界が、自分の求める世界だったからか。
 自分のためだと言いながら、上条はまさしく、自分の求める夢のために、求める世界のために、守りたい人のために戦ってきたのだ。
 そんな彼と一緒に戦うのだといい、手をとってくれた彼女の手のぬくもりを、今だって忘れることは無い。
 まごう事無きしくじりをした彼に、自分も一緒にその重荷を背負うと言ってくれた美琴の言葉を忘れてはいない。
 それでも巻き込むわけにいかないと思ったのは、何が何でも彼女を失いたくなかったから。
 いつ頃からなのだろう。御坂美琴が上条にとって大切な、そして特別な存在になったのは。
 彼女がいるから、自分は戦える。インデックスを守っていける。どんなに不幸であろうとも、この世界を愛していられる。
 これからも手を携えていける大切な恋人と共に、守りたい世界が、人たちが、夢が、失いたくないものがあるから、自分は何度でも立ち上がれるのだ。

「私、一緒にいられるだけで幸せだって思ってたのに……」

 そんな想いを抱く恋人から、こんな言葉を聞かされたりしたら、俺は……

「当麻がそう言ってくれただけで……本当の幸せってこういうことなんだなって思っちゃった」
「――――ッ!!」

(マズイ。ヒジョーにマズイ)
(なんていうか、不幸っつーか、ついてねーよな。俺、本当についてねーよ)
(今すぐ美琴をぎゅっと抱きしめて、キスしてえって思っちまった)

 そんな彼の内心の葛藤なんて、彼女は当然、知るはずもなく、

「だから私、嬉しくて……当麻を好きになってよかったって。これからもずっと、当麻のこと、愛していられたらなって」

 美琴が上条を上目遣いに、じっと見つめて来る。嬉し涙で潤んだ彼女の鳶色の瞳が、部屋の明かりに照らされてきらきらと輝いていた。

(そ、そんな瞳を向けられたら、理性なんてぶっ飛んじまうってえええ!!!)

 美琴に風邪をうつすわけにいかないと、彼は血反吐を吐く思いで、そんな欲望に耐えぬいた。
 もしも彼女が、上条に抱きつきでもしたら、彼の理性が持ちこたえることはなかっただろう。
 風邪の回復期ゆえなのか、本能に基づく欲求(リビドー)が、頭をもたげることが無かったのも幸いした。

(うおおおっ! 風邪さえ引いてなければッ! ああっ、もう、不幸だあああーーー!!!)

 なんとか理性を働かせて、危うく踏みとどまることが出来たようだ。



 食事も済んで、台所からはかちゃかちゃと後片付けの音が聞こえてくる。
 さっきのことは、とにかく冷めないうちに食おうぜ、の一言でなんとか事なきを得た。
 それに彼女も遅くなり過ぎないうちに、帰さなければいけないのだ。
 こうして恋人に看病してもらうなんて、彼には望外の幸せだった。彼女に風邪をうつしてしまう心配をしていても、内心の喜びはまた別なのだから。
 ふう、とため息ともつかぬ思いを吐き出して、上条は風邪薬を飲み、ベッドに半身を潜り込ませる。
 やがて片づけを終えた美琴が、彼の傍に寄ってきた。

「明日の朝と、昼のご飯も用意しておいたから、温めて食べてね。学校終わったら、また来るから」
「ああ、すまないな。――本当に……助かった……よ」

 そう礼を言ってみたものの、美琴に帰って欲しくない、と感じてしまった。
 頭ではわかっているが、いざ彼女が帰るとなったらなんだか寂しく思えたのは、きっとこれは風邪で心細くなっている所為なのだと。
 決して恋人と少しでも長く一緒にいたいから、ではないはずだ、と思い込もうとする。
 しかし、

「何よ、そんな寂しそうな顔しちゃってさ……」
「え?」

 はっきりと顔に出ていたらしい。

「――私だって本当は、もっと一緒にいたいなって思ってるんだから」
「は? あ……、お、おう!?」

 言い当てられた恥ずかしさと、一緒にいたいと言われた嬉しさに、上条の顔も赤く染まっていた。
 それでも、そして、だからこそ、なけなしの理性と勇気を振り絞り、

「だったら、明日、また来てくれよな」
「…………うん」

 名残惜しそうな顔をする恋人に、無理やり作った笑顔で告げる。
 そうして更にもうひとつ、明日の楽しみを作るために、

「――チョコ、用意してくれてるんだろ? 楽しみにしてるからさ」

 そう上条が言ったとき、美琴は――あ、そっか、と初めて何かに気がついたようなことを言った。
 部屋の隅に置かれた紙袋へ手を伸ばした彼女が、そこから取り出したもの。

「んん?」
「はい、どうぞ」

 何事かと、ベッドの上に身体を起こした上条の隣に、腰掛けた美琴が差し出したのは、きれいなリボンが掛けられたハート模様の赤い包み。
 それはまさしく、美琴お手製のバレンタインチョコだった。

「一日早いけど、やっぱり当麻には、他の誰よりも真っ先に渡したかったし、他の誰よりも先に、受け取って欲しかったから」
「――美琴……」

 あまりの嬉しさに、ついうるうると目を潤ませた上条。
 彼の記憶に残る初めてのバレンタインチョコは、恋人からの大本命チョコだ。
 いや、記憶に残っていない分も含めても、こういう経験は、おそらく人生初めてじゃないかとも上条は思う。

「それとも当日のが、よかった、かな?」
「いや、俺の人生初めてのチョコだぜ? 美琴から一番に欲しかった、っていうか、美琴からだけもらえたら、後は何もいらねえよ」
「嬉しいな。そう言ってもらえたら……」

 だが彼女にはわかっている。
 やたらとモテるこの鈍感彼氏は、自分がチョコをもらえることなんて、全く想像していない。
 義理チョコはともかく、本命チョコを贈られた時、彼はいったいどうするのか。
 もちろん受け入れることは無いだろうが、きっぱりと断わるのか、それとも鈍感ゆえにスルーするのだろうか。
 ちょっと見てみたい気もするが、只でさえ優しい性格の上条なのだ。いたずらに悩ませるようなこともさせたくは無い。
 だから明日、学校が休みなのは、チョコをもらえない彼にとっては不幸であるが、実は案外幸せなのかもしれないと思う。

(本当は、明日、当麻と会えない女の子たちの方が不幸なのかもね)

 だが翌日、大量のチョコが英国を始め世界各地から届いたり、上条の部屋へ次々とチョコを渡しに来た女の子たちのおかげで、一騒動あったのはまた別のお話。




「――なあ、開けてもいいか? っていうか、開けるからな」

 待ちきれないかのように、上条がラッピングのリボンに手をかけた。端を軽く引っ張っただけで、それはするりと解けて落ちる。

「初めて作ったから、口に合うかどうかわからないけど……」

 じっと彼の手元に視線を落としたまま、自信無さげに言う美琴。
 そんな彼女の不安さえ、一蹴するかのように、

「美琴が俺のために作ってくれたんだ。美味いに決まってるさ」
「――もう……バカ」

 恥ずかしげもなく言い切った彼の言葉に、美琴は初々しい照れた表情を浮かべた。
 そんな彼女に遠慮もなく、上条はがさがさと包装をはずすと、中の箱のふたを取る。
 現れたのは、ホワイトチョコで『LOVE』と書かれた手のひらサイズのハート形チョコが一個に、白いトリュフチョコと茶色いトリュフチョコが併せて四個。
 脇に添えられているのは一枚のメッセージカード。それには『 I LOVE YOU  MIKOTO 』とだけ書いてあった。

「すげえ。これ全部、美琴が作ったのか?」
「ハート形のは私だけど、トリュフはみんなと一緒に作ったの」

 ハート型チョコの、艶々しい焦茶色の深い色合いは、丁寧なテンパリングをしたことを物語っていて、口にする前から、その滑らかな口溶けが想像できそうだ。
 二種類のトリュフチョコの表面には、それぞれ網目のような模様が描かれていて、見た目にも店で売っているのと変わりが無いようにも見える。

「トリュフは友チョコや義理チョコ用にたくさん作るから、まわりの部分は既製品なの。でもハート形のは全部手作りだから」

 自分のために、と一生懸命作ってくれた美琴の気持ちが嬉しかった。
 そんな彼女が愛しくて。抱きとめたくて。温もりを感じたくなって。思わず彼女に手を伸ばし、その身体を引き寄せる。
 しっかりと美琴を腕の中に抱きしめた。

「え、えっ? あっ……」
「嬉しい。本当に、嬉しいぞ……」

 これまで何度も抱きしめてきた美琴の身体だが、さらりとした髪から、いつもの良い匂いと共に、今日はカカオの甘い香りもする。
 頬に感じる彼女の体温が、急に高くなったように感じられた。

「――すまん。風邪、うつすとか考えられなくなっちまった……」

 いきなり抱きしめられて驚いた美琴だったが、耳元で囁いた彼の言葉に何も言わず、そっと彼の背中に手を回した。
 ふわりと何かが彼女の鼻腔をくすぐったような気がしたのは、彼の匂い、なのだろうか。
 思わず上条の耳元で呟いていた。

「やっぱりこれじゃ、今夜は付きっ切りで看病しないとダメかな」

 さらりとそんなことを言い放った美琴に、彼は思わずその身を離して言った。

「――おいこら不良彼女! お泊りなんてダメですッ! いくらなんでも上条さんの理性が持ちませんッ!」
「なっ、なによ、ヘタレ彼氏っ! 男の甲斐性見せなさいよ! この意気地なしっ! ――えっ……あっ!? ち、ちがっ!?」

 思わず上条に言い返してしまった言葉に気がついて、真っ赤な顔になる美琴。
 ――お前は病気中の彼氏に、何を期待してるんだ、と叫びそうになったのをぐっとこらえる。
 そういやさっき、据え膳は食ったよな、とわけのわからないことを考えているのは、たぶん動揺しているからだろう。
 さすがにこの流れはまずいと思い、上条は矛先を変えようと、

「いや、お、俺は風邪をうつしちゃいけないと思ってだな……」
「か、風邪なんてへっちゃらよ。当麻の風邪なんて、私の愛情で治してあげるんだから」
「でもさ、やっぱり、その……」

 言いよどむ上条に、美琴が言い放った。




「――どうせ当麻のことだから、私を不幸に巻き込んじゃいけないとか、考えてたんでしょ!」
「んなっ!?」
「キスが出来なかったのも、それが怖かったから、とか?」
「美琴……お前、なぜそれを……」

 今日までずっと悩んでいたことを、突然ズバリ、と言い当てられ、上条の胸に困惑が広がった。
 だがそんなの簡単なことよ、と言わんばかりに、美琴がじっと彼の目を見つめてくる。
 真剣な眼差しの彼女に、上条は動転しそうな気持ちを鎮めると、居住まいを正すように身じろぎした。

「当麻の考えてることなんて、私にもなんとなくだけどわかるわよ」
「そう……なのか?」
「だって……当麻のことが……好きなんだから。大好きなんだから」

 真面目な顔でまっすぐ見つめられて、面と向かってこうもはっきり言われたら、彼も同じように真剣になる。
 昼間のこともあって、今度こそ、美琴と正面から向き合うのだと決めたのだから。

「――お前……」
「最初に言ったでしょ? 当麻の不幸なんて、この私が全部まとめてふっ飛ばしてあげるって」
「そうだな」
「当麻が一緒にいてくれさえすれば、私はそれだけで幸せなのよ」
「そうだったな」
「さっき、言ってくれたよね。私が幸せなら、当麻も幸せなんだって」
「確かに言ったな」
「だったらさ、ふたりで一緒に幸せになろうよ」
「美琴……」

 さすがにここまで言われてしまえば、覚悟を決めるしかないな、と上条は思う。
 彼女の言うふたりで一緒に幸せになろうという彼女の言葉は、何を意味するのか。
 美琴の幸せは自分の幸せ。同じように、自分の幸せは美琴の幸せ。

(なんだ。簡単なことじゃねーか)

 自分が幸せだと思うことをすれば、それが美琴の幸せなのだ。
 美琴が幸せだと思うことをすれば、それは自分の幸せなのだ。

(美琴が俺にして欲しいことを、してやればいいんじゃねーか)

 ならば、覚悟を決めろよ、上条当麻。
 大切な恋人を、守ると誓ったからには、その通りにすれば良い。
 だが今日は、理性の留まるところまでだぞ、と強く心に決める。この先だって、まだまだ長いのだから。

「――チョコ、もらうぞ」

 そう言うと上条は、白いトリュフを一個、かりっ、と半分かじったかと思うと、突然美琴の唇に襲いかかった。




「え、あ? ちょっ、――んむ…………っぅぅ……」
「んんっ……むぅ……」

 抗う間もなく、とろり、と咥内へ流れ込んでくる甘いチョコの味とカカオの風味。
 ガナッシュに混ぜた、オレンジピールのグランマルニエ漬けの香りと相まって、その味と唇の感触で、美琴の頭の中がじんじんと痺れたようになる。
 甘く激しいファーストキスに、身体も心も、何もかもが全て蕩けそうだった。
 淫らな唾液とチョコの交換が続いているうちに、美琴の身体からだんだんと力が抜けていく。

「んくっ……ちゅ……」
「ちゅぅ……んっ……」

 息をすることさえ忘れたかのように、吐息も何もかも、すべて飲み込んで。
 甘い水音だけが、部屋の中に響く。喘ぎとも呼吸ともつかない熱い吐息が漏れる。

「んぁっ……ちゅぱ……ちゅ……んはぁ……」
「んくっ……ちゅっ……んふぅ……ちゅう……」

 嵐のような口付けを交わしたふたりが、やがてゆっくりと離れる。唇と唇の間に、つうーっと銀色の橋が渡された。
 相手の吐息が熱く感じられるほどの近い距離が、ふたりの想いをますます昂ぶらせるかのよう。
 口内に残るガナッシュの味と香り。それは甘さ控えめだったはずなのに、なぜだか胸焼けを起こすかと思うほど、甘く感じられた。
 全身から力が抜けたように、美琴がくたりと上条にしなだれかかる。首元に熱く、吐息がかかって、上条の背筋をぞくぞくと痺れさせた。

「――あぁ、だめぇ……」

 美琴が溢す甘い呟きが、上条の胸をドキリと震わせる。
 とろんと見つめてくる彼女の瞳が、彼を淫蕩の彼方へと招き寄せるかのよう。

「――もう……幸せすぎて、死んじゃいそう……」
「み、みこっ……んむっ!?」

 上条が名前を呼ぼうと、顔を下げたとき、美琴が唇を寄せてきた。
 彼を求め、むさぼるような熱い口付けを、今度は彼女から。

「ん……んむぅ……」
「んむっ……ん……」

 ゆっくりと動きながら、唇の感触を存分に味わいつつ、ふたりは愛と唾液の交換を続ける。
 今度のキスは、さっきのそれより少しだけ、甘さ控えめだった。

「……ふぅ……ん、はぁ」
「……はぁ……う、ふぅ」

 ずっと息を詰めていたために、唇を離した瞬間、ふたりは顔を見合わせて深く息を喘がせる。
 幸せそうな表情の美琴が、軽く笑みを浮かべて言った。

「――鼻、邪魔にならなかったわね」
「ちょっ!? おまっ!?」
「うふっ。佐天さんに聞いちゃったぁ」 

 いたずらっぽい笑みを浮かべる恋人からは、もはや逃れられないような気がしている。
 少女だったものが、いつのまにか自分の手で、女へと変えてしまったように思われた。
 ――責任取りなさいよ、と彼女の瞳に訴えられているようにも思えたが、それはスルーの方針で。

「ねえ。もっと、練習するぅ」
「風邪、うつるぞ」
「今更よね。――だったらいっそ、当麻に看病してもらおっかな?」
「美琴たんのわがままばかり、聞けません」
「むう……当麻のいじわる」
「わ、わかったって! それじゃあと一回だけな。さよならのキスだから、帰らない人にはしてやれねーぞ?」
「わかったわよ、もう。――ねえ、さよならのキス……してぇ」

 ちょっとすねたような表情で甘えてくる美琴が、可愛くて仕方がない。それにあと一回だけなら、自分の理性も保てそうだ。
 ただ彼女が帰った後、すぐには眠れそうにはないなと思いながら、上条は美琴の唇に、今度は軽く口付けた。


 ~~ THE END ~~






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