Chapter 7-4 : 違和感

(投稿者:怨是)


1945年9月03日

   国防陸軍MALEの暴走、二代目軍神アースラウグが鎮圧!
 先日、国防陸軍に所属するMALE、テオドリクスが突如として暴走、
 ヨハネス・フォン・ハーネルシュタイン名誉上級大将とその近衛兵のMAIDアドレーゼの両名の生誕祭の祝典へ向かう一行を襲撃した。
 祝典はやむなく中止となったが、強大な腕力を持つテオドリクスに対し、アースラウグ、アドレーゼは勇敢に奮戦した。
 また、アースラウグの咄嗟の判断で増援として加勢したプロミナにより、ついに討伐が完了する。
 アースラウグはプロミナの贖罪と、テオドリクスの断罪を一度にやってのけたのである!
 この偉大なる所業、軍神の軌跡の片鱗は、瞬く間に皇室親衛隊に知れ渡り、皆を歓喜させたという。
 ハーネルシュタイン、アドレーゼは式典こそ潰されたものの、最高の誕生日になったとコメントしている。
 公安部隊の調べによるとテオドリクスは連続放火事件の首謀者でもあり、裏では黒旗と内通していた事が判明した。
 何度も揺るがされた帝国の基盤は未だ強固な物とは云えず、この先の未来にも数々の難問は待ち構えている。
 だが、軍神を継ぐ者、アースラウグの勇気が我々に力を貸してくれるだろう。
 我らに軍神の加護あれ。ジークハイル! ハイル・エントリヒ!

 アースラウグは新聞を満足げに仕舞い込むと、窓の外へと目を向けた。間もなくジークフリートが帰還する。軍神ブリュンヒルデにまた一歩近付けたこの勝利を、報告しよう。寡黙で寂しがり屋の我が姉は、どんな顔で評価してくれるのだろうか。思いを馳せる度に笑みが零れるのを、自分でも感じ取れた。

「さて、と」

 久方ぶりの休暇だ。何をして過ごそうか。思案しながらラウンジへ向かう。道中で擦れ違ったMAID達は皆、羨望の眼差しと共に歓喜に満ちた声で口々に先日の戦果を喜んでくれた。

「アースラウグ様! 私もアースラウグ様の御活躍をこの目で見たかったです!」

「まだ半年もしてないのに、歴戦のMALEを相手に打ち勝っちゃうなんて流石です!」

「アースラウグ様!」

「おお、アースラウグ様――!」

 ……疎ましいとは思わない。寧ろ、心地良い。凱旋とはこういう事を云うのだろう。本当はブリュンヒルデにも報告したい。愛しい母に褒めて欲しい。しかしそれは永遠に叶わない。彼女はあの、誰も足を踏み入れる事の叶わぬ薔薇園に眠っている。一抹の寂しさを覚えながらも、アースラウグはラウンジに辿り着いた。つい二週間前の出来事が脳裏を()ぎった。

「プロミナ……」

 ここにはまだ、プロミナの姿は見当たらない。彼女はアシュレイ・ゼクスフォルト上等兵改め、伍長――先日の件で皇帝から特進という待遇を受けたらしい。全く以て忌々しい――の監視の下、対G戦線に戻る事となった。明後日には戦場へ復帰する。これまでの事で精神的にかなり消耗している為、親衛隊本部とグレートウォール戦線を頻繁に行き来する形で、だが。

「でも彼女はやっと、太陽の光の下に出られた。それを私は、喜ぶべきですよね……」

 もう一度、友達に戻りたい。その思いを胸に秘め、アースラウグはラウンジでプロミナを探した。

「アースラウグ様、如何されましたか?」

 MAIDの一人が首を傾げ、心配そうな面持ちで語り掛けてくれた。彼女なら行方を知っているかもしれない。

「プロミナを見ませんでしたか?」

「さぁ……自室へ行ったんじゃないでしょうか?」

「何せ、昨日の今日ですしねぇ。私達の様にそれなりの経験とかがあればいいけど、プロミナはまだまだひよっ子MAIDですから。やっぱり、ショックから立ち直るまで時間が掛かるかも」

「そう、ですか」

 そうと決まれば話は早い。アースラウグは彼女らに礼を云うと足早にプロミナの自室へと向かった。1944年以降、皇室親衛隊では教育担当官による監視がし易い様に、担当官のすぐ近くにMAIDの個室を設けている。それまではコミュニケーションを重視して、階級の高い担当官が付いた一部のMAIDを除いて、皆集団で寝泊まりしていたらしい。その名残がラウンジだと、アースラウグは習った。確かに、いつぞやにアシュレイ――その時は何故“エディ”と名乗ったのか、未だに見当が付かない――が云っていた様に、MAIDを軍閥同士の確執に用いていたのなら、集団での寝泊まりでは管理しきれないだろう。
 などと考えている間に、プロミナの部屋の前に到着した。ノックして暫くするとドアが開き、暗がりからはいつもの赤い服ではなく、何ら装飾されていない黒いワンピース姿のプロミナが現れた。目つきを見るに、寝ていた訳では無さそうだ。

「こんにちは、アースラウグ。どうかした?」

「昨日の今日だったので、心配でして。もう、落ち着きましたか?」

 笑顔に戻ったプロミナは、「何だ、その事なら」と云って、伸びをした。

「大丈夫だよ、もうバッチリ! 明日からGと戦えるし、やっと私の本領発揮って感じかな」

「良かった」

 両肩にのし掛かっていた重圧は、何処かへ霧散した。これで良いのかもしれない。罪の意識に苛まれ、暗い影を落としたプロミナを、見たくはない。プロミナはふと遠くを眺めて考える仕草をし、思い出したかの様にこちらに顔を向けた。

「ねぇ、これから町まで遊びに行かない?」

「遊びに、ですか」

「そ。気晴らしにさ。ほとぼりはまだ冷めてないけど、こんな所で腐ってるよりはマシだと思うから」

「気分転換にはいいと思います、けど……」

 内心、アースラウグは乗り気ではなかった。幾ら罪が清算されたとはいえ、民意はそれを許すだろうか。答えは曇り空のままだ。町中を歩けば、トラブルに巻き込まれる危険性はかなり高い。それに、彼女が慎ましくないMAIDだと思われ、周囲からの敵意の眼差しが鋭さを増すのを、アースラウグは堪えられない。

「廷内散歩では、駄目ですか?」

「それが、どうしても行かなきゃならない所があってさ。今日じゃないと駄目なんだけど、一人だと、その、ね……」

 如何なる返答をすべきか。アースラウグは困窮した。そうしている間に、プロミナの表情は徐々に陰りを増して行く。

「ごめんね、寂しがりやだからさ、私! 嫌ならいいんだ、私みたいな前科持ちより、アドレーゼさんとか、他の友達と遊んだ方が楽しいだろうしさ!」

「……」

「まぁ、また今度、誘うよ」

 そう云って顔を逸らすプロミナの両目は心なしか潤んでいた。彼女は今、自分が支えないと崩れてしまうかもしれない。軍神の子として、彼女を元の“底抜けに明るいプロミナ”に戻してやらねば。周囲の反発があったとて、それがどうしたというのか。我こそは軍神。そのような脆弱で陰湿な視線など、退けてしまえば良いのだ。そう気付いたなら、選択肢はたった一つだ。

「いえ、行きましょう」

「へ?」

「きっと、私が同行すれば危険も少ないでしょうから」

 出かける為の服を着ていた彼女は、放っておけば一人で行くだろう。今日でなければいけない用事があるのなら、尚更だ。敬愛する我が母はこんな時、敵意を退ける槍となる事を選んだだろう。敬愛する我が姉はこんな時、困難から守る盾となる事を選ぶだろう。ならばこのアースラウグ、親愛なる我が友の為に、槍となり、盾となるべきではないか。

「……ありがとう」

 満面の笑みで礼を云うプロミナの両目から、一筋の涙が流れる。ただの透明な、血液に似た成分の体液である事は学者が証明している。が、その透明な体液には科学では推し量れない重みがある事を、アースラウグは知っていた。



 アースラウグとプロミナは、真っ先に喫茶店へと向かった。いつかにプロミナと行こうと思っていた、噴水に面して建てられた喫茶店である。ジュースとドーナツを二人分、注文した。あの時は出来なかった事を、今ここで行なうのだ。
 思えばあれからおよそ一月の間、プロミナ自身、そしてそれを巡る周囲の動向も疾風怒濤そのものだった。アースラウグは、この店で黒旗の二人組に絡まれた出来事をプロミナに話す。

『使命、ねぇ……ご大層な看板を背負うにはまだまだ人生経験が足りないんじゃないかしら。あまり身の程知らずを棚に上げて背伸びするもんじゃないわよ』

 脳裏を掠めたのは、色褪せる事無く居座り続ける言葉――柳鶴と呼ばれたMAIDの、あの言葉だった。胃が収縮し、平衡感覚を失う。決して記憶の上澄みに浮かばせたくはない、忌まわしい記憶だ。自分が矮小な存在だと思わされた日を、誰が背負い続けるものか。

「そっちもそっちで大変だったんだね。あの時、辛い思いをしていたのは私だけじゃなかったんだ……」

 そう切り出したプロミナもまた、あの日を境に地獄の門を開いていた。彼女はクード・ラ・クーと名乗るプロトファスマと戦った後、黒旗に目を付けられたという話を以前、最初に聞いた時は半信半疑だった。プロトファスマの目撃例自体は増加しているとはいえ、まだまだ実態を掴んだと断言するには至らなかった。その反面、プロミナが何の理由も無しに戦っていたとは思えなかった。今となってはそんな己の抱いた猜疑を愚かしいとすら思っている。彼女は本当に戦っていた。漸く、証拠が見付かったのだ。黒旗MAIDの一人による情報提供で、彼らが総力を挙げて集めてきた情報――その内の一つはクード・ラ・クーの被害に遭った事で瘴気汚染状態の民間人を、黒旗傘下の病院にて治療中である事など――が親衛隊側にもたらされた、という事実を知った時は些か戦慄したが。

「皮肉な話だよね。私がプロトファスマと戦った証拠を、まさか私を利用した黒旗が教えてくるなんてさ」

「私達の基盤は、黒旗に浸食されつつあるという事でしょう」

 帝国の旗が黒く染まりきる前に、国家の誇りを取り戻さねばならない。この小さな身体はまだ、それを成し遂げるだけの力を持っていない。会計を済ませ、二人は商店街へ向かった。途中で地下鉄の駅を通り過ぎる。いつかに脱走したプロミナを探したのは、ここから電車で二駅程のニトラスブルク駅付近だった。あの場所には暫く行く気が起きない。

『どうしてそこで泣く必要があるんだい?』

『誰だって、知ってる人が罪を犯せば悲しいでしょう?』

『……それが仕組まれた罪だとしてもか』

『仕組まれた罪なら、どうしてプロミナさんは逃げる必要があるのですか』

 プロミナがあの時逃げた理由を、未だにアースラウグは知らなかった。だから、あの光景を思い出して吐き気を催すのをどうにか我慢して、問い質してみた。

「簡単な話。その時は黒旗に殺されそうになった。いつかに話したでしょ? 私が黒旗の人達を殺した事について」

「そう、でしたね」

「結局その後、訳も解らないまま、黒旗に利用されるとは思ってもみなかったけどね」

 低い声でそう呟くプロミナは、遠くを眺めた。プロミナはよくこの仕草をする。誰かの存在を気にしている様な、怯えと諦観をない交ぜにした表情で。暫くして「別の話にしようか」とプロミナが提案してきた。アースラウグも、この乾いた沈黙を堪え続けるだけの勇気は無い。もっと前向きで、建設的な話をすべきだ。そうでなければ、周囲の視線からプロミナを守りきれなくなる。今この場で彼女の味方になれるのは、アースラウグだけだ。

「新しい必殺技でも考えますか?」

「そうしよっかな。でも、技名を叫ぶのはやめとく」

「どうしてです?」

「何か、恥ずかしくなって来ちゃった。だから、見た目のインパクトだけで勝負しようかなっと思って」

 などといった話をしながらクーベルオルフェン街道を歩いていると、水路を跨いだ石橋のある通りに出た。すぐ近くには煉瓦造りの小さな工房があった。

「ここ」

「びゃく、りゅう、工業……」

 白竜工業とは、プロミナの武器である楼蘭刀を初めとする、MAID専用の様々な武器や鎧などの装備を受注生産している零細企業だ。規模こそ小さいが、シェアは意外とあり、親衛隊刊行物企画室による調査では国内のMAIDだけでも15.8%を占めているらしい。

「なるほど。用事って、此処だったんですね」

「うん。そこら辺を散歩しながら待ってて。此処の人達さ、話し始めると長いんだよね」

「はい」

 そうは云うが、気になるではないか。アースラウグは壁に張り付いて聞き耳を立てた。ドアは開け放たれている。そこから漏れ出る声を一語一句、丸ごと聞いてやろう。作業の音が止まり、足音が少ししてから聞こえた。それから、男の声がプロミナを迎える。

「やぁ、プロミナか。色々大変だったね。もう大丈夫なのか?」

「勿論! この程度で心折れる程、私はヤワじゃないですよ。それで、武器なんですけど」

「そうだったね。蜻蛉(かげろう)を鍛え直して置いた。コア・エネルギー伝導率を高めたから、もっと効率よく能力が使えるはずだ」

 用事とは、此処へ武器を取りに来た事を指しているのか。だが、そうだとすれば教育担当官が取りに行っても良かった筈だ。基本的に武器の管理は教育担当官が行なうものであって、MAIDがこうして自ら取りに行くのは稀だ。まして、連続放火事件の事もあって、ほとぼりが冷めない間は担当官が責任を持って管理するのが通例では無かろうか。怪訝に思うアースラウグを余所に、会話は続く。

「ありがとうございます。ヒラガさん」

「おう。アシュレイ君には、よろしく云っといてな。真田の奴が気に掛けてたぜ」

「はいはぁい。まぁ教官は、多分もうあんまり気にしてないと思いますけどね。寧ろ気にしてるのはサナダさんじゃあ?」

「俺も正直、そう思う……」

「ですよね。でも、もう居なくなってしまったMAIDの事だから、ちょっと話すのは気が引けます」

シュヴェルテの事は、そうだな……本当に、運というか、巡り合わせが悪かったとしか云えねぇよ」

 シュヴェルテ、シュヴェルテ……何処かで聞いた。そうだ。エディと名乗ったあの男、アシュレイ・ゼクスフォルトがかつてパートナーとしていたMAIDだ。今は行方不明と聞いている。

「私はその頃の教官を知らないけど、昔はあんな人じゃなかったらしいじゃないですか。それを聞くと、今の荒んだ性格って、やっぱりその辺が絡んでるのかな」

「そうかもな。それでいて、今回のお前さんの事件だろ? 何ていうか、さ。俺はどっかにズレを感じるんだよなぁ。本当に俺達に知らされてる情報って、本当のものなのかって。帝都栄光新聞はシュヴェルテを叩いてた頃と全く変わっちゃいない」

 アシュレイのいけ好かない言動も、その“ズレ”とやらが原因だろうか。彼の剥き出しの敵意には辟易させられる。そんな彼について、プロミナもヒラガも、何処か好意的な態度だ。どうにも面白くない。

「でも、私のは残念だけど事実だったりするんですよ。黒旗は完全に潰れたから、もうあんな事件も無いと思うけど――あぁ、嫌ですね。何か辛気くさい」

「悪い。変な話を振っちまった」

「いえ、いいんですよ。それに私は軍神アースラウグとお友達だから、守って貰っちゃおうかなって。ね。アース」

 全く、いつから気付いていたのか。観念して彼らの前へと足を進めた。平賀という男は一瞬、目を丸くした後、直ぐに笑顔になってアースラウグを歓迎した。

「こりゃたまげた。本物のアースラウグだ。やっぱ改めて見てみると、綺麗だなぁ。ご自慢の得物も、流石は皇室直属の鍛冶工房で作られてるだけあって、繊細かつ重厚な出来だ」

「は、はぁ……それは、どうも」

 第一声で武器について語られ、アースラウグは若干の困惑を覚えた。度し難い男だ。出来ればもっと別の話題で始めて欲しかったが、彼は兎に角このヴィーザルが気になるらしく、しきりに何かを呟きながら、あちらこちらからじろじろと品評している。時折感嘆した様に頷いている所から、感心しているのは間違いないが、何とも複雑な心境だった。

「ごめんね、アース。この人ってば、武器を見るとすぐこんなだからさ」

「いいですよ。貶されてる訳ではありませんし」

「そうだぞプロミナ。見ろよ、この刀身と柄の絶妙な黄金比を。まさに、アースラウグの為にこしらえたと云っても過言じゃないぜ」

「いいからいいから。私らはまだ用事が天こ盛りなんで、ここらでお暇させて下さいな」

「そうか。まぁ、今日はありがとな。またおいでな」

「それでは、また」

 プロミナが別れを告げ、小さな町工場から出る。思えば結構な距離を歩いた。すっかり日が暮れている。

「ありがと、アースラウグ。とりあえず用事はこれで終わり」

「いえ。でも、武器を取りに来るなら、担当官に任せておけば良かったのでは」

「私も明日から現場に復帰だから、その、ね。もしかしたら死ぬ事だって絶対に無いとは云えないでしょ?」

「……」

 そういう事だったか。アースラウグは心臓を小突かれた錯覚を覚える。戦場は常に死と隣り合わせだ。ここ一ヶ月の間、それを嫌という程味わった。ワモン級のGだけを相手取る訳では無いのだ。時にはマーヴやテオドリクスの様に、MAIDを相手取る事だってある。

「だから、今までに色んな事があったけど、この帝都の景色は覚えておかなきゃって思って。ねぇ、アースラウグ」

「……はい」

「私がその機能を終えたら、君は私を覚えていてくれる……?」

 忘れるものか。最初の戦友はプロミナであった。罪を背負い続け、それに押し潰されずに日々を戦い続ける、灼熱の中に優しさを持つ友人。孤独から彼女を守らねば。

「勿論です。プロミナさん」

 アースラウグは強く、今までのどの瞬間よりも強く頷いた。
 握手を交わす。その時だった。付近の通りから声が響いたのは。

「放火だ! 黒旗の奴らが火を放ってる!」

 背筋に電流が走る。またもや大義なき暴力に、この帝都は晒されようとしているのだ。

「プロミナ」

「行こう」 

 駆け抜けた。今度の放火はプロミナは関わっていない。黒旗は何を考えているのか。それを確かめる好機だ。アースラウグはまだ、親衛隊を悩ませ続けた連続放火事件の現場に巡り会った事が無い。今度こそ、今度こそ彼らの胸倉を掴み、冒涜をやめさせてやる!
 火事の現場は既に轟々と炎を吐き出し、野次馬を含めた付近の通行人を威圧していた。付近の人間の内、何名かが現場のすぐ目の前で取っ組み合いになっている。一方は筋骨隆々とした男で、もう一方は華奢な印象を受ける女性だった。

「奥さんも早く逃げるんだ! この辺りも直にヤバくなる!」

「でも、あの家には主人の形見がまだ置き去りなんです! お願いです、取りに行かせて下さい!」

「そうは云うがよ、あれじゃあもう無理だ……」

「ペーター、止める気があるなら手伝ってくれよ! ラクスウェル夫人と来たら、やたら怪力なんだよ。俺の腕がもう保たん」

 男が、野次馬の群れに混じった一人へと声を張り上げる。ペーターと呼ばれた男は人混みを掻き分けながら、公衆電話の方へと向かっている様だった。

「解ってるっての! 同僚に電話を入れるからもうちょっと待ってろ!」

「早くしろ! じゃないと本当に炎の中に飛び込まれちまう!」

「あなた、ごめんなさい……! あなた!」

「気絶したぞ」

 男が卒倒した女性を抱えると同時に、公衆電話から飛び出たペーターは上着を脱ぎ捨て、散水栓を捻って水を被った。

「よっぽど大事な形見なんだろ。拾ってくる」

「ペーター……お前、非番だろ。それに、形見っつっても、どんな物かも判らないじゃないか」

「非番だろうが知った事か。フォルカー、俺は消防隊員だ! 亡くなったご主人があの中に居るとあれば、飛び込まない理由があるか!」

「なんだって、いつもお前はさ、そういう無茶ばっかりしやがる。生きて帰ってこいよ」

「俺が今まで死体で帰ってきた事があるか?」

「一度も無い」

「そういう事だ。ラクスウェル夫人を頼んだぞ」

「……あいよ」

 非番の消防士、ペーターはそのまま炎の中に姿を消す。一連の遣り取りを遠巻きに見ていたアースラウグとプロミナは顔を見合わせた。アースラウグはプロミナの双眸から確信めいたものを感じ取った。既に二人の考えは一致している。やるべき事は決まっているのだ。

「アース、私はこういう時、どうすればいいかな」

「答えは決まってます。現場に行き、救助しましょう。それが私達、MAIDの務めです」

「だよね! 私が在らぬ疑いを掛けられそうになったら、ちゃんと弁護してよ!」

「勿論ですとも!」

 正義の心に導かれるままに炎に飛び込んだ。すぐに熱さで煙に喉を焼かれそうになる。汗だくになったアースラウグに対して、プロミナは炎の能力を使うMAIDの為か平然としていた。赤く揺らめく視界には、人影は見当たらない。殆どは避難しているのだろう。だが、安堵の溜め息をつく暇はまだ無い。消防隊の到着まではまだ少し時間が掛かる。それまでに一人でも多くの生存者を探し、救助せねばならないのだ。
 プロミナは前へ前へと進み、炎を収縮させて行く。道が開ける度に、気温は平穏を取り戻す。

「もう此処も大丈夫。次へ行こう」

 破裂して跡形も無くなった窓ガラスを飛び越え、次の建物へ入る。ふと、何者かの足音が聞こえた。生存者だろうか。アースラウグはドアを蹴破り、飛び込んだ。

「目撃者か! 撤退するぞ! 我々黒旗はこの程度で潰えてはならんのだ!」

 果たしてそこに居たのは、黒々とした防火服に身を包んだ集団だった。彼らは我先にと、もう一方のドアから退路を得て逃げる。

「逃げるつもりか!」

「そうはさせません!」

 アースラウグ、プロミナも彼らを追って廊下へと出た。やっと真実の一片に辿り着ける筈なのだ。プロミナを利用し、火の手を上げてきた理由を今度こそ問い質してやらねば。既にプロミナは光の下へと戻ってきた。彼女はまだ建物に残る炎を掻き集め、一人の黒旗兵の進路上に炎の壁を展開した。

「アース、これで道は塞いだよ!」

「流石です! プロミナは残りもお願いします!」

「任せて!」

 最早、この黒旗兵に逃げ道は無い。プロミナは壁を越えて残りを追うが、黒旗兵は少し進もうとして防火服が焼け爛れたのを見て、そのまま立ち尽くした。アースラウグはヴィーザルを構え、少しずつ彼に接近する。

「さぁ黒旗、観念なさい! 本部も潰えた今、どんなに頭数を揃えようと、由緒正しき皇室の騎士達がいつでも貴方がたを一網打尽にしてみせます!」

「……これが軍神を継ぐ者か。見事だ、が……」

「?」

 黒旗の一人がカンプピストルを構えた。信号弾や小型の榴弾を飛ばす為の拳銃を、こんな至近距離で使えばどうなるか、想像に難くない。やめろ、頼むからやめてくれ。

「惜しいな、俺達は所詮――」

 黒旗兵は両手と首筋を真一文字に斬られ、即座に絶命した。乾いた金属音を響かせ、カンプピストルは役目を失い、床に転がる。振り向けば、アドレーゼが双剣を構えていた。

「お怪我はありませんか、アースラウグ様!」

「私達は大丈夫ですよ」

「ご無事で何よりです。それより、彼は……」

 漆黒の防火服に身を包んだ亡骸を、アドレーゼは見下ろす。

「黒旗です。まだこんな力を残していたなんて。この前の作戦の間に合流した連中でしょうか」

「……恐らくはそうなのでしょう。プロミナは?」

 アドレーゼは廊下の奥からやってきたプロミナを案じた。気が気でないのだろう。今回の件もまさか、と思われては困る。アースラウグはすぐさまかぶりを振った。

「プロミナさんは今回の件では無罪です。寧ろ犯行グループの追跡に協力してくれました」

「アース、この辺りの火は鎮めといたよ。でも、ごめん。あいつらの逃げ足が早すぎて……」

「仕方のない事です。本格的に能力をまた使い始めたのは昨日からでしょうから。それより、怪我人は居ませんでしたか?」

「消防隊の人達が救助してくれてる。死人は居ないってさ。良かった良かった」

 第一の目的は、建物に残った生存者を一人残らず救助する事。それは消防隊が完全に成し遂げた。日常を守り抜く事を使命としている彼らは、大切な国民を守ってくれたのだ。一向に気難しい顔から戻らないアドレーゼにアースラウグは目配せすると、彼女は「失礼致しました」と云って、去って行った。恐らくこれから報告へ向かうのだろう。アースラウグはなるべく直視しない様に極力プロミナを見ながら、黒旗兵の骸を指す。

「それにしても……彼は最後に何を云い掛けてたのでしょう?」

「解らない。自分達が捨て駒だって事を云いたかったのかな。だとしたら、まだ続くって事だ」

 階段を下り、玄関へと向かう。

「そういえばさっきさ、此処に来る前にラクスウェル夫人って……居たじゃない」

「あの女性の方ですね。消防隊の方、形見は見付けて下さったのでしょうか」

「それも気掛かりなんだけどね。私、聞いた事があるんだ。その名前」

「と、云いますと?」

「確か黒旗の一人に、ラクスウェルって人が居た様な気がするんだ。私が殺した内の、一人にね……」

「……」

 彼女は何人も人を殺している。それは拭い去る事の叶わぬ事実だ。アースラウグはふとニトラスブルクでの出来事を思い返し、それから沈み込みそうになる心臓を握る様にして、胸に手を当てて目を瞑った。

「黒旗にとっては、その奥さんすら捨て駒なのかな」

「冷酷な彼らの事ですから、そうなのでしょう」

「奥さんに、謝らなきゃ」

 ――それは拙い。
 思わず、歩みを進めるプロミナの裾を掴んだ。

「いえ、その必要はありませんよ……」

「どうして?」

「何と云うか、その……母様が、そう云っている気がするんです。戦場で死ぬのは自然な事だと。生き残る為に殺してしまった事は、仕方の無い事だと」

 咄嗟に口を突いて出たが、本質はそうではない。未亡人となってしまったラクスウェル夫人の感情を考えると、本当の事を彼女に打ち明けてしまえば、ラクスウェル夫人は間違いなくプロミナを怨み続けるだろう。そこから話が周囲に伝播すれば、プロミナは今度こそ回復し様の無い程の、失墜の憂き目に遭うだろう。放火犯の次は、殺人鬼というレッテルが貼られる。
 正直に白状すべきというのが正論だが、はて。如何様にしてこんな結論が導き出されたのか。誰かの記憶が今の事を、アースラウグを借りて云った気がしてならない。もしかすると、本当にブリュンヒルデが自分に囁いたのかもしれない。

「別の形で償うって事か」

「そういう、事です」

「そう……」

 あれほど夜のクーベルオルフェン街道を照らしていた炎はすっかりなりを潜め、辺りは平常を取り戻しつつあった。なのに、この胸騒ぎは何だ。思考の歯車が、何処かで噛み合っていない。違和感は、自室に戻っても解消されなかった。


最終更新:2011年06月09日 12:46
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