南カフカス紛争

南カフカス紛争(みなみカフカスふんそう)とは、南コーカサス共和国連邦で発生した共産革命を発端とし中華連邦が南コーカサス地域へ介入した一連の紛争をいう。
南カフカス紛争
137年3月2日 - 137年5月22日
場所:南コーカサス
衝突した勢力
中華社会主義共和国連邦
ユークバニア連邦共和国
国家社会主義党

援助国:レグルス第二帝国
戦力
  中華社会主義共和国連邦:115,000   
ユークバニア連邦共和国:12,000
南コーカサス共和国連邦:55,000
国家社会主義党親衛隊:225,000 - 293,000
被害者数
戦死:2,159
負傷:7,352
事故死:132
戦死:5,500 - 11,200
負傷:7,950+

概要

アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアの3共和国から構成される南コーカサス共和国連邦では、統一暦136年の南コーカサス国政選挙で過半数を獲得した人民社会党により共産化が進んでいたが、同時に反共勢力である国家社会主義党の過激派、国家社会主義党親衛隊による武力抵抗が始まっていた。137年2月の時点で南コーカサス共和国連邦のほぼ全土が国家社会主義党親衛隊の支配下に落ち、アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ南コーカサス大統領に事態収拾能力が無いと判断した中華社会主義共和国連邦は東欧配備中華軍の特殊部隊である第501・502独立偵察支隊を投入し大統領を殺害、パーヴェル・ニコラエヴィチを新大統領に置き、南コーカサス共和国連邦の要請により同国の安全保障に介入するという名目で中華軍の進駐を開始した。

中華軍の侵攻戦略

もともとゲオルギエヴナ大統領の要請で南コーカサスに進駐した中華軍であったが、中華軍最高軍事参謀本部は同大統領の殺害を計画しこれを実行した。

侵攻に当たってはまず特殊部隊である第501・502独立偵察支隊が航空軍の支援を受け浸透、大統領殺害を遂行した後に精鋭部隊である空挺軍と地上軍の一部の親衛師団・自動車化師団(機械化部隊)が軍管区直轄の戦車旅団などと共に出撃、その後一般部隊である狙撃兵師団や支援部隊などが進駐した。東欧配備中華軍はほぼすべてが装甲車もしくは自動車を装備した機械化部隊であるが、山岳地帯ではこれが仇となり被害が増加した。そのため本国に配備されている山岳戦を得意とする部隊を軍団規模で南コーカサスへ派遣するなどの対策が取られ、紛争全体を見れば数ヶ月で全土を制圧するなど優秀な成果を上げた。

派遣された部隊は、第1親衛赤旗軍、第24親衛軍、第25親衛赤旗軍など累計で11万5000人を数え、また月ノ谷配備の航空軍がこれを支援した。
最終更新:2020年05月22日 12:21