テスト中
旧五百円硬貨
最終更新:
Bot(ページ名リンク)
-
view
旧五百円硬貨 03/07/01
全く旧五百円硬貨の自動販売機で使えない事と言ったらそれはもう気持ちがいいくらいで何度入れても戻ってくるからいっそのこと自動販売機叩き壊せば更に気持ちが良くなるのではとも思うが、軽く飛び蹴りしただけで鳴り響く警報器にいちいち相手などしていられないので無理矢理どこかで使う破目になる。
人の手でお釣りを出す時、五百円玉の旧貨を選びたくなるのは人情であって、また店の方針でもあるだろうから仕方がない。ただ、何も一国をあげてババ抜きしなくともよいではないか。しかしこれは繰り返されてきた過渡期の常なる現象であるから諦めるしかない。流通量が多いせいで旧貨にはプレミアが付く可能性は限りなく低くて実際ただの邪魔物扱いを受けるようになってきている。
「何々記念百円硬貨」はたまに自動販売機のお釣りで出てくることもある。しかし偽造して儲けの出る、偽造し甲斐のある五百円硬貨とは同列に扱うのは酷であるから諦めて手渡しで使うしかないわけだが、それにしても冷遇が過ぎる。徹底した店では、売上の集計の際、五百円玉を新貨と旧貨に分け、次の日のお釣りには旧貨だけを用意するという。
何とかして旧貨を使おうと「古本」とある看板が煌いたのを見逃さずに飛び込んでみたら、まずUFOキャッチャーがあった。「中古ゲームは二階へ」成程、古本は添え物か。しかし一階は全て古本だろ?掘るぞ。狩るぞ。しかし意気込みも空しく九割方漫画の古本であった。文庫は哀れにも隅の棚一面だけにひっそり並べられていて、これでは期待など出来はしない。しかしそれでも何かあるかもしれない僅かな望みに賭けてみる。端から順番に見ようとすると、天井から紙が垂れ下がっている。
「一冊10円」
10円ですか。100円ではなく10円ですか。チロルチョコの10円ですか。消費税のつかない10円ですか。どうやら期待は完全に捨てたほうがいいらしい。しかし10円で気が楽になったので上の左端から見てゆく。一応五十音順か。出版社関係なく五十音順のパターンであるな。作家ごとに纏めてあれば文句はないが、10円棚では多少ばらばらでも目を瞑ろう。おい待て。よく見ると国内国外混ぜて五十音順ではないか。宗田理の中にソロミタが突き刺さっているではないか。なんという無秩序。この並べ方は初めて見た。五十音もおおよその見当でならべたらしく、新井素子と新章文子が並んでいるではないか。それぞれ「あ」と「し」だぞ。どうやら流し見ることは不可能だ。一冊毎に著者を確認せねばならない。並べていないのと同じことだが、幸い数は悲しくなるほど少ない。全部見ても大してかからないだろう。いくぞ。
苦行であった。しかしそれでも丸谷才一を一冊発掘したから良しとしようか。少なくとも収穫はゼロではない。期待していなかった分、一冊で十分嬉しい。一冊か。10円か。10円か。10円。10円なあ。10円の本一冊だけを買うのか。そんな勇気があるか?いやいや折角一冊10円なのだから纏めて買おう。十冊でも百円ではないか。この店の文庫の冷遇ぶりからすれば、棚を浚ったほうが感謝されるかもしれない。ただ、今ひととおり点検したわけだが。ゲームと漫画が主力の店らしく、文庫もその傾向を反映して赤川次郎より宗田理の方が多いくらいだ。それでももう一度、基準を緩めて全部点検してみよう。適当に二冊選んだ。知らない著者だが、面白くなければ捨てればいい。10円だ。しかし、しかし、三冊で三十円。まだ罪悪感がある。せめて五冊買おう。もうろくなものがないことがわかっているから「漢字クイズ」「ドジダス」を選んだ。どこかに置き忘れても誰かが読むであろう本だ。書を愛する者として、捨てることにはやはり抵抗があるのだ。堀出物がありすぎて何を買わないか悩むより欲しくない本の中から無理矢理選ぶのは幾層倍も苦痛だ。
へとへとになって五冊持ち、レジへ行く。10円が五冊。50円か。いや違う。消費税がついて52円だ。何だろうこの後ろめたさは。餓鬼主力の店ではないか。引け目を感じるいわれはない。なのに何故、一刻も早く店を出たいと思っているのか。ああ、すまない、52円なのにそんなに長いレシートを。ああ、すまない、そんなに立派な袋を。ああ、すまない、営業スマイルを。「ありがとうございました。またお越しくださいませ」来れるわけがないだろうが。
そして当初の目的である旧五百円硬貨の分解を忘れていた。
TOTAL ACCESS: - Today: - Yesterday: -
LAST UPDATED 2025-11-08 18:45:50 (Sat)
TOTAL ACCESS: - Today: - Yesterday: -
LAST UPDATED 2025-11-08 18:45:50 (Sat)