「失われた10年」は「バブル隠し」?


旧大蔵省(現財務省)の建物

「失われた10年」という文学的表現は、実は、「バブル隠し」ではないか?


「失われた10年」という表現は、何時、誰が使い始めたのかは定かではない。少なくともマスコミに現れたのは平成10年代になってからで、4,5年前くらいからではなかっただろうか? 

既にみたように、バブルの始まりは、市場開放を求める内外の圧力の高まりから、大蔵省が、昭和55年に「外国為替外国貿易管理法」を「原則自由化」に踏み切ったことに遡る。
具体的な現象は、日本の経済界、金融・証券界を襲った「国際化」の大津波だ。

使い道は何でもよいという外貨建てインパクトローンが、経済界と国民各層を熱狂させ、

「昭和60年からの5年の間に、円貨換算額で300兆円を超える、めちゃくちゃな額の外貨建て融資が実行された。

それを原資として、不動産市場と証券市場が沸き立った。

「インパクトローンの原資はユ-ロ・ドルだった。


ユーロ・ドルの起源は、共産圏国家が保有するドル貨が冷戦時代の欧州で預金されたのが始まりだが、市場の拡大発展とともに、国家という枠組みを超えて活動する多国籍企業の資金の運用・調達の場となった。
ユーロ市場はその後ますます拡大し、無限大の信用創造能力をもつようになった。国際化の中の邦銀は、日本経済の信用力をバックに、ユーロ市場での有力な取引相手となり、100万ドル(3億円)、1000万ドル(30億円)という金額が、電話1本で簡単に調達できる存在になった。

「そもそも、市場開放前のインパクトローンは、日本がまだ外貨資金不足にあった昭和30年代から40年代の高度成長時代に、大蔵省の個別の許可で、在日米銀等から企業に行われていた貸出で、一般には知られていない融資だった。


大蔵省の統計に「財政金融統計月報」というのがある。手元にある平成11年(1999年)3月号を見ると、「国内銀行主要勘定」統計の、資産の欄の「貸出金」項目は、
次のように表示されている。
昭和50.3月末    813,291億円
昭和55.3月末   1,293,074億円、

       (次の10年は、計数不掲載)

平成02.3月末  4,341,726億円 

この統計では、昭和55年以降の10年間に300兆円増加という、一見したところ、経済成長による自然増で増加したとも見られるような体裁で、計数が表示されている。 

「バブルが破裂した平成2年(1990年)の残高は、市場解放された昭和55年3月末比、300兆円の増加となっている。正に、外貨建てインパクローンの実行残高に一致する。

バブル発生後の年度の計数を掲載するのは、大蔵省の沽券にかかわるとでも考えたのだろうか? 

「計数不掲載の10年は、「バブル隠しの10年」ではないのか?

「「財政金融統計月報」の作成に関わった大蔵官僚が、このブランク部分の10年間を自嘲気味に、「失われた10年」と名付けたのではないか? 


実際、日本の財政当局も、マスコミ関係者も、企業経営者も、金融・資本市場関係者も、エクイティー・ファイナンスで導入された「年金の原価」という新概念が、当時は、何を意味していたかがよくわからなかったことや、外貨建てインパクト・ローンが何に使われていたのかも実体がわからないまま、「国際化」という時代の勢いに、日本国がただ押し流されたのである。

「海外旅行が自由になり、名画や欧米ブランド商品が自由に買えるようになり、企業も個人も、金銭感覚が麻痺した時代だった。


昭和55年からの市場解放の10年が、結果において、借金だけを残した平成の10年間であり、

「期待すべき平成10年の間の成長を「先食いした」ことだったことを、分析し、反省してみることから始めなければならない。


一部の官僚やマスコミ関係者が、言葉の綾に過ぎない「失われた10年」で、この10年を「なかったことにする」ことはできない。

「現在規模が1000兆円に迫る国債債務の400兆円の部分が、この間の国家財政の債務だからだ。

 臥薪嘗胆で耐えねばならないバブル後の10年を、子と孫の時代の債務負担で、いわば、子と孫が努力して得るであろう期待値としての成長を先食いして、

「バブルで底上げされた現在のGDP世界第2位の生活水準を維持し、社会福祉を拡充しているに過ぎないことへの反省が必要なのだ。


平成13年(2001年)、小泉内閣が誕生した。省庁再編の合理化の中で、「大蔵省」は「財務省」と、チェック機関としての「金融庁」に分割された。このことは、形の上ではバブルの反省が行われたことを示した。
勿論、分割については大蔵省の抵抗はあったにしても、バブルの責任は免れないと観念した。ブレーキとアクセル、同じ運転者が踏み込めば、踏み間違えもある。

「しかし、大蔵省分割に際して、バブル期の原因究明は、政治家と官僚は勿論、マスコミや専門家の間でもなされた様子はなかった。

何事も、喉元過ぎれば過去のこと、バブルは「失われた10年」という一括処理で、一件落着なのだ。当然のことながら、経済界もサラリーマン組織だから、脛の古傷は問わないのが原則、

「英語でgoing concernと表現されるように、ひたすら前を向いて走り続けるしかない。 (つづく)

最終更新:2011年02月17日 10:07
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