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大ヒトラント=トンガ戦争 | |
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戦争:大ヒトラント=トンガ戦争 | |
年月:119年A月~121年B月 | |
場所:フィジー沖,ヌクアロファ島 | |
結果:大ヒトラント帝国の勝利 | |
交戦勢力 | |
大ヒトラント帝国 ・軍 ・艦隊 | ザーティエラ王国 ・フィジー艦隊 サンテルン連邦共和国 ・部隊 トンガ人民共和国 ・トンガ軍 大扶桑王国 ・部隊 |
指導者・指揮官 | |
損害 | |
大ヒトラント=トンガ戦争(Hitoranto=Tonga War )は統一歴119年から統一歴121年まで大ヒトラント帝国とトンガ人民共和国、大扶桑王国、サンテルン共和国連邦、ザーティエラ王国の4か国との間で行われた戦争である。 (人湯戦争とも)
トンガの状況
統一歴91年の選挙によって無産政党が与党となり成立したトンガ人民共和国は当初、親ヒトラント的外交を展開していたが、統一歴91年のヌクアロファ地震に端を発する内戦中に起こった政変によりその外交方針を一転。「地域ランドパワー理論」と呼称される疑似地政学イデオロギーに基づき、反ヒトラント的姿勢へと傾倒していった。統一歴103年に内戦が終結してからはその軍備を拡張し、重武装化を進めることとなった。また、ヒトラントを意識した外交政策によって119年にはザーティエラ王国と同盟を締結し、アジア自由条約機構の保護下に入った。
大ヒトラント帝国の状況
ヒトラントの最後通牒
開戦
統一歴119年某日、ヒトラント帝国からの最後通牒に対し、トンガ人民共和国は先日の返答と同じく要求は飲めないと返答し、ヒトラントの拡大主義を批判。大ヒトラント帝国はトンガへ宣戦を布告。ここに大ヒトラント=トンガ戦争が勃発した。トンガ人民共和尾国は同盟国であるザーティエラ王国、保護を受けていたアジア自由条約機構(ALTO)へ救援を要請。ザーティエラ王国からはフィジー艦隊に加え軽空母1隻、戦艦2隻、防空駆逐艦3隻の増援を送った。また、統一歴120年には大扶桑王国、サンテルン連邦共和国がヒトラントへ宣戦布告。横須賀からサンテルン、扶桑両国派遣部隊を乗せた車両貨物輸送艦1隻と護衛の汎用駆逐艦2隻がトンガ人民共和国へ派遣され、トンガタプ島沿岸部に防衛線を構築した。
フィジー沖海戦
開戦後初期においては、様々な問題等によりヒトラント、トンガ双方ともに大きな動きはなく、しかし来るべき決戦へ着実に進んでいった。120年上旬に、ヒトラント級戦艦をはじめとするヒトラントの大艦隊はフィジーへ進出。トンガ本土防衛艦隊及びザーティエラ王国フィジー艦隊と激突し、大ヒトラント=トンガ戦争最大の海戦が行われた。ヒトラント帝国の空母の艦載機や戦艦の砲撃によって、ほとんど航空戦力を有していなかったトンガのみならず、ザーティエラ王国フィジー艦隊も大打撃を受け、トンガは制海権を喪失した。
敵航空機からの攻撃を受けて沈みゆくオレガノ型コルベット |
損害
ザーティエラ王国フィジー艦隊
・沈没喪失
戦艦サンディアゴ
フリゲート・フンシャル
フリゲート・フォルメンテラ
潜水艦ベンダロン(MIA)
トンガ人民共和国国土防衛艦隊
・沈没喪失
オレガノ型コルベット1隻
エマーソンズ級防空警備艦2隻
ジョンソンズ型警備艦2隻
カンダブ型高速警備艇3隻
ノムカ型高速警備艇2隻
・大破
ヌクアロファ型哨戒艇 2隻
上陸作戦
開戦直後からヒトラント軍の「正面から侵攻する」という旨の発表を受けたトンガ軍は南方に重点的に陸軍を配置し、フィジー諸島及びトンガ諸島への上陸に備えていた。トンガ、ザーティエラ海軍を破ったヒトラント軍は120年に海兵団1500名及び陸軍8000名を第一陣としてトンガタプ島南部へ上陸を開始。トンガタプ島には扶桑、サンテルン派遣軍やトンガ軍が防衛線を展開しており、最初はヒトラント軍の上陸部隊を食い止めていたものの、ヒトラント軍の圧倒的な物量の前に戦況は劣勢へと傾き、撤退をはじめ、森林地帯での遅滞戦へと移行。また、この際扶桑派遣軍総指揮官である「山本 太亮中佐」が周囲の指揮官の警告を無視し、独断で敵陣に突撃を蛮行した。これにより扶桑派遣軍は半滅状態に陥り、「山本 太亮中佐」も敵陣地に突撃し、壮絶な戦死を遂げた。扶桑派遣軍は事実上崩壊、残党はサンテルン派遣軍に吸収された。
防衛上の理由から南部を走るリク・ロードの封鎖を決定。ホウマ市、ナコロ市、フアアモトゥ区の住人には疎開を要請した。トンガタプ南部の戦いでは、トンガタプ南部の大都市であるフアアモトゥを占領され、同地域に位置する空港がヒトラント軍の手に渡ったため、トンガ及びALTO軍はさらに追いつめられることとなった。
ロト・ロードの戦い
対岸から撮影された、戦闘前のロト・ロード防衛線 |
トンガタプ南部を失陥したトンガは首都、ヌクアロファを防衛すべく、森林の遅滞戦で得た時間でヒトラント軍を食い止めるべくロト・ロード防衛線をより強固なものにし、北上するヒトラント軍を待ち構えていた。ロト・ロードには、大規模な水インフラ整備によって作られた用水路があり、用水路などを利用し要塞戦を構築。防衛部隊には残存兵力のほぼすべてが投入され、数両の戦車も含まれていたことからまさしく死力を尽くした防衛線であったといえる。
この要塞戦に対し、ヒトラント軍は航空戦力、大口径砲をも動員し大きな損害を出した末にこれを突破。トンガ首都、ヌクアロファへと進出していった。この防衛線で首都防衛のための1中隊を残し殲滅されたトンガ政府は、「トンガ救国労働者連盟」の連盟員に事実上の民兵団である突撃隊の編成を呼び掛け、政府高官らを地下壕へと非難させた。
ヌクアロファ突入
ロト・ロード陥落以降ヒトラントの度重なる降伏勧告を黙殺し、ヌクアロファに降伏勧告のビラまでまかれたトンガであったが、その姿勢は揺るがず、降伏する様子はなかった。そこで、この戦争に終止符を打つべく、ヌクアロファへの突入が敢行された。ヌクアロファにいた1中隊は、ヒトラント軍の圧倒的な力の前になすすべもなく侵入を許し、突撃隊の組織的抵抗もじきに終わった。この時戦闘に参加した1中隊は全滅。突撃隊の多くは戦闘以前に逃走したといわれている。また、この前後にヒトラントの欧州海軍はその軍備を拡張し、それに対応するためなどの理由でザーティエラ艦隊がフィジーから撤退。
降伏
ヌクアロファを占領され、戦力も壊滅。制海権を失い、これ以上の一切の戦闘は不可能であると、ヴァエア・フナキ人民議長は防災無線にて戦闘の停止を命令。降伏を宣言した。その後、フナキはヒトラント軍によって逮捕され、銃殺刑に処された。
その後トンガ人民共和国幕僚は首都ヌクアロファ郊外にて
上記の五つの条件に同意し、トンガは大ヒトラント帝国の支配下に置かれることとなった。
国
国
国
サンテルン連邦共和国
ザーティエラ王国
大ヒトラント帝国
トンガ人民共和国
大扶桑王国