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強敵

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強敵 04/06/01

  まずエキスパンダexpanderとは、太目の鉄線を螺旋状に隙間なく巻き固めたもので発条と考えてよい。これをそれぞれの端に付いている把手から引っ張ると元の形に戻ろうとする形が働き、その力に抵抗することで腕や胸の筋肉を鍛える目的の器具と了解されている。

  その昔、不燃物の中に奴がさりげなく置かれていた。捨てると表現するほど乱れておらず、持主の「何方か拾って活用してくれたなら本望なり」とする意思が感じられたので持ち帰った。本来の目的である自販機のお茶をごぼごぼと飲み、一息ついて早速遊ぶことにする。かつては鮮やかな濃青であったろう把手は力のない空色であり、それは陽に晒された洗濯バサミを想像されると理解頂けると確信する。三本ある発条は金属の輝きを失っている。

  少し固めのアコーディオンのつもりでぐいと引っ張ってみると、一瞬だけ伸び、直ぐにくわしゃわんと元に戻った。思っていたより奴の底力があるのか単にこちらが非力なのか或いはその両方なのか、とにかく本気で構えねばならないことを了承したので立ち上がり、肩幅に踏ん張り、上体を反らし気味にしてこの形はラジオ体操の中にあった気がすると考えながら、しばしぷるぷると震えていた。やがて発条を体に沿わせることで少し楽になることに気付いた。

  ここから先は完全に定石通りの展開で、よしと戻した瞬間拡がっていた発条の隙間にシャツの下の肉ごと挟まれた。右の乳首あたりを噛まれているので左右の腕力が等しくない事を悟りながら、あまりの痛みに平常心は霧消し、拡げて外そうとするが痛みで前屈みになっているから伸びない。火事場の馬鹿力という言葉と現象が報告されているが、あれは心底よりの危機にのみ発動されるのであって、「エキスパンダに噛まれた」くらいでは脳が火事場と認めてくれない。

  とにかく痛いから噛んでいるあたりの発条を手で掴んで引っ張り外すことにする。把手を肘に抱えて無事に外せたが、お約束で今度は指の肉が挟まれる。もう状況に倦んでいるから勢いを付けて一気に腕ごと振り下ろして外した。外れたエキスパンダは加速しつつ落下するわけだが、さも当然のようにその先には靴下も履いていない剥き出しの足の甲が待機しており、それまで踏ん張っていたから体重移動は気分だけ、動けない足の骨を的確に直撃し、「たいたいたい」と二三度跳ねてから防御姿勢をとるべく転がってみた。

  ぶつかりながらテーブルの下に潜り込み、掌を擦り合わせながら噛まれた胸をマッサージしていると、衝撃で倒れた栓をしていなかったお茶がテーブルの縁から丁度首筋のあたりにとととぱちゅぱちゃぱちゃぱちゃ、「ちべっったいっ!」と叫んで身を起こすと、そこはテーブルの下だと判っていながら頭をぶつける。

  駄々を捏ねていた幼児が不意に静まり、不機嫌な顔で起き上がってすたすたと歩き行く姿を想定してほしい。その雰囲気でむっくり身を起こし、お茶を立て直し、エキスパンダを蹴り飛ばし、鏡に向かってシャツを捲り上げて噛まれたあたりの様子を見、足を引き摺ってベッドに横たわった。

  乳首の真上にくっきりと付いた鋭い縦筋のキスマーク、この形を残せるのはエキスパンダのほか箪笥くらいのもので、てのひらの十個近い血豆をなぞりながら少し泣いたことは今だから言える話であり、つまり奴を甘く見てはいけないということだ。
 
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