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燃費のいい体

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燃費のいい体 03/06/14

  茹でた素麺にレトルトのカレーを落として食べることがあったのは、スープスパのパックがありながらパスタがなくて素麺で代用したからであって、それ以降素麺にいろいろ入れることになった。

  しかしある時、素麺を茹でてカレーと合わせるのが面倒だったのは珍しくも鍋で大量にカレーを作っていた時で、地獄の釜のように嫌ったらしい泡がごぼごぼ立っているカレーの中に素麺をそのまま入れてみた。さすがに綺麗に茹で上がるとは思っていなかったが、タイミングさえ間違えなければ普通に食べられるだろうとは思った。

  しかし当然のようにタイミングを逃し、素麺は絡まりあったまま、板のように固まる。意地になって突き崩していると次第に溶け始めた。尚も掻き回していると実に見事なとろみのついたカレーとなった。ただし味が薄くなっているので、ソースをどぼどぼ注ぎ足し、結局嵩が増えただけのカレーとなり、何かの教訓を引き出すべき出来事ではあったが、同時にあまりにも情けない出来事でもあったのですっかり忘れていた。思い出してみて改めて思うのは、焦げた鍋を洗うのは時間の無駄以外の何ものでもなく、更に水を張って沸かして吹き零れてしまった周囲を削り取るのは輪をかけて空しいということ。それからもうひとつ、いくら面倒であっても福神漬をぶち込んで煮込むのは止めた方がいいということ。

  飯盒でも鍋でもご飯を炊く技術があり、鮭を捌くことが出来、キャンプでの料理手腕が上達すればする程、軌道が手を抜く方向へと進んでゆき、料理に時間をかけるぐらいならその間に一冊でも本を読みたいと考えた結果、ついに鍋料理に到達したわけだ。進化と呼ぶか退化と呼ぶかは別として、重要なのは味ではなく、量ではなく、見かけでもなく、栄養だ。

  ビタミンを果物で、カロリーをビールで摂取していた時代、全身が原因不明のぶつぶつで覆われ、二週間寝込んだわけだが、窮地と言えるのはあの時ぐらいだ。栄養不足ではない死の危険はたびたびあるが、それは別の話として、粗食・絶食などを主義あるいは目的もしくは何らかの結果として行っていると、養分の吸収効率があがる。豪勢なときには有り余る養分をひり出していたわけだが、粗食になると栄養分を絞り尽くして文字通りかすかすの糞しか出ない。時として数週間出ない場合もある。絶食ともなれば、ただの水でも何か養分を無理やり吸収している気がしてくる。そんな状態のところへ突然御馳走を送り込むと胃腸が対処しきれず、呆然としている中を素通りしてほぼそのまま排泄してしまうのである。やがて立ち直り、喜び勇んで吸収し始めると何しろ効率よく吸収できるようになっていて、いわば「燃費のいい体」になっているから、送り込む端から吸収した結果、爆発的に太る。リバウンドと呼ばれている。

  この燃費のいい体になるとまず、足に力が入らなくなる。血の巡りが良くなった筈なのに貧血で倒れる。血は骨髄ではなく腸でつくられるという説があるが、これはまだ受け入れられておらずしかも別の話だ。燃費のいい体になると目脂がよく出る。老廃物が掻き出されているのだが、目が覚めて目が開かないのは健康な証拠であると考えるには少々躊躇いもある。

  その頃には食事など何でもよくなっていて酒だけで暮らすようになる。すると頭が冴えていろいろ下らない事を考え付くようになる。目下そこに向かって日々努力しているのだが、「食事をせず酒を飲む」ことを努力と呼んでよいものかどうか考えないようにはしている。

 
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