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魔女と神様.4

最終更新:

mato4869

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魔女と神様.4



「そう。行くの。」

思いもよらなくて翠は目を瞠った。出かけようとしていた矢先、入口近くの長椅子から飛んできた声。
そこに目を向ければ、ちょこんと腰かける栞がいた。
当然みたいな顔してそこにいるが、回復しきった栞がここで過ごしていたことなど一度もない。
「栞さん、何をして、」
「出かけるんでしょう?」
「え…えぇ。でもすぐに戻りますよ…?」
「そう。出かけるのね。」
…しばしの沈黙が満ちる。
じっと無表情に見上げる栞。その視線に耐えきれなくなった翠は、何度目かわからない言葉を差し出した。
「…先日は心配かけてすみませんでした…。」
「………。」
うわぁまただ。内心翠は冷や汗をかく。
怪我を負って帰ってきたあの日、目を覚ました翠が最初に見たのは無表情な栞だった。栞を見慣れた翠には読みとれる、憔悴した色を滲ませて。
詰られること覚悟で何度も謝った。
だが栞は無言だった。詰らず怒らず。『誰が心配など』ぐらい言われると思ったのに。
どうして怪我を負ったのかすら、栞は一言も聞こうとはしなかった。
「…栞さん。」
翠は無言が苦手だ。地雷覚悟で口を開いた。
「私が出掛けること…怒ってます?」
栞は目線だけ外した。ゆっくり、何かを思案するように泳がせる。
おもむろにその目は、マリア像に向いた。
「あなたは、」
翠もつられてそちらを見る。
「あれの無いところに出掛けて、いいの?」
マリア像と翠の目が合った。
マリア像に瞳はない。ただ、目の形にまるく彫られているだけ。
ほんの少し前までその瞳が全てを見通し、世界を救う力を授けてくれると信じていたのが
なんだか逆に信じられなかった。暗い夜中に、月明かりで景色が見えてきた感覚。
「えぇ、いいんです。」
翠は栞の知らない笑顔を見せた。
「石膏像より大切な人を、思い出しまして。」

栞はまぁるく目を瞠って翠を見た。その目はゆっくりと普段の大きさに戻る。
少しばかり俯いたので、ローブが揺れて表情を隠した。
「ねぇ神父。訊いていいかしら。」
「なんでしょう。」
「あなた、種族は何?」
翠はぽかんとしたが、とりあえず真面目に答えた。
「レックウザ…ですが。」
「…そう。」
ローブから零れた表情。栞本人も無自覚だったちいさな微笑。
それに思わず微笑んでしまった翠は、この後殴られることになる。

「そんなまずそうなの、鳥も食わないわね。」








少し時計を巻き戻し、まだ翠の目が覚めない頃。
静謐な聖堂には3人。眠る翠、無言の栞、ぽつぽつと事情を話す刹。それだけだった。
刹という男は何度見ても半透明で、こうして目の前にいても存在感を感じられない。話す声もこんな沈黙の中でさえ溶けて消えてしまいそうだ。
だからこそだろうか。この男の話は信用できた。
「…くうこ。」
刹が話し終えた頃、栞がぽつりと反復する。
翠ではない本当の名前。
「…おそらく、目が覚めたら空瑚は、でかけるだろう。」
だって言ってたから。悲痛な表情で何度も何度も。
「"炎龍"と"カルロ"を助けなきゃ、って。」
栞は一言も返さない。自分に輪をかけた無口さに刹は溜息をつく。
「それで…お前は、どうするんだ。空瑚がでかけた後…」
「どうでもいいわ。」
「え。」
さしもの刹も固まった。栞はただただ翠を見下ろし、呟く。
「…ずるいわね。」
「なにが。」
「自分だけ、何もかも思い出して。」
長椅子に横たわり眠る翠。その長椅子の肘置きに腰かけ、栞は翠の頭を軽く蹴った。刹は唖然とするは栞はやめない。ぺち、ぺち。
少しモノクルがずれた。そうするとなんだか別人みたいな貌に見えた。
それがなんだかもっと腹立たしい。
「私はまだなにもわからないのに…。」
ぽそりと呟く声が静けさに溶けた。
頑張ってるのに。ひとりきり、自分が何者なのか探り続けているのに。翠はいつのまにか全て思い出して、見知らぬ仲間まで手に入れて。
知らない名前を冠して。知らない背景を得て。
そんなのは、そんなのは、ずるい。
「…"栞"…。」
刹がぽつりと呼んだ。独り言に近かったらしく、刹の視線は翠の赤い本に注がれていた。倒れていた翠と一緒に拾ってきた本は、長椅子にそっと置かれている。
「確か、本のページに挟むもの、だったか。また読めるように。」
「それが、何。」
「気になっただけだ。」
栞もつられて赤い本に目を向ける。
「…俺は、なにも思い出せない。思い出せてもすぐ忘れる。だから、さまよってた。あてがない、から。」
ぽつ、ぽつ。溶ける透明な声。雨のように栞へ染み込んだ。
「けれど、お前は此処にいた。こいつと一緒に。」
憎まれ口を叩き叩かれ。苛々したり小言を言ったり。決して良くはない関係、なのに此処にいた。
「それは、何か訳がある気がする。」
刹はゆっくりと栞に目を合わせた。

「在るんじゃ、ないのか。お前の探し物は、此処に。」



"栞"。
続きを読みたい本に、挟むもの。
栞はしばし目を瞠り、呆然とした。やがてぎこちない動きで後ろを振りむく。そこには翠の本が置かれていた。
古びた赤い装丁の厚い本が、置かれていた。
いつも翠が抱えていたのに、栞がいつも見ない振りをしていたものだ。
ぺたん、床に降りる。その靴音は小さく響く。ゆっくりゆっくり近づいて、近づいて…栞は、赤い本の前に来た。
刹は黙って見ている。気配は最初から消えている。
おかげで栞はただ、目の前の赤い本だけ意識すればよかった。

小さな指を伸ばした。
臆病に震える指だと、自覚しながらそっと伸ばした。
そう、私は臆病だ。迷うのは信じられないからじゃない、信じることが怖いからだ。
見えないのは無いからじゃない、見ることが怖いからだ。
男を狩る理由を巧妙にごまかしていたように。
怖いから。怖いから忘れてしまった。怖いから思い出せない。自分を優しい嘘で包むのは、いつだって自分自身。
けれどそれでは嫌だと叫ぶ自分もいるの。
神という嘘で自分を包む、翠がそれを破ったように。

"栞"を引き抜き、ページをめくり、先へ進みたい自分もいるの。




指が触れた。
確信するには十分だった。
嗚呼、なんて馬鹿な神父。これは聖書なんかじゃない。

「母さん《madre》…。」

探し物は在った。
それは百年の戦を綴る、ありふれた歴史の本。



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