目次
訳者より
- 私はあんまり他の方が既に訳しているものを改めて訳すことはしないのですが、今年はウェーバーの没後200年のアニヴァーサリーでもありますし、彼の代表作でもある「魔弾の射手」、今私が進めておりますオペレッタ(ジングシュピール、コミックオペラ…)の翻訳最適化プロジェクトにおいても重要な位置にある作品ということもありまして取り上げて見ることとしました。最適化対象の音盤には管理人さんが動画対訳にも使える1959年録音のヨッフム/バイエルンRSO盤がなかなかに翻訳にチャレンジし甲斐のある名演奏でしたので今回はこちらで行きます。この音盤の魅力は別の項で書くとして、今回良かったのはこの盤、おそらく歌のパートと台詞のパートが同じ歌手によって担われているため、歌とドラマの繋がりが非常に自然なのと、話の流れが弛緩しないようにかなり思い切って台詞部分を刈り込んでいるので話のテンポが早くて物語に思わずのめり込めるところ。一気呵成にお話が展開して行く楽しさは他の録音の追随を許しません。台詞部分の耳コピーはかなりハードルが高いのですが、この盤の台詞はラジオドラマのような奇麗な発音のためでしょうか、AIによる自動文字起こしのツールを使うと95%くらいの精度でドイツ語を拾ってくれました。1990年ごろのCDの超低価格化の波に乗って1960年代より前の古い音盤のリブレットや対訳は軒並み入手が難しくなる中、こうしてAIが文字起こしを丁寧にしてくれるようになったというのは朗報です。余裕があればリブレットが手に入らなくて断念していた他の作品にも手を広げられるかも知れません。さて原語リブレットが手に入ったところで次は翻訳です。Wikiに既に載っていて、ここでもカイルベルト/ベルリンPO盤他の動画対訳に使われているKimiyoさんの訳があまりにも素晴らしいので訳の大半はそのまま拝借しようという誘惑に駆られましたがそれではヨッフム盤「最適化」にはなりませんし、Kimiyoさんの訳には著作権があるので勝手に借用はできません。お手本として「チラ見」しつつも基本はヨッフム盤を繰り返し繰り返し聴きながら浮かんでくる日本語を磨き上げていくと、結局ご覧のようなものができてしまいました。
- この作品の初演は1821年ということですが、舞台となっているのは1600年代のボヘミア、初演の舞台を見た人にとっては200年ほど前のお話を見ていることになるのですね。日本で今 200年前に起きていたことのお話を見ているとすればそれは「時代劇」のカテゴリー。勧善懲悪とまでは行きませんがこのオペラの分かりやすい筋の展開には日本の時代劇を連想させるところがあります。第3幕に出てくる領主のオットカールなんかは「あっぱれじゃ」とか言いそうなお殿様の雰囲気ですし、同じく第3幕に出てきて無理やり劇の大団円を作った隠者も日本の時代劇でいえば有難い高僧(お上人さま)。そこで彼ら二人にはそれっぽい役割と台詞を与えてみました。領主オットカールの一人称は「余」、またお上人さまの隠者は「わし」が一人称です。また第2幕の狼谷の場面。悪魔ザミエルを呼び出した悪漢カスパールとの掛け合いはまるで歌舞伎の舞台を見ているよう。悪魔ザミエルが喋るのはここだけなので歌舞伎の極悪人っぽく、そしてカスパールにもこの悪魔にタメ口を利かせて掛け合いに緊迫感を持たせました。このヨッフム盤で台詞・歌ともカスパール役を務めるクルト・ベーメの迫力が物凄いのでそれに負けない日本語の台詞を考えないと。彼の一人称は「俺様」です。カスパールは全3幕を通じて大活躍ですので、ひたすら存在感のある悪役のスタイルを日本語でも徹して貰いました。
- 第1幕冒頭のコーラスやそのあと射撃競技に敗れたマックスをおちょくるキリアンと村人たちのアンサンブルは田舎芝居のテイスト満載。そこで水戸黄門ご一行がどこか地方の漫遊をしているシーンを思い浮かべて台詞を考えてみました。従ってキリアンと村人たちの一人称は「おら」です。第3幕の花嫁付き添い人も村娘たちだと思いましたので「おら」で歌わせてみると鄙びたなかなか良い味が出たような気がします。主人公2人マックスとアガーテにも「おら狼谷さ行かにゃなんねえべ」「ここさ居てけろ おら怖いだ」と喋らせてみたい誘惑にも駆られましたが、これだと緊迫感のあるシーンでもマヌケな香りが漂ってしまいますので、カスパールと対峙することの多いマックスは「俺」で(ただし領主オットカールに話しかけるときは「私め」で)、純真な不思議少女アガーテは「あたし」で喋らせてみました。お殿様たる侯爵を守る「お武家様」に相当する狩人たちはアガーテの父の林務官クーノを「わし」で、彼の部下でマックスやカスパールの同僚の狩人たちは「われら」で行くことにしました。そして問題はお茶目なアガーテの従妹エンヒェン、ヨッフム盤でこの役を演じるリタ・シュトライヒの歌や台詞回しを繰り返し聴くうちに私の頭の中に浮かんできたのは関西弁、それもコテコテの大阪弁ではなくてもう少しはんなりした感じのもの。No.6のアガーテとのデュエットやNo.7のアリエッタはこの口調が私にとっては物凄くしっくり来ます。まあこれで発表してしまうと「ネタに走らず真面目に訳せ」とお叱りのコメントを頂いてしまうであろうことは必定なのではありますが、私にとっては彼女を日本語でこう喋らせることは演出上どうしてもこうでなくてはならない、必然とすら言えるところなのです。ドイツ語の舞台を生き生きとした日本語の世界に置き換えるためにはどうしても「読み替え演出」が必要となります。読み替え演出の本質っていうのが「ネタに走る」ことなんだよなあ...というのは今回の気づきのひとつです。映画「アマデウス」のワンシーンで、モーツァルト作のジングシュピールが物凄く猥雑な舞台として描き出されていましたが、この今に残るジングシュピールの傑作「魔弾の射手」も台本をよくよく読み込むと大衆演劇的な「面白さ」に溢れているのですね。そんな面白さの片鱗がうまく引き出せていたら大成功なのですが...
- 日本の伝統芸能にも造詣が深くて、非常にお芝居らしくて楽しいオペラ対訳をいくつも遺されていた永竹由幸がもしこの「魔弾の射手」の対訳も手掛けていたら果たしてどんなものができていたのでしょうか?
この録音の魅力について
- 教養主義・知性主義の落とし穴に嵌ってしまった「クラシック音楽」の世界ではこういう分かりやすい筋で耳に心地よい音楽に溢れるオペラは段々ウケなくなっているんでしょうか。最近あんまり「魔弾の射手」の新録音が話題となることも少ないような気がします。往年の大指揮者はこれ、けっこう手掛けていますがその大部分が1950年代に固まっているような感じ。1951年のルドルフ・ケンペ/ドレスデンNOH、同年のオットー・アッカーマン/ウィーンpo、1954年のウィルヘルム・フルトヴェングラー/ウィーンpo(ライブ)、1955年のエーリッヒ・クライバー/ケルンRSO、1958年のヨーゼフ・カイルベルト/ベルリンpoと10年の間にはとんでもない面子が揃っています。この並びの中で1959年のオイゲン・ヨッフム/バイエルンRSOは少々小粒に見えてしまいますが、私の印象では錚々たる名歌手を揃えてこの猥雑な田舎芝居を本気で造り上げた、というもの。ドイツの精神性だの、クラシックの芸術性だのといった教養主義には背を向けて、ひたすら分かりやすいエンターテイメントを目指した という感じでしょうか。とにかくオケも歌も隅から隅まで分かりやすい。こうなると思わず私のような破天荒な日本語訳もつけて見たくなるというものです。そういう点でこのヨッフム盤でも特に凄いのはエンヒェン役のリタ・シュトライヒとカスパール役のクルト・ベーメ。この二人歌も絶品ですが語りの部分も含めた演技がとりわけ素晴らしい。どちらも当時は当たり役だったようで、シュトライヒは他にもフルトヴェングラー(1954L)とE.クライバー(1955)の録音に、ベーメはケンペ(1951)とフルトヴェングラー(1954L)の録音でそれぞれ同じ役で出ています。いずれもお見事なのですが、1959年とこの中で一番新しいこのヨッフム盤が彼らの至芸の集大成といった感じで興味深く聴けます。エンヒェンのシュトライヒとの絡みが多いアガーテ役にはイルムガルド・ゼフリート、1954年録音の「ナクソス島のアリアドネ」では若い作曲家(ズボン役)としてシュトライヒの歌うコケティッシュなツェルビネッタとお見事な掛け合いを見せてくれました。こちら「魔弾の射手」でもシュトライヒとキャラクターの全く違う従姉妹として演技に歌に実に見事です。声に衰えが見られるとか、アガーテ役には似合わないといった批判もあるようですが私には全く気になりませんでした。確かにもっと可憐な感じのソプラノの方が好ましいという意見にも頷けるところはありますけれども... そしてこちらもカスパール役のベーメとの絡みが多い主人公マックス役にはリヒャルト・ホルム(1912-1988)。あまり巨匠指揮者のオペラ録音には顔を出さないので私もこの「魔弾」の録音以外で彼の歌に接したことはないのですが、Wikipediaの記述を見るとヒンデミットやブリテン、エック、ライマンなど同時代のオペラにも積極的に出ていた意欲的な人のようです。実力も相当のものでしょうか、第1幕の居酒屋でのシーンや第2幕の狼谷での真夜中のシーン、カスパールの圧に一歩も退かない力強いマックス像を描き出します。
- アガーテの父でマックスの親方でもあるクーノ役のバスはアルブレヒト・ペーター、第1幕で活躍する農夫キリアンにはパウル・クエン(1910-1997)、いずれも歌も台詞もはまり役です。歌うシーンはそんなに多くはないのですが、語りの所の演技の巧さに注目です。悪魔ザミエル(語り)役にエルンスト・ギンスベルク、第2幕・狼谷のシーンのド迫力の一翼をこの人は担っているんじゃないかと思います。
- 第3幕にしか出てこないお殿様(侯爵)役のエベルハルト・ヴェヒター(1929-1992)。陽気で一本気な若殿という雰囲気づくりはお見事で、ここも私としては時代劇風の日本語台詞の演出を工夫したくなるところでした。そしてお上人さま(隠者)にはヴァルター・クレッペル(1923-2003)。強引に物語を大団円に持っていくにはこの人の「ありがたい」お声が必要なのではないでしょうか。
- 歌とドラマが絶妙に絡み合うシーンの非常に多い作品です。変に台詞の部分に俳優を別に起用して全体の流れをちぐはぐにしてしまうより、このヨッフム盤のように物語全体の有機的つながりを見事に生かした演奏の方に私はより惹かれますし、そういう形の舞台づくりでこの「魔弾の射手」、現代に蘇ることをひそやかに期待しています。野田秀樹さんが「フィガロの結婚」演出の際に舞台を長崎に読み替えたみたいに、この「魔弾の射手」も、舞台を江戸時代中期の丹波篠山あたりに置き換えた読み替え演出したらとても面白いものになりそうな気がします。どなたか試みて下さいませんかねえ。
最終更新:2026年06月05日 07:11