後より出でて先に断つもの

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後より出でて先に断つもの ◆UOJEIq.Rys



     ◆


 陰剣干将を払い、魔力で構成された左の爪を弾く。すると残る右の爪が、一瞬も空かさず襲い来る。
 その一撃を受け止める陽剣莫耶。同時に穿つように干将を突き出すが、左の爪で受け止められる。
 重なり合う右の攻めと左の守りに、お互いの動きが一瞬硬直する。

 ―――その一瞬のスキをついて、バゼットが一撃必殺の回し蹴りを放つ。

「っ…………!」
 顔の数センチ先を掠めていく足刀。
 当たらないと解っていても、その威力に思わず肝を冷やす。
 それほどの思いをしていながら、標的であった少女はすでに回避している。

 まったくもって逃げ足の速い。
 その一撃の恐ろしさを身に染みて知っているためだろう。呉キリカは決して回避が遅れるほどの深い攻め込みはしてこない。
 まるでネズミをいたぶる猫のように、少しずつ、しかし着実にこちらを追い込もうとしてくる。

 ―――その狙いは正しい。
 赤く染まった左腕。血を流し続けるその傷は、加速度的にバゼットの体力を削っていく。
 だが五分、十分と時間が経つごとに、その消耗は取り返しがつかなくなっていく。
 その果てに襲い来るのは、疲弊した命を刈り取る、狂情の爪だ。

「ハッ――ハッ――!」
 逃げ回る少女へと追い縋る。
 キリカはバゼットを優先して狙っている。
 それも当然。衛宮士郎とバゼット、そのどちらが危険かなど比べるまでもない。
 手負いのバゼットは激しく動くほどに消耗するのだから、弱者の俺など後回しにしても問題ない。
 故に、そうはさせまいと自ら少女へと攻め込み夫婦剣を振るう。そうすることで、少しでもバゼットの消耗を軽減する。

「――ッ、ハ………ッ!」
 呼吸が乱れる。酸素が取り込めず行き渡らなくなり、視界が霞み始める。
 衛宮士郎では有り得ない運動性能の発露に、肉体が悲鳴を上げている。
 高速で駆け回るキリカの姿が、次第に捉えられなくなっていく。

 ―――なのに、その動きを予測できている。
 呉キリカの狙い。その動きの一瞬先を垣間見る。

「ッハ―――ハ―――ッ、はああッ……!」
 見知らぬ剣技、未知の経験が体を動かす。
 一合する度に崩壊する。一合する度に再生する。
 呉キリカの六爪を防ぐ度に、衛宮士郎の肉体が作り替えられる。

 干将莫邪(アーチャーの剣)を用いている影響だろう。
 変成は緩やかに。しかし確実に、エミヤシロウの境界が崩れていく。
 赤布(せき)はまだ解(ひら)かれていない。隙間から滲み出しているだけだ。

 ――――その一滴が、肉体(命)よりも先に精神(魂)を崩壊させていく。

「ヅ―――、ハッ………ハ、 ッ!」
 バゼットからはすでに、呉キリカの能力は聞いている。
 他者を減速する結界。相対的な高速移動。その詳細な効果範囲を見つけねば、勝算は低いと。
 あるいは、呉キリカを限界まで追い詰めれば、逆転の秘策があることも一緒に。

 故に問題は、それよりも先にエミヤシロウの限界が来ないか、ということだ。

 自身の崩壊を避けたければカリバーン(セイバーの剣)を使えばいい。
 黄金の剣なら左腕(アーチャー)の影響を受けず、また単純な攻撃力でも優っている。
 それをしないのは呉キリカの速度ゆえ。一撃の威力では勝っても、少女の手数に追いつかない。どのような必殺技も、当たらなければ意味がない。
 そのための夫婦剣。陰陽二刀での攻性防御。代償として己の意識が削られていく。

「 ッ―――、ァ ―――、……… !」
 ――――早く。
 ……早く、早く!
 早く早く早く早く!!
 まだなのかバゼット呉キリカへと追い縋る狂爪が迫り来るもう少し耐えられる一手先を予測するもう限界が近い干将莫邪で応戦するこれ以上は耐えられない赤い影が視界を過ぎる限界を超えてその先へ――――

「――――ハッ……ハッ 、っああああああああ――――――ッッ!!」



 気勢を上げる衛宮士郎。
 白と黒の双剣は一秒ごとにその攻撃精度を上げていく。
 振るわれる剣閃に才気は全く感じられない。鍛錬と実践によってのみ培われた無骨な技。
 本来その習得には長い時を必要とする。だというのに衛宮士郎は、僅かな時間でその剣技を完成させていく。
 ならば、それを可能とする経験はどこから来るのか。

 考えるまでもない。赤い布に封じられた、英霊の左腕からに他ならない。
 だが恐るべきは、彼にこれほどの影響を与えておきながら、左腕は今も封じられたままだということだ。
 もしこれで封印を解けば、一体どれほどの力を得ることとなり、またどれほどの対価を支払うこととなるのか。

『バゼットさん、急いでください。このままでは士郎さんが』
「言われなくてもわかっています。条件を満たすラインもすでに掴んでいます。しかし」

 ルビーの焦りを含んだ声へと、バゼットは冷静に言い返す。
 わかっている。このままでは衛宮士郎が持たないということは。
 あれは言ってしまえばドーピングのようなもの。己が魂を代価に、自身の限界を緩めているだけだ。
 このままでは英霊の腕に侵食され、遠からず衛宮士郎という人格は破綻してしまうだろう。
 ―――それがカードを介さない英霊の力の取得。その大き過ぎる代償だ。

 その結末を避けるためには、呉キリカを早期に倒す必要がある。
 そしてフラガラックの特殊効果の発動条件は、相対した敵が切り札を使うこと。
 現状その条件を呉キリカが満たす瞬間は、バゼットの攻撃を回避した時のみ。
 だがバゼットの攻撃に対して条件を満たした状態では、フラガラックを発動しても遅すぎるのだ。
 少女の減速の結界は、それほどまでの遅延を二人に及ぼしている。
 故に、ラックを発動しようと思うのならば、衛宮士郎の攻撃で条件を満たす必要がある。

 が、しかし。
 キリカはバゼットを優先的に狙い、結果として衛宮士郎を翻弄している。
 条件自体は解明しているというのに、その条件を満たすことができないでいた。

 もしバゼットの左腕が無事ならば、もう少しやりようがあった。
 傷が開き流血した時点で、バゼットは左腕の使用に制限をしていない。
 だが重症であることに変わりはなく、どうしたって威力、制度が本来の物より格段に落ちているのだ。

「まったく、あのような子供にいいように翻弄されるとは……!」
 我が事ながら情けない、とバゼットは嘆息した。
 ―――直後。

「だ、れ、が、子供だァ!」
「ガッ―――!?」
 呉キリカが怒声を上げ、唐突に攻勢へと転じる。
 少女へと追い縋っていた衛宮士郎は、その動きに咄嗟に対応できず弾き飛ばされる。
 狙いはバゼット。少女は両手の爪を十本へと増やし、脇目も振らず襲い来る。

「……なるほど。子供扱いは嫌いですか」
 キリカが怒りを表した理由を察し、ますます子供らしい、と内心で呟く。
 どうやら彼女には挑発が有効らしい。……ならば、その弱点を突かない理由はない。

「子供扱いされて怒るとは、それこそまだまだ子供ですね」
 バゼットは更に子供扱いすることで少女を挑発し、
「ッ―――、ッッ………!!」
 その狙い通りに、キリカはより怒りを露わにする。
 同時に思考が単純化され、結果として動きが単調になる。
 当然その愚行を、バゼットが見逃すはずがなく、

 猛進するキリカに合わせ、左ストレートのカウンターを放つ。
 瞬間、発動する速度低下の魔術。
 目に見える速度となった左拳を掻い潜り、キリカはバゼットの背後へと回り込み、

「はは、隙だらけだ。よし刻もう!」
 そう口にするより早く、両手の五対十双がバゼットの背中目掛けて振り抜く。
 その動きを読んでいたバゼットに、いまだに捕捉されたままであることに気付かずに。

「―――硬化(ARGZ)、」
 バゼットが振り返る。
 その視線はしっかりとキリカを捉えている。

「―――強化(TIWZ)、」
 振り抜かれる爪より早く、
 速度低下の影響かでは有り得ない速度で。

「―――加速(RAD)、」
 一瞬の、そして最大の抵抗(レジスト)。
 この瞬間、バゼットは呉キリカの速度低下から解き放たれる。

「――――相乗(INGZ)……!!」
 同時に振り被られる右腕。
 魔術によって限界まで強化された一撃が、呉キリカの肉体を粉砕する!

 ―――その、直前。

「――――お兄ちゃん!!」

 この場にあるべきではない声が響き渡った。
 声の主は、イリヤ。
 衛宮士郎を追いかけてきた少女が、ようやく追いついたのだ。
 そして彼女の到着によって、この戦いは一気に終結へと傾いた。

「ッ――――!!」
 イリヤの姿にバゼットは驚愕し、その動きがほんの一瞬遅れる。
 その一瞬の間に、キリカが怒りによる視野狭窄から立ち直り、目前に危機に気付く。

 今にも自身を打ち砕かんとする鉄拳が、必殺の威力を以て眼前に迫る。
 考えるよりも早く、前面に最大限の“減速”を掛け、威力を殺ぐ。
 同時にその一撃を足裏で受け止め、そのまま高く跳躍した。

「ッッッ――――っと! 危ない危ない!」
 そこでようやく、キリカは自身の置かれていた状況を理解した。
 同時に上空から、素早く現在の状況を把握する。

 まず右足首に鈍痛。バゼットの一撃を凌いだ際に、罅が入ったようだ。
 咄嗟に“減速”を集中しなければ、間違いなく右足ごと粉砕されていただろう。
 結果として助けてくれた少女を恩人認定する。が、“敵”であることが残念でならない。
 そして今の一撃から見て、どうやらバゼットには速度低下の魔法に対抗する術があるらしいことを把握する。

 さらに“敵”が二人から三人に追加。
 加えてソウルジェムの濁りは、ついに六割に迫っている。
 これ以上“敵”が増えれば、間違いなく押し負けるだろう。
 ならば選択は一つ。無限の中の有限だ。

 “敵”が“戦力”となる前に、恩人となった少女を、全力を以て刻み殺す。

 地面へと着地し、十本の爪を円形に配置、連結させ、巨大な円鋸を形成する。
 そして同時に少女へと向けて駆け出し、円鋸を回転させ加速させる。
 高速回転する爪は、鋸というよりチェーンソウを連想させる。

 大恩人と少年との距離は開いている。少女を助けようとしているようだが、その動きはあまりにも鈍(おそ)い。
 少女自身も、いまだこちらに気付いておらず、魔法少女に変身もしていない今、この一撃を防ぐ術はない。
 そして円鋸の回転が臨界点に達した、その瞬間。

「ありがとう! そしてさようなら! お礼に苦しむ間もなく切り裂いてあげる!」

 円鋸の連結が一つ外れ、鞭のように撓って解き放たれた。

「え?」
 自身が狙われていることに、今更ながらに少女が気付く。
 だが今更気づいたところでもう遅い。
 解き放たれた爪はその体を両断しようと少女へと迫り、

「ガッ―――!?」
 突如として飛来した“矢”が、呉キリカの体を貫いた。
 位置は、右腕と、胴体と、左脚の三ヶ所。貫かれた衝撃に、爪鞭はその軌道を大きく乱す。
 結果、引き裂いたのは少女ではなく、そのすぐ隣の地面。少女自身には傷一つ付けれていない。

 思わずその場からの回避よりも先に、“矢”の飛来した方へと振り返り、射手の姿を確かめる。
 するとそこには、いつの間に手にしたのか、黒塗りの長弓を構えた衛宮士郎の姿があった。


     ◆


 兄貴は妹を守るものなんだと、少年は言った。
 その際に頭に乗せられた手は、ほんの少しだけ震えていた。
 恐怖を抑えきれなかったのか、少年自身も気づいてなかったのか。
 けれど間違いなく、少年は死の恐怖に震えていた。……震えたまま、俺は死なない、と笑って口にした。

 だから追いかけた。
 走り去る少年を、遠ざかる背中を懸命に追いかけた。
 少年の事を信じられなかったわけではない。
 信じる信じない以前に、それ以外の行動が浮かばなかっただけ。

 死んでほしくなかった。生きていてほしかった。
 だから、止める言葉も思いつかないまま、その姿が見えなくなっても、我武者羅に追いかけ続けた。


 ――――そしてそれが、少女の過ちだった。
 少女は少年を案ずるあまり、少年が向った場所、自身の辿り着いた場所が、殺し合いの場であることを忘れていた。
 敵は魔法少女を狙っている。その事を知っていたはずなのに、少女はそこに行く意味に気付かなかった。
 その代償は、当然のように少女自身が払うこととなり、しかし――――。


「――――お兄ちゃん!!」

 その声が聞こえた瞬間、衛宮士郎の中にあった躊躇いは弾け飛んだ。
 なぜ、という疑問も、どうして、という当惑もない。
 そんな余分は残っていない。

 “敵”が、イリヤを狙っている。
 人体など簡単に裁断する爪が、イリヤを引き裂こうしている。
 ルビーはバゼットのポケットの中。今のイリヤに、身を守る術はない。

 左腕に撹拌された意識で理解できたことはそれだけだ。
 自身が抱えた爆弾、己が死の危険性さえも、意識の内に残っていない。
 だから、それだけが、衛宮士郎にとって何よりも、自分の命よりも優先すべき事だった。

「――――投影(トレース)、」

 両手を空にし、新たな武器を作る。
 夫婦剣ではダメだ。干将莫邪では間に合わない。
 いくら魔力を込めようと、ただの投擲では敵の速度に追いつけない。

 最適な武器を摸索する。
 敵の速度に勝る一撃を検索する。
 探すまでもない。左腕(オレ)はすでに知っている。

「完了(オン)――――!」

 左手に黒塗りの弓が、右手に三本の矢が、それぞれ一瞬で創造される。
 同時に弓の弦に矢をかけ、四キロ先を視認する鷹の目が敵の姿、その動きを捉える。
 ――――正射必中。
 直後に放たれた、音速を超える三本の矢は、一つもその狙いを違わず敵を射抜く。
 その結果、敵の爪はその軌道を逸れ、視界の端でイリヤの無事を視認し          。

「            あ」

 ――――砕け散る。
 赤い左腕が脈動し、全身の血液が逆流する。
 役目を終えた弓矢とともに、衛宮士郎の意識が硝子のように破砕する。

 ――自分を見失う。
 強い風に吹き飛ばされて、強い光に漂白される。
 粉々になった我は乾いた砂漠に散らばって、自分を自分として認識できなくなって何もかもがなくなってなくなってなくなってなくなって――――――――

「――――――、            」

 使ってはならないモノを使った代償。少女を救う代価。
 限りなく死に近しい反動に、衛宮士郎の身体は、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


 ――――同時にバゼットが動き出した。
 最後にして最大のチャンスを一瞬で手繰り寄せる。

「イリヤスフィール!」
 事態が掴めず呆けたままのイリヤへと大声で呼びかける。
 同時にポケットからルビーを取り出し、上へと軽く弾くとともに右腕を振りかぶり、

『へ? ちょっと、バゼットさ―――ひでぶッ!?』
 殴り飛ばす。
 セイバーとの戦いの際にコツは掴んだ。
 最適な力で殴り飛ばしたルビーは、狙い違わずイリヤのもとへと届く。

『ッッと! イリヤさん転身を! 黒い魔法少女の足元へ大斬撃を放ってください!』
 同時にバゼットの狙いを悟ったルビーが、少女へと指示を出す。

「わ、わかった!」
 イリヤは言われるがままに転身し、キリカへと魔力斬撃を放つ。
 士郎の攻撃を受け動揺していたらしいキリカは、咄嗟に放たれた斬撃を高く跳躍して回避する。
 否。腕、胴、脚の三か所を射抜かれた彼女に、横に幅のある斬撃を回避する機動力は出せず、結果、より逃げ場のない上空へと追い込まれたのだ。

「“後より出でて先に断つもの(アンサラー)”ッ!!」
 強く。キリカの注意を引き寄せるために大声で宣言する。
 鉄の色をした球体が、バゼットの拳に装填される。
 帯電する魔力の波動に、キリカの注意が最大まで高められる。

 バゼットは地上。自身は空中。
 接近戦を主体とするバゼットに、遠距離攻撃の手段はないはず。
 ならばあの球体は、バゼットに遠距離攻撃を可能とさせる“武器”であり、
 ならばこの魔力は、この局面で発動させるのならば、必殺の魔法に他ならない!

「―――“斬り抉る(フラガ)”」

 ―――その真名が明かされる。

 球体の金属色が凝縮し、その表面に刃が形成される。
 渦巻く魔力、帯電する雷光が、刃の切っ先に収束し、解放される、
 ―――よりも一瞬早く。

「鈍(おそ)いッ! それじゃ私には届かないよ!!」

 ―――呉キリカが、その魔法を開放した。

 バゼットの行動、放たれる魔法、そのすべての速度を極限まで低下させる。それだけで、キリカが自ら動く必要はなくなる。
 攻撃も、防御も、回避さえも無用。
 バゼットの攻撃が命中するよりも早くキリカは地面へと着地し、己が目的を果たすだろう。
 その覆しようのない事実にキリカは己が勝利を確信し、

 ―――その瞬間、呉キリカの敗北(死)が確定した。


「“戦神の剣(ラック)”―――!!」

 ―――真名が唱(めい)じられる。
 キリカの魔法に“遅らせられた”カタチで、バゼット・フラガ・マクレミッツの宝具が発動する。

 逆光剣から、一条の閃光が放たれる。
 針の如く収斂された一撃が、呉キリカを目掛けて疾走する。
 ――――キリカの予想を遥かに超えた、超高速を以て。

「!」
 驚愕はなかった。そんな余裕は、コンマ一秒もなかった。
 キリカはただの本能、ただの直感だけで、その一撃に魔法を集中させる。
 が、止まらない。それどころか放たれた閃光は、更なる加速を以てキリカへと迫り、
 そして。

「、ッ―――ぁ………………」
 戦神の剣が、黒衣の魔法少女の胸を貫いた。
 心臓が在るべき位置には、焦げ付いたような小さな黒点。
 自身の胸に穿たれた小石程度のサイズの孔を、少女は信じられないモノのように見つめる。

 ……ありえない。
 と、理性が、感情が、事実を理解することを拒絶している。
 だが、それは覆しようのない現実であり、
「お……り、こ…………」
 縋るようにその名を口にして、その身体は地面へと打ち付けられた。

 そうして呉キリカは、どうしようもないほどに“殺された”のだった。



 ――――――。

 創造の理念を解明し、
 基本となる骨子を解明し、
 構成された材質を解明し、
 製作に及ぶ技術を解明し、
 成長に至る経験を解明し、
 蓄積された年月を解明し、
 あらゆる工程を解明し尽す。
 バゼットの使用した宝具に同調し、その全てを解析する。


 逆光剣フラガラック。
 フラガの血脈が何千年という歳月を超え現代まで伝えてきた、現存する真正の宝具。
 両者相打つという運命をこそ両断する、“切り札(エース)”を殺す“鬼札(ジョーカー)”。

 この宝具の持つ特性を前にして、キリカの魔法はあらゆる意味を持たない。どころか逆効果ですらある。
 何故なら、対象の速度を低下させる、というその効果は、フラガラックの特性が発動する条件を成立しやすくし、
 如何にキリカがフラガラックの一撃を減速させようと、魔剣はそれ以上の加速を以て少女の肉体を斬り抉るからだ。
 “後より出でて先に断つ”。
 この二つ名の通り、自らの攻撃を『先になしたもの』に書き換えるその特性が発揮された時点で、キリカの運命は決まっていたのだ。

 この必勝の魔剣の効果を、キリカは自分に支給されていながら知らなかった。
 より正確に言うならば、どうでもいいものとして切り捨て忘れていた。
 “織莉子以外の情報なんていらない”。
 彼女はその持論ゆえに、フラガラックの効果と使用法という、理解できなかった情報を消去していたのだ。

 フラガラックを封じるには、自身の“切り札”を封じればいい。
 しかしキリカは、その判断に至る知識を忘却していた。
 故にこの結果は、キリカが愛に殉じたが故の当然の結末だった。


 ―――その理解に意味は無い。そもそも、意味を求める意思がすでに亡い。
 これはただ視界に“剣”を認識したことによる、贋作者(フェイカー)としての反射的な行動だ。
 そこに、衛宮士郎の意識は介在していない。なぜなら衛宮士郎の精神は“投影”を行使した時点でとっくの昔に消え去って――――

「お兄ちゃん! しっかりして、お兄ちゃん……!」
『士郎さん、ちゃんと自分を見つけてください……! っ……ダメですか。それなら―――!』

 声が聞こえた。
 イリヤがいる。
 ルビーがいる。
 俺は倒れている。
 それは解る。解るが、それだけだ。
 イリヤは今にも泣きそうな顔で、俺の体を揺すっている。
 なぜそうなっているのか。そこからどうすればいいのかに思考が発展しない。

『ルビーチョップ!!』
 ルビーが躊躇なく、俺の脳天へと羽を振り下ろす。
「――――――――!」
 痛みで意識が戻った。
 外部からの衝撃で、内界(自分)と外界(他人)の境界を取り戻す。
 主観と客観が別たれ、自分が衛宮士郎であることを思い出す。

「ル、ルビー!? お兄ちゃんに何するの!」
「いや、いい。さんきゅ、ルビー。助かった」
「お、お兄ちゃん! ……よかった……」
『どうやら、最悪の事態は免れたようですね』
「なんとかな。……わるい、イリヤ。心配かけた」

 涙ぐむイリヤに声をかけて体を起こす。
 大丈夫、体はまだ動く。骨格筋肉関節は、どれも今のところ異常は出ていない。
 肝心なのは中身―――その中身は冷静に診察したくもないが、一応衛宮士郎の体裁は保っている。

「バゼット、やったのか?」
 立ち上がってバゼットへと声をかける。
 少女が死んだからか、張られていた結界はすでに解けている。
 加えてフラガラックの性質上、仕留め損なったということはないと思うが、念のためにと確認する。

「ええ、手応えはありました」
 事務的にバゼットが頷く。
 敵は死んだ、と、確信をもって答える。
 いかに強力な魔術であろうと、死者にその力は振るえない。
 キリカの魔術が無効化されたことから、少女は死んだと判断したのだ。

「殺し……ちゃったの?」
 そこにイリヤが、怯えるように問いかけてきた。
 その瞳は、信じられないモノを見たかのように震えている。

 そこでようやく思い至る。このイリヤは、自分の知るイリヤではない。
 その出生はともかく、彼女は魔術師としてではなく、ごく当たり前の女の子として育ってきた。
 死ぬときは死に、殺すときは殺す。
 そんな、魔術師であれば誰もが最初に持つ覚悟を、この少女は知らないのだ。

『それが、魔術師というものですよ、イリヤさん。
 私たちの知る凜さんやルヴィアさん、クロさんも属している世界。
 本来あなたが知ることはなかった、あるいは知っていたはずの、日常の裏側です』

 ルビーが現実を突きつける。
 そう。少なくとも俺の知っているイリヤは、魔術師側の人間だった。
 ……いや、魔術師(こちら)側の事しか、彼女はほとんど知らなかった。

 そしてこのイリヤも、アインツベルンの姓を名乗っている。
 聖杯戦争の、始まりの御三家。
 その内の一家の名を継いでいる以上、無関係ということはあり得ない。
 むしろ魔術師側の事情を、知らない方がおかしいのだ。

 おそらく、彼女に何も教えなかったのは切嗣だ。
 俺が魔術を教えてもらうのに二年を要したように、イリヤが魔術に関わることを嫌ったのだろう。
 魔術師の本質は、生ではなく死。魔道とはすなわち、自らを滅ぼす道に他ならないのだから。

 だが、ルビーがその事実を突きつけたのは、彼女なりの思い遣り、イリヤに対する優しさが故だ。
 彼女の身近にいた、信頼できる人物の名を上げることで、魔術師の非人道性を覆い隠そうとしているのだろう。
 俺を助けたところで特にならない筈なのに、それでも俺を何度も助けてくれた遠坂のように。
 俺を殺すといいながら、迷っていた俺の背中を後押ししてくれたもう一人のイリヤのように。

「……………………」
 少し遠く、地面に横たわる、少女の亡骸を見る。
 “愛”のために死ぬと、彼女は言った。
 自らの愛しい人のために、それ以外の全ての人を殺すのだと。

 己が目的のために、他者の命を奪うことも厭わないもの。
 それこそが、本来の魔術師に近しい在り方なのだ。
 むしろ魔術師でありながら、非情さだけでなく人間的な優しさも持っていた彼女たちの方が、稀有な存在と言えるだろう。

 ―――そこまで考え、ふと違和感に気付いた。

「なあバゼット。間違いなく、あいつは殺したんだよな?」
 その疑念とともに、バゼットへと問いかける。
 イリヤへと何かを言いたそうにしていたバゼットは、若干苛立たしげに振り返る。

「ええ、その筈ですが、一体―――」
 言葉が途中で途切れる。
 彼女も気付いたのだろう。少女の死体から感じる違和感に。

 呉キリカは、間違いなく死んでいるはずだ。
 ブラがラックの一撃は間違いなく少女の心臓を破壊した。
 その傷跡は、この場所からでも見て取れる。
 ………なのにどうして、少女の死体からは、“生者の色が消えていない”のか!

「! 気を付けろ! こいつ、死んでない!」
 疑念が確信に変わる。
 解けたはずの結界が、再び張り巡らされる。
 そしてこちらが行動するよりも早く、少女の死体が飛び上がった。

「ハ――――ハハ、アハハハハハハハハハハハハ――――――――ッッッ!!!!」

 狂笑が発せられる。
 死せる魔法少女が、死に体を繰って襲い掛かってくる。
 決して傷は癒えていない。だというのにその動きは、死人のそれとは思えないくらい迅い。
 それに応戦するために、意識を戦闘用に切り替える。

「―――は、づ…………ッ!?」
 瞬間、ピシッ、と亀裂が走る。
 衛宮士郎の精神が、突如として軋みを上げる。
 魔術回路の活性化。それによって生じた波及に、左腕が脈動したのだ。

 ―――その隙を、この狂犬が見逃すはずがなく、

「隙だらけだ。さあ散ねッ!」

 両手から放たれる十本の爪。
 バゼットは余裕で対処できるだろう。
 転身したイリヤにとっても大した攻撃ではない。
 だが今の俺には、それを防ぐ術がない。

 弓を投影する際に干将莫邪は手放した。
 それ以前に左腕の影響で、体が麻痺して碌に機能していない。
 ――動けない。無様な回避という行動ですら、今の俺にとっては困難だった。

「お兄ちゃん、危ない!」
「っ! イリヤ、止せ!」
 そんな俺を庇うためにイリヤが俺の前に出るが、それはダメだ。
 キリカの狙いは魔法少女。その行動はむしろ、彼女にとって格好の狙いどころでしかない。

「ルビー、物理保護……錐形(ピュラミーデ)!!」
 イリヤの前方に、錐形の物理障壁(バリア)が展開される。
 投擲された無数の爪はその障壁に弾かれ、軌道を逸れて後方へと飛んでいく。
 が、その隙に、キリカはイリヤの後方へと回り込む。

「ッ………!!」
 円鋸が形成され、チェーンソウのように回転する。
 対象を削り斬る凶爪が、少女の肉体を切り刻まんと迫る。
 防げない。物理保護を前方へと集中させたイリヤでは、防御力が足りない。

 バゼットは間に合わない。
 再度フラガラックを発動しようにも、確実に仕留めたものと油断していた彼女は、キリカの魔術に完全に捕らわれている。
 無理もない。少女に魔術行使の気配はなかった。どころか、今でも死体のままで動いているのだ。
 魔法少女とはいえ、ただの人間が死してなお動き回るなど、どうして予想し得よう。

「くっそぉ――ッ!」
 間に合わない。
 自身のあらゆる行動が鈍すぎる。
 四肢は重い鎖で囚われたかのように動かない。
 目の前でイリヤに危険が迫っているというのに、俺では彼女を守ることができない。

 ……だが。
 俺にはできなくても、できるヤツは他にもいる。

「恩人はよく頑張りました! けどばいばいさような―――ら゛ッ!?」
「させるかよッ!!」

 灰色の風が、キリカを横合いから殴り飛ばす。
 速度低下の魔法の射程外。視界の外からの完全な不意打ち。
 その一撃に気付けなかったキリカは、宙を飛びながらも体勢を立て直す。

 そこには、キリカからイリヤを庇うように、ウルフオルフェノクが立ち塞がっていた。

「はは、オオカミの化け物だ! すごいね速いねカッコいい!!」
「ッ………」
 興奮したキリカの言葉に、ウルフオルフェノク――乾巧は、苦虫を噛み潰したような声を出す。
 ……巧は自分を化け物と呼んで蔑んでいる。故に化け物の象徴であるその姿は、彼にとって嫌悪の対象なのだろう。

「………けど、四対か。さすがに私一人じゃ、これは無理だね」
 キリカはそう言うと、後方へと大きく飛び退く。
 逃げる気なのだと、その行動で察することができた。

「待ちなさい!」
「いやだね! 命令はもちろん、一切の質問も受け付けない。
 私に対するすべての要求を完全に拒否する!」

 バゼットの静止を頭から跳ね除け、キリカは一息にこの場から逃げ出した。
 その姿を睨み付けながらも、バゼットは追いかけない。
 速度低下の魔術を使う以上、逃げに徹した彼女を捕まえることは困難だと理解しているからだ。


 ……そうして戦いは終わった。
 バゼットは左腕の傷が開き、俺も投影の反動でガタがきている。
 乾にいたっては、オルフェノクからの変身を解いただけで、もう膝を突いている。
 大きなダメージを残す乾にとっては、たったあれだけの行動でさえも無茶なのだ。

 結局呉キリカを倒すことはできなかった。
 彼女の目的を思えば、安心などしていられない。
 だが、これで少しは休めると、俺は一時の休息に息を吐いた。



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