第14-13章.
「ヴァスデーヴァは言った、「バラタ族の子孫よ、救いは外的なもの(王国など)を放棄することによって達成されるのではなく、肉(体)に迎合するものを放棄することによってのみ達成される。外的なものだけを放棄し、同時に情欲と肉の弱さに溺れている人が到達できる徳と幸福は、敵の分際である。2文字の単語はMrit-yu(魂の死または滅び)であり、3文字の単語はSas-wa-ta(ブラフマン)または永遠の精神である。あれもこれも私のものだという意識、あるいは世俗的なものに溺れている状態がムリティユであり、その感覚がない状態がサスワタムである。王よ、この二つ、ブラフマンとムリチュウは、すべての生き物の魂の中にその座を占め、目に見えないまま、疑いなく、互いに戦争を繰り広げている。バーラタよ、もし生き物が決して滅ぼされることがないというのが真実であるならば、人は生き物の体を突き刺す(破壊する)ことによって、生き物の死の罪を自分に負わせることはない。可動・不動の被造物を含む全地球の主権を獲得しても、それに執着したり、その享受に夢中になったりしないなら、人間にとって世界はどうでもよいことである。プリター(プリタ)の子よ、もしそのような人が、この世の善いものを渇望し、それに溺れるならば、その口にはムリティウ(死)が宿っていると言えよう。バラタよ、汝の外的、内的な敵の性格を観察し、観察しなさい。人は世俗的な欲望に溺れている者の行いを承認して見ることはなく、(その根源に)欲望がない行為はなく、すべての(カーマ)欲望は、いわば心の手足(分枝)である。それゆえ、このことを知っている賢者は、欲望を抑制する。至高の霊と交わるヨギは、ヨーガが完全な道(救済への道)であることを知っている。そして、魂が欲するものは信心と美徳に資するものではなく、欲望を抑制することがすべての真の美徳の根源であることを思い出し、そのような人は、それによって何らかの利益を得ようという動機で、慈愛、ヴェーダの学問、無欲主義、現世的な繁栄の達成を目的とするヴェーダの儀式、儀式、犠牲、宗教的な規則、瞑想の実践に従事しない。この真理を説明するために、古代の伝承に精通した賢者たちは、カマギタの名で呼ばれるこれらのガータを朗読する。(カーマは言う)いかなる被造物も、適切な方法(すなわち、あらゆる欲望を征服し、ヨーガを修行すること等)に頼らなければ、私を滅ぼすことはできない。もし、私の力を知っている者が、祈り等を呟いて私を滅ぼそうと努力するならば、私は、私が彼の中の主観的自我であるという信念で彼を惑わすことによって、彼に打ち勝つ。また、ヴェーダとヴェーダンガをマスターすることによって私を消滅させたいと望むなら、私は、動かない被造物の中の美徳の魂であると彼の心に思わせることによって、彼に打ち勝つ。また、真理を強みとする者が、忍耐によって私に打ち勝とうと望むなら、私は彼の心の中に現れ、こうして彼は私の存在を知覚しない。また、厳格な宗教的実践を行う者が、無欲主義によって私を滅ぼそうと望むなら、私は彼の心の中に無欲主義を装って現れ、こうして彼は私を知ることを妨げられる。また、救いを得ることを目的とする学識のある者が、私を滅ぼそうと望むなら、私は救いを得ようとするそのような者の顔をあやし、笑う。私は、いかなる被造物も殺すことも破壊することもできない、敵のいない永遠の者である。だからこそ、王子よ、汝もまた、汝の欲望(カーマ)を徳に向けよ。それゆえ汝は、馬のいけにえを捧げ、贈り物を添え、他の様々な華麗ないけにえを捧げ、贈り物を添えて、それを正しく行う準備をせよ。それゆえ、汝の友が戦場で殺されているのを見て、再び悲しみに打ちひしがれてはならない。汝はこの戦いで殺された者たちを再び生きて見ることはできない。それゆえ、汝は現世で名声を得、(来世で)完全な道に到達するために、贈り物を伴う壮大な犠牲を行うべきである。"