この街の貴人たちが花瓶や水差しに描かれているような姿そのままで登場する(No.1 Opening Chorus and Recitative "If you want to know who we are")。そこにやって来たのは一人の見知らぬ吟遊詩人。彼の名はナンキ・プー。このココの屋敷で後見を受けている美しい少女ヤム・ヤムに逢いに来たのである。自分の歌のレパートリーはとても幅広く、恋のララバイから愛国歌、更には Sea Chanty(海の男の労働歌)まで次々と披露するのであった(No.2 Song and Chorus "A wand'ring minstrel I")。貴人たちもノリが良く彼の歌に応える。
彼は昔このティティプ―のタウンバンドでヤム・ヤムと知り合い恋に落ちたのだが、ヤム・ヤムは後見人であるココと婚約していることを知り、絶望して街を離れていたのだった。ところが風の便りでそのココが死刑に処せられたのではないかという。こりゃもうワンチャンスあるかと期待して戻って来たナンキ・プーに対面した下っ端の貴族ピシュ・タシュは驚くべき状況の変化を語るのであった(No.3 Song: Pish-Tush and Chorus "Our great Mikado, virtuous man")。
確かにココは時のミカドが布告した「いちゃつきの罪」により一旦は死刑を宣告されたのであるが、人間の本性にもとづく罪のため処刑対象者で溢れかえって大混乱となり、やむなく「いちゃつきの罪」で死刑宣告された囚人の一人を牢から出して首切り役人とした。そうすることで「次に首を刎ねられる者は 自分で自分を処刑しないとならなくなるので、事実上処刑が遂行されなくなる」という画期的なアイディアであった。歌の中では明言されていないが、この首切り役人に大抜擢された死刑囚こそココその人である。命が助かったばかりか、ミカドの御意志を実現する重要な役割として一介の民間人(仕立屋)から”Lord High Executioner(最高執行卿または最高処刑卿)”という役人の官位においても最高の位に出世していたのであった。
絶望に打ちひしがれて去って行くナンキ・プー。そこへファンファーレが高鳴り、貴人たちのコーラスを伴って最高執行卿のココが登場する(No.5 Chorus and Solo:Ko-ko and Men "Behold the Lord High Executioner")。歓呼のコーラスに乗せてココはこれまでの自分の数奇な運命を述懐するのであった。引き続き彼はソロで、彼の役職をプロフェッショナルなものとするためには、社会に害をなす処刑者の候補のリストを我輩は持っている(No.5a Song: Ko-Ko with Chorus "As some day it may happen")と歌う。歌詞の内容が19世紀後半のイギリスの世相を諷刺したものであるため、現代では通じなかったり、差別的な物言いとして使えなくなったりしているところも多く、上演時の社会やその国の時事問題に歌詞を置き換えて歌われることも多い。
女学生たちがしずしずと物思いに耽りながら入って来る(No.6 Chorus of School Girls "Comes a train of little ladies")。夢見る少女たちといった趣でのしっとりとしたコーラスに続いてはヤム・ヤム、ピー・ボ、ピッティ・シンの3人娘の元気一杯の登場(No.7 Trio with chorus: Yum-Yum, Peep-Bo, Pitti-Sing "Three little maids from school")。今も昔も変わらない女の子たちの弾ける若さの描写が見事である。訳者の年齢的な限界から「イケイケ」や「キャピキャピ」など1980年代のギャル用語しか思いつかなかったのであるが、ここはもっと若い世代の方に今風の訳を考えて頂きたいところである。特に「向こう見ず」と訳した“unwary”、どう考えてもずっと打ってつけの日本誤訳があるような気がして仕方がないのだが。ただ原詩と音楽が書かれたのは1880年代であるからまあ多少の「死語」感は有っても良いのかも知れない。
花嫁の到着を待ちわびていたココが現れ、そこにナンキ・プーもやってくるが女学生の嬌声を一身に浴びた彼に嫉妬したココに追い出されてしまう。また、その場に居合わせたプライドの塊の(多分)年寄りの貴族プー・バは女学生たちに散々イジラれて彼女たちと一緒に踊りながら去って行く(No.8 Quartet and Chorus "So please you, sir")。
ひとり残ったヤム・ヤムのところに再びナンキ・プー登場。彼は吟遊詩人に身をやつしているが、実はジャパンの皇太子なのであった。宮中でのアクシデントで年増の女官カティシャを魅了してしまったために父のミカドから強制的に結婚を命じられ、それが嫌で宮中から逃げ出したところでヤム・ヤムと出会い恋に落ちたのだという身の上がここで明かされる。今は周囲に誰もおらず二人っきりで愛を確かめ合おうとするものの、後見人ココと彼女が婚約してしまっているということは如何ともし難い。婚姻に基づかない「いちゃつき」は死罪というジャパンの至高の勅令を意識しつつ、口では「こんなことは絶対するはずはない」と言いながら実際には実行しているダブルスタンダードでキスを重ねるのであった(No.9 Duet: Yum-Yum, Nanki-Poo "Were you not to Ko-Ko plighted")。
ナンキ・プーと正反対の方向へ走り去って行くヤム・ヤムを見送りながら、最高執行卿ココは来たるべき婚礼を夢見るが、そこへミカドからの書状を手にしたピシュ・タシュとプー・バがやってくる。「この1年間ティティプ―で処刑が行われていないので、今からひと月の間に死刑執行がなければ最高執行卿の役職を廃止し町のランクを村に落とす」という通達である。もともと死罪人であって最高執行卿に取り立てられたココが斬首されれば良いというプー・バ、そのプー・バを最高身代わり卿に任命しようとするココ、取りあえず自分の地位であればこの問題には関係なかろうと日和るピシュ・タシュと3人それぞれの思いが語られる。(No.10 Trio Ko-Ko, Poo-Bah, Pish-Tush "I am so proud")厳粛な音楽で始まるが最後は軽快な早口言葉で駆け抜けて行くギルバート&サリバンお得意のパターソングの定番のひとつである。
フィナーレは処刑の成り行きを心配する群衆のコーラスから始まる。(No.11 Finale of Act.1 "With aspect stern and gloomy stride")「ご安心召されよ われらはボランティアを得た ナンキ・プーという」と答えるココ、これで街は救われ、1月だけのハネムーンではあるが新しいカップルの門出を皆で祝う。とそこへひとりの乱入者。ナンキ・プーのハートを射抜いたと信じている宮中の年増女官のカティシャである。彼女はナンキ・プーを取り戻そうとあの手この手を繰り出すもうまく行かず、ならばナンキ・プーの正体を明かしてやると叫ぶが、閃いたヤム・ヤムによる「オーニ ビックリシャックリ ト」のコーラスにかき消されこれも失敗。怒ったカティシャはミカドに言いつけてやると息巻き、婚礼の祝宴を続けようというコーラスと対立して幕となる。
第2幕
婚礼の日の朝 ココの庭。
花嫁となるヤム・ヤムを娘たちが囲みヘアメイクやお化粧をしている(No.12 Solo with Chorus: Pitti-Sing, Girls "Braid the raven hair")。娘たちが退出してひとりになると、ヤム・ヤムは鏡に映る自分の花嫁姿にうっとりし、自分を太陽や月になぞらえて高揚した気分を歌にする(No.13 Song: Yum-Yum "The sun whose rays are all ablaze")。ただそんな気分も口の悪い3人娘の片割れ、ピー・ボとピッティ・シンが入って来て台無しである。2人は1ヶ月後の花婿の運命をヤム・ヤムに思い出させ、高まっていた婚礼への気分は一気にマイナスである。そこへやってきたのがピシュ・タシュを伴った花ナンキ・プー、沈んでしまった気分を盛り上げるためにその場の皆でマドリガルを歌うが(No.14 Madrigal: Yum-Yum, Pitti-Sing, Nanki-Poo, Pish-Tush "Brightly dawns our wedding day")、どうしても歌詞の内容が不吉なものとなってしまってノリ切れない。ちなみにこのマドリガル、ピー・ボは退場していて女声はヤム・ヤムとピッティ・シン、男声はナンキ・プーとピシュ・タシュであるが、初演時のピシュ・タシュの歌手が低いバスのパートを歌い切れなかったのでここのみ代役のゴー・トゥーが出て来て歌ったために古い楽譜やリブレットではここで突然GO-TOなる登場人物が出て来て戸惑うことがある。
ヤム・ヤムとナンキ・プーの婚礼の主役2人が舞台に残る中ココがやってくる。若い二人がいちゃつくのを見つめつつ何やら意味ありげである。実はもうひとつ、「いちゃつきの罪」に隠れて見落とされていたが実は別の法律があって「結婚した男が斬首された場合、その妻は生き埋めの刑に処せられる」というのである。そんなものが突然明らかになり、あまりのことに動揺を隠せないヤム・ヤム。3者3様にこの難局にどう対処したものかと歌う(No.15 Trio: Yum-Yum, Nanki-Poo, Ko-Ko. "Here's a how-de-do" )
ミカドとその一行の登場は序曲でもそのフレーズが出て来た「とことんやれ節」(明治維新に薩長の官軍が朝廷を押し立てて東へ攻め上るときに歌った進軍歌と言われている)。もちろん日本人でない演者たちには意味はさっぱり分からない謎の呪文であるがこの作品で唯一の日本のメロディでもあり聴く者には強烈な印象を残す(No.16 March of the Mikado's Troops, Chorus and Duet:Mikado, Katisha, Chorus "Mi-ya Sa-ma" "From every kind of man obedience I expect")。登場のコーラスに引き続いてはミカドと第1幕幕切れに出て来た年増の女官カティシャとの登場のデュエットが歌われる。
ミカドもこの作品ではコメディパートの役であり、引き続いての歌(No.17 Song: Mikado and chorus "A more humane Mikado")では、「刑罰をその罪とフィットさせて 囚人を慰みものの対象とするのだ」と例を挙げて歌う。この曲も第1幕No.5aのココのソロ同様に時代に合わない描写が続くので今の舞台ではアレンジされて別のものに差し替えられることが多い。
今回のティティプ―行幸の目的が処刑の実行を確認されに来たことと思い込んでいるココは機先を制してまさに処刑は実施されたばかりであるという虚偽の報告をする。その情景をくわしく描写してみろというミカドのリクエストに、ココ、ピッティ・シン、プー・バ3人がそれぞれの視点から処刑のシーンを物語るのであった(No.18 Trio and chorus: Ko-Ko, Pitti-Sing, Pooh-Bah. "The criminal cried as he dropped him down")。
その迫真の描写に満足するミカド。だが行幸の目的は死刑執行ではなく、宮廷から蓄電した皇太子の行方を追って来たというのである。その名はナンキ・プーで第2トロンボーン奏者に身をやつしている という話を聞き愕然とする一同。だが処刑報告書の中にナンキ・プーの名をカティシャが発見してしまう。ところがミカドは自分の息子の死に怒るでもなく、知らずに皇太子を処刑してしまった彼らに同情をしめすのであった。しかしながら喜びも束の間、それとは別に「お世継ぎ殺害に対する処罰」を定めた法が存在し、そちらを適用して彼らは処刑されないとならないという。この運命のいたずらを、AとBという仮想的な人物に託してミカド、カティシャとココ、ピッティ・シン、プー・バとが掛け合いで歌う(No.19 Glee:Mikado, Pitti-Sing, Pooh-Bah, Ko-Ko and Katisha "See how the Fates their gifts allot")。
なんでまたあんな迫真の?処刑の報告をしてしまったのかと内輪もめをするココ、ピッティ・シン、プー・バであったが、幸いお世継ぎのナンキ・プーはまだ生きている。何とかミカドの前で復活してもらって恐ろしい刑罰から逃れようという3人。だがしかしカティシャが自分を花婿として要求している限りは「いちゃつきを罰する」法が適用されてナンキ・プーは斬首、そしてその妻ヤム・ヤムも生き埋めの刑に処せられてしまうという現在の苦境は解消されていない。そこでナンキ・プーが提案したのは、ココにカティシャを自分と結婚するよう説得させ、このややこしい状況から脱するということ。春に咲く花たちに寄せて、明るい希望を予見させる歌を皆で歌う。ココはちょっと納得いってないようではあるが...(No.20 Song:Nanki-Poo, Ko-Ko, Yum-Yum, Pitti-Sing, and Pooh-Bah "The flowers that bloom in the spring")
誰も居なくなった舞台にひとり登場するカティシャ。愛する皇太子ナンキ・プーが死んで、それでも生きながらえている自分の身をひとり嘆くのであった(No.21 Recitative and song:Katisha "Alone, and yet alive")。そこへ現れたのはカティシャを誘惑し、あわよくば結婚まで持ち込むという辛い使命を帯びたココ。歯の浮くような愛の言葉でカティシャの心を動かそうと必死であるが頑なな彼女の心は動かせない。恋に傷ついて死んだ者の寓話として、柳に止まった小鳥の歌を彼は歌う(No.22 Song:Ko-Ko "On a tree by a river" ("Willow, tit-willow") )。シェイクスピアのオテロ終幕。誤解で殺される直前のデズデモーナの「柳の歌」を連想させるものの、全然それと関係ない正直ナンセンスな歌である。しかしカティシャはこれに感動し、ココに心開くのであった。すっかり意気投合した二人はジャパンのトラディショナルな衣装に似合わないフォックストロットの歌とダンスで、されば遅滞なくわれらは結婚じゃ と去って行く(No.23 Duet: Katisha and Ko-Ko. "There is beauty in the bellow of the blast")。
場面変わってミカドが再登場。先程と打って変わってお世継ぎ殺害の犯罪者たちを必死で弁護するカティシャにミカドは困惑は隠せない。そこへ現れたのはナンキ・プーとヤム・ヤムの新婚カップル。カティシャはココを裏切り者となじるがすべてはあとの祭りである。「ミカドが命じられたことは既に為されたも同然であり、為されたも同然のことであればなぜ為されたと言って悪いのか?(ナンキ・プーの処刑のことを指す)」というココの説明にミカドは満足し、第1幕の幕切れでは1カ月しか未来のなかったナンキ・プーとヤム・ヤムの婚礼が同じ音楽で一層長く続く幸せとして祝われて幕である(No.24 Finale of Act II "For he's gone and married Yum-Yum")。