白虹成層圏

(投稿者:神父)


離陸は二人の会話から一時間後、午後九時であった。何事もなければ着陸予定は現地時間の午前六時となる。
サバテは実にきわどいタイミングで機内に入り込み、抜け出した事になる。事が露見せずに済み、彼女は内心ほっとしていた。
出発に際して、彼女には飛行帽とゴーグル、予備弾薬、それに携行用の通信用ザックが渡されていた。
骨翼が邪魔をしてものを背負う事ができないため、ザックは弾薬類と一緒に腰に吊り下げる形になっている。
この時代の通信機は非常にかさばり、しかも重いバッテリとセットで持ち運ばなければならない。
彼女は慣れない装備が飛行の邪魔にならないか心配だった。……特に、いざ( ・・ )という時に。
と、首にかけたヘッドフォンからSi387の機長の声が聞こえ、彼女は慌ててイアピースを耳に押し当てた。

「……こちら冬の蜻蛉(ヴィンター・リベレ)黒衣の未亡人(シュヴァルツェ・ヴィトヴェ)、聞こえるか」
「こちらシュヴァルツェ・ヴィトヴェ、聞こえます」
「よし」

サバテは、なんでこんなコールサインにしたんですか、と言いたいのをこらえて応答した。
彼女の見た目から安直に決められたに違いない。ぶつくさと文句を呟いていると、ヘッドフォンからブルクハルトの声が聞こえた。

「サバテ、この機体には私も乗り組んでいる。しっかりと護衛してくれたまえ……まあ、生みの親を見殺しにするMAIDもいるまいがね」

押し殺した笑い声が漏れ、その上に高まるエンジンの回転音が被さった。
四発のエンジンはすべて暖機運転を終え、車止めを外されたSi387の巨体は夜の底に響くような低い唸りを上げて動き始めた。

「油圧、主従全系統異常なし。動翼作動確認……緑。フラップ全段展開」
「レーダー異常なし、上部銃座ともに良好」
「尾部銃座作動良好」
「よし。……管制、こちらヴィンター・リベレ。本機と本機の護衛の離陸許可を求む」

タキシングで滑走路の手前まで来たSi387はその巨体を器用に取り回し、完璧に機体を白線に合わせて停止した。
サバテはその横を歩いてついてゆき、滑走路の端で待機した。

「こちら管制。ヴィンター・リベレ及びシュヴァルツェ・ヴィトヴェ、離陸を許可する。幸運を」
「感謝する。……蜻蛉(リベレ)より未亡人(ヴィトヴェ)へ、先に上がれ。先行し、本機の安全を確保せよ」
「……はい」

サバテは誘導灯に沿って駆け出し、Si387の前に出たところで骨翼から黒い噴気を発して離昇した。
追い抜きざま、小窓の一つからエヴナが覗いているような気がしたが、彼女は足を止めなかった。
背後のSi387もエンジンを全速で回転させ、40tを超える巨体を加速し始めた。

「上がったか。流石MAIDと言うべきか、あれならば滑走路なぞいらんな」
「V1。……あの姿。まるで悪魔か、あるいは魔女だな」
「ローターツィオン。リヒャルト、尻を擦らんように見てろ」
「諒解」
「V2。脚、上げます」
「フラップも忘れるな。それにしてもあの姿は……空戦MAIDではないようだが。わが国の新型なのか?」
「いや、SS飛行隊のMAIDの翼は普通の翼かエンジンつきか、どちらかのはずです。あんな不吉な奴は見た事がない」
「俺、聞いた事ありますよ。暗殺を専門にした、悪魔みたいな翼を背負ったMAIDがいるって」
「暗殺……あんな死神みたいな奴に、俺たちの護衛が務められるのか?」
「さあて、なあ……」

機内無線の会話はサバテにも聞こえていたが、彼女はあえて否定しようとはしなかった。
否定したところでこの場で納得するとは思えなかったし、エヴナをどうやって助けるかという事に彼女の神経が向けられている今、
もはや聞き慣れてしまった感のある讒言になど構っている余裕はなかった。
無論、それでも悲しむべき事には違いなかったのだが。



機体の全面を黒く塗り潰されたSi387は高度を上げながら南へ向かって旋回し、山脈を越えるコースに乗った。
山脈を越えればGの航空優勢空域―――すなわち制空権内である。
他国の主権領域を侵犯するわけにはいかないし、それどころか公海上ですら発見される危険が伴う。
機密を守るために、彼らは撃墜の危険をも冒す事にしたのだった。

高度一万メートル。
エヴナを除く機内の全員が酸素マスクを装着し、サバテはその上空で極寒の大気に身を晒しながら周囲を警戒している。
夜間はGの活動も衰え、またこの高高度まで上がる事のできるGは極少数であるとはいえ、警戒は必要である。
しかし空戦MAIDなどとは違って当初から飛行を考慮されているわけではない彼女にとって、この環境は苦痛だった。
大気圧は地上のわずか四分の一に過ぎず、気温はマイナス60℃に達する。
コアから放出されるエネルギーの余剰分を利して身を守る事のできる空戦MAIDはこの高度でも平然と飛行するだろうが、
単に瘴炉からの噴気の反動で飛翔しているに過ぎないサバテには身を守る術などありうべくもなかった。
彼女は青ざめた唇から息を白く喘がせ、容赦なく乾きゆく目をしばたいた。

「高度8000、十時方向に感あり。大型四、小型…三十。接敵まで二分」
「来たか……リベレよりヴィトヴェ、聞こえるか。高度8000、十時方向にGだ。迎撃せよ」
「……諒解」

鍛え上げられたMAIDの視力も、真空管を駆使したレーダーの目に勝る事はない。
サバテは高度と引き換えに速度を増しながら、闇夜の底へ落ちていった。
星明りを反射する巨大な複眼を確認し、彼女は一際大きな反射光に向けてGew1913YZRを構える。言うまでもなく、作動は確認済だ。
彼女が銃爪を引くと鋸状の銃身の内部に備えられた厄室が連続で青い炎を―――もとい、瘴気を吹き、引き裂くような金属質の咆哮を上げた。
この瘴銃が「瘴気鋸」と呼ばれる所以である。もっとも、そのあだ名の前に「サバテの」とつくようになったのはここしばらくの事だ。
13mm徹甲弾はマッハ5.5もの速度による空気摩擦のために赤熱し、鈍く輝く軌跡を夜空に残した。
史上最速の飛翔体は鋸の咆哮が届くはるか以前にドラゴン・フライの頭部を粉微塵に破砕し、衝撃でその身体を四散させた。
きらめく翅翼が回転しながらばらばらと落ちてゆくのを確認し、サバテは遊底を引いて排莢する。
眼下の闇がにわかに騒がしくなり、無数のフライが翅翼を必死に動かして上昇しようとするのが見えた。
彼女は落ち着いて照準をつけ直し、のろのろと上昇するフライの群れに向けて続けざまに銃弾を叩き込んだ。まさに鴨撃ちである。
航空機によるものであれMAIDによるものであれ、上方からの攻撃はGに対し常に有効だ。
無論、Gに対してだけではない。地球上に存在するものはすべて重力加速度に縛られるからだ。
サバテは空になった弾倉を、はるか下方にいるかもしれない誰かのために一瞬だけためらってから、思い切って投げ捨てた。
こんな土地に生き残った人なんているはずがない、と自分に言い聞かせて。
彼女はさらに加速しながら弾を再装填し、群れの真ん中を狙うようにして連射した。
サバテが同高度まで下るより先にフライは全滅し、三匹のドラゴン・フライだけが残っていた。
ドラゴン・フライたちは高高度に浮かぶSi387に気付き、鈍重な好餌を求めて高度を上げ始めた。
機内無線が彼女の耳に聞こえた。

「敵大型目標三、高度を上げつつあり」
「銃座、構えとけ」
「諒解」

彼女は三匹とすれ違ったところで反転し、その一匹に背後から一撃を浴びせた。ドラゴン・フライはなす術もなく徹甲弾に引き裂かれ、空中分解した。

「流石サバテ……いや、瘴炉搭載MAIDだ。一万メートル上空でもドラゴン・フライより数段速い……敵は逃げるのが精一杯だ……!」

機内無線で誰かが口笛を吹き、ブルクハルトが呟くのが聞こえた。
まさにその言葉通りに、彼女は下方から相当な速度で残った二匹に追いすがり、そのうち一匹の背後についていた。
彼女は瘴銃の弾倉交換の手間も惜しんでM712を引き抜き、マガジンの全弾を叩き込んだ。
穴だらけにされた胴体から霧状の体液が吹き出し、ぐらりと軌道を傾げたドラゴン・フライはそのまま錐揉みして墜落していった。
彼女はM712の弾倉を交換してホルスターへ戻し、それから改めて瘴銃の弾倉を取り替えた。残るはあと一匹だけだ。
遊底を引き、薄い大気の中を逃げるドラゴン・フライへ照準を合わせる。後は銃爪を引けばいい……

「……」

サバテはためらった。
このままSi387を護衛して飛べば、エヴナを助ける事は難しい。だが、GがSi387を襲っている隙に彼女を連れ出す事はどうだろうか。
サバテをこのような状況に追い込んだブルクハルトに冷や汗をかかせ、しかる後にGを撃墜する。
誰も死ぬ事はない。彼女は急造の割にはよくできたとプランを自画自賛し、微笑を浮かべた。
彼女は照準をずらし、ドラゴン・フライをかすめるようにして一発撃った。
機内からでも銃声が聞こえたのだろう、ブルクハルトが満足げに「ご苦労、サバテ」と言うのが聞こえた。
彼女はGとの相対速度を合わせて距離を保ち、上方を飛ぶSi387へと近付いていった。

「……レーダー、感あり! 敵大型一、なおも接近!」
「!? サバテ、サバテはどうした!」
「こちらヴィンター・リベレ、シュヴァルツェ・ヴィトヴェ、応答せよ! ヴィトヴェ、応答せよ……」
「20mmの射程内!」
「撃て! 13mm、関節を狙え!」
「畜生、やっぱりあいつは魔女だ! グロースヴァントの山に住む魔女だ!」

Si387の各部銃座がいっせいに火を吹いた。
しかしドラゴン・フライの甲殻に対してまともに通用するのは20mmのバハウザー機関砲くらいのものだ。
13mm重機関銃では分厚い甲殻を撃ち抜くことはできない。その代わりに間隙を狙いつつ大量の弾薬を投射するのだ。
強大なGに対し、人類は数の暴力を以って対処する事を学んでいた。

「技術大尉、何かに掴まってくれ! 回避する!」

機長の言葉通りにSi387は大きくバンクして機体を滑らせ、ドラゴン・フライの眼前を外れた。
数秒後にドラゴン・フライはそのすぐ横を急上昇で飛び、鋭く尾を振って衝撃波を発した。
Si387の機内にびりびりと振動が走り、何人かが激しく悪態をつくのが聞こえた。
ブルクハルトの憔悴した声が無線を通じてサバテの耳に飛び込んだ。

「サバテ、サバテ! 何をやっている! 何があった!」

彼女はSi387の胴体爆弾倉の下にたどり着くと、扉を瘴銃の銃床―――と言うよりは石突だが―――でこじ開け、答えた。

「何をやってるかなんて、それは自分の胸に手を当てて聞いてみたらどうなんですか!」
「なんだ、君は何を言っている、気でも狂ったのか!」
「狂っているのはあなたの方でしょう! エヴナさんに、よくもあんな仕打ちを……」
「サバテ、君は……あれを見たのかね―――」

ブルクハルトはとっさに拳銃を抜こうとしたが、その時にはすでにサバテがM712を抜き、彼の額を狙っていた。
彼女がいつ銃を抜いたのか、彼には目で追う事すらできなかった。

あれ( ・・ )なんて言わないでください! 彼女はものじゃありません!」
「そんな事はどうだっていい! わかっているのか、君は我々全員を危険に曝しているのだぞ!」

ブルクハルトの声に呼応するかのように、再び機体が激しく振動した。
彼はぐっと奥歯を噛み締め、絞り出すようにして言葉を発した。

「言え、目的は何だ。たった一人で反乱でも起こすつもりかね」
「……エヴナさんを、連れて行くだけです。あなたに殺させはしません」
「永爆さえ完成すれば我々はGを駆逐できるのだぞ! それとも君は、罪のない人々をみすみすGの餌食にするのかね!」
「そんな兵器でGを駆逐したって、人間はまた殺し合いに戻るだけです!」
「これから先の時代は違う。我々はこの巨大な力を、戦争に対する抑止力として使う事ができる。我々が平和を打ち立てるのだ!」
「そんな平和に、どんな意味があるって言うんですか!」
「君はそんなに野蛮な戦争を続けたいのかね!? 彼女の存在が、この先戦場で死んでゆくであろう数千万の、いや、億に達する人間を救うのだぞ!」
「一億の人間を助けられると言うなら、まず目の前の一人を助けたらどうなんですか!」
「最大多数の最大幸福のために、犠牲はつきものだ。……君は知らないだろうがね、歴史がそれを証明しているのだよ」
「私たちに、黙って死ねと言うんですか……!?」

サバテが発した一言に、ブルクハルトは激昂した。

「MAIDなど、元より死体か、自殺志願者だろうが! 何たる事だ、新たな生を与えてやったのに感謝すらしないとはな!
 もういい、どこへなりとも好きに行け! 行って野垂れ死ぬがいい!」
「言われなくたって、そうします!」

サバテは爆弾倉の後ろ側に繋ぎ止められたエヴナを振り返った。彼女は長時間の拘束のためか、疲れ果てた目でサバテを見返した。

「……エヴナさん」
「う……サバテ……? 本当に、助けに来たのですか……?」
「はい、エヴナさん、もう大丈夫です。後で大変な目に遭うかも知れません。でも、今は逃げる事だけ考えましょう」
「ふん、我々は見殺しというわけかね。大したものだ」
「あのGなら、出掛けに撃墜していきます。見殺しにするほど恨んでるわけじゃありません」
「ほう、なんとまあ、教科書通りの綺麗事を並べるものだな。吐き気を催す―――」

機体を、先立っての二度の振動とは比較にならないほどの衝撃が襲った。
サバテとブルクハルトは揃って壁に叩きつけられ、エヴナを繋ぐ鎖が激しく音を立てた。
機内無線上を飛び交う悪態に、さらに怒号が混じった。

「二番エンジン脱落! 自動消火、作動しないぞ!」
「燃料系統を閉鎖しろ!」
「だめだ、圧力が抜けてる! 畜生、火が!」

壁に叩きつけられた二人が立ち直るより先に、天井に炎が走った。
サバテは慌ててエヴナを拘束する鎖を銃弾で破壊し、彼女を抱きかかえた。

「エヴナさん、ちょっと飛びますけど、我慢してくださ―――」

火炎が、主翼と胴体に備えられた燃料タンクにたどり着いた。モノコック構造が内破し、Si387は赤々とした炎を撒き散らしながら、四散した。
炎に巻かれ、一瞬の後、サバテはエヴナを抱えた体勢のまま、冷たい大気の中へ放り出された。

「何が―――」

何が起こったかなど、振り返れば一目瞭然であった。
燃えるジュラルミンの構造材が夜の底へと落ちてゆき、翅翼に火をつけられたドラゴン・フライの残骸がそれに続いた。

(残念だ……)

微かな呟きが彼女の注意を引いた。ブルクハルトの思念であった。
彼女は左手に持った瘴銃に彼の懐中時計が引っかかっている事に気付き、唇を噛んだ。
SS技術大尉、ブルクハルト・マイネッケは死んだのだ。いともあっさりと、怨嗟の断末魔すら上げずに。
そして彼女は腕の中のエヴナへと注意を戻した。

彼女の四肢は炭化し、空を見上げる瞳は散大し始めていた。

「―――!?」

サバテは知らなかったし、恐らく永爆の研究者でなければ知る事はできなかっただろう。
永爆に供されるMAIDはコアの消耗を防ぐため、その出力を極度に制限される。そのため、通常のMAIDとしての能力を持ち得ないのだ。
サバテの身体が盾になったおかげで胸から上は難を逃れていたが、それ以外の部分は……惨状を呈していた。
エヴナはなおも空を見上げたまま、わずかな呼気を絞り出してささやいた。

「サバテ……」
「エヴナさん、エヴナさん!? そんな、どうして!」
「あり、がとう……最、期に……」
「お願いです、しっかりしてください!」
「きれい、な……星空……知らな…かった、こん……な……」

乾いた音を立て、彼女の微笑にひびが入った。
一万メートルの上空でなす術もなく立ち尽くすサバテの腕の中で、彼女の肉体は塵となって崩れ去った。
彼女が残したものは、ひび割れたコアただ一つだった。

「い……一体、どうして、こんな……こんな事に……」

燃料を満載していたSi387の炎に惹かれ、無数のGがあらゆる方位から押し寄せつつあった。
サバテはそれにも気付かず、呆然と上空を見上げ、それから手の内のひび割れたコアを見つめた。

「私が……」

今、ここで、自分が九人の人間と一人のMAIDを殺したのだ。

「私が……」

死だ。死神の羽音が聞こえる( ・・・・・・・・・・ )己の背中から( ・・・・・・ )

「私が―――」

それ以上、言葉を発する必要はなかった。
瘴炉が逆動した。空中に不可視のラムスクープが出現し、ありうべからざる量の大気が忽然と消え失せた。
骨翼は黒い噴気を発する事をやめ、極大のスペクトル幅を持ったエネルギーの奔流を放った。
亜光速のエネルギー流は希薄な大気を瞬時に電離の坩堝へと変え、可視化するほどの密度を有した衝撃波が生まれた。
激しい放熱と圧力波が焼灼する地盤を震撼させ、輝く白虹の中でサバテの意識は急速に薄れていった。



世暦1945年10月17日。
この日、グレートウォール山脈において発生した怪事件の真相はいまだに解明されていない。
近隣の山の名を取ってアクスーグヌート爆発と呼ばれるこの異常現象は周囲五キロに存在するすべてのものを完全に消尽せしめ、
さらに外周二十五キロにわたって森林とその中に潜んでいたGを薙ぎ倒して焼き払った。
付近百キロ圏内の対空警戒レーダー網は真空管をことごとく焼き切られ、何が起きたかを記録した機器は存在しない。
後に行われた調査でも、有意な証拠となるものは一切発見されなかった。何もかもが熔け崩れていたのだ。
しかし、それを見ていた目は存在した。この日夜間哨戒に出ていたという、とある空戦MAIDは語る。

「……はい、あの日は偵察隊に欠員が出ていまして……まあ、人員不足なんていつもの事なんですが。
 真夜中ちょうどあたりだったと思いますが……あ、はい、報告書は提出しました。後で確認しますね……。
 その時、山脈の真上……エントリヒ帝国との国境付近を飛んでいる時に、山の南側で何かが光ったんです。
 飛行機が爆発したような感じでした。
 様子を見に行こうかとも思ったんですが、周りからGが一斉に集まってきたのが見えたので後退しようとしました。私は単独戦闘には向かないので……。
 光が消えて、何秒か経った後でした。誰かが泣いているような……そんな音が聞こえました。
 あのあたりにはそういう共鳴音を出すようなものはなかったはずなんですが……とても悲しげな声に聞こえました。
 それから突然に、白く、大きな翼が出現したんです。……はい、私以外にも見た人やMAIDはいると思います。
 端から端まで十五キロか、少なくとも十キロはあるように見えました。いえ、白の部隊のような翼ではありませんでした……。
 もっと、何と言うか……強烈で、純粋な光のようでした。その翼が、集まってきたGを薙ぎ払ったんです。
 はい、周囲が昼間のように明るくなっていたのでよく見えました。翼の中心に誰かがいるようにも見えましたが、距離がありすぎてはっきりとは……。
 ……周辺のGを一掃して、その翼は消えました。時間を確認しましたが、一分も経っていませんでした。
 え? いえ……もう一度見たいとは思いません。あれは、何と言うか……ひどく不吉で、恐ろしい感じがしました」



夜明け前になって、サバテは意識を取り戻した。彼女は気を失ったまま数時間にわたって飛び続けていた。
言うまでもなく現在位置はわからないし、飛行高度も下がりつつある。
そもそも意識を失った瞬間に何が起こったのか、彼女の心にはただ恐ろしい事が起きたという確信があるばかりで、何もわからなかった。
瘴炉は無謀なエネルギー放出のために傷めつけられ、残されたエネルギーも尽きかけていた。
サバテ自身もひどく消耗し、あちこちに創傷や火傷を負っていた。何故怪我を負っているのか、彼女には理解できなかった。
我に帰ったサバテが慌てて右手を確認すると、そこには砕けたコアがしっかりと握られていた。
彼女は自分が何をしたのかを思い出し、コアの欠片をさらに強く握り締めた。

「エヴナさん……」

コアが破壊された以上、彼女が転生させられる事はない。
サバテはコアの欠片を落とさないように注意してポケットに収め、瘴銃に引っかかったままだった懐中時計も一緒に収めた。
零時二分を指して止まった時計のガラス板は割れ、銀鍍金は黒く焼け焦げていた。

「……ブルクハルトさん……」

ブルクハルトがいなければ、彼女はこの世に生まれる事もなかったのだ。
どれほど苦痛に満ちていようとも、それは生だ。彼女は生みの親を殺したのだ。
何もかもを放り出して、大声で泣きたかった。いっその事、死んでしまえればどれほど楽だろうか。
だがそんな事はできないという事くらい、彼女にもわかっていた。
何としても生きて還らねばならなかった。エヴナが遺した魂の欠片をオスカーに返し、そしてしかるべき罰を受けるために。
ただ独善のために十人もの命を犠牲にした愚行を償うために。
彼女は涙をこらえ、ゴーグルを引き下ろした。

……やがてエネルギーが底を突き、森林の中へ墜落した時も、彼女はゴーグルの下でしっかりと目を見開いていた。



最終更新:2008年11月03日 00:33
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