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零
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零 04/10/15
人生の幸不幸は差し引き零になるという言葉は生きている者の言葉であって、理不尽に命を奪われた者からすれば零である筈がない。これは幸なる者から不幸なる者に対する憐憫の慰諭であり、無念のうちに命を落とした者に対する思慮が欠けている。
もとより幸不幸の目安など人により伸縮自在であるから、全く当てにならないことが明白である反面、伸縮自在であるからこそ差し引きを零にしようとして、出来ないこともないからこの手の言説が蔓延る。生まれてすぐに死んでしまった乳児に対して「生まれたこと自体が幸せである」などとする考え方には反吐が出るし、その親への言及を避ける事はまだ先に幸が待つ可能性を考慮すると言えば聞こえはよいが、単なる都合主義とする判断に応ずる言葉にしては粗末なものだ。
もしゼロサムであると仮定するならば、幸の最中に迫る不幸に怯えねばならず、それは不幸の最中に幸を待つことで確かに釣り合いは取れているようにも見えるが、必ず来る不幸の待つ幸が真の幸であると言えるのか。また不幸の中に持つ幸への憧れは希望にも思えるが実はただの逃避でしかない。
無責任な慰撫も時には効果があるだろう。しかしそれが現状を是認する為の惑乱として作用するならば害と呼ぶ。幸を求める心が成長と経験を加重させることは紛れもない事実であるが、不幸と正対して不幸であると認識する視点を持つことで次の階段に足を架けることが出来る。足を掛けようともせずに幸が降って来ることはなく、足を掛けようとしない者に対する差し引き零になるからとの言葉は意欲を削ぐことになる可能性を含めて安易に用いられるべきではない。
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