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利便
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匿名ユーザー
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利便 04/09/04
電話番号を覚える習慣が廃れつつある。
携帯電話の普及に伴い、携帯電話そのものが電話帳の機能を果たすようになり、また家庭用の電話にも番号登録や短縮釦機能が付与されたことで、頻繁に掛ける先の番号ほど覚える必然性が失われつつあるのだ。
特別覚え易い語呂の番号であったり暗記する理由が求められる場合を除いて、今覚えている電話番号は、勤先や実家など数えるほどしかないことも考えられる。急激な普及により、電話に対する意識もまた急激な変貌を遂げた。それは「なくてはならないもの」から「あれば便利なもの」への移行であったが、なのに依然として「なくてはならないもの」とする考えを引き摺っていて、そのまま「なくてはならないものである」と勘違いしたまま話が進んでいる。
少し考えてみよう。十年前に携帯電話はなくてはならないものであったか。この十年で携帯電話が必要不可欠なまでに社会が変革されたのか。利便性は大いに認めるところだが、所詮は「あれば便利」であることを思い知る為に一度水没させねばならず、しかし携帯電話を全能と信頼しているから、失われた場合に不便であると思い込む。
電話帳機能やメール機能といった付加的な部分を重用し、完全に依存しているから突発事態に最も大切なものは何であるのか正しい判断が出来なくなる。意思の伝達手段のひとつが失われただけで極端な不便を来すのは、それ以外の伝達手段を軽んじているからではないか。
電話帳になり、カメラになり、財布になり、やがて個人認証の機能も持つだろう。そしてそれなしでは生きてゆけなくなるまでに支配されてしまうことへの怖れを抱きはしないのか。「本当になくてはならないもの」となってしまってからでは遅いのだ。電波が届くかどうかを常に最寄の基地局と通信している以上、今でさえ電源を入れておくだけで半径数百メートルまでの位置特定が可能な恐怖の実態を知っているのか。目先の不自由さに惑わされて、この先に待っている真の不自由に震え、畏怖する。
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