"アラベラ"

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  • 今回、本サイトの管理人さんによる動画対訳の公開に合わせて、「アラベラ」について、簡単に感想を書いてみました。「アラベラ」は音楽だけ聴いていても、とても楽しめると思うのですが、ホフマンスタールによるリブレットも、いつもながら優れた内容です。セリフの意味を汲み取ると、さらに楽しみが倍増すると思います。
  • 今回の新国立劇場の再演(2014年5月~6月)の予習などに、ぜひ動画対訳をお役立ていただきたいと思います。
  • また、文章中にリンクを貼りましたので、その場面だけでも鑑賞しますと、自動的に、ダイジェストが楽しめるようになっています。

アラベラとズデンカ

  • このオペラの原作となった小説「ルチェドール」では、ホフマンスタールは、アラベラの妹ズデンカ(原作での名前はルチェドール)を主人公としていますが、このオペラではタイトルにふさわしく、アラベラの心理に焦点が当たっています。
  • 何人もの男に求婚されながら、なぜ彼女は結婚しないのか?アラベラ自身の言葉によれば、その理由は「私にふさわしい人」(原文Der Richtige)が見つからないからです。そのことは、第1幕のアラベラ・ズデンカ姉妹の美しいデュエットとその前後のシーンで示されます。音楽だけでも美しい二重唱ですが、ぜひセリフ込みでお楽しみください。

  • この二重唱では、ズデンカも重要で、「お姉さんは光に包まれるけど、私は暗闇の中へと落ちていく」と暗い予感を歌いながらも、あくまでアラベラを前面に立てる所がけなげですが、歌いおさめでは姉よりもはるかに高いハイCに達します。これは、ズデンカの暗い予感とは逆に、彼女自身もハッピーになる終幕を予告しているものかも知れません。
  • この歌でアラベラは「私にふさわしい人」が見つかれば、「子どものように素直に従う」と歌います。その前にズデンカの言う「プライドが高く」「コケットな」「冷たい女」ではないとの反論ですが、そこにアラベラの真情が感じられます。
  • さらに、アラベラの心理分析の白眉をなすのは、第1幕のフィナーレです。セリフと音楽が融合しつつ、綿々とアラベラが切ない心情を歌う場面で、ここだけを繰り返し聴いても飽きることのない実にいい音楽だと思います。また、この場面には、この作品の様々なモチーフが集中して使用されています。

  • のっけから、ヴィオラのソロとアラベラの掛け合いに引き込まれるのですが、その後、転調の繰り返しの中から、ついに二重唱のモチーフ(ソ-ド-レ-ミ)が晴朗に現れるところが美しいです。そうかと思えば、最後には「舞踏会の女王になるんだわ」と、急にアラベラの気持ちがパッと明るくなるところも、実にうまいと思います。

マンドリカ

  • そんなアラベラの心を射止め、アラベラが「私にふさわしい人」と思うのは、東欧の地からやって来たマンドリカです。
  • 自ら「農夫みたいな男なのです」と語り、熊と格闘して重傷を負ったりする野生派(?)なのですが、アラベラに近付く他の男達が持っていない、ほかならぬその男性的な要素にアラベラは魅かれるのでしょう。

  • この音楽は半ば諧謔だと思うのですが、こうした外向的で真っ直ぐな音調は、洗練された社交人たるエレメルや、若いマッテオの音楽には無いものです。
  • マンドリカは自分の気持ちをストレートにアラベラに伝えますが、そこには何の打算もない真っ直ぐさがあります。二人がすぐに意気投合するのも唐突感がありません。
  • 一方、アラベラのマンドリカへの気持ちを代弁しているセリフは、第2幕の「あなたのような方を、私は今まで見たことがないわ。ご自身の生き方の流儀を常に身にまとっていて、あなたに属していないものは、まるでこの場に存在しないかのようね」というセリフです。確かに、そうした芯のある男性のほうが良いという心理は分かりますね。その後に、本格的な二重唱が続きます。

  • この二重唱も、素朴な感じがする音楽ですが、精緻な作曲技法とオーケストレーションで描かれているので非常に説得力があると思います。

エレメル

  • このオペラでは、マンドリカのライバルとして、なんと4人の男たちが登場しますが、 その中で、恋敵として最も良い役柄を与えられているのはエレメルです。いかにも洗練されたこの貴族が「女性は自分を賞として差し出すものさ」(第1幕)などと語ると、やや享楽的な匂いも感じ取れて、社交界の雰囲気が出ます。

  • 他に、エレメルと比べると脇役度の強いドミニク、ラモラルという2人の男性がいますが、第2幕のアラベラは次々と彼らに別れを告げます。その中でアラベラのセリフを通して3人のキャラの違いが次々に明らかになる点がとても面白いです。

マッテオ

  • マッテオは、恋に狂う危ないキャラクターで、アラベラとうまく行かなければピストル自殺するとズデンカに訴えます。それがこのオペラのプロットを動かしている面もあるのですが、それにしても自殺はまずいでしょ・・・。半ばストーカー的なので、第1幕フィナーレでアラベラが「子供みたいなマッテオ」と言うのもうなずけます。最後は、ズデンカと「初めからこうなることを予感していたようなんだ」と、めでたしめでたしとなります。

ズデンカ

  • マッテオの性格の危うい側面は、彼に恋しているズデンカにも共通しています。その純情一途さから、彼女は姉に成りすましてマッテオと一夜を過ごすという向う見ずな行動に出ます。
  • しかし、このオペラの良い所は、アラベラがそんな妹の行動を理解して、「あなたのほうが私よりも素敵な女性だわ」「あなたはとても大事なことを教えてくれた」「常に与え、愛さねばならないんだわ」と語る点に現れていると思います。姉妹愛が感じられるヒューマンドラマを紡ぐように流れるオケの温かい響きは、この時期のシュトラウスの真骨頂かと思います。また、それに続く、ヴァルトナーがズデンカとマッテオの婚約を告げるシーンは、夢の中のような美しいシーンだと思います。

  • アラベラは非常に大人な女性で、その点、明らかに「ばらの騎士」の元帥夫人と共通します。一方、ズデンカは、あまり実在しそうにない(?)純情きわまりない女性で、「大人のおとぎ話」めいた「ルチェドール」の性格を少し残しています。 

ヴァルトナー

  • この作品では、他の登場人物も、それぞれキャラが立っていて面白いです。
  • アラベラの父親ヴァルトナーは、ギャンブル狂で財産を失くしてしまった貴族(成り上がり貴族?)ですが、暗さは全然ない人で、第3幕では決闘してでも娘の名誉を守ろうという点は立派です。もっとも、話が片付くと、すぐギャンブルに行く点が笑えます。
  • 笑えると言えば、第1幕でマンドリカにお金を渡されて、「テシェク・ベディーン・ディッヒ!」(どうぞご自由に)と繰り返し、ズデンカに「お父さん、おかしくなったのかな?」と思われる所は、聴いているだけでも笑えてしまいます。

アデライーデ

  • オペラ冒頭で、トランプ占い師に娘の結婚を占わせる彼女は、何でも占い任せ。そのため、夫にさえ呆れられますが、なんか現代にもいそうな感じの女性です。
  • 性格は素直な人なので、彼女なりに娘たちの幸福を願っているのですが、夢想家なので、娘アラベラが玉の輿に乗るシンデレラストーリーを夢見るセリフは、夢とうつつの境にあります。

大団円

  • オペラ全体を締める大団円のシーンは、アラベラとマンドリカの二人だけが登場して、歌うのはほとんどアラベラですが、この場面もとても良いですね。曲頭の下行するモチーフ(ド-ソ-ド)は、オペラ全体を通して現れるモチーフですが、これは有名な『ツァラトゥストラかく語りき』の冒頭モチーフ(上行するド-ソ-ド)を、偶然かも知れませんが、上下逆さにひっくり返した音型とのこと。

  • ここでは、先刻のマンドリカの振舞いを何事もなかったかのように優美に水に流すアラベラの「大人さ」が際立ちます。ドラマの表面的な進行とは別に、内面的なストーリーを見ると、このオペラはやはり、もともと大人の女性だったアラベラが、オペラの進行を通して、さらに大人になっていくというストーリーだと思います。

夢から現実への回帰

  • ホフマンスタールは、原作「ルチェドール」では、実は女なのに男として育てられたズデンカを通して夢幻と現実の境目を描き、むしろ夢幻に突入するような形で筆を措いています。しかし、「アラベラ」では逆に夢から現実へと戻っていくように思えます。
  • 第1幕のアラベラは、「男の人って、私の頭の中で急にふくれあがったかと思うと、またすぐに何でもない存在になってしまうの!」などとファンタジックなセリフを語っていたのですが、物語の最後では、現実の人間の強さ弱さをしっかりと受け止める決意をします。

  • 遠くから大金持ちの求婚者が現れるというだけなら、単純なシンデレラストーリーに過ぎないのですが、アラベラの心理を、脚本と音楽の双方から丁寧に描いたことで、共感できる人物像が立体的な像を結んでいるように思えます。
  • ホフマンスタールは、この台本の完成版をシュトラウスに送った直後の1929年7月に急逝。それだからこそでもあるのでしょうが、シュトラウスはこの台本をきわめて精緻に音楽化して、オペラの高雅さとオペレッタの喜劇的要素を融合した作品に仕上げていると思います。
2014年5月 wagnerianchan


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@wagnerianchan


最終更新:2014年05月18日 12:05