(投稿者:神父)
老齢の
エントリヒ帝国皇室親衛隊技術中佐、
オスカー・マガトは己の研究成果を前に煩悶していた。
彼はその黎明期から携わってきた兵器、すなわち自ら作り上げたMAIDの眼前に何時間も立ち尽くし、無言であった。
MAID―――名は
エヴナと言う―――は今、オスカーの研究室から搬出されるために全身を拘束され、梱包を待っていた。
瘴炉を搭載した彼女の背中には三対の骨翼が突き出し、今、その翼は革ベルトと鎖で何重にも絡め取られている。
エヴナは唯一拘束されていない頭を上げ、年老いて力なくうなだれた男を見つめた。
「お父様……」
「……」
「お父様、最後のお別れなのだから、せめて、何か一言くらい……」
「……」
「あなたには、別れの言葉も期待できないのですか……?」
「……」
これまで数時間、いくら声をかけても顔をあげようとしないオスカーに、エヴナは今度こそ口も聞くまいと思いかけた。
しかしその矢先、オスカーが目を伏せたまま、酒に焼かれてかすれた、低く聞き取りにくい声で語り始めた。
「私は……祖国のためと信じてここまでやってきた。人道に反すると知ってなお……様々な実験を繰り返した。
エヴナよ、お前は私を恨んでいる事だろう。だが、私はそれでもいい。
私が恨みつらみを背負う事で、いまだ苦しみの中にあるこの国の人々が、ひいては世界の人々が救われるならば」
「お父様、私はあなたを恨んでなどおりません」
オスカーは相変わらずエヴナの目線を避けたまま、首を振った。
彼は何かを決意したような目をしていたが、生憎エヴナからはその表情は読めなかった。
「恨みを抱かずに死ぬ事などできん。若い身空であればなおの事だ」
「お父様―――」
エヴナは反論しようと口を開きかけたが、オスカーが機先を制した。
「私には……残念でならない。
お前が、この世に終わりをもたらす最初の火種となるかも知れぬという事が。
わが祖国は……お前と、お前の後に続くであろう姉妹を使ってGを一掃し、次には他国を……」
「……」
「……泣いても笑っても最後だというのなら、お前に今まで言う事のなかった打ち明け話をしよう。
私には妻子があった……私がこのSS技術部隊に配属された当時の事だ」
「亡くなられた……?」
「ああ、そうだ。あの頃はまだMAIDのエネルギー制御が不完全だった……。
偶然にも私に会いに来ていた妻と娘は
コア喰い事故に巻き込まれ、所用で本部の建物を離れていた私だけが難を逃れた」
「コア喰いの? そのMAIDは……」
「そのMAIDは瘴炉搭載型の第二号であった。名を……エヴナと言う」
「!」
「すんでのところで暴走は押し留められた。コアは摘出され、三年の時を経て再びMAIDとして再生された。
その頃には私も研究主任の立場にあり……そのMAIDに回収された瘴炉を再び搭載し、暴走したMAIDと同じ名前をつけた」
「それが……私?」
「そうだ。私は妻と娘を奪ったMAIDに……そしてそのコアに復讐しようとしたのだ。実りのない復讐を。
コア喰いの圧倒的破壊力をなんとかして実用的な方向に持っていき、妻子の無念を晴らそうと思った。
……そしてお前を、最初の永爆MAIDとしてありとあらゆる実験に曝した」
「正直に申し上げて、私にとって、あれは……苦痛でした」
「それはそうだ。私自身、お前を苦しめようとしていたのだからな。最初の頃はお前の苦悶の表情に愉悦を覚えたものだ。
だが……そんな事を繰り返すうちに愉悦は失われ、私は自分自身が不愉快に感じられてきた。
私を『お父様』と呼んで慕うお前が、もう一人の娘のように思えてきたのだ。だが私はもはや止まるわけにはいかなかった」
「まあ、お父様ったら、サディストだったのですね」
エヴナが陰鬱な空気を少しでも吹き払おうと、茶化すように言う。だが、オスカーは鬱々とした口調を変えずに続けた。
「許しを乞おうとは言うまい。すべては私が背負うべき事だ……。
だが、死ぬために出てゆこうとする子供を前にして、このような事を黙っていられる親がいるものか」
「お父様……何故、もっと早く言ってくださらなかったのですか。こんな……本当に最後になってからだなんて……」
「お前との関係が変わる事が恐ろしかったのだ。
私の歪んだ感情のためにお前の生を狂わせたなどという事を明かせば、お前に蔑まれるだろうと……」
「そんな事……そんな事! どうして私を信じてくださらなかったの!?」
エヴナの悲痛な叫びに、鎖が引きずられる音が重なった。オスカーは、それでもなお顔を上げる事ができなかった。
「恐ろしかったのだ……。私は臆病者だ、それもどうしようもなく卑屈な……」
「それならば、そんな事なら、最後まで黙っていればよかったでしょうに! どうして、そんな事を……今更……。
そんな事を言われたら、未練なく死ぬ事なんて、もう……」
「どうしても、どうしても言わずにはおられなかったのだ。それに私は、できる事ならばこの実験を撤回したい。
永核力爆弾……命をも部品にした狂気の兵器……私は悪魔に魂を売ってしまった。手遅れとはいえ、やはり……」
「お父様……」
「だが、現実はそう甘くはないものだ。一度売ってしまった魂は買い戻せない。私はきっと地獄で裁きを受けるだろう。
そして実験が成功してしまえば、私は人々に滅びの炎を与えた悪魔の手先として、永久に名を留められる事になる。
お前は……最期に何を望む?」
「……何を望んでも、かなう事などないのでしょう? それならば、最初から望みなど持たなければいい」
「エヴナ……我が娘よ、お前はこの世に絶望したのか。私と同じく……」
オスカーがケイジの鉄格子の隙間から腕を差し入れ、エヴナに触れようとした。
だが彼は、その震える手が彼女の顔に触れる寸前で踏み留まり、やがてゆっくりと腕を下ろした。
「さらばだ、エヴナ。私にその資格があるとも思えないが、願わくばお前が地獄ではなく、天に召されん事を……」
オスカーはエヴナに背を向け、研究室の扉を開けた。
扉の前にはブルクハルトと数人の作業員が待機しており、彼の合図と同時に作業員が搬出のための梱包作業を始めた。
ブルクハルトが薄笑いを浮かべ、オスカーに敬礼した。
「感謝しますよ、技術中佐殿。あなたの功績はMAID開発以来の飛躍的なものとなるでしょう。
あなたの偉大な成果を直接目の当たりにする事ができて光栄に存じます」
「……」
オスカーはブルクハルトの謝辞にも答えず、最後にエヴナに一瞥を向けてから重々しい足取りで部屋を退出した。
ブルクハルトは彼を追おうともせず、満面の笑みを浮かべ、梱包されてゆくエヴナを眺め始めた。
しかしエヴナはその不躾な視線にも気付かず、オスカーの最後の一瞥を目に焼き付けていた。
その視線は、言葉に表しがたいほどの悲しみと怒りを湛えていた。
愛する者が死んでゆく時、人は泣くか怒るか、そのどちらかしかできないのだ。
帝都ニーベルンゲから1700kmほど南方、グレートウォール山脈の北麓にその飛行場は存在していた。
入念に隠蔽されたその滑走路は、あらかじめ暗号を打電しておいてから上空へ進入しなければ発見する事はできない。
もし暗号も打電せずにその空域に踏み込めば撃墜は必至である。
今も、飛行場に接近しつつある
Si43の後上方―――射撃優位位置―――にはどこからともなく現れた
Fw209が占位していた。
長っ鼻ドーラことD9型である。30mmプロペラ同軸砲の火線にかかればこのような旧型機など紙屑同然だろう。
あまり嬉しいとは言いがたい想像に身を震わせ、
サバテは小窓から目を離した。いずれにせよ、外を見ても得られるものはあるまい。
鍛え上げられた素体ゆえにこの上なくはっきりと見える彼女の目にすら、その滑走路は見えなかった。
彼女は輸送機の窓から下界を見つつマスクを口にあてがい、出発前に与えられたボンベの中身を呼吸していた。
今までほとんど対G戦闘がなかったために瘴炉に蓄えられた攻性エネルギーはほとんど尽き果てており、
それを知ったブルクハルトが任務に就く前に補給を行うようにと、彼女に瘴気の溜まった区域で採取された大気を渡したのである。
骨翼にも不気味な器具が取り付けられ、彼女の体内にある瘴炉へと少しずつ瘴気を送り込んでいた。
あまり急激に瘴気を流し込むと精神に変調をきたす恐れがあるためだ。
反対側の席に座ったブルクハルトが書類入れから作戦指令書を取り出し、彼女に手渡した。
肌から少しずつ滲み出す変質瘴気を避けるように、腕を真っ直ぐに伸ばしている。
「サバテ、これが君に与えられる作戦内容だ。熟読し、内容を把握した後は直ちに私に返却するように」
「……わかりました」
「もっとも、内容は単純だ。この場で読んでしまって、わからない事は私に聞きたまえ」
サバテはマスクをつけたまま書類に目を落とした。確かに内容は単純だった。
SS所属の
Si387爆撃機を護衛し、ファルマン半島へ飛ぶ―――飛行ルートを示した地図がクリップで留められている。
当該爆撃機は任務の性質上すべての標章類を塗抹されている。夜間飛行のため見失わないよう注意せよ、云々。
飛行時間はおよそ十二時間程度になる見込み……
「爆撃機……爆撃任務ではないようですけれど」
「長距離輸送だ。荷はそれほど重くないが、長距離飛行に適した機体がそれくらいしかないからな」
「何を運ぶのですか?」
ブルクハルトの目が光った。
「君がそれを知る必要はない。何も考えず、ただこれを護衛して飛ぶ事だ」
「……はい」
後方を飛んでいたFw209がおもむろにSi43の前につき、素早くバンクした。ついてこい、と言っているのだ。
直後、パイロットが飛行場から着陸許可が下りたと告げ、Si43は緩やかに旋回しつつアプローチに入った。
サバテは地図を指令書から外してしまい込み、指令書をブルクハルトに返した。それきり、二人は何も言わなかった。
この飛行場がなんという名前なのか、結局サバテには知らされなかった。それどころか、ここがどこなのかすら彼女にはわからなかった。
南に峻険な山脈が見える事からグレートウォール山麓のどこかだろうとは思っていたが、それ以上の事は皆目見当もつかなかった。
離陸まであと数時間ある。あてがわれた部屋で待機しているようにと言われたが、彼女にはどうしても積荷が気になった。
何故気になるのかと聞かれても答えに窮するばかりだったろうが、それはいわば虫の知らせと言うべきものであった。
瘴気を溜め込んだボンベはとうに空になり、彼女の体内をエネルギーが満たしていた事も影響したのだろう。
彼女は窓を開け、骨翼を広げてゆっくりと夜空へ浮かび上がった。
昼間であれば骨翼からの噴気ははっきりと視認できたろうが、今は夜闇にまぎれてほとんど見る事ができない。
それどころか、SSの黒い制服のために今や彼女自身の姿すらほとんど見えない状態にある。
「滑走路は……あ、あった」
厳重な灯火管制の下、半ば以上覆い隠された誘導灯の明かりをサバテの目が捉えた。
彼女は対空レーダーに捕捉されない程度の、そして歩哨に見つからない程度の高度を保ち、静かに空中を横切っていった。
エヴナと、エヴナを起爆するための装置はいかにも急造らしく乱雑なパッケージングが行われ、鎖で爆弾倉の各部に繋ぎ止められていた。
投下の際には固定具に設けられた爆砕ボルトを作動させて拘束を解き、その後の起爆は時限信管によって行われる。
全体として、パッケージは爆弾と言うよりも異常性癖の芸術家による彫刻と言った方が近い印象を持っていた。
……一体、何時間が過ぎたのだろうか。息苦しい爆弾倉に拘束され、エヴナには時間の感覚がなくなっていた。
小さな窓から差し込む陽光がある間はある程度時間を推測する事もできたが、夜になってしまえばそれもできない。
いや、あと一日も保つかどうかわからない命に、今まで何時間経過したかなどという事は無意味だ。
エヴナが今ここで舌を噛み切ってやったらどういう事になるだろうと考え始めた矢先、彼女の真上から足音がした。
ごく微かではあったが、爆弾倉の中は音をよく反響する。間違いなくブーツの足音だ。それも、機体外板を踏んでいる。
彼女は身を硬くして近寄る何者かを待ち構えた。機体の上に降り立つなど尋常ではない。何事かを企んでいるに違いない。
が、彼女の予想に反し、その侵入者は恐る恐る昇降ハッチを開け、落ち着きなく周囲を見回しながら機内に入ってきた。
しかもわずかな明かりを頼りに見る限り、まだ若い女性のようだ。彼女はタイミングを見計らって声をかける事にした。
「そこのあなた」
「!……!?」
ちょうどハッチを閉めたばかりの侵入者は電撃を受けたかのように飛び上がり、悲鳴が漏れないよう口を押さえつけた。
その姿に吹き出しそうになったが、エヴナは奥歯を噛み締めてこらえた。彼女が誰であるにせよ、歩哨に見つかっては面白くない事になる。
涙目で爆弾倉の奥へ目を凝らす侵入者に向かい、彼女はもう一度声をかけた。
「あなた、どちらから来られたお客様かしら?」
「えっ、あ、ええと、ニーベルンゲです。親衛隊本部のある……」
「あら、もしかしたらMAIDなのかしら」
「あ、はい、そうです……私、名前はサバテと言います。……あのう、あなたは?」
「私の名はエヴナ。あなたが何をしに来たのか知りませんけれど、私がこの機体の積荷です」
サバテと名乗った侵入者は外よりさらに暗い闇にも目が慣れてきたらしく、慎重に爆弾倉の奥へと歩いてきた。
窓か差し込む星明りのおかげで、エヴナにも彼女の姿が見て取れた。SSの制服に……瘴炉搭載MAID特有の骨翼。
「私は……この機体の護衛を命じられてここに来たんです。ただ、積荷については何も聞かされていなくて……」
唐突に、彼女の歩みが止まった。エヴナを拘束している鎖が見えたのだろう。彼女は口元に手を当て、息を呑んだ。
「これって……あの、エヴナさん、すぐに外しますから―――」
「いけません。私に触ってはなりませんわ」
「そんな、どうして……こんな風に縛られて苦しそうなのに、外してはいけないって……」
「この鎖を含めたすべてがあなたの護衛対象だからです。……あなた、瘴炉搭載型のようね?」
「え? あ、はい、そうです……これのせいで、いつも嫌われてばかりで……」
「私もですわ」
縛られた三対の骨翼をわずかに動かし、鎖を鳴らして見せる。サバテは慌てて謝った。
「あ、あの、ごめんなさい、愚痴なんか言ってしまって」
「構いませんわ。私もあまり好意的な目では見られてこなかった……もっとも、瘴炉のせいばかりではないのですけれど」
「あのう、こんな事を聞いていいのかどうかわからないんですけれど、エヴナさんは何故こんなところに?」
エヴナは無心なサバテの顔をひたと見据えた。外見上は二十代中ごろと言ったところだろう。だがMAIDに外見年齢など通用しない。
そして、瘴炉搭載MAIDを新造したとなればオスカーのところにも話が回ってきたはずだ。
彼が知らなかったとなると、ここ数ヶ月以内に新造されたものに違いない。とすれば、まだまだ未熟もいいところだ。
対してエヴナはと言うと、今年で実働四年目を迎えていた。外見上はサバテより五歳そこらは若いように見えるが、事実はその逆なのだ。
「サバテ、あなたは……E兵器、あるいは永核力爆弾と呼ばれるものについてご存知かしら?」
「永爆……私たちMAIDを爆弾に使おうという計画だったと思いますけれど、確か、あまりに非道な兵器だから中止になったと……」
エヴナは感心した。そんな事まで教わっているとは、教育担当官はよほど博識に違いない。
しかし、サバテが口にした事は事実の半分に過ぎない。彼女は言った。
「表向きにはそうでしょう。しかし実際には中止になどならなかったのです。……そして、この国はついに永爆第一号を完成させた」
サバテが目を見開いた。このわずかな明かりの中でも、その驚愕ははっきりと見て取れた。
「まさか……まさか、あなたが……じゃあ、この機体は……私は……」
彼女はふらりと体勢を崩して壁に手をつき、声をかすれさせた。エヴナは平坦な口調でその後を引き取った。
「そう。あなたは人類史上初の永爆の護衛を任された、栄誉あるMAIDという事ですわ」
「そんな……そんなもの、栄誉でもなんでもない! 私は、家族を殺すために生まれてきたわけじゃありません……!」
「けれど、上の人間にとってはそうではないのでしょう。現実と折り合いをつけなさい。……私は、もう諦めましたから」
「そんな……」
「でも、そうね、一つ伝言をお願いしてもよろしいかしら?」
「……はい」
「技術部隊のオスカー・マガト技術中佐へ。愛しいお父様、死に際になってようやく知り合えた妹を、どうかお願いします……と」
「……」
「お父様……いえ、マガト技術中佐は、きっとあなたの力になってくれるはずですから」
「伝言、確かに受け取りました。けれど、私は……」
「? ……どうか、されましたか?」
サバテは壁から身を起こし、エヴナの目を真っ直ぐに見据えた。その瞳には、小さく、しかし確実に燃える決意が宿っていた。
「私は、諦めません。たとえすべての罪を背負う事になっても、私は、私の道を選びます。
だから……エヴナさん、生きて、言うべき事は自分で伝えてください。きっと、助けてみせます」
最終更新:2008年10月28日 00:57