E計画 E-Plan | ||||
目次 | ||||
1.概要 2.移転の背景 3.開始 4.開始後の推移 5.完了 6.影響 |
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概要 | ||||
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年月日: 西暦2024年8月 - 2024年9月 | ||||
場所: 東アジア-ヨーロッパ | ||||
結果: 大中華帝国が領土移転に成功 | ||||
E計画とは、大中華帝国による東アジア(モンゴル)からヨーロッパ(ラトビア、エストニア、ロシア一部)への移転計画の名称。 | ||||
背景 | ||||
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この計画の背景にあったのは、アジア地域における共産圏勢力の広がりである。アジアでは周辺国に共産圏勢力下の国が多く、状況の打開を考えていた政府・軍部は大中華帝国皇帝に対してある案を提案した。それが「E計画」である。この「E計画」は共産圏勢力の多いアジアから、共産圏勢力と対立し、イデオロギーや政治体制を同一とする君主制国家が多く存在するヨーロッパへの領土移転計画であった。なお、涼しく冷たい土地を手に入れるためや、同盟国・友好国との距離の接近も目的の一つだったとも言われる。この計画は西暦2024年8月31日より開始された。 | ||||
開始 | ||||
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E計画開始とともに軍部及び政府は移転に必要な資源・根回しのために必要な資金の確保のためなどから国民から資金や資源の強制徴収を開始。一部地域では抗議デモや武装蜂起も発生したが、軍の活躍により早期に終結させられたため、移転計画への影響は微々たるものであった。また、それに並行して工場・住宅・建築物の解体や重要書類の輸送艦・輸送機への積載、処分を済ませた。なお、移転作戦用にイーデル級潜水輸送艦が30隻ほど追加生産する計画が立てられたが、追加生産分で間に合ったのは進捗率がその時点で95%w超えていた2隻のみである。また、指揮統制の簡略化のために艦隊の再編も行われた。西暦2024年9月2日、第一艦隊・第二艦隊・第三艦隊がヨーロッパへ向け出航。続いて2024年9月3日に第四・第五・第六・第七艦隊が、2024年9月4日に残りの第一・第二混成艦隊と第八艦隊が出航した。 | ||||
移転作戦で大きく活躍したイーデル級潜水輸送艦。E計画用におよそ3000隻が追加生産された。 | ||||
開始後の推移 | ||||
ヨーロッパへの移動 | ||||
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全艦隊の出航を済ませた大中華帝国海軍は左に記している進路でヨーロッパへの移動を開始。航海は順調に行われたものの、アラビア半島付近にて意見が二分した。通称パナマ運河迂回論と高速到達論の二種である。一つ目のパナマ運河迂回論だが、パナマ運河は狭く、縦にして入らなければいけないため、船同士の接触が起き危険であり、また、やや険悪な状態にある新ソ連が存在するためとし、パナマ運河を迂回することにより到着は圧倒的に遅れるものの安全に、確実にヨーロッパへと到着することができるという論理である。一方高速到達論はパナマ運河を通行することで高速でヨーロッパへ到達が可能であるため、負担が少なく、燃料も節約できとてもいいとした理論である。この二つの案は激しく対立したものの、移転作戦管理庁燃料管理官ローツフ・クラツネェルがパナマ運河迂回論では燃料が足りなくなるという試算結果を示したことによりパナマ運河の通行が決定。これによりリスクは高いものの高速到着が可能であるパナマ運河の交通が決定された。 | ||||
大中華帝国のヨーロッパへの移動経路。 | ||||
パナマ運河交通作戦 | ||||
パナマ運河の交通は、軽空母一隻、空軍の戦闘機約500機、ミサイル駆逐艦8隻、潜水輸送艦8隻による混成艦隊を基本としての交通を行った。とはいえ、一列になるしかないので艦同士の接触の危険性は否定出来なかったが、その心配は杞憂に終わった。各艦隊は無事にパナマ運河を通行し、もはや危険は無くなった。最終的な領土への上陸は夜間に行われ、その甲斐もあってか無事に上陸は成功。軍により高速で占領され、大中華帝国の領土移転は完了した。 | ||||
結果 | ||||
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領土移転を完了した大中華帝国は憲法を改正し、領土や政治などの部分の変更を行った。さらに国名を「モスクワ帝国」に変更。大中華語はモスクワ語に、蒾はゲタに、大中華人はモスクワ人に名称変更された。しかしながら先住民族たちは突如入ってきた外国人に対し反感を持ち、旧エストニア・ラトビアの地下にひっそりと潜伏していた。やがてこれは191年のモスクワ内戦へと繋がる。 |