人外と人間

人狼×お嬢様 ウルフのストレート 1

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ウルフのストレート 1 1-570様

鉄の棘は強固に噛み合い、獲物の足を深く捕らえていた。
罠に掛かった獣は憔悴し地に横たわる。
草に半分埋めたその顔は、開いた口からダラリと舌が垂れ、薄く開いた眼は白く幕を帯び濁っていた。
ごく浅く上下する腹の動きがなければ生死の判別もつかないような状態だった。
森は春の日射しに淡く萌える。
生い茂る葉の隙間から覗く高い空に、獣を見下ろして雲がのどかに流れた。
もうどれだけの時間を獣がここに伏しているかは解らない。
刃がめり込む傷口は未だ赤黒く濡れているが、じきに全て干からびてしまうのだろう。
死。
獣は、静かにそれを意識した。
だが、

―でかいいぬだな

人間の声が聞こえた。

―おまえ、あしいたいの?

草を踏みしめる軽い足音が獣へと近付く。
最早気配を探る力もない獣は、靄のかかる瞳を億劫にそちらへ向けた。
ぼやけた視界に人影が映る。小さな影はうっすらと赤く滲んだ。

赤茶色の髪の子供が一人、獣の足元にしゃがみ込む。
両手で貝のように閉じた二枚の鉄板を抉じ開けようと試みるが、内向きにびっしりと並ぶ尖った刃が指に食い込み、力を込められない。
非力な手には余る鉄の罠だが、子供は諦めなかった。


手頃な太さの枝を拾ってくると、罠の蝶番を支えるバネへと突き通す。
ガチャガチャと罠が揺れ、共に傷口も動いた。獣は、自らの痛覚が未だに働くことを知る。
その痛みが引金となり、獣の四肢に徐々に力が籠ってきた。

―まだ、己れ(おれ)は生きられる。

獣は焦点の定まらぬ目で子供を見た。乾ききった舌を震わせて口中に戻す。
日に透ければ茜になる赤茶の髪色や、石鹸の香りに阻まれた先にある微かな体臭。
この人間を作る情報を自らに深く刻み込む。
ギイ、ギイ。罠が幾度もきしんだ。
子供が歯を食いしばり、枝に渾身の力を込める。

パン――

弾けるような音を立て、罠は壊れた。



シーエルは紅茶を飲み干し、珊瑚のような唇からそっとカップの縁を離した。
鉄道の中とはいえ、一等車両ともなれば豪奢な内装が施され、ティータイムも優雅に楽しめる。
大きな硝子の窓の向こうに流れるのは青い山々と田園風景だ。
「お済みでしょうか」
ティーセットを下げに来たボーイにシーエルは微笑んで頷いた。
長い睫が優しく影を落とし、鳶色の瞳の大きな目を縁取る。
おっとりとした顔立ちと濃紺のワンピースが良く似合い、正に深窓の令嬢といった姿だった。


その背に流れる髪は翠がかかるほどに、黒い。


ローランと言えば世界的に名の通った紅茶のブランドだ。
ローランクオリティと呼ばれる品質の高さは、王室や高級ホテルでも愛される一級品だった。
そのローランの女社長の一人娘・シーエルは、列車に揺られ両親と共に郊外の別荘からの帰路についていた。
社長である母と、同社で買い付け指示を取り仕切る重役の父は日々多忙なのだが、毎年夏期の一時だけは家族で避暑地で過ごす。
都会の喧騒と離れて過ごす夏休みは、毎年変わらないシーエルの楽しみでもあった。


シーエルのいる個室にボーイと入れ違いで母が顔を覗かせた。
上品なツーピースを身を包む知的な貴婦人、マリナ・ローランだ。
「シーエル、もうすぐ駅よ。何か必要な物はある?」
駅といっても一家の目的の降車駅ではない。
ただ、次に停まる駅では車両の切り替えや燃料の補充も行うため、かなり長く停車することになる。
ホーム内の売店で簡単な買い物をして帰ってくることも出来るのだ。
シーエルは「足りております」と首を振った。つられて目の上で切り揃えた前髪もサラリと動く。
最新の雑誌もアメニティグッズも、必要な物はすべて車内に取り揃えられている。


売店にありがちな土産物にもあまり興味が沸かなかった。
「そう?私はちょっと出てくるから」
母はヒラヒラと手を振ると通路に戻っていった。
消費者のニーズや新しい流行の察知に貪欲な女社長は、降車して販売店や駅の様子を見て回るつもりなのだろう。
母の後ろ姿を見送って、シーエルは窓へと視線を戻した。

しばらくして車内にアナウンスが入り、列車は駅へと到着した。
何本も線路が並列する大きなホームに停車し、ドアが開けば降りる客や乗る客がせわしなく窓の前を横切っていく。
ハンドバッグ片手にホームを歩く母の姿も見つけられた。
シーエルはそれらの光景を見るでもなく見ていたが、とある人影にふと目を止めた。
(まあ、大きな方)
その男性は列車に背中を向けて立っていた。
堂々とした体躯に黒いテイルコートを纏い、頭にはシルクハット、そして手には白い手袋とフォーマルな装いだ。
ホームに立つ姿は柱のように大きく、周囲の人々から頭二つ突き出ている。
と、その男がピクッと顔を上げる。
何かしらとシーエルが軽く窓の硝子に片手をつき、首を傾げた瞬間。
グリッ
男が恐ろしい速度でこちらに振り向いた。
「ひっ」
シーエルは思わず息を飲んで身を引く。


男の顔には鼻上までマフラーが深く巻かれていた。
さらにシルクハットを目深に被っているためその容貌は殆ど見えないが、隙間から覗く肌は石炭のような闇色だ。
その中にギロリと剥かれた双眸は青白く、シーエルを射抜く勢いで凝視している。
―怖い!怖過ぎる!!
身の危険を感じ、シーエルはガバッと体ごと顔を背けた。
(わ、私にジロジロ見られてご不快だったのでしょうか…)
シーエルは青ざめた。あんなに強く睨まれるなど生まれて初めてだ。体が縮み上がる。
―もしかしたら、あのマフラーは大火傷を負った顔の傷を隠していたのかも知れない。
だから他人からの好奇の視線に非常にナーバスなのかも知れない。
(ああ…不躾に人様を眺めたりするものではありませんわ。ごめんなさい…)
グルグル回る後悔で頭を一杯にしたって今更遅い。
もしや、まだこちらを見ていたりして…と怖々横目で窓を見た時。シーエルは今度こそ悲鳴を上げた。

「ぎぃやぁああぁあっ!!」

絹を裂くような、とは言えないたくましい悲鳴が個室を揺るがした。
いつの間に移動したのか、窓にはその男性が張り付いていた。
手袋の両手をベタリと硝子に付け、鼻先も押し付けんばかりに接近した鬼気迫る姿。


マフラーは解けかけて垂れ下がり、隠されていたその顔が露になっている。

そこにあったのは、
黒い毛に覆われた狗の貌。

大きく割れた巨大な口と前方に伸びた鼻筋。
口からは紫色の舌が垂れ、鋭い牙が覗く。
氷のような瞳の中に宿る瞳孔は懍とした黒点で、シーエルを鋭く捉えていた。

―黒狼。

シーエルは全身を総毛立たせ硬直している。
硝子越しの獣とシーエルは、まるで時が止まったように見つめ合った。

続く




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  • このお話の雰囲気が凄く好きです!続き楽しみにしています! -- (名無しさん) 2009-02-22 23:50:08
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