対訳【朝比奈隆 訳】
編集者より
- 朝比奈隆は1949年に関西オペラグループ(現関西歌劇団)を結成し、その年の第1回公演で「椿姫」、翌1950年の第2回公演で「カルメン」、1951年の第3回公演で「お蝶夫人」、同年の第4回公演で再度「椿姫」、その次に1952年に「ラ・ボエーム」を上演しています。
- 朝比奈隆訳でまず参考にしたのは、1952年7月13日から17日に、関西オペラ第5回公演として大阪朝日会館で上演された時のパンフレットです。このパンフレットには、「訳詞 朝比奈 隆」と明記されて、このオペラの全訳が掲載されています。 朝比奈隆はト書きも訳しており、これでオペラのストーリーが理解できます。
- 次に参考にしたのが、大フィルに保管されている、ボーカルスコアです。1961年版のRICORDIのOpera completa per canto e pianoforte に全訳が書き込まれています。そこでWEBでダウンロードしたイタリア語のテキストと朝比奈訳を、できるだけ楽譜に合わせて並べました。
- 朝比奈隆は上演の度ごとに訳詞に手を入れていたとオペラ歌手の方々からは聞いています。実際、このRICORDI版に書かれている訳詞は、八割方はパンフレットに掲載されたものと同じですが、2割くらいは書き直されていたり、訳詞が2種類あったりします。そこで、パンフレットに掲載されたものと違う箇所は(別訳:)という形で併記しました。またト書きで、朝比奈訳には載っていないが、あるほうがいいと思われるものは、追記しました。
- 朝比奈隆は基本的にはイタリア語のテキストに忠実に訳しています。ただ、音楽に合わせるために訳を語変えているところも多々あります。時には言葉遊びも見受けられます。例えば、第1幕で四人が大家のブノアを追い出す場面で、イタリア語は「砂糖を燃やすんだ」とあるのを、朝比奈は「塩でもまかねば」と訳し、砂糖が塩に変わっています。第1幕でロドルフォがミミに自分の事を語る場面では‘vivo’(ヴィーヴォ=生きています)を「貧乏」としていますが、歌の内容と音とが見事に合っています。
- ところで、関西オペラ第5回公演のパンフレットには「梗概」、即ちあらすじが載っています。これを書いたのが朝比奈隆かは分かりませんが、「星雲の志」とか「昇天」とかいう言葉遣いから、朝比奈隆ではないかと思われますので、紹介しておきます。
梗概
- 1830年頃の活気溢れる花の都パリ、とある屋根裏に住むロドルフォは詩人、マルチェロは画家、それに哲学者コリーヌと音楽家ショナールを加えた四人の青年達は薪も買えぬ貧しさだが、皆、星雲の志にもえた陽気な連中である。同じ屋根裏に住む可憐な娘ミミとロドルフォは月光の明るい冬の夜に恋に落ち、マルチェロはクリスマスイヴに賑うカフェで、金持の老人をパトロンに捉えている昔の恋人、ミュゼッタとよりをもどす。
- しかし恋の歓びはあまりにも早くうつろう。以前から胸を冒されていたミミの病状は日増しに悪くなり、彼女に薬も買ってやれないロドルフォは彼女と別れようと思い始める。ミュゼッタとマルチェロにもやきもちゲンカの絶え間がない。このボヘミアン達の情熱は移り気でもあったのだ。それを知ったミミは諦めて去って行く。
- 別れてしまうとすぐ、もうボヘミアン達は、恋人をなつかしく想い出して、胸をつまらせる。そこへ入って来るやせ衰えたミミ、忘れられない屋根裏で、彼女は死にたかったのだ。悲しむロドルフォの腕に抱かれて彼女は安らかに昇天する。
管理人より
- 指揮者の朝比奈隆(1908年7月9日 - 2001年12月29日)が翻訳した「歌える日本語訳」を使用しています。日本語訳は左のイタリア語の意味とは必ずしも一致しません。
- 朝比奈のテキストは遺族の許可をいただいて掲載しています。複製・転載・転用は固くお断りいたします。
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最終更新:2022年03月05日 18:37