ラプラ演習作戦 | |
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年月日:2018年2月1日(日本時間)-2018年2月17日 | |
場所:欧州-紫電国境、ヴィリタリガ国内、地中海、バルト海、北海 | |
結果:聖紫電王国の勝利 | |
交戦勢力 | |
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指揮官・指導者 | |
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戦力 | |
31,000(紫電軍) 8000(親紫電派) カレンテルニア第6艦隊「オクレード」 | 18,000(ヴィリタリガ正規軍) 20,000(郷土防衛隊) 駆逐艦3隻(シャクベレルギ貴族民主主義的共和国連邦海軍) 空母2隻,航空巡洋艦7隻(リビア民主共和國連邦) 駆逐艦3隻(大ヴァルハラ帝国海軍) |
損害 | |
119名死傷(紫電軍) 307名死傷(親紫電派) 船舶34隻損失 | 902名死傷(ヴィリタリガ正規軍) 120名死傷(郷土防衛隊) |
ラプラ演習作戦(ラプラえんしゅうさくせん、英訳:Lapla exercise strategy)は、聖紫電王国が実行した、ヴィリタリガ帝国への侵攻作戦である。
目次 |
2018年2月1日早朝に紫電軍はヴィリタリガ帝国ラプラ県に向け侵攻した。侵攻部隊は高級将校を除き侵攻開始2日前まで演習と知らされ紫電国境に集結していた。
2018年1月初旬までは聖紫電王国とヴィリタリガ帝国はいたって良好な関係状態にあった。実際1月16日まで大量の木材を聖紫電王国は輸入し機械や石油などをヴィリタリガ帝国に輸出をつつがなく行われていた。決定的な関係悪化の予兆が見え出したのは聖紫電王国がヴィリタリガ帝国に対して保護に入ることを要求する10カ条の要求を駐ヴィリタリガ大使を通じて行った。それに対し統治者であるエデュアルト・フォン・ヴィリタリガは憤慨し国交断絶へと至った。
侵攻の表向きの理由は、ヴィルタリガ帝国との関係の悪化、紫電国内の放送局襲撃事件の措置であるとされた。侵攻後、紫電の大使はヴィルタリガ政府に対し、紫電軍は敵性諸国からバルト海周辺の国を守るためにやってきたのだと述べた。 バルト三国の地理や位置、気候は大きく異なっていたため、実際の軍事作戦は大きく異なったものとなった。2月4日にはエデュアルト・フォン・ヴィリタリガをはじめとするヴィルタリガ王室は国外へ脱出した。ヴィルタリガ軍の武装解除は難航を期したのの3月中旬に完了し、バルト三国は紫電から支援をうけることとなった。
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2018年1月28日夜、エデルサイに率いられた一団の紫電側工作員が紫電領内の放送局を襲撃し、モンキ地方のヴィリタリガ系住民に向けてヴィリタリガ語で紫電に対するストライキを呼びかけた。紫電の目的は、この襲撃と放送を反紫電的ヴィリタリガ系住民の暴徒のしわざに見せかけることだった。
この襲撃場面をよりそれらしく見せるため、エデルサイの部隊はヴィリタリガ人男性2名を連れてきていた。ヴィリタリガ人二名はヴィリタリガ軍の工作員のような服装をさせられ、致死量の毒物を注射され、銃で撃たれた。。遺体は現場のラジオ局に残され、あたかも彼らがラジオ局を襲撃した際に殺されたように見せかけられた。後に遺体は紫電の警察とマスコミに提示され、ヴィリタリガ人側による襲撃の証拠とされた。
侵攻の動機と戦闘序列
ヴィリタリガ帝国はバルト海に面する要所として重要な役割を担っていた。BDJF委員会(バルト海防備条約グループ)本部も同国のクライペダ郡に所在した。そのため国際上の問題でバルト海の仕様を規制された場合、聖紫電王国の貿易、海軍戦力が拘束され使用できなくなるのが懸念されていた。
ヴィリタリガ侵攻を行うのはサロー・ウィットメイア・カー中将指揮下の東部方面軍の部隊で以下の連隊が参加した。
バルト海からの支援として海軍から参加した主な艦船は次の通りである。
ヴィリタリガ軍の参加部隊
![]() ヴィリタリガ軍戦車 |
サロー・ウィットメイア・カー中将の指揮するヴィリタリガ侵攻部隊は海、空軍の支援の元、越境し一気に首都と軍事施設要所を占拠するというものだった。
クレティンガ
クレティンガでは侵攻開始から2時間後、第5山岳猟兵連隊が到着していた。これが初めて両軍のファーストコンタクトであった。同地の住民は紫電側と縁の深いものが多く地元の有力者との摺合せができていたこともあり駐留していた警備大隊を無事武装解除することができた。また同地の自警団と合流し新たな目的地を定め侵攻を開始した。
シャウレイ
この都市は地理上交易の要所として栄えヴィリタリガ軍の大部分がこの地を守備していた。侵攻5時間、最初に到達したブラザーズ戦闘旅団は都市にいたヴィリタリガ軍と戦闘を開始した。敵のヴィリタリガ軍も装甲部隊を中心とした守備部隊で双方100名以上の死傷者を出した。戦闘は当初ヴィリタリガ軍有利に進みつつあるが後続の歩兵連隊と空軍部隊の到着を期に次第に劣勢へと追い詰められていった。
当初、リビア国内ではヴィリタリガ介入反対派が多数を占めていた。なぜならこれまでの関係上紫電との交易が多く関係悪化はあまりにも望ましいことではなかったからだ。しかしヴィリタリガ帝国はリビアの主要交易国のひとつで主に第二次産業の輸入相手であったが紫電側の侵攻がきっかけで輸出入が途絶え経済が一時衰退しまう。そのため国内での品不足が急激に起こり国内では紫電打倒の参戦ムードが高まったことにより政府は2月4日付けでヴィリタリガ帝国に対する支援処置として紫電側に対する通商破壊を行う決断をした。
通商破壊
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当初バルト海の制海権を握る案が出ていたが艦隊過失時の損害が大きいため却下された代案として・地中海の制海権を握る・地中海にて通商破壊を行う・輸送船団の護送を行うことがが決定された。地中海での作戦は非常に順調に進み良好な戦果も叩き出すことができた。
ラプラ演習作戦に於いてヴィリタリガ帝国支援に参戦したシャクベレルギ貴族民主主義的共和国連邦は、聖紫電王国への貿易製品、物資および武器の出入りを妨害することを目論んだ海上作戦行動として「シロイルカ作戦(英:Operation Beluga)」の発動を宣言した。 当作戦の為にシャクベレルギ貴族民主主義的共和国連邦国防海軍は、国防陸軍と合同で海上封鎖戦略合同委員会を設立し、作戦行動地点としてヴィリタリガ帝国のクライペダを利用する計画が決定された。国防海軍准将ライプツィヒ・モンフォールの指導で、イカルイトにて初会合が設けられた。 シロイルカ作戦の初期段階ではライプツィヒ・モンフォールによって、オーデル川河口のシフノウィシチェを起点とし、ハーネ湾を渡り、ゴットランド島を経由、クライペダへと終点する計画が指揮されたが、委員会は「周辺国の警戒を煽る形としかならない」という判断を下し、結果的にボーンホルム島、エーランド島、そして直接クライペダへと寄港する内容となった。シロイルカ作戦の為にシャクベレルギ貴族民主主義的共和国連邦から送られた艦艇は以下の通りである。
当時、艦艇数に関しては蘭林級駆逐艦三番艦の「華芳」が中期段階に於いて追加される予定だったが、上記の委員会の判断により訂正された。また海上封鎖任務は「最も退屈で、最も貢献的」と国防軍兵より称されるほど、過去の経験より退屈なものであるとされていた為、陸海空軍問わず志願が絶えず、最終的な志願兵の数は約2万名に登った。しかし当作戦終了後までには、聖紫電共和国との小規模な交戦があった為に、死傷者が多く出る原因ともなりえた。 当作戦では、封鎖突破船と称された高速貨物船が多く出現し、これらは聖紫電王国による特権貿易商や密輸船など様々であった。当初は海軍艦艇などに搭載される小型砲や機銃などを搭載したものが多かったが、海上封鎖が回数を重ねるにつれ、作戦中期には速度を重視する為に武装を搭載せず、貨物や戦略物資のみを運搬した船舶も増加した。また高速貨物船などを所持しない貿易商や企業は大打撃を受け、それらの貿易船の多くは突破を断念し、聖紫電王国の港では民間船が溢れかえった。 しかし、当作戦では聖紫電王国への海上封鎖が主任務であったが、結果的にユトランド半島以東のバルト海を封鎖した為に、同盟国であるヴィリタリガ帝国にも甚大な被害が出た。この為、海上封鎖戦略合同委員会はヴィリタリガ帝国の要求を受け、ヴィリタリガ帝国と共同で「事前認定された貨物船の通過を許可」することで概ね一致した。
ヴァルハラ帝国はヴィルタリガ帝国と少なからずの交流があり今回の紫電による侵攻行為に対し意欲的な支援を発表しており準備中であった陸軍部隊と空軍部隊の合わせて3000名が支援作戦参加予定であった。だが、国民の大多数は戦争反対、支援反対の意見であり当初の予定であった陸軍部隊と空軍部隊の参加をやめざる負えない状況となった。公式的な支援を発表した政府としてはこの状況には難色を示し秘密裏に駆逐艦3隻をバルト海に向け出航させた。 ヴァルハラ海軍の小艦隊はリビア連邦の補給支援を受けともに終戦まで地中海でリビア国籍を詐称して海上封鎖作戦に参加をした。
当時紫電はカレンテルニア帝国と軍事同盟関係にありカレンテルニアの陸海空軍の部隊が少なからず紫電国内に展開していた。ヴィリタリガ帝国との開戦当初も紫電国内にはカレンテルニア第6艦隊が軍港に入っており戦艦2隻、巡洋艦4隻、駆逐艦多数がヴィリタリガ帝国の支援の海上封鎖によりバルト海からの脱出が困難な状況であった。そのため第6艦隊の主任務であった地中海及びバルト海での哨戒活動任務が滞ってしまい代わりにカレンテルニア帝国は別の艦船を任務にあたらせるという事態に陥ってしまった。この状況に難色を示したカレンテルニア政府は2月16日にヴィルタリガ帝国に対する抗議声明を発表した。
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2月10日朝方に紫電軍の先遣隊である山岳猟兵連隊がヴィルタリガ首都へと到達した。首都内には軍属・民兵を含んだ国民防衛隊が守備していた。当初は士気の高かった国民防衛隊であったが包囲が始まり紫電側による砲撃が始まる連れ士気は次第に低下していった。包囲3日目には国民防衛隊の10分の1が逃亡、戦傷などにより戦力が減少した。 決定的であったのが包囲5日目の昼頃、国民防衛隊7中隊を観閲中であった当時防衛隊に絶大な人気を博していたハートマン少将首都防衛司令官が紫電側による爆撃で戦死したことである。この事実は全部隊に知れ渡ることになり士気は急激に低下の一途をたどった。 17日午前9時に紫電側に降伏の通達が首都防衛司令官代理とり伝えられこれを紫電側の侵攻部隊の司令官であったサロー・ウィットメイア・カー中将は受託した。これにより紫電によるヴィルタリガ侵攻は終わりを告げた。
紫電軍は3月末までヴィルタリガ国内全域で治安維持活動及び武装組織の武装解除、残存敵対勢力の掃討を行った。 首都では親紫電側の政治家を中心とした臨時政権が発足し新生ヴィルタリガ帝国が誕生した。機能マヒを起こしていた省庁は次第に機能を取り戻し新たに復興省が設立された。 旧陸海空軍は解体され新しく国防軍が創設され、それに伴い紫電からの手厚い供与と紫電軍事顧問団による再訓練が行われ現在のヴィルタリガに至る。 翌3月までには一部を除きインフラも回復が行われ少しずつ日常が取り戻されていった。