小説家になろう? > 感想 > 2011年12月13日22時35分26秒

投稿者: 泉信行    [2011年 11月 28日 (月) 01時 51分 10秒] 30歳~39歳 男性
▼良い点
文庫版も新刊が出るたびに楽しませていただいています。
▼一言
少し気になったので、はじめて書き込みます。

達也はvsシリウス戦で、シリウスの神経を四箇所「分解」してから「再成」させていますが、達也は「激痛による気絶を目的としたダメージ」を再成することに精神的なリスクを感じなかったんでしょうか?

気絶した負傷者を復元させるシーン自体は他にも存在しますから、「タフな達也の精神はそれでも耐えられる」という解釈が妥当かもしれません。
しかしシリウスのダメージに関しては、(致命傷だからやむなく、などの理由ではなく)割りとサラッと再成を行使したように描かれていたこと、そもそも「激痛に特化させた負傷」の復元であることから、再成のデメリットであるはずの「対象の何倍のも苦痛を受けてしまうこと」の印象が薄くなってしまうとも感じられました。

「気絶するほどの痛みの負傷」を「達也が平然と(少なくとも、気絶せずに)再成できる」タイムリミットは何分以内なのか? が想像できないことによる違和感かもしれません。

ところでシリウス戦にかぎって言えば「達也がトライデントで神経を分解する以前に、シリウスのエイドスをバックアップしていた」ことにすれば再成時の痛みは感じなくて済むのでは? ということも思いつきました。
(自分の肉体以外でもバックアップは可能なのですよね?)

達也も、後遺症を与える戦闘はしたくないでしょうから、対戦相手のエイドスを予めバックアップしてから闘いに臨む──という方策は合理的に考えても採りうるような気がしてきます。

この方策をヘタに濫用すると、殺傷ランクの高い攻撃魔法に歯止めがなくなったり、恐怖の拷問官にもなりえてしまいそうですがw

文庫化時の加筆訂正の参考にもなれば、幸いです。
佐島勤    [2011年 12月 13日 (火) 22時 35分 26秒]
いつもご声援ありがとうございます。

> 精神的なリスクを感じなかったんでしょうか

 一言で申しますと「慣れているから」というお答えになりますでしょうか。
 相手を確実に気絶させられるポイントを知る為に、達也は何百回も部分分解と再成の実験を実戦訓練の中で繰り返していますので、「この程度」の痛みで精神に異常を来すことは無いと分かっていたのです。
 この物語の世界では、肉体と精神が別々の実体を持ち脳は精神と肉体をつなぐアンテナ機能を含めた送受信機と定義されています。この小説における気絶のメカニズムは肉体が送り出す信号が精神に過剰な刺激を与えるのを防止する為、大脳が意識と肉体の接続をカットするものです。激痛に耐えかねて気絶するという現象は肉体の痛覚神経が「痛み」として発信する信号の強さが大脳に設定された許容レベルを超えた為に、大脳がブレーカーの役目を果たして意識と肉体の接続を遮断する為に起こります。
 達也が再成の代償として痛みを「認識」するのは、肉体が発するシグナルをその身体の大脳を経由せずに精神が直接読み取ることで起こります。従って再成による「痛み」で達也が気絶するという現象は最初からあり得ません。リーナに再成を使って、逆に達也が行動不能に陥るという虞はありませんでした。
 大脳を経由せずダイレクトに「痛み」を認識していますので、脳内麻薬による鎮痛作用も効きません。脳内麻薬による多幸感は痛覚が遮断されているからこそ快感が勝っているのだと仮定していますので(これは実験で確認する術がありません)、達也の精神は再成により深雪が考えている以上のストレスを受けています。その結果、彼の精神は肉体的な痛みに対する耐性が常人より遥かに高められています。一時的に気絶する程度の痛みなら、自分の精神に後遺症が残るようなことは無いと達也は知っているのです。

 余談ですが、苦痛に麻痺すること無く精神がストレスを受け続ける状態は修行僧が様々な種類の苦行を使い分けることで肉体が苦痛に麻痺してしまわないようにするのと同じです。達也の精神は再成行使の都度、修行僧の苦行と同じストレスを受けていることになります。この副作用によって、彼の精神は「悟り」と縁が無い代わりに「力」ばかりが強化されています。
最終更新:2016年07月25日 21:32