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ハニカム退化・帰還主義者同盟鎮圧事件

↓ハニカム退化・帰還主義者らが使用した旧国旗


目次

事件の概要

ハニカム退化主義、帰還主義とは?

その後のハニカム連邦

事件の概要

ハニカム退化・帰還主義者鎮圧事件とは統一暦215年11月15日、ミハイル・ベアノフスキーを中心としたハニカム退化主義、ハニカム帰還主義を掲げる組織「黒色星雲連合」(BSUR)が書記長官邸前にて行った大規模デモに対し連邦軍が出動し、多数の死傷者を出した事件のことである。
政府の発表では24匹が死亡、215匹が負傷したとされているが、正確な死傷者数は不明である。
このとき、ベアノフスキーを含め組織幹部の大多数が死亡または重症を負っている。
これによりBSURは活動を停止、実質的に解体となった。
しかし、政府の思惑とは裏腹にこの事件を発端として、ハニカム国内では退化・帰還主義運動が盛んとなったのであった。

ハニカム退化主義・帰還主義とは?

ハニカム退化主義とはミハイル・ベアノフスキーが中心となる組織「黒色星雲連合」(BSUR)が掲げる思想の一つである。
第一次、第二次東欧大戦を通じてハニカムは核に汚染された焼け野原となった。
この原因を熊からクマへの進化の過程で得た頭脳にあるとした考えである。
そのため、あらゆる文明の利器を自ら放棄し教育制度を廃止することで、少しずつ本来の熊へ戻る事が組織の最終目標である。
「クマが知能を持たなければ領土問題は存在せず、他国との戦争も存在しえなかった。」
「クマに知能がないままであれば我らが民族はそれぞれが平和に暮らしていた。」
ベアノフスキーのポラリス郊外の琥珀第三公園での演説における象徴的な台詞である。
ハニカム帰還主義とはハニカム退化主義において、徐々に本来の熊へと戻っていったクマ達が本来の生息地である世界各地への森林へと帰還することを目指す思想である。

その後のハニカム連邦

その後のハニカム連邦は、退化主義・帰還主義のみならず、公国時代の君主制復活を求める「旧大祖愛国協会」や軍人ベアルパルト・ナポシュタイン率いる「片手斧の騎士団」の台頭により、混乱の時期を迎えることとなった。
最終更新:2026年07月23日 22:30