対訳【朝比奈隆 訳】
編集者より
朝比奈隆は1949年に関西オペラグループ(現関西歌劇団)を結成し、その年の第1回公演で「椿姫」、翌1950年に「カルメン」を上演し、次に1951年に「お蝶夫人」を上演しています。「お蝶夫人」はその後1954年の第8回公演でも上演されています。
朝比奈隆訳でまず参考にしたのは、大フィルに保管されているRicordi版のボーカルスコア(出版年不明)です。次に参考にしたのが、1954年の11月24日から12月14日に大阪労音5周年記念例会 プッチーニ30周年を記念して、毎日会館と宝塚大劇場で上演された時のパンフレットです。このパンフレットには、「訳詞 朝比奈 隆」と明記されて、このオペラの全訳が掲載されています。そこでWEBでダウンロードしたイタリア語のテキストと朝比奈訳を、できるだけ楽譜に合わせて並べました。
朝比奈隆は上演の度ごとに訳詞に手を入れていたとオペラ歌手の方々からは聞いています。実際、このRicordi版に書かれている訳詞は、大方はパンフレットに掲載されたものと同じですが、多少書き直されていたり、訳詞が2種類あったりします。そこで、パンフレットに掲載されたものがRicordiの楽譜に書かれた訳と違う箇所は(別訳:)という形で併記しました。
また、Ricordi版は三幕ですが、パンフレットでは二幕になっていますので、それに合わせました。また別のパンフレットにト書の載っているものがありましたので、そのト書きも入れました。ト書き付きで朝比奈訳を読むと、これだけでオペラの情景が浮かんできます。ト書きは、イタリア語のテキストに合わせて、少し補足してあります。
朝比奈隆の訳詞では、繰り返しが必ずしも同じ訳語ではありません。例えば、お蝶夫人の結婚式に集まった人々が初めてピンカートンを見て言う言葉が、Mi pare un re! で直訳すると「王様のように見える」ですが朝比奈はそれを「すばらしい」とか、「まあすてき」、「すてきだわ」とかいろいろに訳しています。これが掛け合いで歌われている箇所は、訳語だけ見ると不自然に思われるかもしれませんが、ヴォーカルスコアと合わせて見ると、訳語がぴったりはまっています。
朝比奈隆の訳には時々、独特の面白さがあります。例えばボンゾはそのキャラクターも独特ですが、ボンゾが蝶々さんを罵倒する場面で、「罰当たりめ」「外道め」「毛唐め」といった言葉が使われています。ボンゾの言葉に怯える蝶々さんの気持がよく分かります。
「お蝶夫人」は朝比奈隆が指揮したオペラの中で最も公演回数が多く、1951年から1983年の間に55回指揮しています。初めの頃の51年、54年、55年、59年のパンフレットには朝比奈隆の訳詞が掲載されています。
使用している漢字や送り仮名については、若干、現在と異なっていることもありますが、当時のパンフレットの通りにしました。
管理人より
指揮者の朝比奈隆(1908年7月9日 - 2001年12月29日)が翻訳した「歌える日本語訳」を使用しています。日本語訳は左のイタリア語の意味とは必ずしも一致しません。
朝比奈のテキストは遺族の許可をいただいて掲載しています。複製・転載・転用は固くお断りいたします。
Blogs on 蝶々夫人
最終更新:2021年11月07日 10:46