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対訳
訳者より
- 天才ボーイトの畳みかけるイタリア語台本に晩年のヴェルディが素晴らしいメロディをつけた「ファルスタッフ」、ドイツオペレッタ王道の雰囲気が癖になるニコライ作曲の「ウィンザーの陽気な女房達」。この素晴らしいシェイクスピア喜劇にオリジナルの英語の詞に付けたイギリスの音楽劇があったならどんなにか素晴らしいことだろうとずっと夢想しておりました。その夢はヴォーン=ウィリアムスのオペラ「恋するサー・ジョン(Sir John in Love)」で半分叶ったのですが、残念ながら著作権の壁で(このオペラのリブレットも作曲者自身の手になるのだとか)原詩は手に入らず、また翻訳を皆さんのお目にかけることも当分できそうもありません。
- そんな中目をつけたのは今年生誕150年の作曲家ホルストの書いた短いオペラ「ボアーズ・ヘッド亭にて(At the Boar's Head)」、こちらでもフォルスタッフが大活躍しているようですし、ヴェルディのオペラでもいい味を出していたバルドルフやクイックリー夫人(酒場のおかみ)も出て参ります。これは!というので勢い込んで聞いてみるとどうも勝手が違います。それもそのはず、このオペラ、ヴェルディやニコライ、そしてヴォーン=ウィリアムスが曲を付けた喜劇「ウィンザーの陽気な女房達」ではなくて、そのスピンアウトの元の史劇「ヘンリー4世」の方からフォルスタッフの活躍する酒場「ボアーズ・ヘッド亭」での場面(第一部の第二幕四場&第二部の第四幕三場)を引っ張り出してきて曲をつけているのです。なので「ウィンザー」の方には出てこないキャラが色々出てきますし、ユーモラスではあるのですがコメディとは言い切れない微妙な雰囲気のオペラになっています。
- ここに出て来る王子とはのちにイングランドの王(ヘンリー5世)になるハル王子。途中出て来るモノローグは第一幕第二場での有名なもの(ここだけネットでいくつか邦訳が見つかりました)。放蕩息子を演じていますが実は策略家で賢い人物です(それもあって迷ったのですが一人称は「私」にしました)。ウエイターの姿に変装にて楽士の前で歌うのは同じシェイクスピアのソネットから12番と19番、けっこう雅で深遠な歌、それなりの教養がないと鑑賞できない内容でしたのでさっぱり理解できないフォルスタッフは邪魔に入ります。フォルスタッフと一緒に邪魔に入り、イングランドのアーサー王伝説の中のサー・ランスロットの物語なんぞをデュエットで語るのはフォルスタッフの愛人で売春婦(兼この居酒屋の給仕女)ドロシー・ティアシート(愛称ドル)です。この女あばずれで気性は荒いですが、本気でフォルスタッフのことを愛しているようで、その純情さの描写の見事さはさすがシェイクスピアと言えましょう。ちなみにシェイクスピアのソネットも、このアーサー王物語のくだりも「ヘンリー4世」にはなく、ホルストがこのオペラを書くにあたって挿入したもののようです。挿入と言えばこのオペラの冒頭、バルドルフはじめならず者たちがアカペラで歌う(といいますかほとんど語る)”Of all the birds that ever I see” これも「ヘンリー4世」ではなくイングランドの古謡のようです。演劇風の入り方がいつのまにか音楽がフォルスタッフ登場と共に始まる、実に絶妙な入りです。冒頭だけでなく英語の響きを見事に活かした短いながらもとても魅力的な作品と思います。シェイクスピアの書いた台本そのものの言葉に曲が付けられているのもなかなか聴ける機会は多くないのでその面でも貴重です(フォルスタッフとハル王子の罵詈雑言の応酬などさすがシェイクスピアと思ってしまいます)。
録音について
- 残念なことに人気に乏しいイギリスオペラの常でほとんど録音はありません。唯一と思われる本場オリジナルと思われるD.アサートン指揮ロイヤルリバプール・フィルハーモニックの演奏はしかしながらJ.トムリンソン(フォルスタッフ)、P.ラングリッジ(ハル王子)、F.パーマー(ドル)と名歌手たちを揃えてシェイクスピアの舞台の雰囲気満載。これひとつあればまあ十分と言えましょうか。今回訳すにあたりリブレットをお借りしたもうひとつの録音(ウカシュ・ボロヴィチ指揮ポーランド室内管弦楽団他)の演奏は恐らくは英国人の感覚から言えば外国人が歌舞伎をやっているような感覚なのかも知れませんが、英語ネイティブでないわれわれにとっては物語全体の流れをまず把握する上ではとても分かりやすく有難い録音でした。まずはこちらで耳を鳴らしてからコテコテの本場物のアサートン盤に進む というのが正しいこのオペラの鑑賞方法なのかも知れません。
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最終更新:2024年10月13日 08:05