(投稿者:怨是)
「被告人には有罪判決を下すものとする。本日はこれにて閉廷!」
1944年8月2日、午前11時。
軍法会議長官を務める将校が小槌を叩き、間髪いれずに上官らが特別軍事法廷から姿を消して行く。
アロイス・フュールケは係官に連れられて廊下を歩いていた。
結局の所は半年の執行猶予が加わっただけであり、求刑通り除隊と国外追放処分が下される。
元来、軍法会議というものは規律の強固な維持を目的とされており、今回は見せしめとして裁判の様子が生で放送された。
ジークフリートを軽々しく扱った者がどのような末路を辿るのかという事を、周囲に知らしめるつもりらしい。
無論これは皇室親衛隊において明文化されてはいない、いわゆる暗黙の了解によるものである。
表向きの罪状はただの命令違反だが、そこには確かな悪意が含まれていた。
“ジークフリートを穢す者には罰を”という明確な敵意が、そこには含まれていた。
久方ぶりに顔を拝む事となった本日の弁護人、
ホラーツ・フォン・ヴォルケンと鉢合わせる。
係官と「少し話をしても良いかな」などと一言か二言ほどの会話を交わすと、こちらに向き直った。
敬礼を済ませ、早々に本題へと移す。
「いよいよきな臭くなってきたな」
「本日はありがとうございました。結果の解りきった軍法会議なんてのぁ、さぞや退屈だったでしょうよ」
「そう腐るな。私もかつての呑み仲間の部下の窮地を見るのは辛い。退屈どころかもっと刑が重くなってしまうのではないかとヒヤヒヤしていたよ。
情状酌量の余地があって良かったじゃないか。不本意な理由とはいえ」
ジークフリートが直々に黒旗の目の前に現れる事によって、彼らがジークフリートを攻撃できないという事が判明した。
それのみならず、ジークが彼ら黒旗を快く思っていないという事を証明できたらしく、更に帝都栄光新聞からは“ジークフリート、黒旗の一団を撃退!”という見出しまでついた事が情状酌量の理由となったのだ。
前者は演説の内容から察する事もできるが、後者に関しては完全に憶測とデマゴーグだった。
実際にはジークは何もしていない。おまけにその後Gの群れに突っ込んでしまった際に竜式まで機能停止に追い込まれてしまったのだ。
もちろん新聞の記事には竜式の事などまったく書かれていない。あたかも、はじめから存在しなかったかのようにゴッソリと記述が抜け落ちていた。
「それを差し引いてもヒドいっていうのがあいつらの云い草ですよ。前科持ちはツラいなぁ……」
昨年の10月末に、MALEの
ディートリヒが命令違反を犯してでもゼクスフォルトと
シュヴェルテの救出に向かった。
当時の状況を詳細にわたって知る者はフュールケらを含むランスロット隊のみであり、他部隊とはいえそれを見過ごした責任はあるというのだ。
他にも
軍事正常化委員会が武装蜂起し、それに便乗して皇室親衛隊からも離反者が出た際に、持ち場を離れて
ライオス・シュミットを追跡して取り逃した挙句、軍の備品たる車両を大破させた事も前科に含まれるという。
ここまで来るともはや云い掛かりのレベルだが、皇室親衛隊の軍法会議は閉鎖的であり、それを咎める者は殆ど居ない。
「それでも、裁判無しで国外追放になったアイツよりかは、ずっとマシなんでしょうけどね」
「アシュレイ君か……おお、そうだ。朗報があるんだがね」
「アシュレイ絡みって事はあいつが帰ってくるとか? それとも新技術でシュヴェルテが生き返ったりとか?」
フュールケのいぶかしむ表情に、ヴォルケンは自信満々に胸を張る。
フュールケは彼が苦手であった。どうにも空気の読み方を知らない彼の事だ。
朗報とはいえ、現況とは関係の無い的外れなものに違いなかった。
「後者だ。死んだと思われていた、あのシュヴェルテが帰ってくる」
「マジな話ですか……」
「
秘密警察側から情報の開示があってな。どうやら自殺したあの署長や一部の将校らが結託して、シュヴェルテ暗殺を企てたらしい。
そして実行犯に選ばれたのが
エメリンスキー旅団。計画が途中で暗殺から人身売買へと変更となり、他国の売春宿へ次々と売りまわされていたそうだ」
あのならず者の集まりが、まさかそのような事にまで関与していたとは、フュールケもヴォルケンも知りもしなかった。
そして何より、秘密警察側でそのような計画までもが企てられていた事すら、フュールケの予測の範疇を超えていたのだ。
素直にシュヴェルテの生存を喜べたような状況ではない。やはり現況の鬱屈した感情を晴らすような爽快なニュースなどではないではないか。
「……つまり、現場では尻拭いが為されていると」
「そういう事になるな」
「どうせその“一部の将校ら”てェのも、誰だか判ってないんでしょう」
「すまない。全力で探してはいるのだが、資料が焼却処分されているせいで滞ってしまってな」
「まぁ、仕方ないでしょうよ。こういうのは犯人探ししてるとキリがありませんからね。
とにかく俺は、また明日からお仕事ですよ。執行待ちながら……ちくしょう」
係官が懐中時計を片手に、時間切れを伝える。
ヴォルケンは先ほどとは打って変わって意気消沈とした表情で口を閉じ、フュールケと係官を見送った。
――やってしまったか。またも、やってしまったか。励ますつもりで伝えたニュースが、余計なものまで伝えてしまった。
苦虫のスープを飲み干したような表情のフュールケに、声をかけることもできないとは。
執務室に戻り昼食を摂っている最中も、フュールケが最後に溜め息混じりにボソリと呟いた「ちくしょう」という言葉が未だに鼓膜にへばりつく。
ヴォルケンは回想を続ける。あの一言には様々な感情が込められてはいなかったか。
無力感に脱力感、恨みや敵意といった類のものが複雑に交じり合い、沸騰した遣る瀬無さが湯気となって口から吐き出されたのだ。
無理も無い。たった一審だけで全てを決められ、刑の決まりきった軍法会議を終えた後に、皇室親衛隊の現実を思い知らされて溜め息を吐かない者がいるものか。
同じ立場になってみれば「私はその程度では動じない」などと強がりを云える筈がない。
弁護も中将以上の階級のみが許されるとは、非効率で時代遅れも甚だしい。
新聞を広げれば、相変わらず黒旗叩きの記事が一面を飾っている。
あの
帝都栄光新聞社もまた、かつて秘密警察の情報操作工作を鵜呑みにして、シュヴェルテをヴォ連のスパイなどとなじっていた。
舌の根が乾いたか否かは定かではないが、それに対する謝罪も無しに、またぬけぬけと傲慢な社説を繰り広げているではないか。
読者の面々もそろそろ目が覚めた。同じ穴の狢ではないかと、糾弾する者さえ現れた。
物語目的や情報収集の為に読む者は居ても、これを何から何まで信じるという事はもう無いだろう。
「人は常に物語を求める、か――」
「るー!」
勢い良くドアが開かれ、買い物袋を両手に提げた二人の女性が悠々と入室する。
二人とも赤茶色の髪の毛であるせいか、こうして並ぶと本当に親子のように見えてくる。
ベルゼリアがベルンハルトの語尾に追従して、間延びした口調で真似をする。
「まかり通らんでよろしい。して、何事だ」
「ちょいと買い物をしてきた。ベルゼリアの下着も可愛い物を買ったぞ。ほら、そそるだろう?」
「うー?」
ベルンハルトが後ろから、ベルゼリアのスカートをめくる。
フリル付きの赤いランジェリーが見えたが、むしろ下着そのもののインパクトより、ジュニアサイズがあるという事実がヴォルケンのこめかみ辺りに激震を走らせた。
「生憎そちらの趣味は持ち合わせておらんよ。10年早い。
そも、何かの間違いでその下着が戦闘中に見えてしまったときに、真っ先に色々な嫌疑が掛かるのは私なんだが……」
ただでさえ隠し子がどうのだの、ロリコン疑惑だのがかかって後ろ指を差される毎日を過ごしているのだ。
不本意な事で疑惑が確信という名の誤解に変わってしまえば、
テオバルト・ベルクマン長官にも何を云われるか解ったものではなかった。
ベルンハルトとベルゼリアは頬を膨らませ、不平を訴える。
「なんだそそらんのか。つまらんな」
「んなー」
「はいはい。まぁ、客観的な見解としては、充分に男を手玉に取れる魅力は持ち合わせていると思うぞ、と……それで本題は?」
“まかり通る”という掛け声で彼女が足を踏み入れてくる時は、たいていの場合何らかの本題が待ち構えている。
まずはそれを訊かねば話が始まらないではないか。
「秘密警察側から決定的な証拠が提示された事により、エメリンスキー旅団の弾劾案が出た」
「たー」
「ようやくか……それも、実行犯を処分するだけで、元を絶てぬというのは何とも歯がゆいものよ」
「仕方あるまい。それにしてもシュヴェルテが生存していたとは」
秘密警察、それを統括する公安部隊からその報告を聞いた時は、ヴォルケンも仰天のあまり暫し視線が中を泳いだほどだった。
更に、あろう事かシュヴェルテは売春宿に次々と売り渡されていた。という事は行方不明になった何名かのMAIDが同じ憂き目に遭っているのではないか。
これらの情報は他の隊で出て来た亜人救出作戦やその前準備として行われてきた調査の副産物であり、秘密警察の署長の自殺によってそれが明るみに出たのだ。
「アシュレイ君が居たなら、飛ぶようにして喜んでいたであろうに。後任の教育担当官は?」
「アロイス・フュールケ大尉は半年後に国外追放に処されるから、暫くは様子見らしい。まぁ、リハビリくらいはさせるとは思う」
首輪状のコア出力抑制装置にかけられ、長期間戦闘に出る事のなかったMAIDである。
出力のほうはエターナルコアに作用する薬品で解決できるが、ブランクのほうはいかんともしがたい。
後はここに
アシュレイ・ゼクスフォルトが居たなら共に回復への道を歩めただろうに。
「あ……」
フォークから取りこぼしたキャベツが、机を転がり床へと落ちる。
上の空で食事を取るからこのような事になるのだが、もはやどうしようもない。
零れてしまったキャベツが、再び自らの足でランチボックスに還る事は永遠に無いのだ。
最終更新:2009年03月23日 23:22