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天麩羅飯

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天麩羅飯 2003/05/31

  おそらく一人暮らしをはじめた当初は誰でも阿呆なことをするものと思う。殊に食生活に於いて各々の本能が剥き出しになる傾向があるようだ。

  手前の場合、まずチキンラーメン一色に染まった。「簡単で安い」以外の理由はなかったと思う。それこそ朝晩朝晩規則正しく食べ続けていた。だが二ヶ月ほどすると、匂いを嗅いだだけでえづくようになった。その頃には美味いとも不味いとも思わず、ただ惰性で食べていただけであるから、急に別の物に切り替えるきっかけがなく、しかも一応昼には学生食堂で何かしら食べていたので倒れるようなこともなく、日々は流れていた。

  ある時、何度も吐くまで飲まされた酒がまだ残っている状態で低く呻きながら丼に湯を注ぎ、蓋をした。水を飲みながら精神統一を図りつつ、食べようといざ蓋を取ると、立ち上る匂いに胃が裏返る勢いで溶解されていない烏賊などをを撒き散らした。それ以来、奴の匂いをゲロの匂いと体が覚えてしまい、食べられなくなった。今でも匂いだけで酸味がかった液体が迸りそうになる。

  いつか焼きそばを、具のない麺だけの焼きそばを山のように食べてみたいと願っていた。実現する機会を得たのは新聞を取るときの景品でホットプレートを貰った時だ。早速焼きそば用の中華麺を買ってきて水を掛けつつ加熱してソースを搾り出し、三人前ある麺だけの焼きそばが完成した。当然のことだが、すぐに飽きる。減らない焼きそばというものを初めて体験し、絶望感に襲われ、トイレに流そうかとまで考えたが、長年の夢をトイレに流すのはいかにも偲びなくて、全部食べた。その日はずっと気分が悪いまま眠れなかった。具があるには理由があることも知った。

  チキンラーメンをやめた頃、借りてあって、今でも借りっ放しの炊飯器を活用するべく標準米をしたたか買い込み、いろいろ試してみる。次第におかずを用意するのが面倒になってくるのでついには缶詰などを炊く前にぶち込み、炊き込み御飯にする。最初は缶詰の他に竹輪やキャベツを千切って入れたりしていた。序々に缶詰だけになってくるが、それでもこれはしばらくの間かなり有効だった。「しばらくの間」というのはつまり、有効でなくなる瞬間があったわけだ。何か。米と水を釜に入れ、今日は何を炊き込もうかと探してみたが何もなかった。正確に言えば他にはいろいろあった。サラミ。さきいか。ポテトチップ。酔っていたという言訳はしたくない。ただ、サラミとさきいかとポテトチップを全て叩き込み、醤油を少し垂らしてスイッチを入れた。肴のなくなったビールを飲みつつ、そのとき読んでいたのは「文学部唯野教授」で、丁度ロシアフォルマリズムの章を終えて一息つくと不思議な感じがする。何だろうと見渡しても特に変化はない。とりあえずビールをもう一本と立ち上がった瞬間はっとした。

  辺りに漂う香りがこう、とてもポテトチップなんですね。

  「御っ飯ーーっ!」と開けて見るとわずかに醤油の色がついた米が油でぎとぎとに光っております。サラミ入れたし。ポテトチップは溶けてはいないもののだらしなく崩れており、こいつからも相当油が流出した雰囲気がある。結局柔らかく熱いさきいかとサラミだけを食べ、あとはおにぎりにして鳩にやった。さぞや胸が焼けたことと思う。

  そんな中で最大のヒットともいえる料理がひとつ。うどんが一玉残っていたと勘違いして買ってきた掻揚の処理に困り、そのまま肴にするのも何なので御飯を炊いてタレのない掻揚丼にしようと落ち着く。炊いている最中に葱を刻んでいると、「めんつゆ」が目に入る。うどんさえあれば。そばでもいいのに。麺なら何でもいいのに。麺でなくてもええか。御飯で。わかりますか?

  「天茶の、お茶の代わりにめんつゆ」「天丼に、めんつゆをかける」「天麩羅うどんの、うどんの代わりに御飯」どう理解して頂いても結構ですが、とにかく、そういうものが出来た。丼に炊き立ての御飯、葱をばら撒き、掻揚をのせて、熱いめんつゆをぶっかけた。これがまた貴方、頬の内側をきゅううううと噛み締めるほど美味しゅうございました。最高でしたね。天麩羅飯。天めし。今まで誰にも言ったことがありませんでしたが、粗野で美味い簡単な食事として、時々無性に食べたくなります。

 
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