鷲は飛び立った

(投稿者:神父)


「どうやら、始まったようで」

前方を注視していたノインが、誰に向かうでもなく呟いた。
ゼッケを先頭に梯形編隊を組んだNVK第二小隊は特に非常識な機動も行わず、真っ直ぐにルフトヴァッフェ側へ接近しつつあった。
本来ならば援護するはずの第三小隊が突出しすぎている事が懸念の種ではあったが、隊としての飛行速度を鑑みるとどうしようもない。
小隊を預かるゼッケとしては、ノインハルキヨだけを先行させて返り討ちに遭わせるリスクは犯せなかった。
ノインの言葉に反応して前に出ようとするハルキヨを制し、彼女は言った。

「ハルキヨ、編隊を乱すな。この距離から単独で突っ込んだところで、いい目は見られんぞ」
「そらないで副隊長。目ェと鼻の先でドンパチやってんのに指くわえて見てろ言うんかいな」
「では言っておくが、何も考えずに突っ込んだ場合、袋叩きにされて隊長の説教を受けるのはお前だ」
「……ルフトヴァッフェのかわいこちゃんにやられんのはええけど、隊長のお説教は勘弁やな」
「ハルキヨくーん、何考えてるのかなぁー?」

「ぐえあ」と「ぎにゃあ」を足したような異様な叫び声にゼッケが振り返ると、例によってピアチェーレがハルキヨを折檻していた。
空中で折檻に及ぶ方も器用だが、それを受けて墜落しない方も器用だ。……ノインが深く溜息をつき、眉間を揉んでいる。

「この部隊に、まともなMAIDはいないのでしょうか」

MP40のボルトを引きながら、ぼそりと呟く。
どこからか「いません」という返事が聞こえたような気がしたが、ゼッケにじろりと睨まれたため、彼女もそれ以上のコメントは差し控える事にした。
いずれにしても、ここから先は雑談などしている余裕はない。彼らは小隊長の合図を見、即座に各々の武器を構えた。
第三小隊に気を取られたところを狙い、背後から弾幕射撃を行う───教科書通りの、どんな時にも一定の効果が見込める戦術だ。

だがルフトヴァッフェがそうであったように、彼らもまた、対手を軽く見ていたのだ。



衝撃───煙幕に包まれた瞬間、アムがとっさに構えた防盾を何かが直撃した。それも連続でだ。
感触からすると、恐らく防盾はペイント弾にまみれ、「使用不可」の状態にあるだろう。実戦であれば上半分が吹き飛んでいるところだ。
だがこれで銃撃は防いだ。アムは使い物にならない盾を放り捨て、白煙の中へと突進した───ただし闇雲にではない。
かすかなマズルフラッシュを目標に、しかし正面衝突は回避するよう、巧妙な軌道を描いたのだ。

「見えた!」

空戦MAIDや飛行型Gが銃弾を視認してから回避するという俗説があるが、それは正確には事実とは言えない。
確かに、よほどの長距離視界に恵まれ、なおかつ弾速が充分に遅ければ銃弾を確認してから回避する事もできる。
だが実際には、彼らはマズルフラッシュを見、自分に砲火が向けられていると認識した時点で回避を行うのだ。
逆に言えば、マズルフラッシュが見えなければ空戦MAIDも飛行型Gも回避はおぼつかないという事でもある。
先の奇襲にルフトヴァッフェが対応できなかった理由の一つはそれだった。だが、見えるとなれば話は別だ。
とりわけアムの動体視力は優れている───白煙の中、相対速度にして時速1500kmに達するであろう領域で、彼女は敵影を捉えた。

「ニウの───仇ィ!」

プロペラ・スピナーを飛び越した瞬間、機首上面に狙い済ました蹴りを入れる───キャノピ越しに、操縦桿を握るMAIDが驚愕に目を見開くのが見えた。
パイロット───ロッサは反射的に機体をロールさせ、ツィダとジョーヌはそれに応じて離脱したが、もはや回避など及ぶべくもない事は明白だった。

「機体を……踏み台に……!」

アムが空中で身を翻すと同時に狙撃銃の照準を合わせ、コクピットの側面にダブルタップを叩き込む。
そのわずかな時間にロッサにできた事と言えば、積まれていた武器とレイリを放り出す事だけだった。
Me110はあまりに大きい標的であり、空戦MAIDの基準からすれば鈍重に過ぎた。第三小隊は、一瞬の内に指揮官を失ったのだ。

「……。あーあ、これじゃ小隊長失格だわ」

胴体に血糊のようなペイント弾の跡を残したまま、Me110は降下してゆく。
撃墜扱いとなるため、以降の通信や会話は基本的には禁止される。ロッサの呟きも、誰かに聞かれるような事はなかった。
「墜ちるな」とイェリコに念押しされたにもかかわらず、この有様だ……敵を侮っていた事は認めなければなるまい。
だが彼女にとって最大の心配事は、指揮官を失った後の第三小隊が機能しうるのかどうか、という問題だった。
各々の出身も性格もまるで異なる第三小隊は、始終気を遣ってやらなければ文字通り空中分解するほど危なっかしい存在だ。

そして、彼女の不安は見事に的中した。



第三小隊は、本当に( ・・・ )空中分解していた。
ジョーヌはセオリー通り第二小隊と合流すべく後退しつつあるものの、ツィダが単独で敵中へ突入していた。
レイリは直接の指揮者を失った事で混乱し、その場に停滞したまま闇雲な射撃を行っている。
───と、それに気付いたジョーヌが再度反転し、彼女の首根っこを引っ掴んだ。
幸いにして、ルフトヴァッフェの面々は弾雨の中へ飛び込む前だった。近接戦闘に持ち込まれては勝ち目は薄い。
しかし、もはや第二小隊と合流するタイミングは逸してしまった。眼下の森へと急降下しつつ、ジョーヌは怒鳴った。

「一体あなたは……こんなところでぼさっと突っ立っているおつもりですの!?」
「つ……突っ立ってなんかない! 飛んでるもん!」

我に返って銃爪から指を離したレイリの第一声にジョーヌはしばし唖然とし、そして無造作に彼女を下界へ突き落とした。
無論、飛翔翼があるために互いの位置関係が変わるだけの事なのだが、それでもレイリは怒り出した。

「ちょっと、何するのよ!」
「馬鹿な事を言っていないで、きちんと目と耳を働かせなさい! あなたの耳は何のためについているんですの?」
「少なくともジョーヌの嫌味を聞くためじゃな───」

目を見張り、言葉を途切れさせたレイリを見て、ジョーヌは即座に飛翔翼を高速で旋転させた。
一種の緊急防御手段である───飛翔翼は単に空を飛ぶだけのものではない。攻防に応用する事で、多彩な戦術を可能とするのだ。
ジョーヌが取った行動は半秒後に報われた。輝く同心円状の飛翔翼に銃弾が命中し、塗料が飛び散った。
これは判定上「防御」と見なされ、撃墜扱いとなる事はない。実戦においても、狭義に言う空戦MAIDの強みの一つとなっている。

「ジョーヌ!」
「さっさと降下なさい! 森に身を隠( アンブッシュ )して第二小隊の到着まで時間を稼ぎます、よろしくて?」
「え? ……あ、う、うん、わかった!」

後方からの追撃者は赤の部隊の二名───シーアジュードだ。先ほどの銃撃はジュードの拳銃によるものらしい。
精鋭だけあって速度差はいかんともしがたいが、低速域での運動性能ならばレイリやジョーヌも劣るものではない。
そこでジョーヌは、障害物が多く高速戦闘になりにくい森林を利用する事にしたのだ。もっとも、レイリは状況変化の早さに混乱気味だが。

「待てこら───ッ! 逃げるな───ッ!」
「……と言われて止まる者もなかなかいないだろうが、逃げ回っても演習にはならないぞ、君たち!」

叫べば声が届くほどの距離まで近付かれている。飛翔翼で防御しているとはいえ、この事実は充分恐怖に値するものだった。
だが地上はもはや目と鼻の先だ───400m、300m、200m、100m……。

「痛たたたた!」

文字通り林立する枯れ木の中へ突入すれば、痛いのは当然だ。
何も考えずに───考える暇もなしに───突入させられたレイリは言うまでもなく全身隈なく木の枝に引っかかれた。
一方ジョーヌは突入の瞬間に体をひねり、飛翔翼を盾にする事で被害を最小に抑えていた。

「よろしい、逃げ切りましたわよ。レイリ、ここからがワタシたちの本領───」
「ちょ、ちょっと待って。服の中に枝が入っちゃって、これ、刺さる……」
「……」

ジョーヌは額に手を当てて天を仰ぎ、そして追撃をかけていた二名が上空にいるのを確認した。
背中合わせに全周警戒の態勢を取り、互いの飛翔翼を防御に利用している。いかにも手馴れた連携と言えよう。
だが全周警戒態勢にあるという事は、同時に標的を見失っているという事でもある。
ジョーヌは服を直し終えたレイリにMG42-45Vを構えさせ、自らも照準器を上空のシーアへと向けた。彼我の距離はおよそ300m───

「飛翔翼の隙間を狙いなさい……3(トロワ)2(ドゥ)1(アン)射撃(フー)!」

轟然と7.92mm弾が銃口から吐き出され、一瞬前までシーアとジュードがいた空間が飛散する塗料と硝煙にまみれた。
まったくの不意討ちである……ジョーヌは撃墜を確信した。防御しようがすまいが、これだけの弾量を浴びせられれば必ず被弾する部分が出る。
ジョーヌは一箱分、すなわち250発もの弾薬を瞬く間に使い果たしてから、満足げに宣言した。

「射撃やめ。ああ、爽やかな高山でかぐ硝煙は格別ですわねェ。勝利の香りですのよ」
「悪趣味」
「黙らっしゃい。……さて、どんな顔で出てくる事かし───」

ジョーヌの頬が引きつった。硝煙が晴れるより先に、何かが動いた───いや、動くだけならいい。撃墜判定を受ければ空域を離脱せねばならない。
だがその動きは明確な意図を持って、二人へと向かっていた。レイリの喉が笛のような音を立て、ジョーヌはとっさに彼女を木立の中へ突き飛ばした。
二人で固まっている必要性は、もはやない。むしろ危険を増すだけだ。

「何す───」

赤い、焔の塊のような何かが二つ───言うまでもなく、シーアとジュードだが───ジョーヌを目がけて真っ直ぐに降下していた。
ジョーヌは動かない。その場で次の弾薬箱から引き出したベルトリンクを装填し、カヴァーを閉じてボルトを引く。

「敵を侮っていたのは認めましょう。しかし、だからと言って負けを認めたりは……しませんのよ!」
「食ッ……らえ───ッ!」

飛翔翼で樹冠を吹き飛ばし、双剣を振りかぶったジュードが迫る。ジョーヌは半歩身を引き、その眼前へ先刻空にした弾薬箱を放ってやった。
ジュードは反射的に空箱を弾き飛ばし、決定的な隙を曝した。ジョーヌは至近距離まで踏み込んだ標的へ銃身を大雑把に向け、銃爪を絞った。

だが、無論、銃弾は届かなかった。

「近接戦闘で機関銃を使うとは。君は頭が固いのか、それともとてつもなく器用なのかな?」

シーアだ。彼女はジュードがたたらを踏んだその一歩先に踏み込み、銃弾を防ぎ切っていた。
拳銃を右手に、逆手にしたショートソードを左手に構え、不敵な笑みを浮かべている。

「───ッ、この!」

手を伸ばせば届くほどの距離では、長大な機関銃は鈍器以外に使いようがない。
左手で太腿にくくりつけた予備銃身を引き抜き、振り上げて前進をブロック、その隙に飛び退る。
この狭い森林へ引き込めば条件は五分のはずだ───それでもジョーヌは冷や汗が背中を伝うのを止められなかった。

「君の話は聞いているよ。空飛ぶ砲兵陣地、などと言われている割には殴り合いもできるようだ。悪くない。
 ……ところで、もう一人はどこに行ったのかな?」
「そんな事を聞かれて答える馬鹿がどこにいますかしらねェ?」
「ま、それはそうだ。しかしたまにはいるのさ、たまには」
「しかし、いずれにしても……」
「そうだな、撃墜する事には変わらない。なあに、痛くするつもりはないから心配する事はないさ。淑女を痛めつける事は私の流儀に反する」
「ご安心なさいな、ワタシの流儀にはまったく( ・・・・ )反しませんから」

言うが早いか、三枚の飛翔翼を前へ展開して振り回した。素早く繰り出された双翼が二枚を受け止め、ショートソードが残りの一枚を弾く。
すべて防ぎ切られた事を見て取った瞬間、ジョーヌは横っ飛びに跳ねてルーガーの射線から身をかわし、横薙ぎにMGを撃ちまくった。

「! 存外、素早いな……!」
「隊長、俺だってやれるんだ!」

シーアの背後にいたジュードが唐突に飛び出し、双剣の柄を繋ぎ合わせた薙刀を手の中で回転させて盾代わりとしつつ突進した。
銀の象嵌を施されたリボルバー拳銃、ドーンが立て続けに火を噴く。
だがジョーヌは器用に木の間を縫って飛び、銃弾は木立に塗料の跡を残すだけに終わった。

「くそ、ちょこまかと逃げ回って! 誇りはないのか!」

ジュードが罵ると、ジョーヌの嘲笑が茂みの向こうから響いた。

「誇りですってェ? 何を馬鹿な事を言ってるんでしょうねェ、このお坊ちゃんは! 勝利こそ誇るべきもの、過程などどうでもよいのですわ!」
「逃げ回っていれば勝てるってのか!」
「勝ってご覧に入れますわよ、ワタシたち( ・・ )は」

背後に気配を感じ、シーアは飛翔翼を展開しようとした。だが───

「何───」
「デビル……アロー!」

思い切り殴りつけられたような衝撃が頭を揺さぶった。
それが指向性の超音波だという事に思い到るには数瞬を要し、そしてジュードが片膝をついている事に気がつくにはさらに数瞬を要した。

「……してやられたな。挟撃に持ち込むのは基本だが、やれやれ、これは効いたよ」

めまいを抑え込んで足を踏ん張り、木立の奥へ目を光らせる。───いた。
弾薬を使い果たしたMGを捨て、身を守るように飛翔翼をまとっている。ひどく頼りない姿だ……だが、今の一撃は彼女が放ったのだ。
あの超音波から身を守る術はない───しかも、そう何度も受けていい類の攻撃ではない。脳を直撃されては、被弾判定も何もあったものではない。
シーアが次の一撃に備えて身構えつつ対処法を考えていると、不意に叫び声が上がった。

「しまっ───畜生!」

茂みの隙間から放たれたMGの銃弾が、ジュードの服にべったりと塗料の跡をつけていた。
彼は双剣を地面に叩きつけて罵声を上げ、ややあってからばつの悪い声音で呟いた。

「……ごめん、隊長」
「仇は取る」

演習とはいえ、部隊員をすべて失った……大失態だ。もはや、悠長にはしていられない。
彼女は小声で呟き、身体ごと振り向くと同時に射点へと踏み込んだ。剣を水平に構えて突進する。

「おいでなさい、おちびさん? ワタシが倒れたところで背後にはレイリがいる事をお忘れなく、ね!」

ジョーヌの高笑いと共に、再び銃弾が襲い掛かった。

「防爆!」

片翼を盾のようにして右肩に担い、弾雨をそらす。高出力の飛翔翼は難なく7.92mm弾を跳ね飛ばした。
まったく同じ弾でイェリコが撃たれた時とは対照的だ───しかも、演習弾とはいえこの弾丸にはMAIDによる強化作用が多少なりとも働いている。
ジョーヌは木々を縫って下がりながら断続的に射撃しているが、ベルトリンクを換える際に致命的な隙を曝す事になる。
シーアの突進を止めるには強力な一撃が必要だったが、ネーベルヴェルファーはとうに捨ててしまっている。そもそも当たるかどうか怪しいものだ。
そしてその機会は来た。250発の弾薬を使い果たし、MGの射撃が中断される。
シーアは木々を蹴りつけるような乱暴な機動は取らず、推力のみでジョーヌの眼前へ突っ込んだ。
木の幹を背後にしたジョーヌの喉元に、剣を突きつける。

「チェック。さて、言い残す事はあるかな?」

ジョーヌは丁寧ながら高圧的な態度に驚いたような顔をしていたが、ややあって相好を崩した。

「ワタシの勝ちですのよ。もう充分に時間を稼ぎましたし、休ませて頂きますわ。……そうそう、レイリに気を抜かないようにとお伝えくださる?」
「……まったく、喰えないお嬢さんだ」
「喰えない? とんでもない( オ・コントレール )。ワタシはそこいらのMAIDとは育ちが違いますのよ。絶品と言って頂きたいものですわ」
「やれやれ、飛行隊の面々はこんなお嬢さんを相手にしているのか。……伝言の方は保証できないが、それでもいいかな?」
「もちろん。では、せいぜい頑張ってくださいな、と」

言うが早いか突きつけられた切っ先をつまみ、自分の喉に軽く触れさせる。これで彼女は撃墜扱いだ。
流石のシーアもこれには辟易し、物も言わずに踵を返して飛び去っていった───無論、レイリを追いかけるために。

「……あら?」

意地の悪い笑みを浮かべつつその背中に手を振ったジョーヌは、ふと違和感に気付いて喉に指を当てた。
血がにじんでいる。見間違いかと思い、指を擦り合わせてからもう一度触れてみた。わずかだが、やはり出血している。

「はて。演習用の武器というものは、刃引きされているのではなかったのでしょうかねェ……?」

樹冠の隙間から空を見上げる。山の天気は変わりやすいと言うが、今、空は彼女の不安を代弁するかのように急速に曇り始めていた。










最終更新:2009年11月01日 22:02
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