「……教えて欲しいんだけどよ、ここ、どこだ?」
奇妙なことを訊く相手に、男は首を傾げた。
この目の前の相手は、自分の位置を知らないと言う。それだけでも十分奇妙だが、それ以上に、この質問を発した人物そのものが少々──否、かなり奇妙だった。
年の頃は十三、四の少年。茶の髪に、やや眦のきつい面立ち。年相応の体躯だが、着込んだ見慣れぬ意匠の長外套は大きすぎ、袖は幾重にも折られ、裾は地に着いてしまっている。
この年頃の子供が一人でこんなところにいること自体がそもそも奇妙だ。
一応道沿いとはいえ、主要な街道からも、人里からも離れた場所にある花畑。普通、子供が一人で来れるような場所ではない。
しかし、少年は現に連れもなく、ここにいる。着込んだ長外套は、まさに長旅をしてきたかのようなくたびれ方をしていた。
だが、それに反して少年は旅に必要な荷物を持っている様子がない。身を守る武器すらなく、まさに身一つでここにいるかのように見える。
しかし、男は知っている──否、今まさに目の前で見せ付けられた。この少年が、自分の身を守るに十分な武器と、それを扱う技倆を持ち合わせていることを。
淡い色の花畑に、累々と転がる十の鎧姿。半数は男が斬り倒したものだが、もう半数はこの少年が倒したものだ。
男は十の刺客に追われ、多勢に無勢でやられそうになったところを、背の高い花の陰からひょっこり顔を出したこの少年に助けられたのである。
なんとも間の悪い場所に居合わせてしまった少年に、いきなり刺客の一人が目撃者を残さんとしてか、斬りかかった。男が助けに入る間もなく、少年は凶刃に倒れるかに見えた。
しかし、次の瞬間に男が見たのは、まるで魔法のような光景だった。
少年は刺客の刃を易々と躱し、つい一瞬前まで確かに何も手にしていなかった両手に身の丈ほどもありそうな長剣を現して、一刀のうちにその刺客を返り討ちにしたのだ。
そうして、男と刺客の群を見渡して言ったものである。
「どういう事情かしらねぇが、たった一人に十人がかりとは穏やかじゃねぇな。しかも、居合わせただけの俺までいきなり斬り殺そうとするなんざ、どう考えてもまともな連中には思えねぇ」
言って、にっ、と男へ不敵に笑いかけ、
「──助太刀するぜ」
そうして、刺客の群に駆け寄ると、あっという間に二人を倒してしまったのである。
しかも、呆れたことに──少年は相手を殺していなかった。最初の一人もその後の二人も、続いて更に倒した二人も、である。
少年の助太刀を得た男自身が残りの五人の刺客を討ち倒したわけだが、こちらは生かして無力化するような手加減をしているような余裕は――体力的にも、心理的にもなかった。
だから今、周りに転がっている鎧姿は、半分は死体で、半分はうめき声すら上げずに昏倒しているだけ、というわけだ。
少年は敵が全員倒れたのを見て取ると、血のついていない白刃を、露でも払うように一振りして──その手から、忽然と刃を消してしまった。
それに驚いて、男が声を上げるより早く──少年の方が先に、冒頭の問いを口にしたのである。
「……えーと、おっさん、その格好からして旅の傭兵かなんかだろ? 助けた礼っちゃなんだけどよ、良ければここがどこか、あと、近くの町にはどう行きゃいいのか教えてくんねぇか?」
自分をまじまじと見つめて一向に答えない男に戸惑ったのか、少年がもう一度問いを繰り返した。
その言葉に、男は苦笑する。
男はこれでもまだ二十四だ。ただ今は長旅の最中で、黒髪は乱れ、顔も汚れたりくたびれたりしているから、実齢(とし)より老けて見え、おっさん呼ばわりも仕方がないのかもしれない。
また、土埃にまみれた旅外套に、腰に収めた長剣、助力を得てとはいえ五人を倒した腕を見れば、旅の傭兵──いわゆる自由戦士と判断するのは自然なことだろう。
しかし、十三、四の少年が、気後れせずに自由戦士に声をかけられるというのは、全くもって自然とはいえないのだが。
「これは、すまん。ロシェの街道から大分外れているが、ここは、モザイの近くだ」
「……ろしぇ? もざい?」
聞いた覚えもない、というような調子の呟きに、男は驚く。
旅姿のように見えても、こんな年の子供が本当に遠方から来ているとは思えない。なのに、この辺りで一番大きな都市の名前を知らない。その上、逆に旅人であるなら知らないはずはないだろう街道の名前すら、知らない様子だ。
「ロシェは中央の三大国を繋ぐ街道だぞ。モザイはパラストの地方都市の一つだ」
「……ぱらすと、って?」
さっきと同じように──否、先ほどよりも困惑した様子で呟く少年の言葉に、男は今度こそ驚愕の顔つきになった。
「何を寝ぼけたことを言っている! 中央を三分する大国の一つではないか!」
「わ、わりぃ……そもそも、中央って、何の中央……?」
心底困惑したように問う少年に、男は驚愕を通り越して不審を覚えた。──あまりにも、これは物を知らなさ過ぎる。
「……中央といえば大陸の中央に決まっているだろう。そんなことも知らないとは、お前、一体どこから来たのだ」
「……あー……それは──」
少年は困ったような様子で言いかけて── 一転して表情を引き締め、視線を転じた。
「──ぅ……」
視線の先には、少年が打ち倒した刺客の一人。呻いて微かに身じろぎする。
「──あんまここで長話してると、こいつらが気ぃついちまいそうだな。場所、変えねぇか?」
「……奴らに止めを刺す、という手もあるぞ?」
男がそう返すと、少年は、すぅっ、と目を細める。
「……本気で言ってんなら、俺はあんたを伸してでも止めるぞ。殺す気でかかってくるやつを返り討ちにするのにどうこう言うつもりはねぇが、身動きできねぇ相手をどうにかすんのは、見過ごせねぇ」
やるといったら、少年は本気でこっちを倒しに来るだろう。そして、そうなった場合──少々情けないことに、男はこの少年に勝てる気がしなかった。
言っておいてなんだが、男としても、動けない相手をどうにかするような手段は好むところではない。今の言葉は寧ろ、このどこか得体の知れない少年の反応を試すために、無意識に零れた言葉だった。
「すまん、試すようなことを言った。──場所を変えよう」
素直に頭を下げた男に、少年も表情を和らげる。
ふう、と苦笑気味に息をついて、
「言っていいことと悪いことがあるぞ。──あんたと戦(や)り合うのは、正直遠慮してぇからな」
その言葉に、男ははっきりと苦笑した。寧ろそれはこちらの台詞だ、と思ったのだ。
「……で、どっちに行けばいい?」
少年の言葉に促され、男は少年を先導するように歩き出した。
奇妙なことを訊く相手に、男は首を傾げた。
この目の前の相手は、自分の位置を知らないと言う。それだけでも十分奇妙だが、それ以上に、この質問を発した人物そのものが少々──否、かなり奇妙だった。
年の頃は十三、四の少年。茶の髪に、やや眦のきつい面立ち。年相応の体躯だが、着込んだ見慣れぬ意匠の長外套は大きすぎ、袖は幾重にも折られ、裾は地に着いてしまっている。
この年頃の子供が一人でこんなところにいること自体がそもそも奇妙だ。
一応道沿いとはいえ、主要な街道からも、人里からも離れた場所にある花畑。普通、子供が一人で来れるような場所ではない。
しかし、少年は現に連れもなく、ここにいる。着込んだ長外套は、まさに長旅をしてきたかのようなくたびれ方をしていた。
だが、それに反して少年は旅に必要な荷物を持っている様子がない。身を守る武器すらなく、まさに身一つでここにいるかのように見える。
しかし、男は知っている──否、今まさに目の前で見せ付けられた。この少年が、自分の身を守るに十分な武器と、それを扱う技倆を持ち合わせていることを。
淡い色の花畑に、累々と転がる十の鎧姿。半数は男が斬り倒したものだが、もう半数はこの少年が倒したものだ。
男は十の刺客に追われ、多勢に無勢でやられそうになったところを、背の高い花の陰からひょっこり顔を出したこの少年に助けられたのである。
なんとも間の悪い場所に居合わせてしまった少年に、いきなり刺客の一人が目撃者を残さんとしてか、斬りかかった。男が助けに入る間もなく、少年は凶刃に倒れるかに見えた。
しかし、次の瞬間に男が見たのは、まるで魔法のような光景だった。
少年は刺客の刃を易々と躱し、つい一瞬前まで確かに何も手にしていなかった両手に身の丈ほどもありそうな長剣を現して、一刀のうちにその刺客を返り討ちにしたのだ。
そうして、男と刺客の群を見渡して言ったものである。
「どういう事情かしらねぇが、たった一人に十人がかりとは穏やかじゃねぇな。しかも、居合わせただけの俺までいきなり斬り殺そうとするなんざ、どう考えてもまともな連中には思えねぇ」
言って、にっ、と男へ不敵に笑いかけ、
「──助太刀するぜ」
そうして、刺客の群に駆け寄ると、あっという間に二人を倒してしまったのである。
しかも、呆れたことに──少年は相手を殺していなかった。最初の一人もその後の二人も、続いて更に倒した二人も、である。
少年の助太刀を得た男自身が残りの五人の刺客を討ち倒したわけだが、こちらは生かして無力化するような手加減をしているような余裕は――体力的にも、心理的にもなかった。
だから今、周りに転がっている鎧姿は、半分は死体で、半分はうめき声すら上げずに昏倒しているだけ、というわけだ。
少年は敵が全員倒れたのを見て取ると、血のついていない白刃を、露でも払うように一振りして──その手から、忽然と刃を消してしまった。
それに驚いて、男が声を上げるより早く──少年の方が先に、冒頭の問いを口にしたのである。
「……えーと、おっさん、その格好からして旅の傭兵かなんかだろ? 助けた礼っちゃなんだけどよ、良ければここがどこか、あと、近くの町にはどう行きゃいいのか教えてくんねぇか?」
自分をまじまじと見つめて一向に答えない男に戸惑ったのか、少年がもう一度問いを繰り返した。
その言葉に、男は苦笑する。
男はこれでもまだ二十四だ。ただ今は長旅の最中で、黒髪は乱れ、顔も汚れたりくたびれたりしているから、実齢(とし)より老けて見え、おっさん呼ばわりも仕方がないのかもしれない。
また、土埃にまみれた旅外套に、腰に収めた長剣、助力を得てとはいえ五人を倒した腕を見れば、旅の傭兵──いわゆる自由戦士と判断するのは自然なことだろう。
しかし、十三、四の少年が、気後れせずに自由戦士に声をかけられるというのは、全くもって自然とはいえないのだが。
「これは、すまん。ロシェの街道から大分外れているが、ここは、モザイの近くだ」
「……ろしぇ? もざい?」
聞いた覚えもない、というような調子の呟きに、男は驚く。
旅姿のように見えても、こんな年の子供が本当に遠方から来ているとは思えない。なのに、この辺りで一番大きな都市の名前を知らない。その上、逆に旅人であるなら知らないはずはないだろう街道の名前すら、知らない様子だ。
「ロシェは中央の三大国を繋ぐ街道だぞ。モザイはパラストの地方都市の一つだ」
「……ぱらすと、って?」
さっきと同じように──否、先ほどよりも困惑した様子で呟く少年の言葉に、男は今度こそ驚愕の顔つきになった。
「何を寝ぼけたことを言っている! 中央を三分する大国の一つではないか!」
「わ、わりぃ……そもそも、中央って、何の中央……?」
心底困惑したように問う少年に、男は驚愕を通り越して不審を覚えた。──あまりにも、これは物を知らなさ過ぎる。
「……中央といえば大陸の中央に決まっているだろう。そんなことも知らないとは、お前、一体どこから来たのだ」
「……あー……それは──」
少年は困ったような様子で言いかけて── 一転して表情を引き締め、視線を転じた。
「──ぅ……」
視線の先には、少年が打ち倒した刺客の一人。呻いて微かに身じろぎする。
「──あんまここで長話してると、こいつらが気ぃついちまいそうだな。場所、変えねぇか?」
「……奴らに止めを刺す、という手もあるぞ?」
男がそう返すと、少年は、すぅっ、と目を細める。
「……本気で言ってんなら、俺はあんたを伸してでも止めるぞ。殺す気でかかってくるやつを返り討ちにするのにどうこう言うつもりはねぇが、身動きできねぇ相手をどうにかすんのは、見過ごせねぇ」
やるといったら、少年は本気でこっちを倒しに来るだろう。そして、そうなった場合──少々情けないことに、男はこの少年に勝てる気がしなかった。
言っておいてなんだが、男としても、動けない相手をどうにかするような手段は好むところではない。今の言葉は寧ろ、このどこか得体の知れない少年の反応を試すために、無意識に零れた言葉だった。
「すまん、試すようなことを言った。──場所を変えよう」
素直に頭を下げた男に、少年も表情を和らげる。
ふう、と苦笑気味に息をついて、
「言っていいことと悪いことがあるぞ。──あんたと戦(や)り合うのは、正直遠慮してぇからな」
その言葉に、男ははっきりと苦笑した。寧ろそれはこちらの台詞だ、と思ったのだ。
「……で、どっちに行けばいい?」
少年の言葉に促され、男は少年を先導するように歩き出した。
◇ ◆ ◇
──変わった奴──
それが、少年の男に対する感想だった。
男の立場から見れば、自分は相当奇異に映ったはずだ。ついつい素の調子で話してしまったが、今の外見にその口調はつり合わないだろうし、月衣(かぐや)の能力も不可思議なものに見えたはずだ。
それらに対して不審を覚えるそぶりを見せつつも、この男は律儀に自分の道案内をしている。
不審(それ)はそれとして、刺客から助けられた恩を感じているのか、今の自分の外見を見て、こんな年の子供を見捨てられないと思ったのか。
どちらにせよ、この男、どうやらかなりのお人好しらしい。でなければ、普通、こんな得体の知れない相手とはさっさと別れてしまいたがるものだろう。
しかし、ここに来て最初に会ったのが、この変わった男でよかったと思う。
だんだん慣れてきてしまったとはいえ、いきなり見知らぬ土地に一人で放りだされるのはやはり困る。何が困るって、地理や土地の常識がわからないことである。
とりあえず、この男はその辺りは訊けば答えてくれそうだし、近くの町くらいまでは案内してもらえそうだ。
ただ少々不安なのが、さっきの刺客といい、この男も面倒ごとを抱えていそうなところである。──まあその時は、案内の礼もかねて解決の手助けをするだけだが。
今度はいつ帰れるかなぁ、などと思いつつ、少年は男の背を──本来の姿の自分よりも少し大きなその背を追って、歩き始めた。
それが、少年の男に対する感想だった。
男の立場から見れば、自分は相当奇異に映ったはずだ。ついつい素の調子で話してしまったが、今の外見にその口調はつり合わないだろうし、月衣(かぐや)の能力も不可思議なものに見えたはずだ。
それらに対して不審を覚えるそぶりを見せつつも、この男は律儀に自分の道案内をしている。
不審(それ)はそれとして、刺客から助けられた恩を感じているのか、今の自分の外見を見て、こんな年の子供を見捨てられないと思ったのか。
どちらにせよ、この男、どうやらかなりのお人好しらしい。でなければ、普通、こんな得体の知れない相手とはさっさと別れてしまいたがるものだろう。
しかし、ここに来て最初に会ったのが、この変わった男でよかったと思う。
だんだん慣れてきてしまったとはいえ、いきなり見知らぬ土地に一人で放りだされるのはやはり困る。何が困るって、地理や土地の常識がわからないことである。
とりあえず、この男はその辺りは訊けば答えてくれそうだし、近くの町くらいまでは案内してもらえそうだ。
ただ少々不安なのが、さっきの刺客といい、この男も面倒ごとを抱えていそうなところである。──まあその時は、案内の礼もかねて解決の手助けをするだけだが。
今度はいつ帰れるかなぁ、などと思いつつ、少年は男の背を──本来の姿の自分よりも少し大きなその背を追って、歩き始めた。
◇ ◆ ◇
「さっきの連中、何だったんだ?」
男が近くに隠してあった馬を回収し、二人並んで歩きながら少年は男に訊いた。
何故、馬があるのに歩いているかといえば、男が自分の前に少年を乗せようとして、少年が断ったからだ。曰く「悪いけどおっさん、臭いきつい」とのこと。――この場合の“臭い”とは、体臭ではなく、返り血の臭いであるらしかった。
少年を歩かせて自分だけ馬に乗るのも気が引けて、男も馬を引きながら並んで歩くことにした。──刺客達も、気づいたところでしばらくはまともに動けないだろうから、すぐに追っ手がかかることもない。
「俺も知りたいな」
少年の言葉にそう返して、話題を変えるように、男は問う。
「さっきも訊いたが、そういうお前こそ──」
「──あっ!」
何者だ、と言いかけた男の声を遮って、少年が声を上げた。道の先を示して、
「小川があるぜ!」
そう声を上げ、嬉しそうにそちらへ駆けていく。
男も顔を綻ばせて後を追った。話の腰を折られたのは確かだが、水場に遇えたことは僥倖だ。
生死を賭けた斬り合いで喉は乾ききっていたし、少年がさっき言ったように返り血やら土埃やらで全身どろどろだった。
少年も、返り血こそ浴びていないが、土埃やらで所々汚れていて、気持ち悪いらしい。男を窺うように振り返って言った。
「ちょっと、身体洗ってかないか?」
「……大胆なやつだな、さっき切ったはったを切り抜けた身で、素肌になると?」
言いながら、男は、この少年にそんなことは関係ないと気づいていた。
男は水を浴びるのに剣を身から外さなければならないが、少年の武器は、どこからともなく忽然と現れる。それはきっと、水を浴びていても関係がないのだろう。
その予想を肯定するように、少年は笑って言った。
「もし何か来ても、あんたが剣を取りに行く時間ぐらいは稼いでやるよ」
それは裏を返せば、男が無防備なときに少年はいつでも武器を振るえるということなのだが──男は今更、少年が自分をどうにかするとは思えなかった。
確かに、この上もなく得体が知れない。どこからともなく現れる剣といい、その技倆といい、年に釣り合わない言動といい、地理の知識のなさといい──不自然でないところを探すほうが難しいほどだ。
だが、それでも少年は見も知らぬ男を助け、自身を殺そうと斬り掛かってきた相手にすら命を許した。──少なくとも、平気で人を殺めるようなものではない、というのは確かだ。
だから、いそいそと服を脱いで小川に飛び込んだ少年に倣い、男も脱衣し、剣を岸辺に置いて水に入った。
春だというのに、晴れた日差しが夏のような陽気を生んでいる。少し冷たい水が心地よかった。男は、両手で水を掬って顔や身体の返り血を洗う。と──
「あー、ゴクラク、ゴクラクー……」
気持ちよさそうな声に、何気なしにそちらに視線を向ける。そうして──男は硬直した。
「……おい、お前」
「んー? なんだー?」
搾り出すようにかけた声に、相手は暢気な声で応える。
そのあまりにも警戒心のない様子に、男はこめかみを押さえつつ、言った。
「……いい娘が、そう肌をあらわにするものではないと思うぞ」
「……む、娘……?」
訝しげな声と共に、相手は恐る恐るといった様子で、自身の身体を見下ろし──
── 一瞬の、沈黙。
「──年が縮んでんのはわかってたけど……なんでその上女の身体になってんだぁぁぁぁぁぁあああッ!?」
男には意味の通じぬ絶叫を上げ、少女の姿になってしまった異界の剣士──柊蓮司は頭を抱えた。
男が近くに隠してあった馬を回収し、二人並んで歩きながら少年は男に訊いた。
何故、馬があるのに歩いているかといえば、男が自分の前に少年を乗せようとして、少年が断ったからだ。曰く「悪いけどおっさん、臭いきつい」とのこと。――この場合の“臭い”とは、体臭ではなく、返り血の臭いであるらしかった。
少年を歩かせて自分だけ馬に乗るのも気が引けて、男も馬を引きながら並んで歩くことにした。──刺客達も、気づいたところでしばらくはまともに動けないだろうから、すぐに追っ手がかかることもない。
「俺も知りたいな」
少年の言葉にそう返して、話題を変えるように、男は問う。
「さっきも訊いたが、そういうお前こそ──」
「──あっ!」
何者だ、と言いかけた男の声を遮って、少年が声を上げた。道の先を示して、
「小川があるぜ!」
そう声を上げ、嬉しそうにそちらへ駆けていく。
男も顔を綻ばせて後を追った。話の腰を折られたのは確かだが、水場に遇えたことは僥倖だ。
生死を賭けた斬り合いで喉は乾ききっていたし、少年がさっき言ったように返り血やら土埃やらで全身どろどろだった。
少年も、返り血こそ浴びていないが、土埃やらで所々汚れていて、気持ち悪いらしい。男を窺うように振り返って言った。
「ちょっと、身体洗ってかないか?」
「……大胆なやつだな、さっき切ったはったを切り抜けた身で、素肌になると?」
言いながら、男は、この少年にそんなことは関係ないと気づいていた。
男は水を浴びるのに剣を身から外さなければならないが、少年の武器は、どこからともなく忽然と現れる。それはきっと、水を浴びていても関係がないのだろう。
その予想を肯定するように、少年は笑って言った。
「もし何か来ても、あんたが剣を取りに行く時間ぐらいは稼いでやるよ」
それは裏を返せば、男が無防備なときに少年はいつでも武器を振るえるということなのだが──男は今更、少年が自分をどうにかするとは思えなかった。
確かに、この上もなく得体が知れない。どこからともなく現れる剣といい、その技倆といい、年に釣り合わない言動といい、地理の知識のなさといい──不自然でないところを探すほうが難しいほどだ。
だが、それでも少年は見も知らぬ男を助け、自身を殺そうと斬り掛かってきた相手にすら命を許した。──少なくとも、平気で人を殺めるようなものではない、というのは確かだ。
だから、いそいそと服を脱いで小川に飛び込んだ少年に倣い、男も脱衣し、剣を岸辺に置いて水に入った。
春だというのに、晴れた日差しが夏のような陽気を生んでいる。少し冷たい水が心地よかった。男は、両手で水を掬って顔や身体の返り血を洗う。と──
「あー、ゴクラク、ゴクラクー……」
気持ちよさそうな声に、何気なしにそちらに視線を向ける。そうして──男は硬直した。
「……おい、お前」
「んー? なんだー?」
搾り出すようにかけた声に、相手は暢気な声で応える。
そのあまりにも警戒心のない様子に、男はこめかみを押さえつつ、言った。
「……いい娘が、そう肌をあらわにするものではないと思うぞ」
「……む、娘……?」
訝しげな声と共に、相手は恐る恐るといった様子で、自身の身体を見下ろし──
── 一瞬の、沈黙。
「──年が縮んでんのはわかってたけど……なんでその上女の身体になってんだぁぁぁぁぁぁあああッ!?」
男には意味の通じぬ絶叫を上げ、少女の姿になってしまった異界の剣士──柊蓮司は頭を抱えた。
放浪の戦士は、まだ知らない。この奇妙な少女が、異界より来(きた)る英雄であり、これから自身のかけがえのない同盟者となる相手であることを。
異界の剣士は、まだ知らない。目の前の傭兵が、これからこの異界の大陸から戦乱を断つ運命の帝王であり、名ばかりとはいえ自身の“夫”になる相手だということを。
異界の剣士は、まだ知らない。目の前の傭兵が、これからこの異界の大陸から戦乱を断つ運命の帝王であり、名ばかりとはいえ自身の“夫”になる相手だということを。
──運命は、まだ動き出したばかりである。
(続かない)
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