東府北陽攻防戦


東府北陽攻防戦
TOFUーHokuyo Civil War
  目次
  1.概要
  2.戦争の背景
  3.開戦
  4.開戦後の推移
  5.終戦
  6.影響

  概要
戦争: 東府北陽攻防戦
年月日: 統一歴192年4月3日 - 194年3月3日
場所: 極東民主主義合衆国 特別行政区【東府】 北陽区
結果: KK・TVDF・KG連合部隊の勝利
交戦勢力
獣人陣営 反獣人陣営
獣人防衛自警団 反獣人連合
Konzern-Kyokuto モスクワ帝国義勇軍
Kaio-Group

  戦争の背景
統一歴192年代極東民主主義合衆国内部では獣人・亜人と反獣人の思想を持つ人間性の対立が激化していた。統一歴192年4月3日、反獣人連合により、北陽区の獣人居住区が攻撃され、獣人防衛自警団(以下TVDF)と衝突した、東府北陽攻防戦の火蓋が切られた。

  開戦後の推移
反獣人連合は北陽区に所在するKonzern-Kyokuto(以下KK)の所有する鉄道設備を攻撃すると、KKは徹底抗戦の構えを示す。また、極東民主主義合衆国と同様に国際獣人条約機構ITTOに加盟していたKaio-GroupがKKとTVDFの火力支援を名目に参戦。反獣人陣営も、火力支援を名目としてモスクワ帝国義勇軍が介入。ミサイル攻撃や、沖合での両陣営の艦隊戦に至るなど、戦闘は激化した。

  終戦
統一歴194年3月、反獣人連合は戦闘の終結と国家自体の消滅を目的として極東民主主義合衆国全土にミサイル攻撃を開始した。KKが全域に設置していた防空システムによってミサイル攻撃を退けた東府を除き、多くの地域がミサイル攻撃によって焦土と化した。また、KK代表との会談のために東府に移動していた柳瀬大統領を除き閣僚の消息不明となった。

  影響
攻防戦は多くの犠牲者を出した。極東民主主義合衆国政府はその機能を失い、ミサイル攻撃から生き残った東府はKonzern-Kyokuto主権行政区域【ARCADIA】として企業国家として新たな道を歩むことになる。

最終更新:2025年02月16日 17:41