(投稿者:神父)
MAIDの一般的な衣装、すなわちメード服というものはおよそ山歩きには向かない代物である。
冗長な裾を持っている上に無益な飾り布が配されており、常識的なセンスの持ち主であればこんなものを兵士に着せようなどとは決して思うまい。
しかしながらそれを実行したのが
EARTHであり、各国の軍部であり、また現場のMAID指揮官でもあった。
ウェンディはこの日数十度目となる、薮に引っかかった
ライラの衣装を解く作業を終えながら、
彼らはGと戦っているうちに正常な判断ができなくなったのだろうと結論した。
人間とは不条理な生き物である。その人間が営む世の中が不条理でないはずがない。
ライラはというと、もはや文句を言う元気すらもないのか、むっとした顔で「まだ進むの?」と尋ねた。
山脈に入ったばかりのうちは薮に引っかかるたびにはしゃいで「取って取ってー」などと言っていたものだが。
彼女は答えた。
「あの爆発について調べる事が先決です。それに、多少眠らなくても私たちの活動に支障はありません」
「大丈夫って言ったって、眠いんだもん……」
「あなたはあの光を見ても何も思わなかったと? 結構、では置いていきましょう。明朝には眠ったままGに食い荒らされたあなたの亡骸が―――」
「やだ! 行く、ついてく! 置いてかないで!」
「……」
気色ばんで飛び上がったライラを見て、ウェンディは表情を変えず、しかし内心でほくそ笑んだ。
まったく単純極まる、子供の思考だ。こんな簡単な脅しにすら引っかかるとは。このあたりは地上型のGが少ないのだ。
……とはいえウェンディ自身も、老練な人間の前には容易く引っかけられてしまうのだが。
元はと言えば、今現在この山奥を歩き回っているのも老練な大隊長に引っかけられたからに他ならない。
偵察機を飛ばすよりも安上がりで安全、おまけにGを多少なりとも減らせるとなれば、手の空いているMAIDを使うに決まっている。
「……でももう夜の三時だよ。何か見つかるの? ライラなんにも見えないよ」
「人の持ち物に勝手に触ってはいけません」
いつの間にか懐中時計を握っていたライラの手を軽く叩き、ウェンディは時計を取り返した。
とはいえ夜中の三時では大したものは見つかるまい。MAIDとてそれほど夜目が利くわけではないからだ。
「しかし確かに、そろそろ野宿した方が良さそうですね。あたりから薪に使える枯れ木を拾ってきなさい。あまり離れないように」
「はーい」
ライラがぱたぱたと駆け出してゆく。
その背中に「足元にも気をつけなさい」と忠告を追加し、ウェンディは適当な木を見繕って防水布を張り渡す作業にかかった。
……そして数分後、ウェンディが聞いたのは駆け戻るライラの足音でもなければ薮にかかって助けを求める声でもなく、
何かが樹冠を突き破って落ちてくる音とライラの「え、G!?」という声、さらにはエクレア砲の爆発的な咆哮であった。
樹林は扇状に焼き払われ、弧の軸にはライラが、そして焼かれた炭と灰の中には一人の人間らしきものが横たわっていた。
放心状態のライラはいまだ状況を把握していなかったが、ともかく己の身を守っていた。
「……」
「何をしているんです!」
珍しくも血相を変えたウェンディがFM24-29軽機とサーベルを携えて飛んできた。
慌ててはいるが訓練の成果までは忘れていないらしく、軽機を構えた右手にサーベルを逆手に握った左手を添えている。
出会いがしらにエクレア砲で砲撃するなど尋常ではない。いったい何が起こったのかと彼女は心配していた。
転がっている人型に銃を向けたまま、ぼんやりと突っ立っているライラを揺すぶって事情説明を求める。
「ライラ、何をしたんです? あの人は何です?」
「へ? ……あ、うーん、えーと、さっき何かが落ちてきて、Gみたいなにおいがしたから撃っちゃった」
「……撃っちゃった、ですって?」
「うん。だって本当にGのにおいがしたんだもん。……でも、あれ、なんか人間みたいに見えるね」
「……」
ウェンディは嘆息した。戦闘の基本は彼我の把握だ。それができない兵士は役に立たないどころか危険ですらある。
ライラにはまだ教育が足りない、と心に銘記しつつ、ウェンディは横たわる人型へと慎重に歩を進めた。
焼け焦げたためかあるいは元からその色なのか、人型は真っ黒な衣服に身を包み、その背中からは化石じみた骨翼が突き出している。
左手の近くには何やら機能は不明ながら武器のようなものも転がっていた。
ウェンディは軽機の照準を正体不明の人型の頭部に定めたまま、声をかけた。
「そこのあなた、息はありますか?」
「……」
頭の近くの灰が軽く舞った。息はあるようだ。
「もしもし?」
「……うう」
身体の上から灰やら燃え殻やらを振り落としながら、人型が身を起こした。
灰の下からゆるやかにウェーヴする金髪が現れ、ウェンディはようやくそれが女性らしいという事に気がついた。
相変わらず正体不明の女性は激しく咳き込み、呆然と周囲を見回している。
「一体、何が……」
「そこのあなた」
「けほっ……はっ、はい!」
ウェンディが取っておきの冷たい声を出すと、女性は座ったまま飛び上がった。背筋は針金を入れられたかのように真っ直ぐになっている。
主導権は握った。しかし「所属と姓名を」と言いかけたところで微風が吹き、その女性が風上になった。
「!」
ライラの言った通りだった。Gのにおい―――すなわち瘴気である。
ほとんど反射的に、かつ一瞬の内にウェンディは三歩分の距離を詰め、女性の額に軽機の銃口を押し付けていた。
無論、サーベルも首筋に添えられている。
当の女性は、何が起こったかわからないという顔で彼女の顔を見つめていた。
「あのう、これは……あなたたちは一体……」
「口を閉じなさい! 私の質問に答える以外には喋らないように!」
「……」
「ライラ、いつでも撃てるように構えておきなさい」
「え? あ、うん、わかった」
「……」
奇妙な事に、その女性は目の前に突きつけられた三つの死にもほとんど動揺を示さなかった。
ウェンディは銃爪をしっかりと保持したまま、低く脅しつけるように尋ねた。
「あなたの所属と姓名を言いなさい」
「……
エントリヒ帝国皇室親衛隊所属MAID……
サバテ、です」
「SS所属のサバテ? 聞いた事のない名前ですね」
「特務親衛隊所属ですので……」
がつんと音を立て、額を銃口が突いた。サバテと名乗った女性は小さく呻き、よろめいた。
だが彼女には額を手で押さえる事すら許されなかった。ウェンディが身振りで制したのだ。
「最初からすべて正直に言うように!」
「うっ、うう……はい……わかりました……」
「その身分を証明するものはお持ちですか?」
「……ありません、ごめんなさい……」
MAIDはすべからくその身分を証明する書類の携帯を義務付けられる―――通常兵器に添付される所属証明と同様に。
しかしサバテは任務の都合上、書類や徽章類をすべて取り上げられていたのだ。当然ながら、これは戦闘法規に違反する。
「あなた、人間に擬態できるG―――プロトファスマが出没しているという事はご存知ですか?」
「え? あ、はい、ハインツさんからそういうGもいるらしいという事は聞いています……あ、ハインツさんというのは私の、」
「余計な事は言わなくて結構!」
再び銃口が彼女の顔を虐げた。軽機とて重量は十キロ近くに達する……サバテは悲鳴を上げて灰の中に倒れ込んだ。
その胸元へ軽機の銃口とサーベルの切っ先が同時に突きつけられる。
「なっ、何す……けほっ、こほっ!」
「その禍々しい骨翼! 発散される瘴気! さらにあなたの身分保証はどこにもない!」
「な―――何を言って……」
「面白いものですね、追い詰められた犯人というものは共通してその逃げ口上を言う」
「ち、違います! これは瘴炉と言って、帝国が開発した―――」
「苦し紛れにしてもお粗末な嘘ですこと」
ウェンディは冷ややかにサバテを見下ろした。この七年間、瘴炉などというものは聞いた事もない。
その視線に心を折られたのか、サバテはうなだれ、やがてぽつりと言った。
「私を、殺すのですか……?」
「あなたがプロトファスマであった場合、放っておけば私達二人が殺されます。
あなたがMAIDであった場合、あなたを殺しても死ぬのは
一人で済みます。いずれにせよ殺した方が理に適うでしょう」
「……」
「言い残す事は?」
「これを……」
サバテが灰の上に片方の肘を突いたままの姿勢でポケットに手を入れ、砕けたコアの欠片と壊れた懐中時計を取り出した。
それを見たウェンディが驚きに眉を軽く跳ね上げた。
「それは?」
「私のせいで死んでしまったMAIDと、私の生みの親の……形見です。これを、SSのオスカー・マガト技術中佐にお願いします。
それから……私の教育担当官の、
ハインツ・ヘルメスベルガー中尉にもよろしくお伝えください」
「……」
ウェンディはためらった。欠片とはいえ、プロトファスマがエターナルコアを見逃すとは考えにくい。
それに
オスカー・マガトの名はでたらめではなく、ウェンディ自身も知っている名であった。
しかしオスカーを知っている人間、あるいはMAIDはそれほど多いわけではない。
「ねえ」
両腕を前に出した姿勢を続け、退屈しきったライラが口を挟んだ。
ウェンディは油断なく軽機をサバテへと向けたまま答えた。
「何です?」
「ライラ、サバテの事知ってるよ」
「……なんですって?」
「本当だよ、兵隊さんがライラに怖い話をした時に聞いたもん。エントリヒにサバテっていう悪魔みたいなMAIDがいるって。
そのMAIDはGを相手にしてるんじゃなくて、悪い人のところにやってきて地獄へさらっていくんだ、って」
「……サバテ」
「は……はい、なんでしょうか」
「今の話は本当かしら?」
「えと、あの、確かに私は対G任務を遂行する事はほとんどありません。つまり、その、……暗殺を専門に……」
「……」
ウェンディは心底疑わしげにサバテを見つめた。……無理からぬ事ではある。
どこからどう見ても暗殺者の顔ではないし、暗殺者の態度でもない。
実際に暗殺を専門としているのはハインツであり、サバテ自身は最初の一度で殺人を放棄してしまったからだ。
「では、もう一度聞きましょうか。その骨翼と瘴気は何故?」
「はあ……これは瘴炉と言って、瘴気をこの翼から吸収して溜め込み、エネルギーに転換するものです。
ただ、この翼に瘴気が染み付いてしまうのと、私自身の身体からも変質した瘴気がにじみ出てくるんだそうです。
私にはよくわかりませんでしたけど、便利な使い道が色々あるんだとか、ブルクハルトさんが……」
そこまで言って、サバテは手の中の懐中時計とコアの欠片に目を落とした。
「ブルクハルトさん……
エヴナさん……私のせいで……」
ウェンディの目の前でサバテは涙をこぼし始め、形見を守るように身体を丸めて嗚咽した。
困惑し、どうすべきか判然としなくなったウェンディに、珍しくライラが適確な一言を放った。
「とりあえず、寝ようよ」
落涙する女性を前にして、実に冷淡かつ残酷な言葉である。しかし子供とは常に残酷なものだ。
そして、不条理に抗すべき手立てはまず放擲なのである。
人間は不条理な生き物である。であれば、人間から生み出されたMAIDが不条理でないはずがあろうか。
……無論、彼女らにはそれを知る由もなかったが。
毛布に余りはなく、ライラが強情を張ったためにウェンディとサバテが一つの毛布を分け合う事になった。
ライラは焚き火と毛布が提供する快適な温度で瞬く間に眠り込み、一方ウェンディとサバテは遠慮がちに毛布の両端に包まり、火を見つめていた。
最初は驚いたが瘴気もそれほどひどく染み付いているわけではなく、風向きによっては不快だという程度のものだった。
変質瘴気についてはウェンディにはわからなかったが、それほど気になるものではあるまいと考えていた。
化石したかのようにじっとして動かなかったサバテが、ぽつりと口を開いた。
「……ウェンディさん」
「何です?」
「人を殺した事、ありますか」
「……」
ウェンディは横目でサバテを見た。焚き火に照らされた顔からは表情が抜け落ち、目はどこを見ているとも知れなかった。
「……私の知る限りでは、ありません。私の参加した戦闘で死者が出た、という事は何度もありましたけれど」
「そうですか……」
再びサバテは黙り込み、なにがしかの考えにふけり始めた。
ウェンディが聞いたところによると、まだ生まれてから二ヶ月かそこらにしかならないという……ライラもひどく驚いていた。
精神が未成熟の状態で暗殺を手がけさせるなどとは、にわかには信じがたい事だった。
そもそもGと戦って人類の盾となるべきMAIDが暗殺を専門にするという事からして異常だ。
「サバテ」
「……はい」
「あなたの持っていたコアと時計……彼らに何があったのです?」
「……ええと」
「言いにくい事ですか」
「……はい、できれば」
「ふむ……では、あなたが彼らの死に責任を感じている理由は何です?」
「私が身勝手な行いをして、それが直接の原因となって、皆……」
「あなたは、命令違反を?」
「はい……帰れば、きっと処刑されてコアを摘出されるでしょう。あるいは……」
永爆に、と口に出すのをすんでのところで押し止め、サバテは口を閉じた。
ウェンディは眉をひそめて考えていたが、やがて諦めたように言った。
「……そこまで行くと、私にはどうしようもない事のようですね」
「あのう、もしかして、私を助けようと……?」
「私とて、Gと誤認してあなたに無用な暴力を振るった事を引け目に感じていないわけではありません。
本来ならばあなたが処刑されようとなんだろうと私の知った事ではありませんが、借りは返さなければなりませんから」
ウェンディはそっぽを向いて顔色を読まれないようにしていたが、サバテはその言葉に問答無用で飛びついてきた。
目に涙を浮かべつつウェンディに抱きつき、制止する間もなく胸元に彼女の顔を押し込む。
「あ……ありがとうございます、きっと忘れません」
「―――! ……!」
いつぞやの
ジークフリートの時とまったく同じパターンである。
しかし不幸にしてウェンディは対策を知るべくもなかった上、毛布の中では回避する余地などなかった。
……妖しげな芳香に包まれ、疲れきっていた彼女は暖かな感触の誘うまま、眠りへと落ちていった。
最終更新:2008年11月09日 23:57