夢を見る。観るのはもう何度目なのか、数えるのもやめた夢。
「レティ…息子は、息子と夫はここにいますか…!?」
豪雨の中巫女装束を着たまま避難所へたどり着いた哀れな巫女。そこには歓迎の雰囲気は無く、疲弊しきった市民から向けられる困惑と憤りが混ざった棘の様な視線。
「………スィオネ・サダルメルクさん。ですか」
一人の女性が近づいてくる。軍服からして人類連合の兵士だろう。先程まで救命活動をしていたのか短い髪が濡れており、所々泥と汚れが付いていた。
嗚呼、この表情は……。
「此方へ……」
案内される先はもう分かっている。分かってはいるが、"もしかしたら"を望まずにいられないのだ。
唯。そんな願いは叶う訳がなく。待っていたのは横たわる二人。体には白いシーツがかかっている。
「━━アケロスさんと、レティウスさんに間違いありませんか」
「あ…あぁ…」
「あ…あぁ…」
最愛の二人の亡骸を目に意識が遠のきそうになる感覚と同時に目が覚める。
どうせ夢なら生きている二人と再会させて欲しいのだが…許されないのだろうか。もしくは許していないのは自分自身なのだろうか。
どうせ夢なら生きている二人と再会させて欲しいのだが…許されないのだろうか。もしくは許していないのは自分自身なのだろうか。
息子と夫を失ってから20年程経とうとしている。それなのに未だ私は悲観に囚われているのね。と、スィオネは一人自嘲した。
穏やかな日差しが降り注ぐ正午頃。『ヒュギエイアの杯』本部で行われる定期的な検診が終わり、権能上の関係で地上に出る事の出来ない上司のお使いとしてショッピングモールで買い物を済ませたスィオネはふと見上げるととある看板を見つけた。
『オリュンポス』のメンバーが集合している横一列に並んだ一目引く看板。ご丁寧に巫女の名前と降ろした神の名まで記載されている。
「リーダーと超ボス、カサンドラさんは相変わらずそうで良かった…………他の方は………殆ど知らないわ……」
『オリュンポス』のメンバーから『奈落』の看守となり18年程は経っている。当時、苦楽を共にした仲間は今頃どうしているのだろうか…
「ハデスの巫女……!そう、見つかったのね……」
『モノリス』へ寝返ったハデスの巫女との因縁はリーダーから聞いていた。『オリュンポス』が長年探し求めていたハデスの巫女を見つけたという報せはスィオネを少しばかり安堵させる。
他にも当代の巫女を目に焼けつけるように見ていると、何かにぶつかった感触。
「あっ!ごめんなさい!」
振り返ると同じく看板を見ていたらしい少女がいた。少女の目の前には、帽子で隠してはいるが同じ顔をした巫女の写真。
「こちらこそごめんなさい。…貴女も、巫女なの?」
少女は少し悪戯がバレたかのようなバツの悪い顔をした。
「まぁそう、ですね…せっかくなのでSNSにアップしようかと」
少女は看板の宣伝も兼ねて自身の看板と自撮りをしていたと説明した。
「そう……以前私も『オリュンポス』に在籍していたの。なんだか懐かしくて。……マリヤさんは元気?」
「すっごく元気ですよ!最近はお孫さんのメラニアさんも頑張ってて!」
「すっごく元気ですよ!最近はお孫さんのメラニアさんも頑張ってて!」
マネージャーの名前を聞いた少女は嬉しそうに話し始める。スィオネは在籍中、孫が生まれたと少し嬉しそうに言っていたマリヤの顔を思い出した。
「って、先輩!!??も、申し訳ありません!先輩だと気づかずぶつかってしまい…」
「大丈夫よ。私がいた頃なんて20年くらい前の話だもの。それに、今は別の場所で働いてるし…」
「大丈夫よ。私がいた頃なんて20年くらい前の話だもの。それに、今は別の場所で働いてるし…」
勢いよく謝罪する少女を宥めていると、少女の後ろから人影が現れた。車椅子の女性と、その後ろで補助をしているらしい女性の二人組だった。
「おーい!待っ………… スィオネさん?あの、スィオネ・サダルメルクさんですか?」
車椅子の女性は驚いた様子でこちらを見る。補助していた女性も信じられないと言った形相で、目を見開いていた。
「お、お久しぶりです。覚えていませんか?以前、━━━の巫女をしていた━━━」
今にも飛び出しそうな車椅子の女性の名前を聞きスィオネは凍りつく。その名は、夫と息子の命を奪った龍を討伐した巫女の名であった。
あの日。別のドラゴンの討伐任務に就いていたスィオネが、家が流され家族が行方不明だと告げられたのは全て終わった後だった。
巫女たちが手薄になった時に突如として現れたドラゴン。ある巫女による決死の防衛で被害は最小で済んだが、家族は戻ってこなかった。
瀕死の重体だと聞いていたが、まさか後遺症が残るまでだったとは…
巫女たちが手薄になった時に突如として現れたドラゴン。ある巫女による決死の防衛で被害は最小で済んだが、家族は戻ってこなかった。
瀕死の重体だと聞いていたが、まさか後遺症が残るまでだったとは…
「私、ずっと貴方に謝りたかったんです。あの時…ご家族を守れず申し訳ありませんでした。私の意識が戻った時にはもう……『奈落』へ向かったと聞いて……」
彼女は語った。ドラゴンとの戦闘で瀕死の重症を負い、気付けば動けるまで数年かかったこと、後ろにいる女性が介抱し支えてくれたということ、そして…その龍災害で救出した赤子が今隣にいる少女であるということ……。
スィオネは少女を見つめる。あの災害で赤が今では成長して巫女をやっていると言うのだ。
スィオネは少女を見つめる。あの災害で赤が今では成長して巫女をやっていると言うのだ。
「……なんだか、夢を見ている気分だわ」
スィオネはそう呟く。そして、車椅子の女性に向け唇を開いた。
「いいの。貴方のことを恨んだことがない、と言えば嘘になるのだろうけど。でも……あの災害から救われた子がいると分かっただけでも、家族は報われると思うから……ありがとう。あの時戦ってくれて。街を……みんなを守ってくれて」
互いに涙が溢れる。長年抱えていた感情が濁流の様に溢れ、二人は熱い抱擁を交わした。
その後スィオネと三人は昼食を取り、様々な話をした。これまでのこと、現在のことなどを。
彼女の中にある深い悲しみが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
その後スィオネと三人は昼食を取り、様々な話をした。これまでのこと、現在のことなどを。
彼女の中にある深い悲しみが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
「スィオネ先輩。今日は本当にありがとうございました」
別れ際に少女が言う。
「本当はお辛いと思います。……それでも、今日一緒にいてくれて、お母さんがすごく嬉しそうなの……初めてで」
少女がお母さんと呼ぶ車椅子の補助をする女性。髪は長くなっているがあの時、避難所にいた兵士であろう。
彼女がこの子を育てるには沢山の苦労があったに違いない。
「お忙しいのは重々承知ですが……また、お会いできたら嬉しいです。スィオネ先輩が良ければ、ですけど」
しどろもどろに少し恥ずかしそうに尋ねる少女の手を取り、スィオネは小さく笑った。
「私は今、『ヒュギエイアの杯』に通うくらいでしか地上に出ることがないの。きっと地上から目を背けていたのでしょうね。でも…貴女たちに逢って、今まで止まっていた時間が動いた気がして凄く嬉しかった。私からもお願い、ルディアさん。また会ってくれる……?」
少女━━ルディアは満面の笑みで応じた。
「おやおや?何かお困りごとかな?」
数日後。『奈落』の大広場にて上司が話しかけてきた。今は運動の時間で看守達は囚人達の見張りをしている。
「違反はありません。お構いなく」
スィオネは上司、即ち看守長に対し淡々と答えた。
「それはそれは。良いことだ」
スィオネはこの飄々とした態度を取る看守長の、全てを見透かす様な視線が苦手だった。
「そうそう。この前のお土産ありがとね〜あのスクラブとボディミルクすごくいい。おかげでお肌がツヤツヤだよ」
「それは良かった」
「それは良かった」
最低限の会話を心掛けるスィオネに看守長であるはシャファクは苦戦している。実際会話に勤しむ時間は無いのだが。
「これ。イルカルラ、サダルメルクが困っているじゃないか」
すると何処からか巫女が現れる。それは現所長のナラカであった。
「あれぇ?所長。随分と早いお戻りですね」
「偶々だよ。下のフロアで囚人が暴れている。現在野牛島と左馬丞が応戦中。……行けるかな?」
「了解」
「偶々だよ。下のフロアで囚人が暴れている。現在野牛島と左馬丞が応戦中。……行けるかな?」
「了解」
移動用の牛、グラガンナを呼び出し現場へ移動するシャファクに続こうとしたスィオネだったが、ナラカに呼び止められた。
「最近少し顔色がいいみたいだけど、地上で何かあったのかな?」
「いえ、別に……」
「そう。でも君が悲しみ、苦しみから少しでも救われているなら喜ばしい限りだ。有給を取りたいならいつでも言っておくれ。すぐ承認しよう」
「いえ、別に……」
「そう。でも君が悲しみ、苦しみから少しでも救われているなら喜ばしい限りだ。有給を取りたいならいつでも言っておくれ。すぐ承認しよう」
そう言うとナラカは消える様に移動した。
所長の気遣いに呆然としていると、奥で特殊な檻を準備しているシャファクが確認できた。相変わらず態度とは裏腹に仕事は迅速だ。
所長の気遣いに呆然としていると、奥で特殊な檻を準備しているシャファクが確認できた。相変わらず態度とは裏腹に仕事は迅速だ。
二人のために彼女は祈る。
(……アケロス、レティウス。私はまだ貴方たちを失った悲しみに暮れている。もう20年も立っているなんて、ずっと実感が無かったのだけれど…あの子に会って、ほんの少しだけ…前を向ける気がするの。どうか、天国で安らかに━━━)
その日、スィオネは夢を見た。家族でヴァシロピタを食べた夢。ケーキの中にコインを見つけ、この深い悲しみが幸福になる日が来ることを願いながら目を醒ましたのであった。