第一次アラスカ戦争

第一次アラスカ戦争(だいいちじアラスカせんそう)とは、東アジアに位置する大陸国中華連邦共和国スィヴェールヌイ諸島共和国領アラスカに侵攻したことを発端とする二国間戦争である。

目次

ベーリング海戦

ベーリング海戦
艦対艦誘導弾を多数被弾したことにより弾薬庫に誘爆し、轟沈するスィヴェールヌイ戦艦カノープスimageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。
戦争:第一次アラスカ戦争
場所:ベーリング海峡周辺
結果:北連によるベーリング海峡北部の制海権の維持
中華連邦によるベーリング海峡以南の制海権の確保
交戦勢力
   中華連邦共和国   
北方軍司令部
北太平洋艦隊司令部
第62沿岸対潜艦艇連隊
第42外洋対潜任務部隊
第55外洋航空任務部隊
スィヴェールヌイ諸島共和国
戦力
原子力大型航空巡洋艦1
原子力対潜巡洋艦1
防空ミサイル駆逐艦4
ミサイル駆逐艦10
ミサイル艦6
大型対潜艦2
小型対潜艦11
沿岸駆潜艦2
原子力巡洋攻撃潜水艦6
艦載機103
固定翼対潜哨戒機2
戦略爆撃機6
戦艦6
空母6
駆逐艦12
フリゲート24
潜水艦12
補給艦6
艦載機320
喪失艦艇
原子力対潜巡洋艦1
ミサイル艦1
小型対潜艦4
沿岸駆潜艦1
原子力巡洋潜水艦1
戦艦3
駆逐艦4
フリゲート2
潜水艦3

背景

アラスカ侵攻

来るべき北米上陸への足掛かりを欲していた中華連邦は、かねてより同盟国恵瀰詩=十洲共和王国の延長線上にあるアリューシャン列島、そして更に北へ進んだアラスカ半島への侵攻計画「北方作戦」を立案していた。前年の暮れのラズベリー侵攻により北米上陸への南側の拠点である中米を確保した中華連邦は、北側の拠点確保を目的とし統一暦132年5月11日、スィヴェールヌイへの宣戦布告を行わずにアラスカ半島へと侵攻した。アラスカへの上陸は無いと踏んでいたスィヴェールヌイはこれに組織的な対応を行えず、目立った戦闘もないまま中華連邦軍はアリューシャン列島・アラスカ半島を占領した。これに対し奪回の方針を固めたスィヴェールヌイ軍は、陸上部隊による逆襲に先立って十洲からアリューシャン列島を経由しアラスカ半島へ延びる中華連邦軍の補給線の破壊を企図し艦隊を編成、5月15日に北極海の洋上で編成を完結した。

開戦初頭の中華海上部隊の動向

アラスカ半島上陸に際しスィヴェールヌイ海軍の抵抗を想定した中華連邦軍は、上陸艦隊に先行する形で055「新疆」を旗艦とする第55外洋航空任務部隊をアラスカ半島へ派遣し、地上部隊の上陸後は航空機による地上部隊支援を実施していた。また、幌筵島配備の第62沿岸対潜艦艇連隊はスィヴェールヌイ海軍の潜水艦部隊に対する警戒のため対潜艦・駆潜艦2~3隻のHUK群を編成し遊弋させていたほか042「救世主」を中核とする第42外洋対潜任務部隊が幌筵島に待機していた。しかしどちらも数隻の艦艇による偵察等への対策であり、大規模なSAGによる反撃はほぼ想定していなかった。

戦闘の経過

接触

5月18日、ベーリング海峡北方で警戒していた中華連邦海軍第62沿岸対潜艦艇連隊のHUKチーム(62-1HUK、小型対潜艦1、沿岸駆潜艦2で構成)は対潜ヘリコプターの発艦直後に大規模な艦艇群を発見した。62-1HUKに付随した対潜ヘリコプターは1機のみであったことから発見は遅れ、HUKチームの長であった小型対潜艦艦長は本隊への通報後、即座に撤退を決意するもスィヴェールヌイ艦載機による猛攻撃を受け、有効な対空攻撃手段を持たないHUKチームは沿岸駆潜艦1を残し壊滅、残った駆潜艦は他艦の生存者の救助を可能な限り行った後、海域から離脱した。

第一次攻撃

崔灿少将を長とする第42外洋対潜任務部隊は62連隊からの通報を受け幌筵島沖からベーリング海峡へ移動し、5月19日深夜にスィヴェールヌイ艦隊と接触、交戦を開始した。臨戦態勢を整えていた中華連邦艦隊は発見直後に超音速対艦誘導弾136発による一斉射を行う。超音速誘導弾はステルス性を備えており、スィヴェールヌイ艦隊が誘導弾の接近に気付いた時には既に迎撃が不可能な距離であった。戦艦の高い近接防空能力が功を奏し戦艦・空母の沈没は避けられたものの、艦隊の前衛を務めていたフリゲートや駆逐艦など5隻が撃沈、艦隊旗艦の戦艦カノープスも中破した。スィヴェールヌイ艦隊は空母への被害がほぼなかったことから中華連邦側の攻撃の数時間後に中華連邦艦隊への航空攻撃を実施、200機近い艦載機が中華連邦艦隊に突入し、多くの損害を出しつつも前哨のミサイル艦1、小型対潜艦2を撃沈した。

第二次攻撃

中華連邦本土に駐留する最新鋭戦略爆撃機CFJ-1はアラスカ侵攻に際し11機が幌筵島へ進出しており、スィヴェールヌイ艦隊による航空攻撃とほぼ同じ頃に1機あたり8発の対艦巡航誘導弾を搭載したCFJ-1の6機が幌筵島航空基地より出撃、同日正午ごろ、スィヴェールヌイ艦隊へ対艦巡航誘導弾48発を発射した。これに呼応する形で中華艦隊は超音速対艦誘導弾の残弾112発全弾をスィヴェールヌイ艦隊へ斉射し、前衛を失ったスィヴェールヌイ艦隊はまたしても有効な迎撃を行えず、また中華連邦側が防空能力の高い戦艦へ攻撃を集中させたことからスィヴェールヌイ艦隊は戦艦2と護衛の駆逐艦1を失った。特に旗艦である戦艦カノープスは第一次攻撃での被害が大きかったこともあり、艦隊司令官こそ他艦に移乗していたものの第一主砲に誘導弾が直撃し弾薬庫に誘爆、艦首から沈み艦尾が持ち上がる形で爆沈した。これに対しスィヴェールヌイ艦隊は潜水艦による対艦攻撃を計画、潜水艦4隻を前進させ中華艦隊を攻撃した。これにより対潜警戒に当たっていた小型対潜艦と原子力巡洋攻撃潜水艦が1隻づつ失われたが、中華艦隊は対潜部隊であったこともあり多数の対潜ヘリコプターでスィヴェールヌイ潜水艦に猛攻撃をかけ2隻を撃沈、また原子力巡洋攻撃潜水艦の追撃によって更に1隻が撃沈された。

最終攻撃

旗艦を失い、満身創痍となったスィヴェールヌイ艦隊は5月21日の早朝、全力で中華艦隊への最終攻撃を実施した。残余艦載機のほぼすべてと潜水艦・戦艦を投入したこの攻撃は中華艦隊に少なからず損害を与え、特に崔灿少将以下司令部要員の乗艦する原子力対潜航空巡洋艦「救世主」は艦橋に直撃弾を受けるなど大きな被害を受け轟沈、任務部隊長以下司令部要員がほぼ全滅という損害を受けた。艦隊最上位者となった防空ミサイル駆逐艦艦長简蕴乔大佐は残余全艦に撤退を指示、自ら殿となり撤退を指揮した。対潜任務部隊の撤退という事態に上級司令部である北太平洋艦隊司令部は地上戦の支援を行っていた第55外洋航空任務部隊(指揮官:黎云天少将)へベーリング海峡への進出を指示、23日に当該海域へ到着し即座にスィヴェールヌイ艦隊へ艦載機による航空攻撃を行う。これによりスィヴェールヌイ艦隊最後の戦艦も撃沈され、スィヴェールヌイ艦隊も撤退を決意。黎云天少将は追撃を行わず、ベーリング海峡南方海域の確保を優先した。スィヴェールヌイ海軍は第二艦隊をベーリング海峡北方へ急行させたものの中華艦隊への攻撃は行われず、一連の戦闘は終結した。

結果

中華連邦はこの海戦により原子力対潜巡洋艦1を含む8隻を喪失したものの、相対的に劣勢であったにも関わらずスィヴェールヌイ艦隊の戦艦3隻全てを含む12隻を撃沈し、戦術的には中華海軍の勝利となった。しかし崔灿少将を含む第42外洋対潜任務部隊の司令部要員はほぼすべて全滅という形になり、これまで大型艦の喪失の経験が無かった中華海軍首脳部へ大きな衝撃を与えた。アラスカ戦争全体を見た場合、この海戦によってベーリング海峡以南の太平洋の制海権は中華海軍によって維持されることとなり、その後の地上戦へも大きな利益を与えた。しかしベーリング海峡北部の制海権はスィヴェールヌイ海軍が維持することが確定し、予定されていたアラスカ北部への上陸が行われなかった結果、最終的なアラスカ分割の際に中華連邦管轄となったのは北緯60度線以南のみとなり、アラスカ全土の制圧という中華連邦の本来の目的は達成されずに終わった。
スィヴェールヌイ艦隊は戦艦3を失う大損害を受けたが、そもそもスィヴェールヌイ海軍は多数の艦艇を保有しこの海戦に伴う損害がスィヴェールヌイ海軍全体の能力を落とすことには繋がらなかった。ベーリング海峡という要衝を中華連邦に奪われたスィヴェールヌイは地上戦において海上からの支援を行えなかったうえ、中華連邦側による対地支援を阻止する方法を失った。海戦後は潜水艦による突破を企図するも悉く失敗し、スィヴェールヌイ海軍内部ではこの海戦を敗北と受け止める声も大きかった。しかしベーリング海峡以北の制海権を維持したことは大きく、結果として終戦時の分割交渉でスィヴェールヌイが優位に立つ材料を生んだことは特筆に値する。
最終更新:2019年12月12日 22:58