堕ちた獣の爪の跡
どこか暗い場所で目を開ける。目にした光景に、一瞬鏡かと思った。
けれどすぐにかぶりを振る。
僕はこんな風ににやにやと笑わないし、僕の髪は橙だったはずだ。
「誰アンタ。」
『ダレかって?』
仮称は偽物で十分だろう。偽物は人間離れした高い声で答えた。
『キミの欲しいモノダヨ。』
「馬鹿じゃないの。」
誰が欲しがるか、こんな気持ち悪いモノ。
つきあっていられないと踵を返しかけた時だった。
『ホントウダヨ。―――だって君は望んだだろう?』
急に声が、しわがれた老獪な声が呼びかけた。
同時に偽物はごぼごぼと音を立て、両の腕は水飴のようにだらりと溶け、ある形を成していく。
ごつごつと尖ったライン、鋭い先端、水かきのように張られた艶やかな皮膜。
それは、
『キみはこレをノゾんダだロウ…?』
動けない僕に、それは抱くように覆いかぶさって…。
けれどすぐにかぶりを振る。
僕はこんな風ににやにやと笑わないし、僕の髪は橙だったはずだ。
「誰アンタ。」
『ダレかって?』
仮称は偽物で十分だろう。偽物は人間離れした高い声で答えた。
『キミの欲しいモノダヨ。』
「馬鹿じゃないの。」
誰が欲しがるか、こんな気持ち悪いモノ。
つきあっていられないと踵を返しかけた時だった。
『ホントウダヨ。―――だって君は望んだだろう?』
急に声が、しわがれた老獪な声が呼びかけた。
同時に偽物はごぼごぼと音を立て、両の腕は水飴のようにだらりと溶け、ある形を成していく。
ごつごつと尖ったライン、鋭い先端、水かきのように張られた艶やかな皮膜。
それは、
『キみはこレをノゾんダだロウ…?』
動けない僕に、それは抱くように覆いかぶさって…。
「焔…ッ!」
悲鳴に近い声で焔ははっと目を覚ました。
ばっと起き上がると、肩から瓦礫の粉末が落ちていった。背後を見やるとべっこりへこんだコンクリートの壁。頭から滴る液体は、確認する気も失せた。代わりに眼前の異様な光景を、視認する。
悲鳴に近い声で焔ははっと目を覚ました。
ばっと起き上がると、肩から瓦礫の粉末が落ちていった。背後を見やるとべっこりへこんだコンクリートの壁。頭から滴る液体は、確認する気も失せた。代わりに眼前の異様な光景を、視認する。
真っ黒い影の群れが焔を取り囲んでいた。
頭も四肢もあり一応人型を取ってはいるが、その長さはおぞましいほどに長い。ちょうど夕暮れ時の影がそのまま立ちあがったような。そして影は次々と地面から這い出てきて、その数を増やしていた。
「焔、血が、出てる…ッ大丈夫…!?」
「…大丈夫。僕から離れていて、シズハ。」
不安げにうなずいた静葉が、再び身を隠すべく駈けていった。その背中に、影の腕が音もなく伸びる。
が、つッ。
焔の爪が、影の腕を地面に打ち付けた。
「彼女に、触れるな。」
それが契機となった。
棒立ちしていた影達が、焔達めがけて一斉に腕を伸ばした。
「―――――ッッ!!!」
「しゃがんで、静葉ッ!」
ドーム状に伸びた影を頭上でやり過ごす。そのスキに囲いの一点を爪で切り裂き、崩れた箇所から二人は脱出した。
脱出はしたが影は際限なく伸びて二人を追いかける。切り裂けば死に絶えるようだが、キリがない。それは黒い大きな触手生物のようだった。執拗に腕を伸ばし、獲物を絡めとらんとする。
「ッひ…!」
影に気をとられているうちに、静葉から小さな悲鳴が上がった。
見ればその足をいくつもの影が、人の手の形で掴んでいる。
「シズハッ!!」
すぐにその影を断とうとしたが、それは叶わなかった。焔の腕も影にからめとられてしまったからだ。
しまったと思うももう遅い。腕が捕まれば左腕、両足、両の羽根。見る間に全ての動きを封じられてしまった。
「ッこの…離せッ!離せこの野郎ッ!」
もがけばもがくほどからみつく。そしてどこかへ引き込まれていく。目の前にいる静葉も同じように引き込まれていた。彼女の足元は真っ黒に染められており、じわじわと、足が沈み込んでいく。
ぞっとした。静葉が、守るべき人が、いなくなってしまう。それは自分が死ぬより、恐ろしいこと。
焔が恐怖に怯えたその瞬間、絡みついた影達が、一斉にざわめき始めた。
『*カヨル*、**ョニ*レルナ。』
『ユ***イ、*トメ**、ア*ツダ**。』
『*イテ*カナ**、***。』
ノイズにまみれた声は文字変換などできようもない。よく聞くと大量の声が発せられてるはずなのに、唱えられているのは3パターン程の言葉だった。異様なリピートと復唱が、耳へどぼどぼと注がれていく。込められた想いが、文字を介さず注がれる。
爛れ、崩れ、糸をひいて粘つく腐乱した"憎悪"。
感情の籠らない恨みの言葉が、焔へ、浴びせられる。
『**ヲ、ヨコセ。』
影達は焔の羽根に絡みつき、無理やり引き抜こうとする。酷い酷い痛みで全身が痙攣した。
悲鳴は唇と共に噛みちぎる。そうしている間にも愛する人が沈んでしまうから。
彼女が沈む。奪われる。いなくなる。消えていく。失う。
それは恐ろしいことだった。
「焔、血が、出てる…ッ大丈夫…!?」
「…大丈夫。僕から離れていて、シズハ。」
不安げにうなずいた静葉が、再び身を隠すべく駈けていった。その背中に、影の腕が音もなく伸びる。
が、つッ。
焔の爪が、影の腕を地面に打ち付けた。
「彼女に、触れるな。」
それが契機となった。
棒立ちしていた影達が、焔達めがけて一斉に腕を伸ばした。
「―――――ッッ!!!」
「しゃがんで、静葉ッ!」
ドーム状に伸びた影を頭上でやり過ごす。そのスキに囲いの一点を爪で切り裂き、崩れた箇所から二人は脱出した。
脱出はしたが影は際限なく伸びて二人を追いかける。切り裂けば死に絶えるようだが、キリがない。それは黒い大きな触手生物のようだった。執拗に腕を伸ばし、獲物を絡めとらんとする。
「ッひ…!」
影に気をとられているうちに、静葉から小さな悲鳴が上がった。
見ればその足をいくつもの影が、人の手の形で掴んでいる。
「シズハッ!!」
すぐにその影を断とうとしたが、それは叶わなかった。焔の腕も影にからめとられてしまったからだ。
しまったと思うももう遅い。腕が捕まれば左腕、両足、両の羽根。見る間に全ての動きを封じられてしまった。
「ッこの…離せッ!離せこの野郎ッ!」
もがけばもがくほどからみつく。そしてどこかへ引き込まれていく。目の前にいる静葉も同じように引き込まれていた。彼女の足元は真っ黒に染められており、じわじわと、足が沈み込んでいく。
ぞっとした。静葉が、守るべき人が、いなくなってしまう。それは自分が死ぬより、恐ろしいこと。
焔が恐怖に怯えたその瞬間、絡みついた影達が、一斉にざわめき始めた。
『*カヨル*、**ョニ*レルナ。』
『ユ***イ、*トメ**、ア*ツダ**。』
『*イテ*カナ**、***。』
ノイズにまみれた声は文字変換などできようもない。よく聞くと大量の声が発せられてるはずなのに、唱えられているのは3パターン程の言葉だった。異様なリピートと復唱が、耳へどぼどぼと注がれていく。込められた想いが、文字を介さず注がれる。
爛れ、崩れ、糸をひいて粘つく腐乱した"憎悪"。
感情の籠らない恨みの言葉が、焔へ、浴びせられる。
『**ヲ、ヨコセ。』
影達は焔の羽根に絡みつき、無理やり引き抜こうとする。酷い酷い痛みで全身が痙攣した。
悲鳴は唇と共に噛みちぎる。そうしている間にも愛する人が沈んでしまうから。
彼女が沈む。奪われる。いなくなる。消えていく。失う。
それは恐ろしいことだった。
死ぬよりも。
そう、死ぬよりも。
爆音と共に閃光が爆ぜた。
静葉の周りの影が散りぢりに消える。呑み込まれていた暗闇からも抜け出せたようだ。
次いでヒカトの周りの影が灰となる。ようやく解放されたヒカトの口端からは、赤黒い血が滴っていた。
『フレアドライブ』、そして『ブラストバーン』。
「…あげないよ。」
ばさりと一つ鳴いた羽根は焔と共に崩れた。静葉が血相を変えて駆け寄る。
「焔っ…!大丈、夫…!?」
焔は静葉を見て、その身体に傷ひとつないのを見て、にこりと笑った。
「大丈夫だよ、シズハ。」
ちゃんと、君を守れたよ。
静葉の周りの影が散りぢりに消える。呑み込まれていた暗闇からも抜け出せたようだ。
次いでヒカトの周りの影が灰となる。ようやく解放されたヒカトの口端からは、赤黒い血が滴っていた。
『フレアドライブ』、そして『ブラストバーン』。
「…あげないよ。」
ばさりと一つ鳴いた羽根は焔と共に崩れた。静葉が血相を変えて駆け寄る。
「焔っ…!大丈、夫…!?」
焔は静葉を見て、その身体に傷ひとつないのを見て、にこりと笑った。
「大丈夫だよ、シズハ。」
ちゃんと、君を守れたよ。
*
「…次の仕事ももうじきかな。」
やれやれ、本当に彼への"仕事"は忙しい。
去っていく二人の背中を、ダークライは見送っていた。焼けきれていなかった影をやさしく撫でながら。
『チカヨルナ、カノジョニフレルナ。』
『ユルサナイ、ミトメナイ、アイツダケハ。』
『ハネヲ、ヨコセ。』
ノイズを取り除けばなんのことはない、それはある男の血を吐くような想念。
さぞかし無念だったのだろうね。死んでしまったその瞬間。
彼にわかってほしいかい?
無理だろうね。
死ぬまで。
「……いいや。死んでも、か。」
誰か指折り数えてみるかい?この影が、何匹いるか。
やれやれ、本当に彼への"仕事"は忙しい。
去っていく二人の背中を、ダークライは見送っていた。焼けきれていなかった影をやさしく撫でながら。
『チカヨルナ、カノジョニフレルナ。』
『ユルサナイ、ミトメナイ、アイツダケハ。』
『ハネヲ、ヨコセ。』
ノイズを取り除けばなんのことはない、それはある男の血を吐くような想念。
さぞかし無念だったのだろうね。死んでしまったその瞬間。
彼にわかってほしいかい?
無理だろうね。
死ぬまで。
「……いいや。死んでも、か。」
誰か指折り数えてみるかい?この影が、何匹いるか。
『オイテイカナイデ、ミズハ。』