以下ネタバレ注意!
考察
名前の由来
- 橘
- ミカン科ミカン属の常緑小高木
- ちょうどシェリーの目はみかん色
- 花言葉は「追憶」
- シェリーのイメージとは程遠いような……
むしろナノカのイメージでは
- 『ファミコン探偵倶楽部』の橘あゆみ?
- シェリー
- 『名探偵コナン』の灰原哀のコードネーム?
- シャーロック・ホームズの名称案にあった「シェリングフォード」
シェリーにとっての「友情」
シェリーは、幼少期の虐待あるいは、意図せぬ殺人によって、「心が壊れた」人物である。彼女は基本的に感情を感じているというより、それを客観的な形で学習し、模倣している。シェリーの「悲しいってこれであってます?」からもこのことは明確に示唆されている。彼女は、感情を後天的に学習しており、適切なタイミングで出力しているだけである。彼女は義理の両親の前でも、感情のある普通の「いい子」を演じ続けている。
シェリーは一般的な感情としての友情は理解できなかった。だからこそ、友情を模倣しようとした。彼女は友情を「誰にでもわかりやすく、客観的に見える形」として示すために、1週目においても2週目においても自分の身を犠牲にするという行動に出たのではないかと考察できる。
シェリーの「見せつけてやれましたよね?」というセリフにもそのことが端的に表現されている。
シェリーはハンナとの友情を「分かりやすく、誰にでも友情と認識してもらえるような形」で残したかったのだと考えられる。
シェリーのトラウマ
ヒロがシェリーを魔女化させる際に利用したのは、「怒り」であった。シェリーの「怒り」の感情はシェリー自身に向けられている。すなわち「自己嫌悪」である。
作中の描写や本人の発言から分かるように、シェリーのトラウマは虐待を受けたことや、意図せず職員を殺してしまったことではない。恐らく、トラウマは「感情無き化け物としてのアイデンティティにすがり続けて、壊れる前の自分自身の苦痛から目を背け続けている自分自身」に関係することであろう。
ある種の二重人格で、もう一方の人格(壊れる前の人格)を抑圧している説
一つの説としては、トラウマが「壊れる前の自分自身の人格」そのものか、あるいは「壊れる前の自分自身の人格が感じる痛み」であるということだろう。シェリーはある意味での二重人格であり、常に「倫理観のない明るい方の人格」が全面的に出ており、「壊れる前の自分自身」の人格は抑圧されている。だが、痛みなどの感情を真に感じているのは「壊れる前の自分自身」の人格であり、「倫理観のない明るい方の人格」で受け流し続けることでそれに耐えてきた。
シェリーが自身であっさり魔女化を成功させるのは、「壊れる前の自分自身」を一時的に呼び覚まし、そちらの人格の「痛み」を知ったからだろう。自己嫌悪を感じていたのは、恐らく「壊れる前の自分自身」の方の人格で、「倫理観のない明るい方の人格」の方はそれを見ないふりをし続けてきたのだと思われる。
魔女化してもそちらの人格に乗っ取られず、性格自体はすぐに戻るのは、「壊れる前の自分自身」の人格に一瞬しか触れてないからであり、それでも魔女化するのに十分過ぎる程トラウマ的な経験であるからだろう。
最終更新:2025年08月11日 19:53