リリスと騙され子羊
「紅、悪いんだけど、ごみぽいしてきてくれる?」
「…うん」
綺麗好きの鉄は、毎日朝食と洗濯を一通り終えると、家中を掃除する。
そしてその時にでたゴミの類を捨てに行って、それから昼食を作り出すのが日課だ。
ところが今日は思いのほか掃除に時間がかかってしまった。
これでは昼の時間が遅くなってしまう、と思いたった鉄の苦肉の策である。
「ごめんなー、帰ってきたらご飯準備できてると思う!」
「だいじょうぶ。いってきます」
紅は鉄からゴミくずを入れたバケツを受け取った。
「…うん」
綺麗好きの鉄は、毎日朝食と洗濯を一通り終えると、家中を掃除する。
そしてその時にでたゴミの類を捨てに行って、それから昼食を作り出すのが日課だ。
ところが今日は思いのほか掃除に時間がかかってしまった。
これでは昼の時間が遅くなってしまう、と思いたった鉄の苦肉の策である。
「ごめんなー、帰ってきたらご飯準備できてると思う!」
「だいじょうぶ。いってきます」
紅は鉄からゴミくずを入れたバケツを受け取った。
この世界に太陽はないけれど、心なしか世界は明るい。
いつもゴミを捨てている場所にやってきた。紅は密かにゴミ置き場と呼んでいる。
バケツの中身をひっくり返して空を見上げて、陸のことを思い出した。
晴れている、ということは、頑張っているのだろうか。
何故だか空を見上げていると、心の奥に何か抜け落ちたものを感じる。
思い出の片隅で一緒に笑っている人は、あれは、誰なのだろう。
喉元まで名前が出かかるのに、すぐに「大したことじゃない」と誰かが押さえつける。
そしていつも、その声に流されてしまうのだ。鉄の居ないときには、いつもこうなる。
何かを思い出そうとして、わからなくなる。あれは、誰だろう。大切な人のはずなのに。
「……………。」
思い出に残っていないということは、その人は居なかったことと同じになってしまう。
忘れてはいけなかったはずなのに。自分を叱咤してもなんともならない。
暫く陽光の中で目を閉じてから、家に戻りかけた、が。
急に強い力で引っ張られて、瓦礫の壁に叩きつけられる。
赤い目が真っ直ぐ、紅を捉えていた。
「探してる、お、男が居るんだ、見なかったか、なが、ながい、きん、色の髪の」
紅は首を横に振った。ルイは金髪だったけれど、髪は短かった。
それに、この男は危険そうな匂いがする。紅は必死に思考回路をめぐらせる。
けれど男は紅の反応を見て項垂れると、力を緩めた。
「し、しらないなら、すまなか、すまなかった、乱暴し、して」
落ち着かない様子で男はあちこちを見渡して、紅にもう一度向き直る。
「もし、もしその、鏡、っておとこ、男にあった、ら伝えてて、くれ俺が探して、さがしてたって」
「……きょう?」
「こ、咬竜。おれは咬竜、鏡、さがし、さがさな、みつから、ない」
「落ち着いて。鏡、って人を探してるんだね?」
咬竜、と名乗った男は何度も何度も首を縦に振ると、頭を抱えた。
「そう、だから、逃げて俺、すぐだめに、鏡がいないと、俺、あああああ」
絶叫して膝をついた咬竜をそっと覗き込んで、紅は心配そうに声をかけた。
「ねえ、大丈夫…?」
「にっにげ、逃げてくれ早く、じゃないともういたい、きばが、だめに」
金属を引っ掻いたような甲高い音が迸る。紅は思わず咬竜から二、三歩退いた。
これは、何かまずい。けれどものた打ち回る人間ひとりを置いて逃げるのは気が引ける。
手をこまねいていると、咬竜の姿が次第に何か帯のようなものに包まれていった。
それはどこからともなく現れて、何重にも咬竜を包んでいく。
やがて、それが身を起こした。十メートルはあろうかという巨体を震わせて。
「……!」
紅はとっさに家の方角目指して走り出した。
それは赤い目でじろりと紅を見つめると、ゆっくりと方向を変える。
そして地面を叩き割って、その奥へと吸い込まれていった。
いつもゴミを捨てている場所にやってきた。紅は密かにゴミ置き場と呼んでいる。
バケツの中身をひっくり返して空を見上げて、陸のことを思い出した。
晴れている、ということは、頑張っているのだろうか。
何故だか空を見上げていると、心の奥に何か抜け落ちたものを感じる。
思い出の片隅で一緒に笑っている人は、あれは、誰なのだろう。
喉元まで名前が出かかるのに、すぐに「大したことじゃない」と誰かが押さえつける。
そしていつも、その声に流されてしまうのだ。鉄の居ないときには、いつもこうなる。
何かを思い出そうとして、わからなくなる。あれは、誰だろう。大切な人のはずなのに。
「……………。」
思い出に残っていないということは、その人は居なかったことと同じになってしまう。
忘れてはいけなかったはずなのに。自分を叱咤してもなんともならない。
暫く陽光の中で目を閉じてから、家に戻りかけた、が。
急に強い力で引っ張られて、瓦礫の壁に叩きつけられる。
赤い目が真っ直ぐ、紅を捉えていた。
「探してる、お、男が居るんだ、見なかったか、なが、ながい、きん、色の髪の」
紅は首を横に振った。ルイは金髪だったけれど、髪は短かった。
それに、この男は危険そうな匂いがする。紅は必死に思考回路をめぐらせる。
けれど男は紅の反応を見て項垂れると、力を緩めた。
「し、しらないなら、すまなか、すまなかった、乱暴し、して」
落ち着かない様子で男はあちこちを見渡して、紅にもう一度向き直る。
「もし、もしその、鏡、っておとこ、男にあった、ら伝えてて、くれ俺が探して、さがしてたって」
「……きょう?」
「こ、咬竜。おれは咬竜、鏡、さがし、さがさな、みつから、ない」
「落ち着いて。鏡、って人を探してるんだね?」
咬竜、と名乗った男は何度も何度も首を縦に振ると、頭を抱えた。
「そう、だから、逃げて俺、すぐだめに、鏡がいないと、俺、あああああ」
絶叫して膝をついた咬竜をそっと覗き込んで、紅は心配そうに声をかけた。
「ねえ、大丈夫…?」
「にっにげ、逃げてくれ早く、じゃないともういたい、きばが、だめに」
金属を引っ掻いたような甲高い音が迸る。紅は思わず咬竜から二、三歩退いた。
これは、何かまずい。けれどものた打ち回る人間ひとりを置いて逃げるのは気が引ける。
手をこまねいていると、咬竜の姿が次第に何か帯のようなものに包まれていった。
それはどこからともなく現れて、何重にも咬竜を包んでいく。
やがて、それが身を起こした。十メートルはあろうかという巨体を震わせて。
「……!」
紅はとっさに家の方角目指して走り出した。
それは赤い目でじろりと紅を見つめると、ゆっくりと方向を変える。
そして地面を叩き割って、その奥へと吸い込まれていった。
息を切らして家にたどり着くと、家の前で風が立っていた。
どうやら心配していたらしく、紅を見るなりきっときつい視線を向けた。
「…ごめんなさ」
謝ろうとした紅の言葉を断ち切って、鈍い地鳴りが響く。
風が腰の刀を抜き放つ。紅を庇うように前に立ち、刀を構えた。
地面から飛び出してきたのは、先ほどの巨大な蛇――竜、と呼んでも過言ではあるまい。
ずらりと牙の並んだ顎をがばりと開く。涎が滴って、地面を塗らした。
風は地面を蹴ると、思いっきり振りかぶって刀を振るう。きん、と高い音が響いた。
咬竜だった銀の竜には傷ひとつついていない。風は驚いたように竜を睨む。
紅は恐る恐る竜に語りかけた。
「…いないよ、ここには、いない。君の探してるひとはいないよ」
竜は紅に鼻先を寄せると、紅の匂いを嗅ぐようにしていたが、やがて低い唸り声を上げて地面に飛び込んで行く。
ほっとして溜息をつく。風は納得のいかない様子で刀と地面の穴を見比べていた。
やがて家の中から鉄の声がする。
「ごはんできたよー? …なんかおっきな音したけど、怪我してないよね?」
「あ…うん、だいじょうぶ。いま、行くね」
竜の消えたほうへ振り返って、紅はその穴を見つめていた。
例え平らな地面に見えていたって。例え艶のある木の実に見えていたって。
「…わかんないよね、ほんとうは」
腹ペコの蛇が、顔を覗かせた。
どうやら心配していたらしく、紅を見るなりきっときつい視線を向けた。
「…ごめんなさ」
謝ろうとした紅の言葉を断ち切って、鈍い地鳴りが響く。
風が腰の刀を抜き放つ。紅を庇うように前に立ち、刀を構えた。
地面から飛び出してきたのは、先ほどの巨大な蛇――竜、と呼んでも過言ではあるまい。
ずらりと牙の並んだ顎をがばりと開く。涎が滴って、地面を塗らした。
風は地面を蹴ると、思いっきり振りかぶって刀を振るう。きん、と高い音が響いた。
咬竜だった銀の竜には傷ひとつついていない。風は驚いたように竜を睨む。
紅は恐る恐る竜に語りかけた。
「…いないよ、ここには、いない。君の探してるひとはいないよ」
竜は紅に鼻先を寄せると、紅の匂いを嗅ぐようにしていたが、やがて低い唸り声を上げて地面に飛び込んで行く。
ほっとして溜息をつく。風は納得のいかない様子で刀と地面の穴を見比べていた。
やがて家の中から鉄の声がする。
「ごはんできたよー? …なんかおっきな音したけど、怪我してないよね?」
「あ…うん、だいじょうぶ。いま、行くね」
竜の消えたほうへ振り返って、紅はその穴を見つめていた。
例え平らな地面に見えていたって。例え艶のある木の実に見えていたって。
「…わかんないよね、ほんとうは」
腹ペコの蛇が、顔を覗かせた。