スパークス

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スパークス ◆UOJEIq.Rys



 片手に三ずつ、計六つの爪が所狭しと奔りまわり、室内に備えられた家具を裁断する。
 ごく一般的な民家の屋内は、長い爪を武器とする呉キリカにとって狭所なのだろう。
 本来平穏な日常をすごせる筈のリビングは、刻まれた無数の傷痕にもう見る影もない。
 とは言っても、ある程度は長さを調節できるらしく、戦闘に困っている様子はない。
 その自在に伸長する爪が、殺人には十分な切れ味を以て襲い掛かってくる。

「――――――――」
 それをバゼットは、右腕一本で確実に捌いていく。
 戦闘が始まってからここまでに、バゼットは掠り傷さえ負っていない。
 その理由は二つ。

 一つはバゼットの使用する、硬化のルーンの刻まれた手袋(グローブ)。
 タングステン鋼を超える硬度のそれは、切断に特化したキリカの鉤爪を以てしても切り裂く事ができない。
 まともに食らえば真っ二つにされるだろうが、バゼットの守りを破るには、その爪を振るう筋力が足りていないのだ。
 そしてもう一つは、バゼット自身の戦闘能力だ。
 確かにキリカの速さは驚異的といえるだろう。だがバゼットは、その驚異的な速度の敵を、完全に捉えていた。

 まずは様子見と、バゼットが防御に専念しているのもあるだろう。
 しかしそれ以上に、両者の戦闘技術に圧倒的な差が開いているのだ。
 いかにキリカが魔法少女となり、幾体もの魔女を屠り、幾人もの魔法少女を殺していようと、所詮は中学生の少女にすぎない。
 対してバゼットは、キリカ以上の長い年月、封印指定執行者として数多の魔術師を殲滅してきた。
 そう。技術や経験など、戦闘面の全てにおいて、キリカはバゼットに大きく劣っているのだ。

 ……しかし。
 対するキリカもまた、バゼットの攻撃を一度も受けていなかった。
 無論、バゼットが攻撃をしていないからではない。むしろ殺れる、と確信したタイミングでは、足撃によるカウンターを叩き込んでいる。
 だがその瞬間に限って、キリカはさらなる加速を見せ、バゼットの一撃を躱して距離を取り、戦闘を仕切り直してくるのだ。

「ハハハッ! さすが大恩人! ここまで完璧に凌がれたのは初めてだよ! 今までのどんな相手よりも凄い!」
「……………………」
 鉄壁を誇るバゼットの守りに、キリカのテンションが上がっていく。
 その様子を機械的に観察しながら、バゼットはキリカの能力を推察していく。

 ――呉キリカ。自称・愛の魔法少女。
 その目的は織莉子という名称の個人の生存。
 言動は極めて不安定、かつ短絡的。しかし、上記の織莉子に関することは最優先される模様。
 使用武器は両手に具現化された爪。魔力で構成されているためか、形状変化が可能。なお、変形の限界値は不明。
 使用魔術は加速に属するものであることは間違いない。しかし、現状において張られた結界との関連性は不明。
 戦闘技術は中の上から上の下。加速能力によって相手を翻弄する戦闘スタイルが主と思われるが、経験の浅さからか、動作の一部に単調さが垣間見える。

 ――結論。
 対象の魔術効果を要留意する必要はあるが、現状においても撃破は可能。
 懸念事項があるとすれば、縫合したばかりの左腕だろう。キリカを確実に仕留めるには、左腕の使用は必要不可欠だ。
 しかし、一度でも使用すれば傷は開き、大量に出血する。そしてこの戦闘中に、出血を抑えている余裕はない。
 使用するのであれば、その行動を以て戦闘を決着させるほどの精度が求められる。
 キリカの戦力分析を終え、バゼットはそう判断を下す。

「ルビー、貴女の方はどうです? 彼女の使用する魔術の解析はできそうですか?」
『難しいですねぇ。どうやら彼女の使用している魔術は、私達とは“使用している言語が違う”ようなんです。
 ですので、まず先に使用言語を翻訳しないと、術式の把握すら困難な状態でして……』

 次いでバゼットは、ついでに回収しておいたルビーへと問いかけるが、その結果は芳しくなかった。
 魔法少女、と自称したことから、呉キリカは乾巧から聞いた、巴マミという人物と同じ存在――つまりは平行世界の住人だと予測できる。
 使用言語が違う、というのも、おそらくはそのあたりに関係しているのだろう。だが。

「そうですか。では貴女はそのまま術式の解析を。魔術そのものに対する対処法は、私自身でどうにかします」
 未知の魔術を相手にすることなど、封印指定の魔術師を相手にしていればそう珍しいことではない。
 ようするに、魔術を行使する術者自身を殴り飛ばしてしまえば関係ない、ということだ。

『了解です。それでは頑張ってくださいね。私も可能な限りは解析を続けますので。
 それにしても、この言語と術式。似たようなものをどこかで………』
 ルビーはそう言って、本格的に術式の解析を開始する。
 自分からは動けず、他に出来ることもない以上、それは当然の判断だった。

 そうして二人(?)の方針が決まると同時に、縦横無尽に動き回っていたキリカが不意に動きを止めた。
 その唐突な間隙に、バゼットは拳を構え、キリカへの警戒を強める。

「…………あきた」
 キリカは先ほどまでのテンションとは打って変わって、実に退屈そうに呟いた。
「強いのはいいけどさ、同じことの繰り返しでつまらないよ、大恩人」
「……理解しかねますね。戦闘とは相手を打ち倒すためのもの。遊興を求める必要はないと思いますが」
「確かにそうだけどさぁ、このまま続けたってなんにも変わらないと思わない?」
「そうでもありません。貴女の戦力分析はほぼ完了しました。
 結論として、貴女は撃破可能な、ただの強敵であると判断できます」
「へぇ……言うじゃん。じゃあやって見せてよ、大恩人!」

 ジャキン、とキリカは左右“八枚”の爪を展開し、高速でバゼットへと接近する。
 その顔に浮かぶ表情は凶悪な笑み。やれるものならやってみろという、絶対的な自信に満ちていた。

「同じ展開はつまらない、と言いましたね。では、今度は私から攻めましょう」
 それを迎え撃つように、今度はバゼットが、リビングの床を踏み砕いてキリカへと肉薄する。
 完璧にタイミングを合わせたカウンター。
 これまでと同じように防戦に徹すると予測していたキリカは、バゼットの踏み込みに対応できず、懐への侵入を許す。

「ヤッバ――ッ………!!」
 キリカは咄嗟に“減速”による抵抗を試みる。
 が、しかし、それよりもなお早く、バゼットの一撃が振り抜かれた。
 結果行えた抵抗は、可能な限りの“減速”と、それによって生まれた僅かな猶予を用いての、後方への跳躍だった。

「ッ――――………!」
 バゼットの誇る文字通りの鉄拳が、キリカの胴体を深く穿つ。
 肺の中の空気が、一瞬で全て吐き出される。
 捩じ込むように打ち抜かれる一撃。身体はやはり文字通り殴り飛ばされ、激突した壁を粉砕して家の外へと弾き出される。
 そしてそのまま道路へと叩き付けられ、しかし倒れ伏すことなく立ち上がる。

「ッ、ガハッ……ハッ!」
 無理矢理に絞り出された酸素を求めて息を吸い、吸い過ぎた空気に噎せ返って咳き込む。
 心臓が破裂したかのような痛みを、痛覚を遮断してやり過ごす。

 ヤバかった。
 魔法が少しでも効果を発揮していなければ、体に穴が開けられていた。
 運が悪ければ死んでいた。それくらい強烈な一撃だった。
 だが………それはいけない。
 織莉子のため以外で死ぬなんて、許されていいはずがない!

「危ないじゃないか、大恩人ッ!!」
 キリカは両腕を大きく振りかぶり、両手の八つの爪を、粉砕された家屋から飛び出してきたバゼットへと向けて投擲する。
 同時に今度は、両手合わせて“四つ”の爪を具現化し、さらなる“減速”を以てバゼットへと接近する。

「――――ッ!」
 対するバゼットは、自身に向かって飛来する爪に対処するために足を止め、その直後に加速した爪に目を見開く。
 ――が対処できない速度ではない。
 投げ放たれた八つの爪の内、自身に当たるものだけを右拳で弾き飛ばす。
 そして爪に追いつく速度で接近してきたキリカへと、抉る様な左後ろ回し蹴りを叩き込む。が、しかし。

「鈍いッ! そんな鈍間な攻撃じゃ当たらないよ!」
 キリカはさらなる加速を見せ、バゼットの左足刀を掻い潜る。
 狙いは軸となっている右脚。そこを切り裂けば、碌に動くこともできなくなる。
 これで終わりだと、戦いの決着を確信して鉤爪を振りかぶる。

「!?」
 が、振り抜かれたはずの左脚が、ズン、と音を立てて地面へと突き立つ。
 直後に迫る、頭上からの『死』を孕んだ凶悪な圧力。
 ヤバイ! と直感が叫ぶ。
 考えるより先に、鉤爪をブレーキとして道路に突き立て、全力で後方へと飛び退く。

 その瞬間。
 顔の目前、ほんの数センチ先を、豪速の鉄拳が通過した。
 鉄建はそのまま地面へと打ち下ろされ、固く舗装された道路を粉々に粉砕した。

「うそーん………」
 弾き飛ばされた瓦礫とともに距離を取りながら、そのあまりの威力に目を疑う。
 あの瞬間、もし直感に従って飛び退いていなければ、間違いなく自分の頭は容易く粉砕されて道路のシミになっていただろう。
 ……いや、シミの付く道路すら残っていなかったに違いない。
 その事実を前に、キリカはようやく、自身が相対した敵の脅威を理解した。


「………やはり、よく避ける」
 拳を振り下ろしたまま、バゼットはそう呟く。
 隙の大きい左足刀を囮にしての、気付いたところ避けられない筈のカウンター。
 今までで一番確信のあった一撃なのだが、キリカは寸でのところで気づき、その上で回避して見せた。

 この交戦で得た情報は二つ。
 一つは投擲後に速度の上がった八本の爪。
 通常、投擲されたものが何の支援もなく、その後加速することはあり得ない。
 呉キリカの能力を考えれば有り得ないことではないが、それでも違和感は残る。

 そしてもう一つは、キリカの速度に対する、爪によるブレーキに要した距離だ。
 物体というものは、より速く加速すればするほど、停止するのに長い距離を必要とする。
 だというのにキリカは、道路の強度、爪の長さでは止まれないはずの短距離で緊急停止して見せた。
 つまりバゼットの予測よりも、キリカが要した停止距離が短かったのだ。
 キリカが回避できないはずのカウンターを回避できたのは、それが理由だ。

 高速で動くキリカ。効果の判らない結界。投擲後に加速した爪。短すぎる停止距離。
 ……あと一つ、何かしらの違和感を見つければ、キリカが使用する魔術の正体が判明するはずだ。
 そのためには、物理的に回避不可能な状態で、攻撃を叩き込む必要がある。

「―――行きます」
 砕けた道路を更に踏み砕き、バゼットはキリカへと接近を挑む。

 いかに肉体を加速させようと、その加速力を発揮できない状態になれば、停止しているのと変わりはない。
 その隙に一撃を叩き込めば、キリカとて避けられないはずだ。
 だが、もしそれでも避けられたのであれば、キリカの加速は通常のそれとは違う法則でなされているということになる。
 故にそれを以て、呉キリカの能力を暴き出す。


    ◇


「イリヤ、大丈夫か……!?」
 あれから市街地を駆け抜け、安全と思われる距離まで離れたところで、そう声をかける。
 バゼットがあの呉キリカという少女と戦っている民家は、もう視認できない。バゼットの実力は知らないが、自ら殿を申し出てきた以上相当に戦えるはずだ。
 仮にあの少女がバゼットを置き去りに追いかけてきたとしても、すぐに追いつかれることはないだろう。

「うん、私は大丈夫だよ」
 痛みに苦悶の表情を浮かべながらも、イリヤは気丈にもそう口にした。
 それが自分に心配を掛けまいとしての事だと悟って、自身の情けなさに歯を噛みしめた。
 その表情を見咎めてだろう。イリヤはより強く、大丈夫だと口にする。
「……ああ、そうだな。安心した」
 だからこれ以上心配を掛けまいと、そう言って無理矢理に笑顔を浮かべた。

「おい、とっとと安全な場所に行くぞ。ここもまだ安全とは言い切れねぇんだ」
 そこに巧が先を促すように声をかけてくる。
 おそらく、場の雰囲気を変えるためだろう。その不器用な心遣いが、今は正直にありがたかった。

「それで、これからどうすんだ。それほど深い傷じゃなくても、手当は必要だろ」
「ああ、わかってる」
 そう言いつつ、この会場の地図を思い出す。
 最後に確認した現在位置は、確か【G-3】だったはずだ。……なら、隣のエリアである【G-2】には、穂群原学園があったはずだ。
 そこならばまず間違いなく保険室があり、付近の民家よりも十分な手当てができるだろう。
 それにその場所は地図に載っているため、合流地点としても目印にし易い。
 同時に他の参加者――つまりは危険人物が集まってくる可能性もあるが、今それは後回しだ。
 イリヤも巧も、あの少女から攻撃を受けて血を流している。早急な手当てが必要だ。
 ……あの開戦で怪我をしていないのは、自分だけだ。

「…………。気にするなとは言わねぇけど、そんな辛気臭ぇ顔すんな。
 俺はもうオルフェノクだから、ただの人間よりは傷の治りは早い」
「わ、私も、ルビーがいればこんな傷すぐに治せるから、心配しないで、お兄ちゃん」
「そうなのか? なら早くルビーに頼んで……って。あれ、ルビーは?」
 イリヤの言葉に、早く彼女の傷を治してもらおうとルビーを探すが、あのハイテンションな杖の姿はどこにも見当たらない。

「わかんない。気づいたらどこにもいなかったの」
「……………………」
 考えられるとすれば、あの戦いの最中に取り残してきた、といったところだろうか。
 あの場所ではバゼットとあの少女が今も戦っているはずだ。そこへ戻るのなら、少なくともあの少女の攻撃を防げるだけの実力がいる。

 ――ルビーがおらず、転身できないイリヤは論外だ。
 垣間見た能力から、あの少女は高速戦闘が得意だと予測できる。あの場にルビーがいたとしても、転身する前の生身を狙われてしまえば一たまりもない。
 ――いまだにダメージの癒えない巧にも任せられない。
 彼の身体能力も、おそらくスピードに寄っている。なら同じく高速戦闘が得意であろうあの少女に対しては、残るダメージの分不利を強いられてしまう。
 ――となれば、残る選択肢は二つだけだ。
 バゼットを信じ、彼女に全てを任せるか、いまだダメージの少ない衛宮士郎が加勢に向かうかの二択。
 なら俺がとるべき行動は―――。

「………巧、イリヤを頼む。二人で穂群原学園に向かってくれ。
 俺はバゼットを手伝いに行く。ルビーもそこにいるはずだ」
 まっすぐに巧を見つめて、そう口にする。
 彼の事はまだよく知らないが、それでも信頼できると判断しての言葉だ。

「は? お前、何言って―――!」
「そうだよ! バゼットさんならきっと大丈夫だよ! あの人、バーサーカーみたいに強いし!」
「けど、左腕に重傷を負ってる」
「それは………っ!」

 確かにバゼットの戦いを見たことはないが、彼女の事を信頼していないわけじゃない。あのセイバーと戦い、生き延びたという時点でその実力は確かなものだ。
 だがその代償は、左腕への致命的なダメージ。応急処置こそされているが、動かすだけで精いっぱいのはずだ。

 対して、自らを魔法少女と名乗った呉キリカという少女の戦闘能力は未知数。高速戦闘が得意だと予想できるが、それだけだ。
 万全の状態ならともかく、もし左腕の傷が開き、持久戦に持ち込まれてしまえば、途端に勝ち目は低くなる。

 ならばせめて、バゼットの代わりとなって攻撃を引き受け、そして受け止める“盾”がいる。
 そして二人が戦えない以上、それができるのは俺しかいない。

「ッ、バカかお前は! テメェ一人が加わったくらいでどうにかなるとでも思ってんのか!」
「そんなことは思ってない。けど、何かの助けにはなるかもしれないだろ?
 それにイリヤの怪我だって、早く治してやった方がいいことは確かなんだ」
「そのためにテメェが死んじまったら、何の意味もねぇだろぅが!」
「死なないさ」
 更にもう一度、俺は死なない、と。繰り返し強く、覚悟を込めて口にする。

 そう、こんなところでは死ねない。なぜならやるべき事が、まだ沢山残っている。
 イリヤを守らなければいけない。セイバーを止めなければいけない。藤ねえたちを助けなければいけない。
 それに何より―――桜のもとへと、辿り着かなければいけない。

 そう簡単に、こんなところで終わるわけにはいかないのだ。

「確かにあのキリカって少女は速かったけど、決して見切れないほどじゃなかった。防御に専念すれば、対抗できるはずだ。
 そうすればバゼットにだって、多少の余裕はできるだろ。
 ………それにいざとなれば、奥の手だってあるしな」
 言って、赤布(ひだりうで)に視線を落とす。
 そこには人の身に有り余る力が、静かに開放の時を待っている。
 言峰はこれが時限爆弾のスイッチだといった。
 右手をそっと、左腕にそえる。
 瞬間。

「ダメッ!!」
 今までにない必死さで、イリヤが声を荒げた。

「イリヤ?」
「だめだよお兄ちゃん……“それ”だけは、絶対にだめ……!
 だって、死んじゃうんだよ……? ううん、きっと死ぬよりひどいことになる!
 やだよ………私、そんなのやだ……。お兄ちゃんが死んじゃったら、私……!」

 今にも泣きだしそうな顔で、イリヤはそう口にする。
 大切な家族を失う予感に怯え、自分ではなく俺に迫る死に震えている。
 けれど俺には、この腕を使わないと、そう約束することはできなかった。
 ――――使えば死ぬ。
 それを解っていながら、いつか必ず、この腕を開放する時が来る。そんな確かな予感があった。
 だから、彼女の涙を止める術は、俺にはない。

「言っただろ、イリヤ。俺は死なないって」
 だから俺にできることは、ただ強がることだけだ。
 少しでも彼女が安心できるように、精一杯の笑顔を見せる。

「それにさ、兄貴ってのは、妹を守るもんなんだ。
 なのに妹に守られてばかりじゃ、兄貴の格好がつかないだろ?」
「お兄……ちゃん……?」
 ぽん、とイリヤの頭に右手を置いて、来た道を振り返る。

「じゃ、行ってくる。巧、イリヤの事を頼んだぞ」
 返事が返ってくるより早く走り出す。
 今は少しの時間さえ惜しい。体力の温存を考えず、最初から全速力で駆け抜ける。
 バゼットに加勢し、ルビーを見つけ、再びイリヤと合流するまでの時間は、可能な限りに短い方がいい。



「ま、待ってよお兄ちゃん……!」
「あ、おい、お前の方こそ待てって!」

 そうして走り去った士郎をイリヤはすぐさま追いかけ、それを思わず、巧がは慌てて追いかけた。
 だが元々走るのが得意なイリヤに、人間態のままの、いまだダメージの残る巧では追いつけない。
 怪人態になればすぐに追いつけるだろうが、この調子では変身している間に見失いかねない。

 しかし同時に、士郎の走る速さの異常さに、あいつは本当に人間なのかと、自分の事も忘れて驚愕した。
 追いかけだして三十秒と経っていないというのに、二人はもう士郎の背中を見失いかけている。
 目的地は分かっているため、最終的には合流できるだろうが、途中で追いつくことはできないと確信する。

 だがそれ以上に、巧は身分の行動を訝しく思っていた。
 なぜ自分は、彼女たちを追いかけているのだろう、と。

 あの二人から離れるのなら、今が絶好の機会だ。
 一応助けられたとはいえ、少女を守る義理はない。
 何より自分のような化け物は、彼らの傍にいるべきではない。

 ……だというのに、今こうして少女を追いかけている。
 それは彼女を一人にすることが危険だからか。それとも士郎に彼女を頼まれたからか。

 ―――イリヤを頼む。
 士郎はそう言って、巧にイリヤを託した。
 怪物である彼の事を、微塵も疑っていない信頼。

「……死ぬって、なんだよ……」
 士郎が死ぬと、イリヤは言った。
 それがどういう意味なのか、巧にはわからない。
 だが士郎は、それを承知で戻って行った。
 自分の家族を、こんな怪物に託して。

 ………わからない。
 どうしてそこまで、出会ったばかりの化け物を信じられるのか。
 どうしてそんなにも、まっすぐな目をしていられるのか。
 どうしてそんなふうに、誰かのために頑張れるのか。

 どうして、自分が死ぬと解っていて、それでも笑っていられるのか。

「チクショウ……! 俺は……っ」
 抑えきれない感情に、堪らず声を荒げる。
 化け物は一緒にいるべきではない。一刻も早く彼女たちとは別れるべきだと。
 そんなことは分かっているのに、それでも託された少女を見捨てられず、士郎の事も放っておけず、巧は二人を追いかけ続けた。


     ◆


 バゼットの鋼の硬さを誇る拳が、キリカの肉体を打ち砕かんと暴威を振るう。
 高速で打ち出されるジャブは、それだけで十分な威力を伴っている。
 シャープ&ヘヴィ。
 そのマシンガンのごとき連打をまともに受ければ、いかな魔法少女とて一溜りもないだろう。

“こりゃ、結構ヤバイかなぁ”
 内心でそう呟きながら、キリカは“減速”を最大限に活用してバゼットの攻撃を躱す。
 振り抜かれたバゼットの鉄拳が、髪を数本巻き込んで米神を掠めていく。

 牽制の一撃でさえ驚異的な威力を誇るバゼットは、その一撃を確実に決めるためにキリカへと攻め込み、
 速度では圧倒的に勝るが一撃が軽いキリカは、決してその一撃を食らうまいとバゼットから距離を取る。
 事ここに至って、両者の攻守は完全に逆転し、長期戦の様相を呈し始めていた。

 しかし、この状況のまま持久戦を続けるのはマズイ。
 何故ならソウルジェムの濁りが、すでに四割を超えて五割に達しようとしているからだ。
 ただでさえ魔力の消費量が増えているというのに、バゼットは普段以上の出力での魔法行使を強要してくる。
 もし魔力の節約なんて考えれば、その瞬間にバゼットに殴り飛ばされるに違いない。

 ――先ほどのバゼットの言葉が思い出される。
 彼女は自分の事を、『撃破可能な、ただの強敵』と言った。
 正しくその通りだ。現に今こうして、少しずつ、着実に追い詰められている。
 あと一手。バゼットの手数が増えていれば、とっくの昔に自分は倒されていただろう。

 極限まで洗練された高速のコンビネーション。
 人間業とは思えない、受ける相手に同情したくなるような右ストレート。
 もし頭部に直撃すれば、首から上はトマトか何かのように吹き飛ぶことだろう。
 そしてこの場合、相手とは自分のことで、吹き飛ぶのは自分の頭ということになる。

 ……思わず自分の首なし死体を想像して、実際に有り得そうな顛末にぶるりと肩を震わせた。
 織莉子の事がなくても、マミって飛頭蛮になるなんて死に方は勘弁願いたい。
 ところでマミるってなんだろう。

「ん?」
 ふと、バゼットの攻撃に違和感を覚える。
 現在進行で自分を追い詰めるコンビネーションの、足りない一手に気付く。
 そうだ。
 彼女はこの戦いで、右腕と両脚しか使っていない。“まだ一度も左腕を使用していない”のだ。

 突破口はそこだと、キリカの直感が告げる。
 何か、理由があるはずだ。左腕を使わない、あるいは使えない理由が。

 改めてバゼットを観察する。
 彼女と別れた時の状況、彼女の目的を思い出す。
 出会った時の彼女と、現在の彼女との差異を見つけ出す。

「ははーん。そういうことか」
 二度目となる勝利への確信に、思わず顔がにやける。
 どうやら持久戦を避けたいのは、バゼットも同じらしいと理解する。
 なら勝利は目前だ。織莉子のためにも、今すぐそこへと向けて駆け出さなければ!


「………………」
 不意に笑みを浮かべ突撃してきたキリカに、バゼットは目を見開きながらも冷静に対処する。
 回避を重視していた彼女が、唐突に接近してきた理由は分からない。
 だが接近戦を挑むというのであれば、好都合だ。彼女の能力を掴む機会が増える。

「シッ――――!」
 相手の速度に合わせたカウンター。時速八十キロを超える右ストレートは、しかし。当然のごとく避けられるだろうと予測できる。
 キリカの魔術の正体が判明していない以上、これまでがそうだったように、少女の肉体を捉えることは難しい。
 故に重要なのは、その次。
 キリカがこの一撃をいかに避けるかを見極め、それに合わせた追撃を放つかだ。

「ハハッ――――!」
 己の顔面へと正確に放たれた鉄拳を目前として、キリカはなお笑みを浮かべる。
 それはつまり、自身の能力に絶対の自信があるということの証明だ。

 ――さあ、この一撃にどう対処する。
 ほんの僅かな挙動も見逃すまいと、少女の全身を凝視する……その瞳が、驚愕に見開かれた。

 キリカの取った行動は、やはり回避。
 それも当然。少女の矮躯では、私の右ストレートは受けられない。
 しかしその回避方法は、後方への退避でも、左右への旋回でも、拳を掻い潜ってのカウンターでもない、予想外の方法だった。

「――――、な!」
 その方法に、思わず声を上げた。
 なんとキリカは、八十キロで突き出された右拳を、跳び箱でも跳ぶかのように片手を添えて飛び越えたのだ。
 その行為自体は不可能ではない。高速で動く物体にぶつかったとしても、その速度が破壊力に代わる前に受け流してしまえば、ダメージは受けないからだ。
 だが百キロ近い物体を真正面から受け止め、しかもアクロバティックな動きを加えて飛び越えるなど、これまでに把握した少女の能力では不可能なほどの技量が必要だ。

 しかし、そのことについて考えている余裕はない。
「ッ…………!」
 しまった。と口にする余裕もない。今の一手で、完全に背後を取られた。
 即座に後ろへと左回し蹴りを放ち、キリカへと牽制する。
 が、しかし。
 それさえもキリカは、低い柵でも乗り越えるかのように、ぽん、手を当てて跳び越えた。

 そしてキリカは、跳び越えた勢いのままにドロップキックを放った。
 その狙いは――左腕。少女は明らかに、こちらの弱点を狙ってきていた。
 されど、攻撃中の隙を狙われ、高速で放たれたその一撃を避けることはかなわず、結果―――。

「グッ、ヅ………ッ!!」
 苦痛の声とともに、数メートルほど蹴り飛ばされる。
 攻撃を受けた左腕は、早くも傷が開き、赤い血に濡れていた。

「やっぱりね! 大恩人ってば、あの魔女と戦って怪我してたんだ!」
 その結果をもたらしたキリカは、心底楽しそうに声を上げている。
 バゼットへと有効打を与えたことが、それほどまでに嬉しいのだろう。

「………油断、しましたか。ですが」
 そんなキリカを傍目に見つつ、バゼットは最後のピースを拾い上げる。
 今の攻防。少女の技量では有り得ない回避と、受けた一撃の、あまりの“軽さ”。
 それが、呉キリカの魔術の正体だ。

 キリカの一撃は、左腕の傷を開くには十分だったが、放たれた速度に対してあまりにもダメージが少なかった。
 あの速度で放たれたキックならば、少なくともこの戦闘中は左腕を使用不可能にするほどの威力があるはずだ。
 だというのに左腕は、傷こそ開いてしまったが、動かすことに何の支障も出ていなかった。
 ピンポン玉でさえ超高速で放たれればラケットを破壊し得るというのに、キリカは攻撃速度に対し、一撃の重さが合っていないのだ。

 となると、その答えは自ずと絞られていく。
 今までに出てきた違和感を統合し、自身とキリカの速度対比はそのままに、その一撃の軽さと速度の関係を正す。
 そうして出てきた答えに、バゼットは瞠目した。なるほど、それならばすべてに説明が付く、と。

 そう。キリカの魔術は、“自己の加速”ではなく、“他者の減速”だったのだ。
 おそらく効果のわからなかった結界が、その対象に“減速”をもたらす起点なのだろう。
 しかも現在に至るまでに気が付けなかったことから考えて、空間そのものに作用するタイプであると考えられる。
 効果の対象の選別も可能である事から、強力な味方がいる状況であれば非常に強力な魔術だといえるだろう。
 ……ただし、対象の対魔力を考えなければ、だが。

 更に彼女の魔術の欠点として、分かったことはもう一つある。
 即ち、キリカの使用する魔術の効果と、具現化された爪の数は反比例している、ということだ。
 爪自体が魔力で構成されているためだろう。どうやら“減速”に魔力を割けば、爪の維持ができなくなるらしい。
 それが速度において常に優位にあった少女が回避に徹してきた理由であり、先ほどのカウンターがドロップキックであった理由だ。

「……………………」
 とは言っても、その欠点だけではこちらの不利は覆らない。
 なぜなら両者の速度対比が変わらない以上、結局は加速していることと変わりはないからだ。
 しかもこちらを”減速”させるほどに減る爪も、切り裂くことに特化しているなら使い方次第でどうにでもなる。

 ――加えて左腕の出血。
 止血するだけなら問題ないが、そんな余裕はまず生じないだろう。
 故に血を失い消耗する前に、早急に戦いを終わらせなければならなくなった。

 ……そのために必要な情報は、少女の魔術の効果範囲だ。
 魔術効果が自己加速でない以上、それさえ解明すれば、少女は敵ではなくなる。
 この厄介な“減速”の範囲から逃れてしまえば、自身と少女との速度差はなくなってしまうからだ。

「ルビー」
『そちらの方の解析はとっくにできてますよ。
 どうやら結界自体は先ほどの民家を中心に張られているようですが、魔術効果は彼女を中心として発揮されているようです。
 加えて結界内から逃げ出そうにも、現状彼女の方が“速い”ですからねぇ』
「抜け出す前に追いつかれるか、新たな起点を張られるだけ、ですか」
『はい、そういうことです』

 ルビーのその答えに、バゼットは静かに嘆息する。
 要するに、キリカと相対する限り、彼女の魔術からは逃れられないということだ。
 無論、彼女の魔術を完全に解明したわけではないので、何かしらの突破口はあるかもしれない。
 だがそれを探っている時間は、今のバゼットには残っていなかった。
 このまま戦い続けたところで、いずれは出血によって体力を失い、こちらが不利になるだけだ。
 ならばこれ以上消耗する前に、こちらの“切り札”を切るべきだろう。しかし。

「………ラックは、対サーヴァント級用に温存しておきたかったのですが、仕方ありませんね」
 三度しか使えない奥の手を、自身のミスによって切らざるを得ないことに、バゼットは独り言ちる。
 それを聞いたルビーが、若干申し訳なさそうに謝罪を口にする。

『すみません。ゲスト登録(奥の手)を使えれば、腕の怪我くらいすぐに治癒できたんですが………。
 ま、バーサーカー女に乙女パワーなんて、望むだけムダでしょうけどね』
「……ルビー。後で殴ります」
『ブッ!? なにゆえに!?』
 ルビーへと処刑宣告をしつつ、バゼットは戦法を組み立てる。

 この“減速の結界”の影響力からして、これが呉キリカの“切り札”であることは間違いないだろう。
 だがラックが反応していないところから鑑みるに、“切り札”と呼べるほどの効力はまだ発揮させていないと思われる。
 あるいはルビーと同様、ラックの発動条件の方に何かしらの制限が掛けられている可能性もあるが、そちらは現在把握しようがないので慮外する。
 となるとラックを使用するためには、“切り札”級の効果を発揮させるほどに少女を追い詰める必要があるわけだが。

「さぁどうする? 大恩人。
 このまま我慢比べを始めるかい? それとも、諦めて織莉子のために死んでくれるかい?」
「……………………」
 キリカの挑発に、バゼットは黙して答えない。
 キリカの減速魔術に対し、後の先を取る迎撃礼装のフラガラックは相性が悪い。
 なぜならば、キリカが回避に徹すれば彼女を追い詰めることは難しくなり、結果不利な消耗戦に持ち込まれるからだ。
 ―――あと一手。彼女に対抗し得る“何か”が必要だ。そしてその何かは、

「―――無事か、バゼット!」

 彼女の予想しなかった形でやってきた。


     ◆


 ――――少し、異常だった。

 バゼットのもとを目指して走る速度は、自分の知る衛宮士郎の脚力を遥かに凌駕している。
 時速五十キロ近いオーバーランニング。イリヤ達と別れた地点に辿り着くまでの距離を、その半分の時間で駆け抜けている。

「は――――はあ、はあ、はあ、は………!」

 溺れているみたいに息が上がっている。
 心臓が破裂しそうなほど激しく脈打っている。
 当然だ。当たり前の限界を超えている。これはもう人間の出せる速度じゃない。
 何かしらの武術を学んだ魔術師あたりならおかしくはないが、衛宮士郎(オレ)はまだそこまで人間を辞めていない。

 だというのに、苦しくない。いや、苦しいと感じる機能が働いていない。
 この程度は出せて当然の速度だと、脳内の己の限界を測る器官が誤認している。
 勘違いしている。今の衛宮士郎に、そこまでの性能はない。それを可能としたのは俺ではなく、――――

「―――無事か、バゼット!」
 もはや廃屋寸前の家屋の前。
 襲撃を受けた民家のすぐ近くに、バゼットと呉キリカの二人はいた。

 両者はともに健在。
 呉キリカからは然したるダメージは見て取れず、
 対するバゼットは、やはりというべきか、左腕を血で赤く濡らしていた。

「衛宮士郎!? なぜここに!」
『あー……。もしかしたらとは思っていましたが、やっぱり来ちゃいましたか』

 バゼットの方から、ルビーの声が聞こえてきた。
 予想通り、襲撃の際に置き去りにしていたらしい。
 そのことに、ルビーを探す手間がかからなくてよかったと安堵する。

「なーんだ。戻ってきちゃったんだ、キミ。せっかく大恩人が足止めしてくれてたのに。
 ま、大恩人を殺したら追いかけて殺すつもりだったから、結局は些細な違いだけどさ」
「…………!」

 恩人を殺すと、至極当然のように口にされた言葉に、干将莫邪を構えて少女を警戒する。
 バゼットが彼女にどれほどのダメージを与えたのか、その様子からは察することができない。
 だがバゼット自身も、左腕を除けばほぼ無傷な様子から、少なくとも互角以上の戦いは行っていたのだろう。

「なぜ戻ってきたのですか、衛宮士郎! この場は任せるようにと言ったはずですが!?
 それと、イリヤスフィールと乾巧はどうしたんですか!?」
「イリヤたちは怪我をしていたから、二人とも穂群原に向かわせた。俺が戻ってきたのは、ルビーを探すためだ。
 それに、アンタが強いのは予想できるけど、さすがにその腕じゃ厳しいだろ」
「っ…………!」
『ふむふむ。確かに学校なら傷の処置が可能で、私がいれば治癒もできる。
 さらには私を探すついでに、半重症のバゼットさんに加勢する、と。
 なるほど、見事に論破されちゃいましたね』
「……………」
 茶化すようなルビーの言葉に、バゼットは苦々しい顔をする。
 自ら任せろといった役目を、一人で完遂できなかったことが悔しいのだろう。

「……私の不甲斐なさは認めましょう。
 ですが、あなた自身はどうなのです? 呉キリカに対抗できる自信があると?」
「そこは何とかする。倒すことはできなくても、盾や囮くらいにはなれると思う。だから――」
「その間に私が呉キリカを討つ……攻撃と防御の役割を分担するということですね」
「そういうことだ」
 呉キリカの強さがどれ程かは判らないが、片腕の使えないバゼットが互角を張れる程度なら、十分対抗できるだろう。
 ならば二人でかかれば、バゼットにかかる負担も減り、キリカを倒すこともそう難しいことではなくなるだろう。

『ま、それくらいはできるでしょうね。今の士郎さんは左腕の影響を受けて、多少は英霊の側に引っ張られてますから』
「……え? ルビー、今の、どういう」
「左腕……? なるほど、そういうことでしたか。ならば多少は当てにしても大丈夫ですね。では、戦闘を再開しましょう」
 一人納得したバゼットが両腕の拳を構える。
 会話の間も向け続けていた警戒心が、戦意となってキリカへと向けられる。
 対するキリカは、何かを悩むように頭に手を当てていた。

「ほむらはら……学校……そんな場所、この近くにあったっけ……?
 うーん……まあ、でも、その、あれだ、些細だ。君たちを殺してから地図を見れば、分かることだしね」
「ほう。先ほどまでの状況ならともかく、この二対一の状況でまだ勝てると?」
「当然! だって愛は無限に有限だからね。織莉子に無限に尽くす限り、私の力は無限に湧き続けるんだ!」

「………! ちょっと待ってくれ!」
 少女の言葉に、思わず口を挟む。
「アンタ……どうして殺し合いに乗ったんだ?」
 彼女は今、織莉子に尽くすといった。それはつまり、呉キリカは、織莉子という人物のために戦っている、ということなのか?
 もしそうなら、自分たちが殺し合う理由はないんじゃないのか?
 ……なんて、仄かに抱いた希望は、

「無駄です、衛宮士郎。彼女は説得に応じるような人間ではありません」
「そうそう。私を懐柔しようっていうんなら無駄もいいところだよ、少年。
 私は愛しい人を生き残らせるためにみんな殺して回るつもりだし、そうじゃなくても、魔法少女は皆殺しにするつもりなんだ」
「な―――!」
 それはつまり、この殺し合いとは関係なく、イリヤを殺すということか?
 いや、イリヤだけじゃない。彼女は魔法少女と呼ばれる存在なら、誰であろうと殺すつもりなのだ。
 ただ一人、彼女に織莉子と呼ばれた少女を除いて。

「それに第一、織莉子には私だけがいればいい。
 他の誰の手も借りない。他の誰の手も届かせない。
 織莉子は私が守ってみせる。そう! 死が二人を別つまで!!」
「――――――」
 少女は狂気を滲ませた声で、踊るようにそう告げた。
 言葉を失う。それが、少女の愛だというのか。
 ただ一人を救う。そのために彼女は、誰も彼をも殺そうというのか。

「……違う。おかしいだろそんなの!
 それじゃあアンタはどうなるんだよ! この殺し合いに乗ったって、たった一人しか生き残れないんだぞ!
 最後に二人だけ生き残ったって、結局は―――」
「その時は当然! 織莉子のために私が死ぬだけだよ。
 なぜって? そんなの決まってる。織莉子のいない世界でなんか、生きてる意味がないからね!」
「っ――――!」
 今度こそ絶句した。
 愛した人のために死ぬと、少女は胸を張って答えた。
 そうでなければ、生きている意味がないと断言した。

「キミ、愛を嘗めてないかい?」
「え………?」
 少女はつまらないものでも見るかのようにこちらを見た後、狂気を孕んだ声で自らの“愛”を語りだす。

「愛はすべてだ。
 相手に生きて欲しいけど自分は死にたくないなんて、愛の本質とは言えないっ。
 いい? 本当の愛っていうのは、相手にすべてを捧げることだよ!?
 心はもちろん、体も、命も、生きる意味さえも捧げて相手に尽くすことを言うんだ!!
 そう! 相手のために自分の在り方を作り替えるぐらいじゃないと、愛なんて決して言えない!!!
 ―――言っただろう? 愛は無限に有限だって。
 私は“愛(そ)”のために――織莉子に出会うために! 織莉子と話し合うために!! 織莉子へ無限に尽くすためだけに魔法少女になったんだからッ―――!!!」

「あ………う………」
 吐き気がする。
 狂愛。己の意志を自ら捻じ曲げるほどの激しい恋慕。
 少女の言葉が理解できなかったのではない。
 むしろその逆。心のどこかが彼女に共感しそうになった事に、理性と感情が拒絶反応を起こしたのだ。


 ―――俺は、衛宮切嗣(せいぎのみかた)に憧れてた。
 切嗣のあとを継いで、切嗣の憧れた正義の味方になろうと走り続けた。
 けれど俺は、正義の味方にはなれなかった。
 正義の味方では、桜を救えなかった。

 “―――約束する。俺は、桜だけの正義の味方になる―――”

 あの雨の中、桜を抱きしめて、俺はそう誓った。
 桜を守るために、憧れた夢(正義の味方)を諦めた。
 なのに、俺は今、迷っている。
 人々を食らう影の正体が桜だと知って、揺らいでいる。
 桜を赦すのか、それとも殺すのか、決められないでいた。

 そんな心で、本当に桜の事が好きだと言えるのだろうか――――


「しっかりしなさい、衛宮士郎!」
「―――っ!」
「あなたが何を悩んでいるかは知りませんが、それは後です。
 今は彼女の撃破を優先してください」
「あ、ああ。わかってる。……わるい、手間かけさせた」

 バゼットの叱咤に、気を取り直す。
 そうだ、今は悩んでいる場合じゃない。
 桜の事をどうするにしても、今は呉キリカを倒さなければならない。
 さもなくば彼女は、イリヤも、桜も、藤ねえも、きっとその手にかけようとするのだからだ。
 それだけは、在り方を見失っている今の俺でも見過ごせない。

「―――だから、私は織莉子に無限に尽くす!
 全ての魔法少女を殺すことも、恩人を故人にすることも、最後に私が死ぬことも、無限の中の有限だ!」

 愛しい人に無限に尽くすという、自らの“愛”を実現するために、より狂気を開放する呉キリカ。
 黒衣の魔法少女は両手に六本の爪を具現化し、俺たちへと襲い掛かってくる。

「応戦します! 決して足手纏いにはならぬよう!」
「バゼットも、無理はするなよ!」
 黒衣の少女の突撃に応じるバゼット。
 俺は彼女に遅れまいと、干将莫邪を構えて攻め込んだ。



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