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心労
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匿名ユーザー
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心労 04/08/08
ストレスとは心労と当てられることが多く、それに格別な異議はない。
ただし、ストレスを解消するべく何か憂さ晴らしをする時、その憂さ晴らしが上手くいかなければ解消どころか押し潰される可能性がある。単純にバッティングセンターに行ったとしても、空振りばかりでは単純である故の苛立たしさが更なる心労を呼び起こす。
心労を確実に瓦解させる為の手段を持ち合わせているのは己をよく知った者であるが、自らを知らない者は不適切な行為に救いを求め、そして心労が加重されてゆく。米国前大統領流の不適切な行為の場合、悲しい贈物を受け取って泌尿器科へ通いつつ咽び泣く事例もあるので避ける方が賢明であるし、相手によっては精神的な打撃を蒙る可能性もある。積木を勢いよく蹴り飛ばせばすっきりする人が、積木をなかなか積めずにいる状況と似ている。
最も誠意のない助言として「忘れろ」という台詞がある。しかしこれは「忘れられない事柄だから心労になっている」ことに思いを致さない者の無責任であり、「俺だって昔似たような云々」と喋りだすわけであって、これはつまり昔譚をしたいが故の触媒として利用された心労者の苦痛は計り知れないものがある。
心労の種類にも因るのだが解消の手段として「思い通りにならないもの」を選ぶべきではない。例えばゴルフ、例えば麻雀、心労が更に蓄積されるだけである。比較的単純でかつ制御可能な行為を選択すべきであり、また後片付けが疲労を呼ぶ行為も避けたい。障子紙をかち破りたくとも張り替える手間を考えると気が重い。火を見たら落ち着くと抜かして放火する奴も中には居るが、あれは何故か灰皿の中では満足しないらしく、傍迷惑な事この上ない。新聞を勢いよく引き裂く行為は大袈裟な身振りに加えて派手な音が嬉しいのだが、横に裂こうとすれば思い通りの破れ方にはならず苛々は募り、縦に裂く場合は余りにも真っ直ぐ裂けてしまうので拍子が抜ける。基本的には雑巾を絞る要領で新聞をひたすら捻り込み続けることで、やがて疲れ、終いには空しさが襲ってきて「馬鹿馬鹿しいから止めよう。何か生産的なことをしよう」と解消される場合が多い。
それならば最初から生産的なことをすればよいと思いたくなるが、残念なことに心労を抱えていては生産も糞も関係なく、逃場を失った鬱憤が生産的行為にぶつけられるだけである。門をひとつだけ開けておけ。逃場を作っておくと御し易いものだ。
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LAST UPDATED 2025-11-08 18:55:16 (Sat)
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