場所 |
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北クリーニングラード共和国 ブロック島 クリシチェルノエスク市 |
交戦勢力 |
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北クリーニングラード共和国側 | クリシチェルノエスク自由地区側 |
北クリーニングラード青衛軍 | クリシチェルノエスク黒色青衛軍 |
新ソビエト社会主義共和国 | |
アークランド大帝国 |
戦力 |
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北クリーニングラード共和国側 | クリシチェルノエスク自由地区側 |
青衛軍陸戦部門 第1軍 第1戦車師団 | 黒色青衛軍 5800人 |
青衛軍コマブロイド部門 第1陸戦兵団 15000人 | 新ソビエト社会主義共和国 国民義勇軍 800人 |
アークランド大帝国 900人 | |
計30000人 | 計6600人 |
損害 |
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北クリーニングラード共和国 | クリシチェルノエスク自由地区 | アークランド大帝国 |
841人負傷/13人死亡または破壊 | 1400負傷または逮捕/18人死亡 | 197人負傷または逮捕 |
結果 |
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クリャコフ首相が療養から復帰し戦闘停止を命令 |
クリシチェルノエスク自由地区の自治に関する条約を締結 |
北クリーニングラード共和国=クリシチェルノエスク自由地区=アークランド大帝国間での条約を締結 |
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北クリーニングラード共和国評議会ならびにクリコロド管区評議会は、黒色青衛軍を名乗るクリシチェルノエスク市の防衛機構が、同じクリーニングラード国民の乗る軍艦に危害を加えたことについて、
同市の防衛機構は目的外のことに利用されており、存在意義は皆無であると結論付け、モニター艦"鉛丹"の砲撃に関与した人物の逮捕と、黒色青衛軍の武装解除と解体、クリシチェルノエスク市の行政機能の回復を目的とする、軍の鎮圧部隊の動員を決定。 また、クリシチェルノエスク市評議会に責任問題を追求した。 クリシチェルノエスク市は一貫して、「自由地区として、その独立自治を維持するありとあらゆる手段を用いており、今回の"防衛措置"は、黒色青衛軍として、また、自由地区民の意思として、誤ったものではない。」という認識を明示した一方で、 「国軍の武力鎮圧による解決というのは、人民の自由を軽視する危険な思想であり、北クリーニングラード共和国首相たる同志クリャコフの思想に反する。 電脳無政府主義の有り様を分かろうとしないのであるならば、我々は一切の譲歩はしない。」 と、徹底抗戦を唱えている。 各陣営の動き
クリシチェルノエスク市の一連の発表と意思表示について、「一国の自治体が何を言っているんだ」と困惑しながらも、11月21日までを猶予とする最後通告をクリシチェルノエスク市評議会に通達。
一応は民衆暴動であるため、クリョンヌイ大将司令官代理を中心として、1個戦車師団と1個コマブロイド師団の動員を決定した。 また、これに際し、具体的な行動計画も策定されたが、インフラが未整備であることから、クリシチェルノエスク市へのアクセスは困難であり、コマブロイドおよび重コマブロイドを駆使した、南部からの強襲上陸を計画している。 装備は、実弾を3割ほど持ちながらも、可能な限り被害を抑えるため、ゴム弾や煙幕弾といった殺傷力の低い武装が用意され、共和国評議会より青衛軍へ、 "抵抗する市民の無力化と逮捕を主目的とし、市民の殺害および設備の破壊は可能な限り回避するように。"という、あくまで暴動鎮圧の為の準備を行っていた。 内容は新ソビエト社会主義共和国で経済開発プロジェクトに参加するクリツィナ青衛軍総司令官にも伝えられたが、当初はクリョンヌイ司令官代理でも遂行可能として、帰国命令は出なかった。 兵士達は、この事態に呆れと戸惑いを持って見ており、また、国として総指揮を取るべき立場である首相クリニード・クリャコフは、本件の前日に過労により休養状態であり、「クリャコフ大将がいれば…。」という言葉で溢れ返っていた。 兵士と考えている事は共和国評議会も同じであり、クリャコフ首相が居れば起こり得なかった事件だったかも知れないと、現状を憂いていた。 20日、新ソビエト社会主義共和国より"暴動に対する過剰な措置"として軍事行動の中止を求める声明があるが、"これは自国民の問題であり、貴国は我が国の友好国である故、どうか静観していただきたい"と返答するのが精一杯であった。 これほどにも弱い反応しか共和国評議会が出来なかったのは、クリャコフ首相が不在の中で、諸外国との関係悪化につながる行動を控えたいという共和国評議会全体での消極的な空気があり、これが、後に新ソビエト社会主義共和国の国民義勇軍のクリシチェルノエスク市への進入を許す事となる。
北クリーニングラード共和国からの最後通告を受け、広報チャンネルや外国の配信サービスを利用して、自由地区の危機的状況を公表した。
サービスを利用している殆どの国の国民からは、「お前等が悪いじゃないか」「自由地区、あれって冗談じゃないの?」と、まともに相手にされずにいたものの、新ソビエト社会主義共和国の国民にこの情報が流れ着いた事から、新ソビエト社会主義共和国より、国民義勇軍を称する正規部隊1個大隊の協力を取り付けることに成功した。 19日から21日までの間に、黒色青衛軍の部隊配置をほぼ完了させ、地図の通りの配置で北クリーニングラード青衛軍を迎え撃つ準備を整えたが、民間人が武器を持っただけの民兵である黒色青衛軍は、陣地構築や武器の配置が悪く、"中世の戦いのようだ"と酷評されていた。
クリシチェルノエスク自由地区の広報チャンネルについて、自国民の中で話題になっているのをKGBが把握。
指導者ヨシフ・V・スターリンも参加する臨時の評議会を開き、友好国の中で起きている事について議論を行った。 最初は冗談と受け止められていたが、スターリンは「内容は概ね事実であると考える。とするならば、クリャコフ首相が不在である北クリーニングラード共和国での問題について我が国が仲裁しなければ、恐れるべき事態に繋がるだろう。」という見解を披露し、評議会の満場一致での軍事介入を決定した。 しかし、露骨な正規軍の介入は、北クリーニングラード共和国との決定的な外交的亀裂を招きかねないとし、 北クリーニングラード共和国には作戦の中止を求める声明を出しつつ、クリシチェルノエスク自由地区には、国民からの志願者によって結成された"国民義勇軍"とする実質的な正規軍を送る旨を、クリシチェルノエスク評議会へ通達した。 この一件、クリシチェルノエスク自由地区を支援するかのような働きには、北クリーニングラードに対する策略があるという憶測が飛び交うことがあったが、"スターリンが危険視していたのは、北クリーニングラード青衛軍よりも、過度に戦意が高いクリシチェルノエスク黒色青衛軍の方であった"と、スターリンの側近の一部は証言しているため、巷の陰謀論は否定されている。
クリシチェルノエスク市の両軍の配置
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最後通告の後も、クリシチェルノエスク市評議会および黒色青衛軍は「抗戦あるのみ」とする声明を発表し、猶予とされた11/21 24:00を迎えた。
青衛軍は所定の作戦通りに、南部へとコマブロイド第1陸戦兵団を展開、黒色青衛軍南方集団の守る海岸へと強襲上陸を開始した。 戦闘自体は、ほぼ一方的に黒色青衛軍が攻撃を加え続けた形となっていたが、青衛軍へはほとんどダメージになることは無かった。 主な要因としては、青衛軍の装備の強さや練度によるものがあるが、それ以上に、黒色青衛軍の兵士たちの練度が壊滅的に酷く、前線を指揮していた上級コマブロイドは"弾の無駄"と評価している。 とはいえ、橋頭堡を確保した青衛軍は、作戦の第一段階として、黒色青衛軍の南部戦力を一手に引き受ける事となった。 両陣営の動き
黒色青衛軍は、最後通告に明記されている期間を、兵力配置の時間に使用しており、降伏するつもりは毛頭なかった。
この3日間の間に、黒色青衛軍は部隊配置を概ね完了させており、各所持ち場に由来して、 ①都市集団・②西方集団・②-a西方補助集団・③東方集団・③-a東方補助集団・④南方集団・④-a南方補助集団・⑤北方集団 とした。 黒色青衛軍は軍事知識に乏しく、全方位警戒を理由に、その戦力を大きく分散させていた。 特に問題だったのは、重装備の不足であり、唯一の機甲戦力であった戦車は、Cp-95P改5輌とCp-5D3輌のみで、それも、都市集団か、主要な4方位の集団に分散配置されていたため、戦車の火力・突破力はほぼ活かされていなかった。 黒色青衛軍の司令部は、暫定的に共営製鉄所が選択され、戦力の配置は ①都市集団 司令部300人 兵士500人×3グループ Cp-5D3輌 Cp-95P改1輌 山砲2門 対戦車砲9門 機関砲15門
②西方集団
兵士500人 Cp-95P改1輌 山砲2門 対戦車砲3門 機関砲5門 ②-a西方補助集団 兵士500人 対戦車砲3門 機関砲5門
③東方集団
兵士500人 Cp-95P改1輌 山砲2門 対戦車砲3門 機関砲5門 ③-a東方補助集団 兵士500人 対戦車砲3門 機関砲5門
④南方集団
兵士500人 Cp-95P改1輌 山砲2門 対戦車砲3門 機関砲5門 ④-a南方補助集団 兵士500人 対戦車砲3門 機関砲5門
⑤北方集団
兵士500人 Cp-95P改1輌 山砲2門 対戦車砲3門 機関砲5門 だった。
鎮圧に際し、犠牲を伴わないあらゆる行動を実施する事とし、
段階的に、偵察並びに示威行動→部隊展開→上陸→可能であるならば黒色青衛軍のメンバーの逮捕を計画した。 また、後続の第1戦車師団を安全に上陸させるためにも、これらを黒色青衛軍により分かりやすく、大げさに行う必要があった。 これらの作戦は予定通りに実施され、良くも悪くも黒色青衛軍を引き付けることに成功した。
黒色青衛軍の部隊配置
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午前6:00、青衛軍は偵察と示威行動を兼ね、戦術機動砲5体をクリシチェルノエスク南部に展開。
黒色青衛軍南方集団に見つかるように横陣で海上に展開した。 南方集団は戦術機動砲を視認すると、上陸ポイントはここであると判断。 クリシチェルノエスク評議会を介して、南方補助集団と西方補助集団に連絡を取り、"敵が現れた"と伝えた。 南方補助集団と西方補助集団は、南方集団の援護のため、南への移動を開始した。 青衛軍の戦術機動砲は3分弱留まったが、その間黒色青衛軍の兵士と見られる人物は、配置に付いたり周りの兵士に呼び掛けたりと慌てふためいており、その場で右往左往する人の数から、戦術機動砲は海岸を防衛しているのは少なくとも200人、多くて600人と結論付けた。 出現から5分後、戦術機動砲達は海中に戻り、陸戦兵団に情報を共有した。
午前6:00〜9:00の間、青衛軍第1陸戦兵団は、高速輸送型重トーピードによって輸送されたコマブロイドが海中にて概ね布陣を完成させ、10:00より5000人による強襲上陸を開始した。
第1陸戦兵団は、戦術機動砲と自走赤石実包発射管、高機動遊撃型コマブロイドといった重コマブロイドに護衛されながら海岸へと進出し、概ね準備万端であった黒色青衛軍の攻撃を受ける事となった。 黒色青衛軍南方集団は、銃から山砲に至るまで、ほぼ全火力で第1陸戦兵団を攻撃した為、兵団の前進こそ阻んでいたものの、総戦力は兵団の十分の一以下である事はおろか、重火器の位置まで全て露呈してしまう体たらくであった。 また、南方補助集団と西方補助集団はこの間まだ移動中であり、防衛線は未だに貧弱であった。 しかし、第1陸戦兵団も順調とは言えなかった。 重コマブロイドのシールドにより、機関砲などの攻撃の殆どは防げていたものの、一応民間人扱いであった黒色青衛軍兵士への殺傷は厳禁とされていたため、コマブロイド達はゴム弾での応戦しか出来なかった。 そして、そのゴム弾も、直撃によって黒色青衛軍兵士を幾らか怯ませることに成功しても、かえって反撃を煽る格好となってしまっていた。 兵団の上級コマブロイドはこの状況について「馬鹿馬鹿しい」と呆れ、相手の眼前への威嚇発砲を命令。 戦術機動砲達によって、南方集団の防衛陣地付近へ砲撃を行った。 戦闘経験のない黒色青衛軍兵士達は、あまりの威力に装備を持って一目散に後退。 兵団の戦力を収容できるだけの上陸スペースの確保には成功した。
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14:00、兵団は上陸を完了し、クリシチェルノエスク市を目指し前進を開始。
その間、密林内で部隊の再配置と、南方補助集団・西方補助集団との合流を完了した黒色青衛軍は、それぞれで兵団の5000人からなる連隊群に対する攻撃を再開した。 上陸戦と異なり、インフラが未発達で樹木の生い茂る内陸では視界が非常に悪く、兵団の前進は更に鈍化、また、黒色青衛軍が散発的に銃撃を行ってきた事から、一部連隊は、相手は兵数を3000人程度に増強したと誤認。 より慎重な進軍を余儀無くされていた。
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18:00、黒色青衛軍南方集団に配置され、上陸戦時には後方で待機していた、当集団唯一の戦車であるCp-95P改が150名の兵士を率いて兵団中央に突撃。
鎮圧武装では戦車を破壊ないし停止させることはほぼ不可能であることから、最前衛のコマブロイドは後退。 一時的に、重コマブロイドが待機する海岸線付近まで下がることとなった。 この攻撃によって、数人のコマブロイドが損傷している。 以降は完全に日が暮れ、黒色青衛軍が臨戦態勢を解除するまで睨み合いを続けることとなった。
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1日目の上陸戦に続き、2日目も終始黒色青衛軍が主導権を握っている(というよりは暴れているだけの)状態であり、青衛軍としては、黒色青衛軍の抵抗が弱まるのを待つ他無かった。
しかし、状態の打開と、これ以上の無意味な緊張状態を継続させたくなかった兵団の上級コマブロイドは、昨日と一転し、積極的な前進を実行。 全体的に黒色青衛軍を大きく後退させたうえで、引き際が分からず、取り残された黒色青衛軍の兵士の小集団を包囲、逮捕することに成功している。 その間、西部海岸では、新ソビエト社会主義共和国の国民義勇軍が到着、西方集団と合流し、より秩序を持った組織的な戦闘を行えるように簡易的な訓練を施すことになった。 戦闘の推移
4:00、海洋を巡視していたUCG-0420より「他国籍船舶あり」との連絡が青衛軍にもたらされた。
船は新ソビエト社会主義共和国の物であり、海域に進入する直前に「クリシチェルノエスクへの非平和的な介入に対し抗議の意を表する人民が、クリシチェルノエスクへのアクセスを求めている」という連絡を送り付けてきていた。 青衛軍としては、新ソビエト社会主義共和国からの武力介入であることは明白であり、本来ならば友好国とはいえども入国を拒否すべきところであった。 しかし、国としての有り様に大きく貢献する新ソビエト社会主義共和国との関係悪化に繋がる可能性を否めなかった共和国評議会は、これらの判断をクリャコフ無しで決めることが出来ないでいた。 結局、返答は「クリシチェルノエスク市は現在、民衆暴動の影響で安全の確保が困難であり、危険な状態である。 全ての行動は、貴国の国民個人等の自己責任のもとで行うよう。」という、どちら付かずの曖昧な物であった。
国民義勇軍出兵前の段階において、新ソビエト社会主義共和国の指導者スターリンは、ここまでの北クリーニングラード共和国の対応は全て織り込み済みであり、
「恐らくだが、首相がいない中で、首相に匹敵する統率力を持った者は、現状北クリーニングラード共和国にはほとんど居ない。」 と評価。 その反面、「映像からの推測に過ぎないが、黒色青衛軍の動きは素人である。 このような無秩序な組織は、かえって危険に晒すことになるだろう。」とクリシチェルノエスク自由地区の危険性も分析していた。
5:00、クリシチェルノエスク自由地区に到着し、黒色青衛軍西方集団と合流した国民義勇軍は、クリシチェルノエスクの街に向けて西方集団とともに移動を開始した。
7:00、国民義勇軍はクリシチェルノエスク郊外に到着し、都市集団の2つと合流した。
国民義勇軍は黒色青衛軍に、武力介入の意図と、 黒色青衛軍に、正規軍に匹敵する統率力と練度にするための初歩的な訓練を行うことを伝えた。 内容は、歩兵には射撃と突撃の簡易演習、戦車や砲を扱うものには砲撃戦に対応した訓練を実施するものとした。 手始めに、短時間での標的射撃が実施されたが、命中率は20%以下という有り様であり、国民義勇軍は事前に聞いていた以上の衝撃と呆れを覚えたという。
北西で国民義勇軍が黒色青衛軍に訓練を施す間の9:00、
青衛軍の兵団は前進を再開。 前日とは打って変わり、司令官の上級コマブロイドは積極的前進と、前線での局所的な分断と包囲を開始。 重コマブロイドを先頭に、防御を中心としつつも、機動的に南方集団を圧迫した。 この動きに対し、西方補助集団と南方補助集団は比較的速やかに後退することで対応できたが、初日の始めから戦闘を続けていた南方集団は、疲労により抵抗が弱く、また、後退に際しても他の2集団より遅く、兵団に確実に距離を詰められていた。
12:00、遂に兵団の中央部隊が南方集団と接敵、一部で近接戦に移行するほどの近距離での戦闘となった。
この間に、24名が抵抗不能となり逮捕、兵団に収容されている。 それより前の11:00、南方集団の行動鈍化の報告を西方補助集団より受けた都市集団の一隊がクリシチェルノエスク市を進発。 迂回機動を開始した。
13:00、南方集団は全面的な後退を開始。
前衛にCp-95P改を配置し、重武装の兵士以外はひたすらの後退を行った。 戦車の再登場により、兵団は反撃を警戒していたが、牽制射以外に殆どまとまった攻撃が見られなかったことから、引き続き積極的な前進を続けた。
15:00、黒色青衛軍都市集団が戦闘区域に進入、兵団右翼へと攻撃を開始した。
UCG-0380の哨戒によって、都市集団の参戦は既に気づかれていたが、 Cp-5Dを率いていた都市集団は、一時的にとはいえ、この中戦車による主砲の連射によって、兵団のUCG-0380のシールドにダメージを与え、一部部隊を後退させることに成功。 兵団は今度こそは黒色青衛軍が攻勢に出てきたと判断し前進を中止、隊列を整えた。
16:00、兵団司令官の上級コマブロイドはこの状況を利用するべく再度前進、突出した黒色青衛軍の隊を視認すると煙幕を展開。
黒色青衛軍の殆どは煙幕外に退避することで難を逃れるも、視界不良の中で黒色青衛軍南方集団70人の集団が包囲され近接戦に移行。 半数が辛うじて包囲を脱したものの、34人が無力化され、逮捕された。
17:00、兵団は今後の作戦との調整と、配下のコマブロイド達が戦闘参加に消極的になり始めていることから攻勢を停止した。
黒色青衛軍都市集団は、兵団が停止すると同時に全域から離脱し、南方集団の下へ移動した。
南方集団は2日間の無秩序かつ後先見ない攻撃と移動によってほとんど弾薬が無くなっている他、疲れがピークに達しており、都市集団との交代が必要な状態であり、明日以降は、都市集団と戦力を統合し、戦闘における持久力を高める事とした。
北西では、国民義勇軍による黒色青衛軍の複数集団への簡易的な教育と訓練を一旦終え、前線で戦う部隊との交代と、自軍の参戦も計画していた。
上から各時間ごとの両陣営の部隊配置
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南部攻防戦
北部攻防戦
停滞が続いていた戦況が大きく動いた日であり、南部では青衛軍が徐々に前進し圧力を強め、北部では青衛軍第1戦車師団が上陸。
戦力的に余裕のない黒色青衛軍。 また、活動凍結により継続参戦不可能となった新ソビエト社会主義共和国国民義勇軍が撤退し、黒色青衛軍の戦線崩壊の機運が高まっていた。 戦闘開始直後、今度はアークランド大帝国が参戦。 上陸間もない第1戦車師団と激突し、激しい戦闘となっている。 しかし、戦力差は圧倒的だったものが、青衛軍が更に2倍になったことから、戦線に綻びが起き、第1戦車師団の2個連隊がクリシチェルノエスク市に直行していた。 戦闘の推移
8:00、11/23の簡易訓練を終えた西方集団と都市集団は、それぞれ南部の増援および予備兵力として各所に散開を完了させていた。
8:30、北方集団より「未確認の煙」の報を受信。
北東部に北クリーニングラード青衛軍第1戦車師団が上陸、 南部に戦力を集中させ、防備が手薄となった黒色青衛軍を無力化、都市を制圧するべく同時攻勢を開始した。 総勢30000人の大部隊を相手するのは5000人弱の黒色青衛軍のみ。 新ソビエト社会主義共和国の国民義勇軍は、祖国の危機的状況に対処するべく、1日の教導を終えた後に撤退してしまっていたため、ほぼ単独で6倍の兵力を相手せねばならず、戦局は極めて不利であった。
9:30、第1戦車師団は概ね上陸を完了させ、クリシチェルノエスクを速やかに制圧すべく前進を開始した直後、師団の真正面にワープゲートを介し、大型人形兵器を伴って正体不明の部隊が出現。
第1戦車師団へ攻撃を開始した。 第1戦車師団麾下の連隊はCp-5改他重装甲戦車を最前衛にして応戦。 双方被害をなかなか与えられないも、激しい砲撃戦となった。 戦闘は数十分で収束し正体不明の部隊は後退。 第1戦車師団は、クリシチェルノエスク市が保有する部隊についての再考察と、鎮圧計画の修正を強いられた。
10:30、正体不明の部隊の装備について青衛軍最高司令部に報告。
部隊はアークランド大帝国の物であると結論付けられ、 直後、アークランド大帝国の公式声明が発表され、 「我が国は先日よりアークランド大帝国として帝国の大々的な革新を行い、世界へ闘いの咆哮を轟かせ、戦争の世界の前哨者となる礎が整った。 この度の自由地区の独立戦争は、その新たな帝国の権威を象徴する第一戦とし、自由地区と共に存分にその力を振るうものとする。 北クリーニングラード共和国と自由地区の諸君。 武運を。」 という内容の映像がネットワークに拡散された。 北クリーニングラード共和国評議会は、積極的に外交問題を拡大させる存在に頭を抱えざるを得ず、クリョンヌイ総司令官代理に出来る限りの戦火拡大の阻止を指示した。 対するクリシチェルノエスク評議会も、唐突な援軍と言ってよいのか分からない帝国軍に対してどのように振る舞ってよいのか分からず、黒色青衛軍司令部としても、 都市集団の一部隊へ帝国軍との一旦の合流を命じるに留まった。
11:00、戦術計画の見直しを完了させた青衛軍は、南北から同時に進軍を再開した。
戦術変更後の青衛軍の作戦としては、黒色青衛軍の無力化ではなく、 大軍を利用して黒色青衛軍をその場に拘束させ、司令部があるとされるクリシチェルノエスク市内に余剰戦力を用いて一気に侵入。 黒色青衛軍の抵抗能力そのものを停止させるというものであった。 第1陸戦兵団の担当する南部は、都市集団を主力としておおよそ戦線が構築され切っており、 期待されるべきは新たな戦線となった北部であった。 北部は比較的兵力に乏しく、装備も南部よりは劣っていた。 しかし、真正面に帝国軍の小部隊が立ちはだかっており、進行には多少の困難が予想された。
帝国軍は最初の戦闘の後、戦力を500人からなる主力、200人からなる別働隊2つに散開し、
それらに戦車10輌、随伴機械化歩兵5体が装備として加えられている。 戦力としてはそれなりに強力ではあったが、兵士の総数・装備の質・戦略的優位性全てがある程度整っていた青衛軍と比べると、この強力な援軍があってもなお不利であった。
11:30、帝国軍は主力と別働隊それぞれを緊密に連携させ、第1戦車師団の先鋒を半包囲する隊形を取った。
森林の視界の悪さは、現地の北クリーニングラード兵ですらも索敵に苦労する程であり、 到着間もなく、土地勘のない帝国軍でも第1戦車師団の動きを制限するのに十分だった。
12:00、都市集団の一隊が帝国軍と合流。
共同防衛線を張り、進軍を更に遅らせるかと思われたが、 第1戦車師団はここで中央の主力を更に2分。 1000名と複数の戦車・自走砲などからなる連隊によって戦線を更に広げた。 既に全戦力が戦域に展開されていた黒色青衛軍は、これをカバーする方法がなく、黒色青衛軍によって最も使われてはいけなかった戦術であった。 また、南部でも第1陸戦兵団も前進を再開。 練度が上がったとはいえ、数で劣る黒色青衛軍は全ての部隊が一杯一杯であった。
13:00、クリシチェルノエスク評議会より西方集団へ、「北部の青衛軍の一部、クリシチェルノエスクに急速接近」の報があり、防衛戦力が殆ど出払っていたクリシチェルノエスク防衛のため、やむ無く北部に向けて転進を行った。
その他の戦線においては、押しては押されての繰り返しであり、その中では帝国軍が受け持つ北部中央が特に激しい攻防となった。 先の半包囲隊形により、少しでも隊列から突出した北クリーニングラード戦車は、アークランド製戦車・機械化歩兵の集中砲火を受けることとなり、Cp-5改等の主力戦車は撃破こそ無けれども、装備の一部が破損で使用不能になった他、足回りを損傷し、その場で立ち往生する事態が頻発した。
第1戦車師団では、予想以上の戦闘の激しさと、コマブロイド以上に強い厭戦の雰囲気から、前進は更に鈍化。
15:00になっても、前進は殆どできていなかった。 師団司令官は「ここまで戦車を盾に、如何に死傷者を出さずに来れたかと思うと、それだけでも上出来。 2個連隊がこの碌でもない戦いを終わらせてくれることを期待する。」 と、クリーニングラード人と相対することへの嫌悪感を述べている。
18:00、青衛軍が前進を停止。
戦闘を中断した。 それに合わせて黒色青衛軍も戦闘を止め、装備の補充と部隊の再編を行っている。 第1戦車師団から分離した連隊は、クリシチェルノエスクの眼の前まで前進していたが、黒色青衛軍の西方集団も辛うじて到着が間に合っていた。 しかし、戦力差は西方集団500人に対し第1戦車師団別働隊は2000人であり、規模こそ小さいものの、他の戦線と戦力比は殆ど変わらなかった。 アークランド大帝国の部隊は、戦闘停止の中で救援に来た黒色青衛軍都市集団とコンタクトを取り、次の戦闘以降の動きについて方針を決定することとなった。
南部では、第1陸戦兵団の秩序だった動きと、黒色青衛軍側にも戦いに対する慣れが着いてきた事により、戦闘による負傷や捕虜以外では目立った損害は無かったが、陸戦兵団は800m前進しており、このままでは明日にはクリシチェルノエスクに突入されることは避けられなかった。
南部を担当する黒色青衛軍は、クリシチェルノエスクから補給を受け取ると、密かに編成を変え、明日に備えていた。
上から各時間ごとの両陣営の部隊配置
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黒色青衛軍の南部攻勢
北部攻防戦
クリシチェルノエスク攻防戦
3日目に続き、戦局が激変。
遂に死者が出るほどの激しい戦闘となった。 南部では黒色青衛軍が第1陸戦兵団を押し返すための一か八かの攻勢を、 北部では早期に暴動を鎮圧するべく第1戦車師団による兵数を活かした多方面攻撃とクリシチェルノエスクへの直進が行われた。 帝国軍は黒色青衛軍と連携し、クリシチェルノエスクへ向かう第1戦車師団別働隊への背後からの挟撃を実行。 それに呼応して、第1戦車師団は更に部隊を捻出して追撃、敵味方がはげしく入り乱れた。 この戦闘での死者の内訳は、 青衛軍は、混戦や攻勢の過程で黒色青衛軍や帝国軍の実弾が命中した事による致命傷。 黒色青衛軍は戦闘の混乱による事故だった。 帝国軍は、兵士それぞれの生命力の強さによって致命傷は免れたものの、青衛軍が十分に手加減をしなければ、クリシチェルノエスクの戦闘で数十人が木っ端微塵となっていたと考えられるほどの大混戦となった。 これほどの犠牲の結果、黒色青衛軍は、南部での攻勢が兵力差で頓挫したことによって南部戦線が完全に崩壊。 青衛軍は、クリシチェルノエスクの攻略に失敗し、戦闘の長期化を覚悟せねばならず、兵士たちの中での厭戦機運はピークに達するという、双方に救いの無いものとなっていた。 戦闘の推移
5:30、昨晩に北部の黒色青衛軍都市集団は帝国軍とコンタクトを取った後作戦会議を実施、本時間を持って作戦を決行する同意を取り付けていた。
青衛軍の第1戦車師団は2000名程度からなる別働隊を編成しクリシチェルノエスクへ直行している事について、クリシチェルノエスク評議会を介して西方集団が転進する事でこの別働隊に対応しているが、兵力と装備の質両方からして、早期陥落が予想され大変危険な状態だったからだ。 北部黒色青衛軍と帝国軍の合同での作戦内容としては、900人程度からなる帝国軍部隊を移動、クリシチェルノエスクに向かった第1戦車師団別働隊を西方集団と挟撃。 別働隊の撃破か、そうでなくとも、都市への侵攻を断念させるというものだった。 しかし、露骨に移動しては勘付かれるのは間違い無かったことから、帝国軍は、部隊を小隊以下の単位にまで散開させ、第1戦車師団本隊との攻防を継続していると見せかけながら徐々にクリシチェルノエスク方面へ移動。 最終的には同様に散開した都市集団と入れ替わり、第1戦車師団本隊を足止めしつつ、別働隊の迎撃に参加するというものだった。 先に帝国軍兵士200名ほどが散開した後移動開始、そこから50人ずつ、30分ずつかけて後方へと下がりつつ、別働隊後方へと移動していった。 それと同時刻の南部では、黒色青衛軍は第1陸戦兵団を押し返すべく、各集団から部隊を抽出。 500人の部隊を形成し、兵団が形成する3グループの内、西側の2グループの間を打通させる準備を整えた。
9:30、両軍での戦闘が再開された。
青衛軍は前線線で同時に攻撃を開始する事で、黒色青衛軍に行動の余裕を与えないままその陣形を圧迫させようと試みた。 また、ここまで使用を控えていた催涙ガス弾も積極使用を許可し、防御手段を持たない前線の黒色青衛軍は大いに怯んだ。 しかし、黒色青衛軍も負けじと南部全域で積極攻勢を開始。 青衛軍と違い全て実弾である事もあり、15000人のコマブロイドの軍団は流石に多少の後退をせねばならなかった。 北部では帝国軍が移動中であったが、徐々に散開する兵数を増やし、後もう少しで黒色青衛軍との入れ替えを完了させる状態であった。 クリシチェルノエスクでも攻防戦が開始。 戦車や自走砲が多かった青衛軍は、装甲防御力を活かして市街地前で簡易陣地を構築していた黒色青衛軍を圧迫したが、西方集団にも軽装備ながらも対戦車火器や軽戦車1輌がおり、少ない兵力でもしっかりとした抵抗が行えていた。
10:30、南部の黒色青衛軍は捻出していた部隊を攻勢に投入。
全速力で第1陸戦兵団の隊列の間へ突撃した。 第1陸戦兵団は、「相手の一隊が部隊への急接近を開始」との方を前線の戦術機動砲より受け取り、敵砲火の分散のため、部隊を左右に散開。 最初の猛攻撃を受け流そうとした。 この動きにより、第1陸戦兵団の後退は加速。 黒色青衛軍は機を逃すまいと、更に攻撃を強めた。 北部では、クリシチェルノエスクにて攻防戦が継続され、帝国軍は戦力の完全な入れ替え・離脱に成功。 第1戦車師団別働隊背部への再集結を行い、別働隊を完全に挟み込む形となった。
11:00、帝国軍が再集結を完了させ、別働隊への攻撃を開始。
別働隊は攻略に時間を掛けすぎたと痛感する羽目となり、戦力の一部を後方に向けざるを得なくなった。 第1戦車師団本隊は、前線から帝国軍が居なくなったことを不審に思い、直後別働隊より帝国軍の攻撃を受けているという報告が伝達されたことから、帝国軍は別働隊を包囲殲滅させようとしていると確信。 麾下の連隊を更に派遣し、帝国軍を逆包囲させようと試みた。 第1戦車師団の移動が激しくなった事を察知した都市集団は、北部の部隊全てに事前に通信によって伝えた作戦を実行するよう命令。 北部の黒色青衛軍すべての部隊が、第1戦車師団の攻撃を受け流しつつクリシチェルノエスク方面へと横移動を始めた。 これは、黒色青衛軍全体が一列にまとまることによって、第1戦車師団が兵力密度が高まった相手に専念せざるを得ず、別働隊の救援を断念することを意図してのものだった。 南部では黒色青衛軍の抽出部隊が勢い衰えずに突進。 第1陸戦兵団を分断するか否かの所まで進んでいた。 しかしここで第1陸戦兵団は北部同様に部隊を分離。 2500人のコマブロイドが抽出部隊に立ちはだかった。 正面から受け止める形となり、黒色青衛軍から激しい銃撃を受ける事となったこの部隊は、数人のコマブロイドが破壊される程の攻撃を耐えねばならなかった。
12:30、挟撃に耐えかねた第1戦車師団別働隊は左右に分離、各個で黒色青衛軍西方集団と帝国軍を対処することになった。
戦力差の縮まった西方集団は、ある程度余裕を持って対処できるようになり、帝国軍もほぼ同等の戦力での交戦によって、ある程度の優勢を確保することに成功した。 北部戦線も、別働隊の救出と帝国軍の捕縛を試みる第1戦車師団に呼応して黒色青衛軍が横移動を継続。 ほぼ一直線に戦線が纏まった事で、黒色青衛軍は各隊で連携が取りやすくなり、戦線の安定化が見込まれた。 南部では未だに黒色青衛軍の激しい攻勢が続いており、弱い人間ならば放棄するであろう任務を兵団のコマブロイド達が耐えていた。
14:00、黒色青衛軍側に好転するかに思われた戦局はこの時に一気に破綻したと言える。
第1戦車師団は最終手段として、部隊を1500人単位まで細分し、黒色青衛軍が対応不能な規模にまで攻勢範囲を拡大。 黒色青衛軍の一部が敗走し始めたのである。 特に酷かったのは東側であり、別働隊へのアクセスを防ぐべく薄く広く展開していた黒色青衛軍は、新たに展開された1500人の敵連隊を止めることが不可能だった。 南部では、黒色青衛軍とその抽出部隊との距離が開ききった所を見計らい、戦術機動砲を中心とした重装備部隊が前線に展開。 手持ちの戦車では到底重装備が足りていない黒色青衛軍は、これらの兵団からの突出戦力を止めることが出来なかった。
16:00、南部では兵団による黒色青衛軍抽出部隊の包囲が概ね完了。
包囲下の部隊は必死で抵抗を続けるが、短時間に多くの弾を使用したことにより装備が枯渇。 組織的抵抗が不可能となりつつ合った。 抽出部隊のリーダーは、比較的体力のあった兵士に武器と残った弾薬を渡して包囲からの脱出を命令。 数十人のみが包囲が比較的薄い地点から脱出し、残りは兵団に投降した。 これを期に南部の黒色青衛軍は全面的に敗走。 兵団を混乱させ、戦線を押し戻すどころか、クリシチェルノエスク手前まで押し込まれることとなった。 北部では、ただでさえ薄くなっていた黒色青衛軍の防衛網を第1戦車師団が最後のダメ押しで一部突破、2箇所から合計3000人がクリシチェルノエスクへ進軍した。 ここで黒色青衛軍北方集団は100人程度を引き抜き、突破した敵への対処へ当たらせる事にしたが、最早焼け石に水でしか無かった。
17:30、クリシチェルノエスク郊外では戦線を一部突破した第1戦車師団の連隊が先行していた連隊と合流。
一部は帝国軍と放火を交わした。 しかし、先行していた連隊は長時間の戦闘と、それよりは短いとはいえ包囲状態にあったことから披露しており、過度な戦闘継続は危険と判断され攻撃を停止。 特定のポイントに集まり防御態勢へと移行した。 この結果、クリシチェルノエスクの攻略は一旦中止され、黒色青衛軍は辛うじて命脈を維持したが、殆どの地域で敗走寸前、または部隊が壊乱状態になっていたことから、次の攻勢に耐えることはまず無理であった。 また、北方集団から捻出された部隊は、戦線が薄く広がっていた都市集団の1隊が敗走した事によってこれ以上の前進を断念。 急遽都市集団が守っていた地点を引き継ぐ事になった。 この1日の戦闘によって、800人強が戦闘不能または投降した黒色青衛軍の勝敗は決したが、黒色青衛軍は徹底抗戦の考えを崩さなかった。 青衛軍にとっては陰鬱な、自由地区にとっては絶望的な戦闘は5日目に入ろうとしている。
上から各時間ごとの両陣営の部隊配置
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クリャコフの復活
この日の戦闘は午前まで継続された。
黒色青衛軍は崩壊した戦線を組み直し、辛うじて形を保っていたが、練度の差と減少した兵力から、その陣形はゲリラの基地程度のものでしか無かった。
戦いそのものは勝利同然だったものの、11/25の内にクリシチェルノエスクを鎮圧出来なかった青衛軍は士気はかなりひどい状態であり、これ以上進軍することに何の意味があるかを多くの兵士が思っている状態であった。
戦闘はほぼ一方的であり、各所で黒色青衛軍の防衛線は突破され、遂に青衛軍がクリシチェルノエスクに突入を果たしている。
クリシチェルノエスク市内の製鉄所に拠点を構える黒色青衛軍司令部との戦闘に入る直前、
療養から復帰したクリャコフ首相、 新ソビエト社会主義共和国の活動凍結と、事態の改善が見込まれないことから、急遽帰国したクリツィナがクリシチェルノエスク市の港から市内に入り、戦闘の停止と講話を持ちかけたことにより、自治体戦争は終結した。
この後は、クリシチェルノエスク評議会・クリャコフ首相以下共和国評議会・アークランド大帝国3者での会談が行われ、今後の関係性について議論する事となった。
戦闘の推移と終結
7:00、夜間から早朝にかけて両陣営は、部隊の再配置を済ませていた。
青衛軍は、当初の構想は基本的には継続しつつも本日中の完全な制圧を目指すべく、第1戦車師団は各所に散開した敵戦力を拘束。 2個連隊が引き続き黒色青衛軍西方集団を鎮圧する事でクリシチェルノエスク内へ突入することとなった。 南部では数百人に及ぶ黒色青衛軍の逮捕者を後送しつつ、隊列を完全に統一。 再度の攻勢が行えないよう、軽装のコマブロイドと重装備のコマブロイドを適切に配置することで、いかなる地点からの黒色青衛軍の攻撃にも対応可能とした。 これ以上の戦闘継続は、死者が更に増加すると言う懸念から、実弾の急所以外への使用も視野に入れており、5日目で終息したことは幸運だったと言える。 黒色青衛軍は、戦力の2割を失い、全くと言ってよいほど勝てる見込みは無かったが、「抑圧され隷属するくらいならば、最後まで戦い抜く」と言う考えにより、士気だけは高かった。 しかし、戦線はその場しのぎの様相が強く、また、混戦状態から一部部隊には補給すら届いておらず、充足切れによって今にも敗走しそうな状態だった。
7:30、この日の戦闘が開始された。
北部では概ね戦線は一定のラインを維持していたが、南部では第1陸戦兵団の画一的に統制された動きにより、黒色青衛軍は付け入る隙が無く、特に中央では複数のコマブロイド部隊によって著しく圧迫された。 中央の戦力差はおおよそ7倍であり、突破は時間の問題となっていた。 前線では、放水・煙幕・催涙弾・ゴム弾等如何なる鎮圧火器も使用され、機会があれば格闘に持ち込み、ここに黒色青衛軍兵士を無力化させていった。
9:00、遂に南部黒色青衛軍の都市集団が圧力に耐えきれず敗走。
散り散りになってクリシチェルノエスク市内へ退却を開始した。 第1陸戦兵団は、軽装部隊を左右の集団に差し向け、救援を出来ないよう分断を維持しつつ、重装部隊をクリシチェルノエスクへ進軍させた。 北部でも、兵力不足と弾薬の枯渇により2箇所の黒色青衛軍部隊が潰走。 戦線をクリシチェルノエスク手前まで交代させるべく、帝国軍は移動を開始していたが、既に交戦中だった第1陸戦兵団の連隊の拘束によって、その移動は鈍重なものとなっていた。
10:30、この時初めて青衛軍がクリシチェルノエスクへ突入を果たした。
南部黒色青衛軍は全面的に交代し、クリシチェルノエスク手前で戦線を再構築していたが、青衛軍の方が前進と配置が早く、黒色青衛軍の半数がろくに態勢も整わないままに戦闘が再開された。 北部でも、戦線崩壊の報を受けた黒色青衛軍部隊が殆どの地点において撤退。 特に中央では、帝国軍がクリシチェルノエスク手前への移動を完了させていたが、この撤退によって、中央の第1戦車師団の連隊がすべて帝国軍に向くことになり、練度はともかくとして全く兵力が足りていなかった。
11:00、結局南部の都市集団は態勢が整いきらず再度敗走、黒色青衛軍司令部がある製鉄所まで後退した。
北部は北部でもはや満身創痍であり、クリシチェルノエスクへの侵入を防ぐのが精一杯であったし、西部の黒色青衛軍部隊が全てクリシチェルノエスクに向けて撤退していたため、そちらに向けていた第1戦車師団の兵力もクリシチェルノエスクに殺到することは目に見えていた。
12:00、製鉄所に逃げ込んだ都市集団は最後の抵抗のため戦線を再々構築した。
しかし、度重なる敗走によって保有していたCp-5Dは放棄しており、重装備が極めて不足。 対する第1陸戦兵団中央部隊は、重コマブロイドを広範囲に展開して製鉄所を半包囲した。 北部では、黒色青衛軍北方集団の一部が前進中の第1戦車師団の一隊と遭遇してしまい、最終手段として後方で温存していた実弾を師団の兵士が発砲してしまい、黒色青衛軍兵士に負傷者が出ていた。 事態は最悪と言って良く、製鉄所の黒色青衛軍と相対する第1陸戦兵団も早期決着のため、実弾使用も視野に入れており、現場の緊張が高まっていた。
12:30、クリシチェルノエスク東部の港にUCG-0420 2体が出現、内部に搭乗していた乗組員が上陸した。
乗っていたのは、それぞれ療養から復帰したクリャコフ首相と、新ソビエト社会主義共和国から帰国していたクリツィナ青衛軍最高司令官であり、 青衛軍と黒色青衛軍双方に戦闘の停止を通信で呼びかけ、講話を求めた。 これをもって、青衛軍と黒色青衛軍、帝国軍は戦闘を停止した事により、自治体戦争は終結した。
上から各時間ごとの両陣営の部隊配置
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共和国と自由地区によるクリシチェルノエスク条約
北クリーニングラード共和国とクリシチェルノエスク自由地区についての講話は、北クリーニングラード共和国からはクリャコフ首相・クリツィナ青衛軍最高司令官・第1戦車師団および第1陸戦兵団の司令官、クリシチェルノエスク自由地区からはクリシチェルノエスク評議会の選挙で選出された外交員によって行われた。
クリシチェルノエスク自由地区は、市民による市民の為の場所を造りたいがために、周囲の理解を置き去りにした事についてクリャコフ首相に謝罪。 クリャコフ首相は、いくら自治に至るまでのプロセスをすっ飛ばしていたとはいえ、自分含め評議会がクリシチェルノエスク自由地区に対しての理解が欠けていたことを謝った。 鎮圧に参加した両師団の司令官は、死者が出てしまったことについては残念だとしつつも、暴動とその鎮圧が虐殺に繋がらずに済んだことを喜んだ。 今後同じような事態が起きない為にも、クリシチェルノエスク市民の意向を尊重する為にも、クリャコフ首相を中心に以下の提案を提示した。
しかし、この決定には、北クリーニングラード共和国との関係を視野に入れ、結果的にクリシチェルノエスク自由地区と北クリーニングラード共和国が共倒れになるリスクを避けねばならない
これらに双方が納得した事により、提案はクリシチェルノエスク条約として締結され、自治体戦争は正式に終結。
北クリーニングラード共和国とクリシチェルノエスク自由地区は以降対等な関係を約束され、友好関係を結ぶ事となった。 共和国・自由地区・大帝国とスィーニー=シュワルツ条約
クリシチェルノエスク条約の件が満足の行く形で終わった後、北クリーニングラード共和国とクリシチェルノエスク自由地区の代表は、引き続きアークランド大帝国を加えた3者による講話を開始した。
クリャコフ首相は、大帝国の参戦理由が武力の誇示である事には難色を示しつつも、大帝国が黒色青衛軍と共闘したことによって、結果的にとはいえ、自身が復帰するまで自由地区が持ち堪え、その自治能力を維持し、クリシチェルノエスク市内を巻き込む大火とならずに済んだ事を感謝し、これからも一定の関係を維持してはどうかと持ちかけた。 アークランド大帝国首脳陣はまさかの呼び掛けに驚きつつも承諾。 それぞれの国情の違いを考慮して以下の条文において、3者の国交を結び、それはスィーニー=シュワルツ条約として公認された。 条約の詳細は以下である。
アークランド大帝国(2024/3/9現在のアーデルフィア大軍議国。以下略)=北クリーニングラード共和国およびクリシチェルノエスク自由地区との政府・民間両方における国交を認める
アークランド大帝国=北クリーニングラード共和国およびクリシチェルノエスク自由地区での武力的衝突を認めず、両勢力間での平和維持に務める
アークランド大帝国=北クリーニングラード共和国およびクリシチェルノエスク自由地区での戦争関連を除く経済連携を可能とする
アークランド大帝国内において、戦災復興と民間レベルの経済活動を最優先とする非武装都市を形成し、アークランド大帝国政府および北クリーニングラード共和国による共同開発と運営を実施する(治安維持機構の在地は認める)
自治体戦争以降の関係
2つの条約は締結後も問題なく継続されており、特に、北クリーニングラード共和国とクリシチェルノエスク自由地区は、互いを異なる方向性からのアプローチを行う有意義な交友相手と評価し、北クリーニングラード共和国からは人材と進んだ技術と素材。
クリシチェルノエスク自由地区からは再生可能エネルギー技術を中心とした循環性の高い産業が齎されている。 北クリーニングラード共和国とアークランド大帝国とは、一定の距離感がありつつも、交友国という事実は両国民の安心材料であり、アークランド大帝国では度重なる内戦と政権交代により2024/3/9現在ではアーデルフィア大軍議国と名を変えつつも、外交は未だに変わらず続いている。 |