ドクンドクンッ……
朦朧と意識の中、何故か鼓動だけが嫌に大きく聞こえた。
体正面の皮膚全体に感じる懐かしいぬくもりは、眠りの神の抱擁、心音は子守唄とし
て聖の五感を埋め尽くした。思わず、ぬくもりの対象をきゅっと抱きしめる。
(ぐぬおっ!?)
(……んむ)
聖は朝が弱い。
元々表情が乏しく、表面上はいつもと変わらないため、その事を知っているのはみずき
と父親くらいのものだが、朝起きる時はいつも四苦八苦するものだ。睡眠欲と理性の戦
いは常に理性が勝利を収めてきたが、その勝利は全て辛勝とでも言うべき代物である。
すりすり……
彼女はいつものルーチンワークどおり、布団の中で丸まり、頬を布団にこすりつける。
(~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!)
ほら、こうすれば、布団と頬の摩擦でだんだんと意識が……と、ここまで行動して。
(ん?)
聖はようやく、今の自分に違和感を覚えた。
……今の体勢はうつぶせである。というか、起きた時からそうだった。寝相の悪くな
い自分にしては珍しい事だが、まあそれは後で考えるとして。
うつ伏せならば、目の前にあるのは敷布団である。それを、何故自分は抱きしめて
いるのか。ナニゆえ、布団にぬくもりがあるのか。
違和感はまだある。頬に感じる感触が、明らかに自分の布団のものではない。線香
の匂いが全くしないし、なんか生暖かくてジョリジョリする……人肌のように。
どくんっ、どくんっ……
先程から子守唄代わりにしていた鼓動も可笑しい。何故、自分の体からではなく
敷布団から聞こえるのだ?
意識もさえてきたところで、聖はのっそりと目を開けて……
『…………』
目が合った。
そこにいたのは男だった。そして、頭の回転が速い聖は、それだけで状況を把握
してしまった。
自分は今、男を全力で抱きしめている――
長い。
長い沈黙の後に、聖はある結論を出した。
……夢だこれは。
聖タン、一応首だけは風呂男から見える位置に出していたのを、カタツムリよろ
しくもそもそと布団の奥に引っ込み、一言。
(おやすみ)
(寝るなゴルぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!(゚Д゚))
六道聖と波和風呂男。
二人が本日このやり取りをするのは、3度目である。
カタツムリみたいな動作に思わず萌えたのは秘密だ。
(夢じゃないからな。寝るなよ!)
(……ん。わかった)
必死で言い聞かせる風呂男に、今度ははっきりと返事を返す聖。
三度目の正直という奴か、ようやく起きる→夢だと思う→寝るのサイクルを断ち切れ
たことに、心底ほっとする風呂男であった。
……正直、あのまま寝ぼけた行為を繰り返されたら、理性の糸がぷちっと切れてし
まうところだったので。なにせ、起こしそこなった二回とも、同じように頬ずりした
り胸押し付けてきたり抱きしめたりを繰り返していたのだ。幸い、股間の聞かん棒が
聖に接触するのだけは何とか防げたが……
(……お前、なんで布団の中で寝てたんだよ。帰ったんじゃなかったのか)
(……わからない……あの二人が風呂云々言い出したところまでは……覚えているん
だがな……)
(は? それじゃ、俺が今のうちに帰れって言ったのは……)
(……覚えてないな。多分……既に寝てたんだと思うぞ……)
まだ寝ボケが脳に残留しているのか、聖の応答はいやに間延びしたものだった。
正しくは匂いと酸素不足で気絶していたのだから、分かるはずもない。そんな事は
知る由もない風呂男は、なんと肝っ玉の据わった女だと呆れた。
(はぁ……ったく……今となっちゃ出て行ってもらうわけにもいかねえしな。
悪いが、このまま朝まで一緒にいてもらうぞ)
(……うん。わかっ……………………!!!!!!!!!!)
(あいつら、明日の朝一番に帰ってくれるから、その時に……?)
肩越しに寝ている友人達の様子を見ていた風呂男は気付かなかったが、聖に劇的な
変化が起きた。思考回路が認識したある情報が、心臓をダイレクトに動かし顔面に血
液をかき集める。
暗闇のせいで顔は見えなかったが、明らかに体を硬くした聖に、風呂男は眉をひそめた。
いまさら恥ずかしがるような事でもないだろうに……
(な、な、な……なみわ、せん、ぱい……)
口から漏れる言葉も、小声であることを差し引いてもあまりに小さく、掠れている。
何が起きたのかわからず、風呂男は改めて問うた。
(どーしたよ。今更恥ずかしがってるわけじゃないだろ)
(な、なんで……そんな格好をしてるんだ!?)
(……あ)
ぼそぼそとささやかれた内容に、彼はようやく、過去と現在の差異に思い至った。
そう……自分は今、ブリーフ一丁、上半身裸なのだ。服越しだった先程までと違い、
半裸の男と半裸の女の抱擁は、正真正銘恋人同士のスキンシップになってしまう。
(す、すまんっ……寝る時、いつもこの格好なもんで)
(…………)
詫びて遠ざかろうにも、そうもいかない状況である。せめてもの心遣いに肩に手を置き、
少しだけ距離をとろうとした……
ぽんっぴしっ
……変な効果音になってしまった。
要するに、肩に手を置いた瞬間、二人が同時に硬直したことを示す音である。
風呂男が手のひらに感じるのは、ありえない、ありえてはいけない感触だった。
この、手のひらに吸い付くように柔らかな感触は、間違っても布越しのものではない、
直の感触。服を着ているはずの聖相手にありえていい感触ではなかった。
聖も触られた感触でそれに気付き、あわてて全身をまさぐった……
見事にパンツ一枚すらない素っ裸だった。
全てを悟り、今の自分の状況を完全に把握した瞬間、
(…………っ!)
聖は縮こまった。風呂男の胸の上で。
怒るでもなく、怖がるでもなく、ただ、縮こまったのである。
(…………)
(…………)
(…………)
(お、おーい?)
それきり黙りこまれてしまい、状況と沈黙の板ばさみに耐え切れなくなった風呂男
の方が根を上げた。何でもいい、会話して気をそらさないと、理性の耐久度が限界を突
破しそうだった。
(六道? あのさ、そこで黙られると、俺もちょっとアレなんだけれども)
(……剥いたのか?)
暗闇でもわかる明らかな疑惑の目線と形容しがたい圧力を受けて、風呂男は全力前回、
周りを誤魔化すことすら忘れて首を左右に振った。
沈黙の後にようやく口を開いた聖の口調は、これでもかというくらい張り詰めていて。
一切の思考を無視し、むき出しの感情が脳裏に浮かび上がった。
かわいい、と。
(……本当、だな?)
今度は全力前回で肯定。すがるような問いかけだった。
(し、下着だけならギコがとったのかも知れねえけど……さっぱり思い当たる節が
ない(汗))
ギコは女物のパンツや下着が大好きだ。匂いその他は関係なく、単に肌触りのい
い材質が好きなのだと言う事は分かっているのだが、なんと言うか変態臭い。
あまりに取られまくるので、しまいにゃ安物パンツしか履いてこなくなったとい
う笑い話である。安物になったとたん見向きもしなくなって、彼女凹んだが。
二人は知る由もなかったが、聖は朦朧とした意識の中、あまりの暑苦しさに服を脱
いで下着姿になっていた。そこをギコ猫に襲撃され、素っ裸になったわけだ。布団の
中をまさぐればすぐに見つかる位置に制服が丸まっているのだが、二人がそれに気付
くはずもない。
(だとしたら、もう下着はあきらめろ。引き裂かれてあいつの寝床の下に敷かれてん
だから)
(…………本当に、先輩じゃないんだな?)
(当たり前だ。そんな事する位なら、とっくの昔に襲ってる)
実に説得力のある言い様だった。パワーがないとはいえ、波和の腕力なら聖くらい
簡単に押さえ込めるだろう。
(そ、それじゃあ……信じる、が……)
全身に感じる皮膚の感触に、聖は平静を保つことが出来なかった。そこにあるぬく
もりが、異性のものであると分かってもなお、安堵感を覚える自分を見つけたからだ。
久しぶりだった。こんな風に、男の人に接触するのは。変な意味ではない。聖の父
親は寺院の本山を取り仕切っているために、仕事に忙殺され聖との家族の時間が少な
かった。
愛情は惜しみなく注いでもらったが、それでも寂しかった。母親が子供の頃に早逝
したのもあり、こんな風に抱きしめられたのは小学校の入学式以来だろうか。
手を繋いだ記憶すら、薄れている。
(……と、とりあえず、体勢変えよう。な?)
風呂男の言葉に、聖は首だけをコクンと動かして、同意した。重力に押し付けられる
聖の体は柔らかく、これ以上耐えられそうになかったのだ。
これが風呂男の上ではなく、横ならば少しは『マシ』になるだろう、安易な予測の元、
聖はゆっくりと風呂男の上から、矢部達が寝ている方向の反対側へと降りていった。
降りたのはいい。だが、降り方が拙かった。
くちゅ
((……!!!!!!!!!!!!!!!))
二人の動きが、布団の中で止まった。
聖と風呂男、二人が全く同時に、全く同じ場所に対する刺激に耐えかねたのだ。
その場所とは……股間。
位置的にギリギリだった風呂男の何と聖の秘貝が、とうとう接触してしまったのだ。
(く、くぬうううううううううっ!)
ただでさえ追い詰められている息子を刺激され、決壊しようとする精巣管を、
風呂男は執念で何とか繋ぎとめることが出来た。その頭にあるのは、こんな状況に
置かれる聖に対する罪悪感と、そんな少女を傷つけてなるものかという二つの感情のみ。
もはや、後ろにいる友人二人のことは、完全に意識の外である。
感触からして、相当な量の先走りがあふれていたようだった。そんなものを押し付
けられた少女の恐怖はいかばかりか。考えるまでもないと風呂男は思った。
現に、風呂男の竿が触れた瞬間、聖は体をこわばらせた後、放心状態になっている
ではないか!
(わ、悪い……大丈夫か?)
(…………)
何とか暴発を押さえ込んでから問いかけるが、聖からの返答はなかった。
恐怖で動けないのか……風呂男は勝手にそうと決め付けた。決め付けて、聖の体を
抱きかかえようと手を動かす。下心はなかった。ただ、聖の体を予定通り自分の上か
ら動かそうとしただけである。
それだけだったのだが……聖の反応は、風呂男の予測の斜め上を錐揉み回転していった。
聖の体を抱えるための手が、聖に触れたその瞬間、
(はぁ……はぁ……)
聞こえてきたのは、聖の口から漏れる色情を含んだ濡れた息。
聖は自分の手のひらに反応することなく、なすがままに横へと下ろされる……
その過程でようやく、風呂男は自分の認識と現実の誤差を知った。
――放心状態になっているにしては、脱力の度合いが酷すぎた。ほぼ手のひらには
多量の汗が付着し、ブリーフの感触も可笑しい。そっとそちらに手を触れてみると、
シミは先走り以外の液体で、外側から浸透していた。酷く粘度の高い、愛液だった。
まさか。今ので……
感じてしまったのか? ブリーフ越しにこすっただけで?
聖の名誉のために言っておくが、これは仕方のないことである。
彼女は男性に対して体制がなく、こんな異常な状態など考えたこともない。父以外
の男の裸など見たこともないし、それも子供の頃の事、抱き合うなどもってのほか。
オナニーもあまりせず、性欲は主に運動で発散させるタイプだ。
その上、汗という男性フェロモンを窒息しかねないほどにかかされ、体の芯から火
照っていた……ここまで条件がそろえば、仕方がないだろう。
(――っ!)
(んぅっ……ふあぁっ)
続いてもれた鼻にかかった吐息が追い討ちになり、風呂男の意識の底にあったダムは、
轟音を立てて決壊した。せき止められていた欲望の勢いはすさまじく、その勢いは行
動にも反映された。
暗闇の中、すばやく聖のあごに手を当てると、くいと上を向かせ……
「――!」
驚く聖の双眸を見つめながら、その唇を貪っていた。聖が何かを言っているのが舌
越しに分かるが、風呂男はそんなものは黙殺した。こわばり、動こうとする体も、力
づくで黙らせる。
歯の裏側、歯茎、頬と歯の隙間……風呂男の舌が口内のありとあらゆる場所を蹂躙
するに従い、抵抗する力が抜けていった。まるで、唇から力を吸われているかのように。
そもそも、それほど激しく抵抗しようとしていたわけでもないのだ。女性を神聖視
する馬鹿は無視する事が多いのだが、女性にも性欲はあるのだから。
窓からもれるほんの僅かな街灯の明かり、闇に慣れた視界に、蕩けた双眸で震える
彼女の姿がおぼろげに見える。
その瞳を見つめながら、風呂男はようやく唇を離した……唾液で舌と舌がつながり、
きらりと光る糸を紡ぎ、切れる。
(……悪い。もう我慢出来そうにねえ)
(はぁ……はぁ……)
詫びながら、風呂男は手のひらを聖の胸に当てた。胸板の上にほんの僅かな脂肪が
蓄えられ、辛うじて括れが分かるほどのささやかな胸だが、不釣合いな程の弾力が指
を押し返してくる。
むにっむにっ……
「んっ……んんんっ」
弾力を楽しむように、ゆっくりと揉みしだくと、聖の細いからだが細かく震え、
あえぎをかみ殺すも、うめき声が閉じられた唇を掻い潜って風呂男の耳朶を叩いた。
(鼻で息しろ)
風呂男の中に残った最後の理性が、聖に声を上げられる危険性を悟り、唇で唇を塞ぐ。
口をふさがれ、聖が言われたとおりに鼻で呼吸を開始すると、少々騒がしかった室内は、
いっそう静かになった。
布ズレの音も、矢部たちを起こすには至らない。
胸を揉んでいた指先が、乳首に触れた。痛々しいほどに硬く隆起したそれを、人差し
指と中指ではさみ、刺激を加えていく。掌で揉み、指先で乳首を嬲られて、聖の快楽の
ボルテージはグングンと高まっていった。
闇で何も見えないが、聖が興奮していることは鼻息と、ディープキスに応じる舌の動
きで分かる。唾液を送り込めば喉を鳴らして飲みこみ、下を絡めれば絡め返してくる。
(……俺、何やってんだ?)
快楽と欲望に押し流され、暴走状態の風呂男の脳裏に、嫌に冷静な声が響いた。
全くだと、風呂男は思う。不本意に自分のベッドに引きずり込まれた少女を、暗闇を
いい事に無理やり犯すなど、犯罪者の所業だ。
……深遠な接吻の時間は、唐突に終わった。
風呂男が、唐突に接吻を切り上げたのである。聖が違和感を感じるまもなく、力強い
抱擁を受けた。お互いの口元がお互いの耳元に寄せられ、風呂男の唇から音が漏れる。
(……なあ、何で抵抗しない?)
何を今更、と風呂男は己を嘲笑った。自分のような目つきの悪い男にこんな行為を
されたら、誰でも萎縮するに決まっている。抵抗するなど、考えもしないだろう。卑
怯者が己の醜悪さを確認するだけの愚問だと、風呂男は思う。
きっと、聖は何も答えようとしないだろう。
(…………)
短い問いに、短い間を空けて、短い答えが返された。
ささやかれた言葉の内容は、風呂男の予測とは大きく食い違った代物であった。
(……これで、許してもらえるのならいくらでも)
冷や水を浴びせかけられたというのはこの場合当てはまらないだろう。
液体窒素をぶっ掛けられたの方がしっくり来る気がする。それほど、風呂男の内心
の変化は劇的だった。色情と激情と欲情……彼をこのような行為に駆り立てた全ての
煮えたぎる感情が、一瞬で冷めた。
なんと言う事はない。彼女は自分と同じ状況に立たされながら、情欲に流されるこ
となく、野球の事だけを考えていたのだ。先日の試合、それに伴う罪の意識で、恥辱
に耐え切った……それに比べて、自分はどうだ。
野球の事などすっ飛ばして、欲情しっぱなし。ささやき戦術云々以前に、どちらが
より真剣に野球に取り組んでいるかは自明の理だった。
(あ、あーっと……悪い。なんか、付け入っちまったみたいで)
(……え?)
いきなり聞こえた謝罪の言葉に、聖は目を丸くして驚いた。彼女としては、むしろ
詫びるべきは自分のほうでだという意識があり、謝られるなどとは思っても見なかっ
たのだ。
(……悪いも何も……気にしていないぞ)
(そ、そうか?)
(ああ……そ、それよりも……)
聖は相手の首筋に唇をしつけると、消え入るような声でささやいた……暗闇でも感
触でわかる程に体を火照らせた少女の、当然ともいえる要求だった。
(このまま放っておかれるほうが……つらいん、だ……)
燃え上がるだけ燃え上がった聖の情欲は、今更引き返せる状態ではなかった。むしろ、
いきなり謝罪などされて放置された事で、かえって燃え上がり、忍耐心の許容限界を
あっさりと超えてしまったのだ。
風呂男はそのささやきを聞き、思った。
かわいい。
この女をもっと喘がせたい。
思考と行動が直結し、行為が再開される。
風呂男は唇に吸い付き、胸を嬲っていた両腕のうち、右腕だけを下腹部へ移動させ
ていった。指先が、腹部をなぞり、へその周りで円を描く。そして……
くちゅぅっ
(…………!!!!)
湿った感触と、唇に感じる悲鳴。
少女の秘所に達した指先に、熱く湿った感触が感じられる。風呂男は触感だけを
頼りに膣内に挿入しないよう、ゆっくりと丹念に膣の周りを嬲りまわした。
(っ! っ!!!!)
指が敏感な場所に触れるたび、聖の体は面白いほどに反応した。撫でれば震え、
つつけば戦慄き、こすれば唇が震える……状況が違ったら、もっと激しい反応をした
かもしれない。
風呂男の指に呼応するかのように、聖の秘所はダラダラと涎を垂らす。ほしいほしいと、
はやく頂に逝かせてくれと、むき出しの欲望を、聖の変わりに叫んでいるようだった。
感極まった涙が、聖の涙腺からあふれて風呂男の目に映る。潤んだ双眸は冷えていた
風呂男の欲望を再燃させ、唇が、指先が、その熱を原動力に激しさを増した。
唯でさえ追い詰められていた聖に、その攻撃に耐えれる筈もなく。
(…………っ!!!!)
絶頂に達した聖は、大きく体を戦慄かせて、その場に跳ね上がった。
跳ね上がって、しまった。
どすんっ!!
鍛えられた聖の体が全力で動くとどうなるか、考える必要もなかろう。彼女の動きは
大きくベッドを打ち、静寂に包まれた室内にぶしつけな騒音を撒き散らす。
風呂男が押さえる間すらなかった。というか、聖の体を嬲るのに夢中で、音に神経を
配る必要性をすっかり失念していたのだ……両手共に愛撫に使っていたのがいい証拠だ。
ぎくりと、二人の燃え上がっていた欲望が凍りつき、己の置かれた状況を思い起
こさせていた。
(や、やばい! 今ので二人が起きたら――!)
(……私に任せてくれ。考えがあるんだ)
(……何する気だよ?)
(大丈夫。きっとうまくいく)
おおよそ、人間にとって真の暗闇というのは恐怖の対象である。
最も身近な例を挙げるなら、目を瞑る、という行為が上げられだろう。なんでもない
だろうと感じる人がほとんどだろうが……そう言うのならば、各々方目をつぶったまま
家の外を散歩する姿を想像してみてほしい。
考えただけで不可能だと思うことだろう。ここで言う真の暗闇とは、視覚を完全に
奪われ、うっすらとすら見えない状況、という意味である。
元々日当たりがいいほうではない上に、夜の世界にわずかな光をもたらす月を、
分厚い雲が覆い隠しているから、外の闇は人の住まう場所とは思えないほどに深い。
辛うじてさす外灯からの灯りと闇に慣れた目、双方がそろうことで、ようやく家具
の輪郭が見える。家具の輪郭が。それが、今の風呂男の部屋の状態である。
先入観というものは、人の思考を麻痺させる最低最悪の毒である。
野球においてもそれは言えることで、相手のこういうところはこうだ! という決
め付けは、裏をかかれたときに致命的なミスを生む。
たとえばフォーム。相手のフォームは一定の間だと決め付けてバッターボックスに
入ってしまうと、相手がクイックモーションで投げてくると反応できない。打者のタ
イミングをずらすという意味もあるが、先入観がなければ対応のしようもあるのだ。
さて、遠まわしに遠まわしが重なったが、ようやくここからが肝心の本題。
強固であればあるほど厄介な障害として、人の前に立ちはだかる……今矢部達の目
の前に立ちはだかっているのもそれだ。
障害っつーか、ぶっちゃけただの勘違いなわけだが、順を追って説明しよう。
寝た→騒音を聞いておきた→風呂男を見る→風呂男の布団から頭がもう一個出ている。
ここで重要なのは、二人の先入観。『この部屋には三人しか居ない』という思い込み。
ある程度の違和感すら、風呂男が日頃混乱したときに披露する奇行という先入観に誤魔
化されいたので、当然のことではあるのだが……
三人しか居ないはずの部屋に居る四人目。二人目の思考の迷路をさまよった先に行き
着いたのは、間抜けな誤認だった。
(な、な、な、な、生首ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!?(TдT))
(季節はずれの幽霊到来でヤンス~~~~~~~~~!!!!(TдT))
……マヌケと言うなかれ。先述したとおり風呂男の布団はかなり分厚い羽毛布団であり、
聖くらいに細身ならば大して見た目が変化しない。暗闇ならばなおさらだ。
生首が下でも横でもなく、天井を見上げていたのも、誤認に拍車をかけている。
(だ、大丈夫だっ! 多分、目の錯覚だ!)
(そ、そうでヤンス! 早く電機をつけって他化しか免穴七名)
(落ち着いてください矢部さん!!)
軽いパニック症状を引き起こしつつ、二人は寝袋を出ようと行動を開始した。
パワプロ男危うし! 漫画であれば、そんな見出しがつきそうな展開なのだが、
生憎と彼らは文字通り『動』を『行う』事が出来なかった。
ピクリとも動かない二人。衣擦れの音すら聞こえない状況に、二人はお互いの顔を
見合わせる。
(あの……矢部さん。なんで動かないんッスか?)
(……それはこっちの台詞でヤンス)
(……ひょっとして、矢部さんも?)
(も……? もってまさか……猛田も?)
(…………)
(…………)
小声で会話し、見詰め合うこと数秒。予想の中にはあったものの、怖くて無視し
続けていた答えを直視してしまい、二人は心の中で叫びをシンクロさせた。
((か、金縛り~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!(TдT)))
んなわきゃあない。
一般に金縛りのメカニズムとされる『脳が覚醒しているのに体がそれに追いついて
いない』状態にあるだけだ。帝王実業の過酷な練習と、17、16歳という金縛りの
おきやすい年齢等、偶然が重なって出来た必然であり、心霊現象では断じてない。
……追い討ちとばかりに、布団から生えていた首が矢部達の方に向いた。
(ヤンス~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!)
暗闇なので顔の造詣はわからないが、相手が女だということ位はわかるが……彼等の
今の心持をたとえるなら、風船だった。恐怖という空気が次から次へと膨らんでいく、
風船だ。風船は、空気を入れ続ければ割れるものだ。
その風船に対する、針の一突きが聖の唇から放たれた。
暗闇でも明らかにそれとわかる程に、唇が動いたのだ。そこから読み取れる言葉は……
『シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ
シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシ
ネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ
シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシ
ネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ
シネシネシネ』
『…………ぐふっ』
疲れもあったのだろう。元々聖が表情が分かり辛いのも幸いしたのかもしれない。
だが。
それらの原因を差し引いたとしても、あまりにもあっけなく。
矢部と猛田は、その意識を手放してお花畑の向こうへと旅立っていった。
「終わったぞ♪」
「鬼かお前は」
恐怖のあまり気絶した二人の姿に、脊椎反射で風呂男が突っ込んだ。白目むいて突っ伏
した姿を見ると、幸い、二人とも寝る前に便所に行くタイプだったので、失禁はしていな
いが……冗談で済ませるにはあまりにも性質が悪かった。
しかも、なんか鼻歌でも歌いだしそうなほどに上機嫌だし。
「うれしそうだな」
「子供のころから、こういう驚かせる役所は好きなんだ」
「子供の頃?」
「家が仏閣でな。そのせいで、肝試しの時なんかはいつも驚かせる側に回されてた。野
球より暦が長いぞ」
「はぁ、さいで」
なんとコメントすればいいのかわからない。特に、野球より暦が長いというあたりが。
「お前、こいつらが動いたら、どうするつもりだったんだ? 流石にばれるぞ」
「問題ない。二人とも金縛りに会っていたからな」
「はぁ?」
「私は、金縛りにあってる人間とそうでない人間の区別がつくぞ」
無意味にない胸を張るひじりんに、風呂男思わず脱力。流石仏門の娘、とでも言わ
れたいのか?
ちょうどいい具合に脱力が股間にも伝わって、マキシマムな機関銃は、しおしおと
収縮していく。出来れば一発抜いておきたかったが、罪悪感で身をゆだね少女の純潔
まで奪うのは、気が引けた。
「……六道、とりあえず、トイレに行っててくれ」
「?」
「こんな真っ暗じゃあ、着替えられねえだろ。トイレなら何とか着替えられる」
ドアを開けると、ひんやりとした風が頬をなぜた。つい先程絶頂に達し、火照った
体にその風は心地よく、思わず立ち止まり、風による愛撫を堪能してしまう。
今の聖の服装は、制服のスカートに上着は男物のジャケットという、ちぐはぐなもの
だった。下着はギコ猫の寝床からサルベージし、何とか無事だったのはパンツだけ。
残念ながらブラのほうは再起不能だったので、只今ノーブラだ。
「それでは先輩、世話になった」
振り返って一礼する聖に、風呂男は眉をひそめた。例を言われるようなことはして
いないし、ここで聖を放り出すほど無責任な事はないという自覚もある。思わず、先
程聖にかけた言葉とその返答の数々を記憶の底からサルベージしてしまった。
『……本当に、送っていかなくていいのか? 自転車あるから駅まで送ってくぞ』
『先輩もしつこいな。必要ない。一応、最低限の護身術は学んでいるからな』
『つったってお前……最終に間に合うのかよ』
『間に合わなかったらタクシーでもひろうさ』
『……せめて、金くらいは出させろ。服代も含めて』
『金欠なんだろう? 無理しなくていい』
と、万事が万事この調子である。強姦まがいのことをしてしまった風呂男としては、
いたたまれないことこの上ないし、第一……
今ここで別れてしまったら、風呂男と聖の接点は消滅し、もう二度とこのような
機会は訪れないだろう。それこそが、風呂男がしつこく聖に声をかける理由だった。
罪悪感をはじめとした理由などは二の次だ。
(いかん、完璧に惚れた)
女の子としても、野球に全てをつぎ込む同類としても。
たった一晩で、風呂男の中の六道聖は大きく成長し、かなりのウェイトを占め始
めている。
発覚と同時に縁の切れる恋など、冗談じゃない。
「そういえば」
どうせなら見苦しく足掻いてやる……そんな決意に相応しく、風呂男がふった話
題は素敵に不自然で唐突な代物だった。歩き出す聖に無理やり並んで、
「お前、試合の事で仕方がなかったとか言ってたな」
「……? ああ、言ったが」
いきなりの問いに反応が鈍い聖に、風呂男は同行の拒否を封じる意味も兼ねて畳み
掛けた。告白して受け入れられるはずもなし、可能な限り会話を長引かせてやるという、
かなりやるせない方針である。
「あれ、どういう意味だったんだ?
こう言っちゃなんだが、お前さんがあんな方法に訴えなきゃならんほど追い詰め
られる理由なんぞ、思いつかないんだが」
「……最初と違って、随分と私達を評価してくれてるな」
「さっき抵抗しない時点で見直してるよ。
……嫌でしょうがなかったんだろ。あんな方法」
この問いに、聖は答えなかった。答えなくとも、ここに至るまでの経緯を思い出せ
ば容易に想像がつく……生半可な罪悪感では、あんなシチュエーションに耐えられる
はずがない。
変わりに帰ってきたのは、『理由』に関する事であった。
「……みずきの事はしってるか?」
「サイドスローの女投手。お前の相方だろ。
あのシンカーはかなり打ちずらいぞ」
「うん。ありがとう。
みずきの祖父が、聖タチバナ学園の理事長でな」
「……そいつは初耳だな」
「理事長は、みずきが野球をやるのに反対なんだ。正確には、甲子園へ行く事を条件に、
高校の間は容認しているんだが、周りの人間がそれを勘違いしたんだ」
「周りの人間が?」
「そう。正確に言えば、理事長に取り入ってゴマ擂りたい輩が、学園の上層部にいたんだ。
そいつが勝手に野球部にある通達をしてな。
『帝王に勝てなければ廃部』と」
「……はぁ、それでか」
「まあ、結局その輩は理事長に勝手な行動を知られて、学園から追い出されたわけだが。
なにせ、理事長に野球を容認させる交換条件がアレだから」
「……聞くのが怖いな。お前らをそこまで追い詰める条件」
「『甲子園にいけなければ、理事長の決めた相手と結婚する』だそうだ」
どんなとんでも条件かと身構えていた風呂男は、その内容に呆れた。規模ではなく、
その対象の小ささについてだ。なんと言うことはない、以前の試合のあの滅茶苦茶なさ
さやき戦術はたかが一人のピッチャーのために、チームが一丸になったという結果だっ
たのだ。結果至上主義の帝王実業では絶対にありえない事態だ。
「それが理由かよ」
「ああ。あの試合、あれほど空しい勝ち試合は初めてだった。全員がそう言っていた……
みずきも含めてな」
むしろ、一番悔しがっていたのがみずきだった。第二の早川あおいを目指す彼女から
すれば、実力以外で勝ち取った勝利など屈辱でしかないのだから。
風呂男の位置からは聖の顔はうかがえない。みずきを直接知らない。いや、聖タチバ
ナのメンバー自体を知らない。知らない以上、その悔しさが分かるはずもないのだ
……帝王実業ならあくまで正攻法で乗り越えようとするだろう。
「……じゃあよ」
気がつけば、風呂男の心に欲情などかけらも残っていなかった。そんなものは、
聖の言葉を鼓膜に捉えるにつれて、冷めきっていた。
今の彼は、恋愛感情にどぎまぎするヘタレではない。
帝王実業監督や友沢をして一目置かせ、打率9割を誇る名アベレージヒッター。
野球馬鹿の、波和風呂男であった。
「リターンマッチすりゃあいいじゃねえか」
この言葉に、風呂男の前を歩いていた聖の足が、止まった。
「今度は、公式試合じゃなくて、練習試合でだ。
俺等は先の雪辱を、お前達は今度こそフェアプレーを……
お互いの需要と供給が一致してる。簡単な話だ」
「……だが、そう簡単には」
「いけるさ」
風呂男は断言した。根拠のない去勢ではない、彼には確信がある。
「監督の性格から言って、あんな手段で負けたまま引き下がる筈がない。
そっちの都合さえつけば、後はとんとん拍子に話が進む」
「…………」
「何黙ってんだよ」
「本当に、試合をしてくれるのか?」
あんな無礼な真似をした自分達を? 不安げな聖の声にこめられたニュアンスを
読み取り、風呂男は鼻で笑った。
「何言ってやがる。
野球馬鹿が野球するのに理由が要るのかよ」
風呂男の胸にあったのは、色情ではなく歓喜。
この上なく軽蔑していたはずの相手が、己と同じほどに野球に打ち込むライバル
へと変わった事に関する、喜びの情念。
聖は、無言だった。
無言で、駅への道程を歩き続ける。風呂男は無言でその場に立ち止まり、彼女の
その背中を見送った。
いや、立った一言だけ言い放った。
「楽しみにしてるぜ」
さて、ここで流れも何もかも豚切りして、ある問題を出そう。
溜まっている上に、散々オナニーして寸止め状態を繰り返した男が、その直後に
寝るとどんな悲劇が訪れるのか、という問いだ。
答えは……
ぴよぴよぴよ……
テンプレートでもあるのか? と聞きたくなるほどに典型的な小鳥の囀りが聞こえる。
日当たりが悪いために中途半端ながらも、窓からこぼれる日差しは明るく、室内に朝
の到来を告げていた。
典型的な、波和邸における朝の情景である。矢部と猛田の二人は、代わり映えしな
いバックミュージックと、変わらない光景の中で目を覚ます。
唯一常と違うところがあるとすれば、二人の顔色だろうか……
『……眠い』
全く疲れが取れていないご様子である。そりゃそうだ、一晩中気絶してただけなん
だから。
「なんか、凄く怖いものを見た気がするでヤンス……」
「あ゛あ゛ー……ホントッスねー……」
都合のいい事に、前夜の記憶は吹っ飛んでいるらしい。内側から寝袋を開け、馴れ
た手つきでタオルケットと一緒に畳んだ後、所定の場所へ戻しておく。
それから、朝の弱い家主を起こすべく、ベッドへと視線をやり……そこでようやく、
気がついた。
そこに家主がいない事と、洗面場から聞こえてくる水音に。
しかも、
「もるすぁ……もるすぁ……ゆめみるあんでぃさん……おっさんですかしゃあですか……
あっははははははは……(*゚∀゚)」
ファビョッた上に、なんか混ざった変な歌が聞こえてくるし。
(あ、朝っぱらから何事でヤンスか~~~~!(´д`;))
(波和さん、又壊れたのかよ!(´д`;))
さわやかではない朝の目覚めと不気味な歌声に欝入る矢部と猛田だったが、
彼らはある意味で勇敢で、残酷で、愚かだった。
二人そろってゆっくりと、息をそろえて洗面場に向かい、開けっ放しになっている
扉から、内部を伺ったのである。
彼らは、その行為を後々まで後悔する事になる。
風呂男は、洗面台で何かを洗っていた。裸で。
匂ってくるのは、石鹸とイカのかをり。
洗っているのは、彼愛用のブリーフ。
股間の隙間に見える彼のマグナムはだらしなく垂れ下がり……ホットカルピスに
片栗粉まぜたよーな液体がこびりついている。
そして思い出す。前夜彼が言っていたこの言葉。
曰く『夢精しなかっただけマシ』
……どう見ても夢精の後始末です。本当にありがとうございました。
彼ら二人のその後の行動は、優しかった。
無言でその場を後にし、無言で荷物をまとめ、無言で冷蔵庫の中のカロリーメイト
と牛乳を服用し、
「じゃ、鍵は郵便受けに」
「行ってくるでヤンス」
とだけ言い残し、その場を後にした。
それがせめてもの、男の優しさというものであった。
彼らは漢だった。間違いなく。
「もるすぁ……もるすぁ……もるすぁ……もるすぁ……もるすぁ…………もるすぁ…………
もるすぁ…………もるすぁ…………(T∀T)」
後には、『寝る前に放出しとくんだった』と後の祭り的思考を体現した馬鹿だけが
残されたという。
その日風呂男は、部活だけではなく学校そのものを休んだ。
翌日、復帰してきた彼は今まで以上に鬼気迫る勢いで練習に取り組み、とうとう
レギュラー格の座を射止める事になる。巻き込まれた部員が翌日休むほどの執念に、
監督や友沢達は目を丸くしたが、真相を知る二人はその口をシャコガイの如く閉ざし、
他言しなかった。
彼らは漢だった。間違いなく。
俺には、神がついている。野球の、バッティングの神様が。
波和風呂男は、己のバッティング技術をそう評価し、奢っていた。
おごりがなくなった今そうは思わない。思わないが……
この日、風呂男は確かに自分には神がついていると思った。
それは、バッティングの神様ではなく……
きっと、可愛いくせに無表情で、とても野球が好きな、疫病神なのだろう。
そんな疫病神になら、取り付かれてもいいかもと、俺は……
……ごめんなさいすいませんあやまりますなんどでもあやまりますからどげざもつ
けますからからもう今回みたいな事態は勘弁してつかぁさい(T∀T)