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血液型

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血液型 04/11/13

  外見が余りにも似ている場合、内面で差別したくなる。

  血液型で性格を診断するあたり、人種的見分けのつかない日本に於いて開花したのも無理はない。これが遠く遺伝子級の差別に繋がるなどと騒ぐつもりはないし、積極的に肯定するわけでもない。

  ただし無視出来ない要因がある。これまでずっと血液型による性格分類を繰り返し刷り込まれてきたから、長い時間をかけて各自の血液型に沿った性格が序々に形成されてゆき、そこから更に性格分類を引き出すから血液型診断の循環が完成する。これは少なくとも血液型分類による性格の偏向が完全に出鱈目と言い切れない程に根付いている信仰のの産物であり、占いと結合しているから始末に終えない。

  それは余りに長い間繰り返された洗脳であり、各々の血液型を確認した上で性格を断定することを日々実行しているならば効果がないとは言い切れない。この循環を断ち切る為の方法として血液型を偽る他に有効な手段が見出せないから難しい。くだらない妄言だから無視しておればよいのにいつしか洗脳されて、時折持ち上がる血液型性向問題に直面するのだ。馬鹿もいい加減しろ。

  手前は自らの血液型を知らないからこそ冷静に眺めることが出来ると信じているが、それでも「お前はB型」と「お前はO型」を繰り返し植え付けられたから、少なくともA型の人間ではないらしいと信じてしまいそうになる。あからさまな差異があれば属性として区別出来るところを、同じモンゴロイドとして訛を聞くまで出身が不明である程の似た顔つきだから、内面の性格へ切り込むことを避けて安易な分類に頼ってしまう。

  「大事故で血液を大幅に入れ替えたら性格が変わった」などと抜かす奴も居るのだが、死ぬほどの経験をしておいて性格に何の変化も見られないような奴が居るならば、それ以前に死ぬほどの経験を既にしているか、底の抜けた馬鹿に違いない。底抜けの馬鹿が死ぬほどの経験をすればどうなるのかという疑問には答えられない。幸い手前の周辺には底抜けの馬鹿が居ないからだ。

  なあおい、それほどまでに自分の判断が信じられないのか。他人の判断を基準にして、また妄言を基準にして、また大本営発表を基準にして生きてゆくのか。確かにそれは楽だろう。しかしそれならば最後まで他人を妄言を大本営発表を信じて信じて信じ抜く覚悟が必要になるぜ。最後の最後に騙されていた等と口走る醜態は、身包み剥がれてようやく結婚詐欺師を罵る姿と何ら変わりないものだ。そしてそれを底抜けと呼ぶのだ。

  ※手前の血液型は父がO型・母がA型で、可能性はA型かO型、母曰く「あんたはA型の筈」
 
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