対訳
訳者より
- オペレッタを書くというのがそもそもの発端だったためか、もしかするとプッチーニの作品の中でもっとも魅惑のメロディーに満ちているのではないかと思えるこのLa rondine、実はストーリーが私には全然心に響かなくて今まであまり聴いて来なかったオペラでした。今回没後100年を機に私なりに訳してみようと手掛けてみたものの私の語学力ではさっぱり意味が掴めない難しさ。登場人物がここで何を言っているのか全く読み取れないところがあちこちにあって話の展開が全く掴めません。仕方ないのでYoutubeにアップされている舞台映像をいくつか見ながらその解読に努めました。その結果分かったのは主な登場人物の繊細な複雑さ。それが何とも婉曲で分かりにくい言い回しになってイタリア語初学者には手に負えないのです。いくつかの舞台での演出を見て初めて「そういうことか」と気付かされること多々。登場人物の多くがオペラにしては複雑な心の動きをしていますし、幕を跨る伏線もなかなか気が付きにくい…このオペラの真価を日本語話者が味わい尽くすためには、しっかりした分かりやすい演出と、その演出に合った日本語のワードチョイスをそれこそ舞台毎にするしかないのでは…とすら感じます。ということでまだ全然納得いく出来ではないのですが、今後手練れの方に磨き上げて頂くための最初の踏み台として公開させて頂くこととしました。イタリア語のリブレットは基本的に初演の版に従っているような感じですが、第2幕の冒頭のコーラスなどにはずいぶん欠落があるようです。またアペンディックスのルッジェーロのアリア、第1幕詩人プルニエと女性たちが離れたところで手相占いに興じる中、初対面のルッジェーロに「パリは初めてかね」と問われたことに答えて歌うものです。なんか話の流れ上は物凄く唐突感があるのですが、うまい演出だと第2幕のマグダとルッジェーロの出会いの伏線として実に巧妙にはまっています。こんなところも音だけでは分からないこのオペラの難しさなのでしょうね。
- 今回色々聴き込んでみて気付いたのはこの作品、同じくパリを舞台にした「ラ・ボエーム」のオマージュなのだな ということ。第一幕、裕福な銀行家ランバルドに囲われているマグダの家で他愛ないおしゃべりに興じるマグダ、イヴェット、ビアンカ、スージーの女四人の掛け合いは、男女の違いはあるものの「ラ・ボエーム」第一幕、ボヘミアンたち四人のユーモラスな掛け合いに通じるところがありますし、次の幕の舞台のカフェーへと繋げていく伏線もどこか似ています。第2幕の本筋とは関係ないモブキャラたちのパリの雑踏のやり取りもふたつのオペラでまるで一緒。それ以上に二組の恋人たち、マグダとルッジェーロ、それから詩人プルニエと女中のリゼッテというキャラの設定が「ラ・ボエーム」・ラ・モミュスでの恋のシーンを思い起こさせます。第3幕でやむにやまれぬ理由で女性の方から別れをしんみりと告げる主人公たち2人のペアと、コミカルなやり取りの末に別れを選択する(実は別れないのですが)副主人公たちとのコントラストもそのまま「ラ・ボエーム」第3幕です。ということで気が付きました。これって起承転結の結の部分のない「ラ・ボエーム」じゃないか、と。いろんな伏線を張り巡らせていたのに、ただマグダが愛するルッジェーロのもとを去って終わりというのはあまりに消化不良です。そのあたりのストーリーの弱さを克服するためにこのオペラ、何度か改訂がなされ、最後の版ではとうとう結末まで変わってしまいます。映像にもなっているワシントン・ナショナルオペラのプロダクション(けっこう良い演出です)、ひとしきり見てびっくりしたのですが、かつて金持ちの愛人だった過去がばれてルッジェーロに捨てられてしまうという、同じパリが舞台でもこちらはヴェルディの「椿姫」パターン。私はあまりこの展開は好きではないですし、こちらも同様に結末のない尻切れトンボなのは変わっていないように思えます。
録音について
- 訳者よりでも触れましたように、イタリアオペラのお約束のストーリーなどどうでも良くてひたすら歌手の美声と声の芸を楽しむという路線に真っ向からぶつかるこの作品。たとえ芸達者なオペラ歌手を揃えて手練れのイタオペ指揮者がまとめてもそれだけではいまひとつ響いてこない作品です。キリ・テ・カナワとプラシド・ドミンゴというこれ以上ないコンビを揃えたマゼール盤(1981)が本当に絶品の美しさですし、主役2人の声だけでない演技力も決して劣っている訳ではないのですが、やはりどこかやり過ぎ感に否めません。やり過ぎの声の演技が魅力に繋がる普通のイタリアオペラのあり方がここでは明らかに裏目に出ている感じ。もっともマゼールの音楽づくりは古き良きブロードウェイミュージカルを彷彿とさせてこれはこれで面白い聴きものです。この盤は初版に従っているようなのでほぼほぼこの対訳が使えるかと思います。もう少し新しいゲオルギュー・アラーニやを主役二人に据えたパッパーノ盤(1997)はもう少し大人しいですがそれが中途半端感を醸し出している感じが勿体ないです。大仰なイタオペと演劇感重視のオペレッタとどっちつかずになってしまったのが敗因でしょうか。アペンディクスにあるルッジェーロのアリアだけが追加されたこれも初演版です。
- 意外と良かったのが2007年のプッチーニフェスティバルでのヴェロネージ指揮のNaxos盤。突出した歌手もおらず美声や技巧では前の2盤と比ぶべくもないのですが、ライブと言うこともあり、またオペレッタ風の味付けが濃くてけっこう聴けます。音だけ聴いてこのオペラの魅力を味わうには一番楽しめた録音でした。ただ残念なのはこの盤、私がなじめない主人公二人が喧嘩して決別する最終稿での録音であることです。
- 唯一動画対訳に仕えそうな1966年のモッフォ/バリオーニのモリナーリ・プラデッリ盤、やり過ぎマゼール盤と中庸なパッパーノ盤の間といったところでしょうか。主役二人が突出して目立とうとしないところはとても好感が持てます。それとこの盤で特筆すべきは作品中で重要な役割を果たす詩人プルニエの役に往年の名性格派テナー、ピエロ・デ・パルマを起用していること。オペラでの性格派テナーの役柄故に私はこれまで彼の歌はチョイ訳でしか聴けたことがなかったのですが、ここではオペラ全体の半分以上の時間、このめんどくさくて複雑なプルニエというキャラクターを見事に演じきっています。音だけ聴くに分には最高のプルニエ役ではないでしょうか。
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最終更新:2024年11月15日 11:14