(投稿者:怨是)
1945年8月5日。皇室親衛隊本部、
正統エントリヒ主義帝都統一会議のメンバーに宛がわれた特別会議室にて。
アシュレイは、
ヨハネス・フォン・ハーネルシュタイン名誉大将とその部下であるマテウス・フェルザー中佐の、実に退屈な遣り取りを眺めていた。
「狙撃作戦は失敗に終わったか。あれだけの数を用意したにもかかわらず」
「申し訳ございません。優秀な狙撃手は粗方、宰相派に引き抜かれておりまして。あの
ハインツ・ヘルメスベルガー中尉も折り悪く、別の任務に就いている最中でした」
「それは口実にならぬ。彼奴ら黒旗は既に条約を締結させた。我々皇室親衛隊はいずれG-GHQの傀儡と成り下がるであろう。そうなってしまっては全てが仕舞いなのだぞ。如何にして責任を負うつもりか!」
何をそこまで焦る必要があるのか。どうせ沈みかかった船ではないか。明確な目的を定めた
軍事正常化委員会ですら一枚岩ではない状況に置かれているのだから、レンフェルクという皇帝派軍人による同好会もどきの類など――それこそ漠然と宰相派との確執を深める事しか頭に無いのだから――遅かれ早かれ瓦解するに違いないのだ。
ハーネルシュタインが声を荒げている様子を横目に嘲りつつ、アシュレイは煙草に火を点けた。
「……いや、仮令優秀な狙撃手が居たとしても、作戦は失敗していたね」
「何と。それは何故か」
今までアシュレイを無視して話を続けていた二人が、こちらに振り向く。アシュレイは一瞬、何の為にこの場所に連れて来られたか忘れかけた。マテウスの責め立てる様な視線で、アシュレイは自分が狙撃作戦の偵察の指揮を任され、その失敗の責任追及の為にここに来させられた事に漸く気付いた。
報告と云うにはやや乱雑に過ぎる態度で、アシュレイは口を開く。
「影武者さ。俺が偵察した時には複数の車が居た。報告したんだが、聞き入れてくれなくて」
「ふむ、それは真か。報告した相手は誰であったか」
「誰だったっけな。俺が居た頃には見なかった奴だからな。去年くらいからの新人だろ?」
ハーネルシュタインとアシュレイの間にマテウスが割って入り、アシュレイの胸倉を掴んで来た。マテウスの両目は血走っている。彼の額に滲んだ汗が、焦心を如実に表わしていた。
「とぼけるんじゃない! 貴様がちゃんと報告していれば今頃、黒旗は……!」
「大量の狙撃手で残らず蜂の巣にできてたってか? そいつは残念だった」
「残念だった? 舐めてんのか!」
「真剣に軽蔑してるのさ。負けた原因もろくに精査できちゃいない」
「この野郎!」
マテウスは激怒した。アシュレイはそれを、軽薄な笑みで受け流した。アシュレイ一人の行動で状況が変わっていたと評価するのなら、それは黒旗を少し甘く見過ぎているのではなかろうか。アシュレイは作戦実行の直前まで、レンフェルクのメンバーに何度も警告していた。相手は元々、国防陸軍参謀本部だ。幾ら皇室親衛隊がエリート扱いされていたとしても、参謀本部と云えば様々な作戦を、それこそ
ルージア大陸戦争の頃から立案し、成功に導いて来た歴史があるのだ。頭脳戦で親衛隊に引けを取る筈が無い。それらの事を再三再四、あらゆる関係者に伝えて来た。親衛隊から離れている間の情報収集で、彼ら黒旗はもはや帝国内部の権謀術数のみでは手に負えない存在と化していた事を、アシュレイは知っているのだ。
「これ以上は堂々巡りだ。俺が報告した相手を思い出すか、その時通信室に居た奴が“こいつが受け取ってた”とチクりに来るまで、次の話を考えようぜ」
アシュレイはマテウスの叱責を断ち切る。この石頭とはこれ以上話を続けても無駄だ。
「止むを得んな。フェルザー中佐、ここは次の策を講じるとしよう」
「しかし、よろしいのですか! こんな若僧なんぞに振り回されるなど……!」
「確かに癪ではある。が、責任追及に時間を費やして、肝心の対応が後手に廻ってしまっては本末転倒だという事だ」
意外な事に、ハーネルシュタインのほうが話の解る人間らしい。アシュレイはその点にのみ安堵できた。マテウスは相変わらず、釈然としない表情で時折こちらを睨んでくる。
「……了解、しました。名誉大将がそこまで仰るのなら」
「すまんな、中佐。若僧とはいえ、こやつの言葉にも一理あると勝手に考えさせてもらった。詫びのしるしは近日中に出すとしよう」
「有難うございます……」
――金、か。
およそ不特定多数の第三者が納得し難いような決定を下す際、このハーネルシュタインは懐から幾らかの“我慢料”を支払う事で知られている。そのようにして、石頭の連中を黙らせて来たのだ。無論、ただごねるだけでは支払われない。ハーネルシュタインの忠臣らが異を唱え、尚且つハーネルシュタイン自身も強い反発を受けるという事を自覚している場合のみだ。
それに、反論する側がこの“我慢料”を自ら求めてはならない。そういった手合いはすぐに孤立し、組織から追い出される。アシュレイはそんな強欲な愚者を何人も見てきた。
半ば嘲笑気味に回想するアシュレイは、ハーネルシュタインがチョークを持って黒板へと歩みを進める仕草を見て、回顧を閉じた。
「して。黒旗は既に世界的に敵視されておる筈の存在であるが、中々どうして彼奴らを信頼する者も多い。まずはこれを説得し、黒旗から引き離すというのはどうか。手段としてはまず、彼奴ら黒旗の数々の暴挙を事細かに列挙、黒旗の協力者達に認知させ、求心力を失墜させる。各国の新聞社、ラジオ放送局を用いればそれは容易な事だ」
ハーネルシュタインが黒板に箇条書きして行く。
「G-GHQ側にも事情を知らぬ者がおるであろうから、効果の程は申し分ないものになるであろう。そこから、MAIDの切捨てが如何に愚かしい事かを知らしめる。民間側に於いて黒旗派の洗い出し、そして監視体制を敷く。黒旗の協力者を根こそぎ洗い出した後は学校などの教育機関、そして警察の協力の下、改心させる」
ここで一旦、ハーネルシュタインは手を止め、視線を遠くにやった。物憂げな面持ちのまま、彼は再び口を開く。
「それが叶わぬ場合は思想犯として逮捕する。何、G-GHQに交渉すれば、この程度はすぐに成されるであろう。後は会談の準備と、我々に協力的な民間人、皆の知る通り、政治喫茶に足繁く通ってくれる彼らから嘆願書の署名を集める。民の力ほど心強いものはないのだ。以上が概要である」
マテウスが拍手をしながら「素晴らしい!」と歓声を上げるのとは対照的に、アシュレイは数秒ほど視線を逸らした後に「悪くない」とだけ呟いた。それがどうやらマテウスにとって看過できない態度であったらしい。襟元を後ろから掴まれ、引き寄せられた。背骨周りの皮膚がひりひりと痛む。
「おい、何だその態度は」
「褒めてやってるんだよ」
無論、言葉の裏には何割かの皮肉も含めている。このハーネルシュタインが得意になって説明した一連の方法は、まさしくライールブルクでグスタフ・グライヒヴィッツが行った事とほぼ同じだ。前半までは。そこから思想犯などという単語まで発展させるハーネルシュタインの傲慢ぶりに、アシュレイは嫌気が差したのだ。確かに黒旗は嫌いだが、同じ様にレンフェルクを含めた皇帝派軍閥もアシュレイにとって唾棄すべき“押し付け病”患者の集まりなのだ。
だからこそアシュレイは、命知らずに等しい罵詈雑言も躊躇おうとは思わなかった。どうせ一度は追放された身分なのだ。一度床に零したキャベツが、再び綺麗なものになる事など有り得ない。そも、この皇室親衛隊には、上司の提案を手放しに褒め称える厄介な風習が蔓延し過ぎているのだ。
「とても褒めているようには感じられなかったが?」
「流石、ハーネルシュタインの御大将は貪欲でいらっしゃると思ってね。ちゃんと褒めてるぜ。いいじゃないか、あんたと違って、俺は幾らおべんちゃらを使った所で出世なんざ出来やしないんだ。犬みたいに尻尾を振る役目は、俺には果たせないだろう」
帝国に呼び戻されたあの日、強制的にレンフェルクとの契約をさせられた。理由は三ヶ月目になる現在まで全く知らされていない。こんな理不尽な環境下で、忠誠心が芽生える方が難しい。
「俺がおべっか使いとでも云うつもりか!」
「それ以外の何だってんだ」
「貴様……!」
マテウスはいよいよ怒り心頭といった様子で、拳を振り上げた。それをハーネルシュタインが割って入る。ハーネルシュタインの表情が嫌に余裕に満ち溢れているのを、アシュレイは怪訝に思った。
「待たれよ。ここはわしに任せてはくれぬか、フェルザー中佐よ」
ハーネルシュタインに促され、マテウスはすごすごと退室した。あの腹の中には、さぞや如何ともしがたい感情がぐるぐると渦巻いている事だろう。アシュレイは閉められたドアに視線を遣りながら、彼に僅かばかりの憐憫を抱いた。
暫くして、紙の擦れる音にアシュレイは振り向かされた。ハーネルシュタインが写真を片手にこちらに近付く。
「プロトファスマの死骸が発見されたのは知っているか」
「ああ、新聞で見た」
8月3日付けの帝都栄光新聞、ならびにその他の幾つかの新聞で取り上げられていた。社会に巧妙に溶け込み、隙を中々見せないあのプロトファスマの撃破とあらば、一大ニュースとして扱われても可笑しくはない。問題は、誰がプロトファスマを倒したかを、誰も知らない事だ。
「親衛隊でも陸軍でもないとしたら、大方、黒旗の連中がやったんだろう。あいつらもプロトファスマは敵として見ているからな。で? それがどうかしたのか」
「破片の傍らには“私は死んでいない”と、刃物のようなもので刻まれていた」
何とも不可解なメッセージだ。発見されたプロトファスマは両腕が鈍器のようなものであり、そのプロトファスマ自身が刻んだものとは考えにくい。
気付いた時には、その疑問を口に出してしまっていた。シュヴェルテは、表向きには死んだ事になっている。皇室親衛隊に居た頃の彼女はスパイとして胸に大剣を突き刺され――これは合成写真で、実際には娼館へ売り飛ばされていたのだが――、そして黒旗に居た頃の彼女は
ドルヒという、親衛隊長官の保有するMAIDに胸を撃ち抜かれて。
彼女が、皇室親衛隊に対して存在をアピールしているのだろうか。まだ報復の手は残っていると、伝えたいのだろうか。
「判らぬ。だが、その可能性は濃厚と見ていいだろう。どうだ、ゼクスフォルト上等兵よ。我々にもっと協力的な姿勢を見せてくれるのなら、本格的に捜索するもやぶさかではないのだぞ」
「あいつがこっちに戻る事を望んでいるならな。だが、俺には解るぜ。あんたらが探してもあいつは見つかろうとしないだろうね」
「確証はあるのか」
視線でハーネルシュタインに噛み付く。シュヴェルテの捜索依頼なら、既にアテがある。この男などより余程信頼の置けるアテが。それに何より、彼女を交渉のカードに使う事自体がアシュレイにとって腹立たしい。
「元はと云えば、あんたらがシュヴェルテをここから追い出したんだろうが。スパイ容疑をでっちあげてな」
「それは誤解である」
――誤解? 今更、見え透いた嘘を。
「誤解なもんか。俺は確かに聞いたぜ。あんたら皇帝派が、
秘密警察を使って暗殺作戦まで企ててたって事も、それまでの不可解なMAID惨殺事件や行方不明事件だって、あんたらが絡んでたって事も!」
「否。そういった外道の輩を排斥し、あるべき姿――騎士団の中の騎士団であった頃を取り戻す事こそが我々、
正統エントリヒ主義帝都統一会議であるのだ。現に、良からぬ思想でMAIDを窮地に追いやった者らは皆、黒旗へと流れて行き、昨年のライールブルク強襲作戦で尽く葬られたではないか」
昨年と云えば、当時のアシュレイは発狂して精神病院の治療房に叩き込まれていたが、その頃にはまだレンフェルクは結成されておらず、彼らは“皇帝派の一グループ”でしかなかった筈だ。過去の記録を辿れば情報くらいは集まる。黒旗本部強襲とてギーレン宰相が
スィルトネートを拉致された報復で指示したものだと聞いている。それをあたかも自分らの手柄のように吹聴するハーネルシュタインに、アシュレイは嫌悪感を覚えた。
「どうかな。一部の頭のいい連中は目立たずにやろうとしているように見えるがね。あんたのやり方だって、黒旗そっくりだ」
「ゼクスフォルト上等兵よ、聞くが良い。貴様を外に追いやった輩も、今は黒旗におるのだ。多少の手段の善悪は不問とせねば、策謀の世界では生き残れぬのだぞ」
「否、出鱈目などでは無い。本来、あの男を殴った程度ならば反省房送りで済まされていた。だがあの悪鬼の如き陰謀屋の輩共はシュヴェルテの売却を悟られぬよう、二重の封印を施す為にも貴様を国外追放するよう仕向けたのだ。こうして貴様の居所を突き止めたのも、黒旗の陰謀から貴様を守る為だ。気まぐれで秘密警察まで用いてなどおらぬ」
今のハーネルシュタインの言葉は詭弁か、真実か。それを判断する材料はアシュレイには無い。故にアシュレイは一瞬だけ戸惑った。確かに考えても見れば、ヴォルフ・フォン・シュナイダーは親衛隊内部でもかなり嫌われていた。単純な好き嫌いで昇進、降格が決定されかねない親衛隊に於いては、嫌われ者を殴っても大した罰を受けないという事態とて、有り得るのである。
しかし、実際に国外追放刑に処した人間が誰であるかも知られていないし、そもそもハーネルシュタインの行為自体が宰相派に対するプロパガンダである可能性も否めない。
――それに、思い出しても見ろ、アシュレイ。かつてのランスロット隊は、行方不明のアロイス・フュールケを除き、皆戦死していただろう。この帝都へ戻って来てからそれを聞かされた時、胸の内にどれだけの絶望が込み上げて来たか。涙を堪えるのにどれ程の労力を要したか、思い返してみろ、アシュレイ。陰謀から守るなどと謳ってはいるが、隊の壊滅は明らかに不自然ではないか。結局この老人は、利用価値の無い人間を守るつもりは無いのだ。
「……白々しいぜ、クソジジイ」
「ふむ、反抗的な目をしている。貴様の世界はさぞや温和であろうが、貴様を取巻く社会は冷徹だ。貴様の感情など、社会は一切関知しない。それでも貴様は己の世界に忠実であろうとするつもりか」
「きっと耄碌した頭で老後の道楽なんてやらかすから、そういう云い方しか出来ないんだな」
「俺は至って真面目さ。ただ、道楽に付き合おうとは思っちゃいないだけだ」
ハーエルシュタインは眼を見開き、暫く黙り込んだ。余程、癇に障ったのだろう。こめかみに青筋を立て、拳が震えている。所詮この老人も、一介の若者の悪口に耐えられる程度には精神が成熟していないのだ。ハーネルシュタインは二、三、聞き取れないほど小さな声で何か呟いた後、椅子にもたれ込み、溜め息をつく。
「……日を改めて話そう。
アドレーゼ、こやつを見張っておけ」
「仰せのままに、ご主人様」
何処からともなく現れたのは赤い服に身を包んだ、見覚えのある風貌のMAIDだった。このMAIDがアドレーゼなのだろう。
「こいつは……なるほどね、あんたのペットか。そういやジークフリートの生誕記念祝典でも、ご一緒したかな?」
「お察しの通り。あの時後部座席にてご一緒させて頂きました、アドレーゼと申します。以後、お見知り置きを」
そう云って、アドレーゼは丁寧な仕草で一礼する。感情こそ読み取れないが、奉仕の心得は一から百まで体得しているのだろう。ハーネルシュタインの傍に置くには勿体無い。
「よく躾けられているじゃないか。俺もこんな風に躾けるつもりか」
「貴様がそれを望むのなら、幾らでも躾けてやるとしよう。アドレーゼよ。こやつを部屋まで案内しろ」
「仰せのままに」
アドレーゼはかしこまった返答を行ない、こちらに目配せした。アドレーゼは人形のような微笑を浮かべ、アシュレイをドアへと案内する。
「たかが一等兵相手に、大した待遇だな……俺をVIP待遇する義理はあんたには無い筈だぜ」
特別会議室を退室する際、アシュレイは肩越しにハーネルシュタインに毒づく。対するハーネルシュタインと云えば、テーブルに肘を着いて手の指を組み、何かを確信したように頷くだけだった。
そして一瞬の沈黙は、マテウス・フェルザー中佐と
ザフター・ニルフレート中佐の両名が焦燥を全身に纏って駆け付けて来た事で破られた。
アシュレイは眉間を歪める。また一つ、地獄の門をくぐらねばならぬ時が来たらしい。
最終更新:2010年11月08日 15:21