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氷にゆびさき

最終更新:

mato4869

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氷にゆびさき


彼は鉄と云うのだそうだ。撃鉄の鉄と書いて『てつ』。いい名前だ。
鉄は毎日毎日想像以上の音をくれた。おしゃべりな彼は、私に話を聞かせるのが大好きなのだ。
「見て見て冥!だぁりんの飛行機!」
「ですから見えませんって。」
「あ、そっか。あのな今な、右の方から飛行機がな…」
そんな調子で景色まで話して聞かせてくれた。さらには出される料理にまで話が及ぶ。
「これは目玉焼き。お塩かけてあるからしょっぱいぞ。白いところはぷにぷに、黄色いところは半熟大好きな俺の趣味でとろとろだ!」
外界がほとんど知覚できない私を気遣ってなのか、単に根っからの話好きなのかは知らない。後者な気もする。
なんであれ、私はこの家の中のあらゆるものをすっかり知ることができた。知ることができれば想像できる。真っ暗だった視界は、鉄のくれた言葉と想像で随分にぎやかになった。
けれどひとつだけ埋まらないところがある。
それは、鉄自身の容姿。

彼が何より好きなのは"だぁりん"の話だった。
「だぁりんさん。変わった名前ですね。」
「ちっ違う違う。だぁりんってのは名前じゃなくて…いやん馬鹿そんなこと言わせないのっ!」
べしべし叩かれる音がした。こういう時の鉄は挙動不審だ。
おそらく、好きな人のことなのだろう。どうもその人は男性のようだが別段抵抗もなかった。というか、私も人のこと言えない。
"だぁりん"のことを話す鉄の声はいつも以上に柔らかくて弾んでいた。この声は特に、私のお気に入り。
あたたかくて、優しくて、きれいな声だ。
ついつい話そっちのけで聴き入っていると、ふいにその声が自分に向けられた。
「なぁ、冥には好きな人いないのか?」
不意打ちだった。思わずきょとんとしてしまう。浮かぶ人がいない、訳じゃないけれど。
「…生憎、自分のことはよく覚えてないんです。」
それは鉄の前ではとても、話せるものじゃないから。
代わりに私は、お伽噺をひとつ話すことで勘弁してもらった。



むかしむかし。


まっくらな世界がありました。
太陽も月ものぼらない、ずっとまっくらなせかいです。
ひとびとの心までまっくらになりました。
まっくらな心のひとびとは、おたがいがだいきらい。
まいにちまいにち、嘘をつき、うばいあってすごしていました。

あるところに青年と少女がいました。
青年と少女は、この世界をつくりかえようときめました。

二人はうんと昔の時代にいって、れきしを変えることにきめました。
まっくらな世界には病気の女王さまがいて、女王さまのかわりに支配している家来がいます。
家来はたいへんおこりました。二人をつかまえてころしなさいと自分のしもべにいいました。
けれど二人はなんどでもしもべ達からにげのびました。
そしてついに、二人は昔の時代にたどりつくのです。





「自ら追いかけた家来も、二人に倒されてしまいます。」
実はその先は知らない。
けれど容易に想像できる。私はにっこり笑って続けた。
「そうして二人は歴史を変え、世界は光に包まれるようになりました。」
改めて鉄の気配を探ってみた。どうやら、ぽかんとしているようだ。
「…なぁなぁ、それどうなっちゃうの?」
「え、ですから世界は光に、」
「えっとそうじゃなくて。」

「最初の、まっくら世界はどうなっちゃうんだ?」

ひゅっと、喉を通る空気が尽きた。声が出ない。
絶句する私の代わりに鉄が呟いた。
「きっと消えちゃうよなぁ。」
柔らかな声で呟いた。
「よく、覚えてねーんだけどさ。前に誰かに言われた気がするんだ。『時間に手なんて出すもんじゃない』って。」
赤い人影。撫でるカプセル。中にちらと見えた金剛の光。記憶とすら呼べない断片的なもので鉄にもよくわからないのだそうだ。
でもきっとちょっとでも覚えてるってことは、大事な言葉なんだろうな。
そう言って鉄は微笑んだ。
「だから家来が怒るのもなんとなくわかるよなぁ。」
ああ、なんて
「消えたくないもんな。」
綺麗な声で、

「死にたくなんて、ないもんなぁ。」

衣ずれの音がした。首から力が抜けていた。
どこかに体重を預けていた。
今自分がどうなっているのか、想像することも煩わしい。
「くーろ、」
だからそんな声で呼ばないで。背中でぽむぽむ音たてないで。頭でくしゃくしゃ音たてないで。
ぎゅって音すら
聴こえそう。
「泣かないの。」


ねぇ、鉄。

あなたが見たいよ。


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