西岸州独立自治区

西岸州独立自治区
トルク語Batışeria Devlet Bağımsız Özerk Bölgesi
Batı Kıyısı Eyaleti Devlet Bağımsız Özerk Bölgesi
オスマン語
ﺑﻬﻄﻰ ﻗﻴيﻴﺼﻰ ﻫﻴﻬﻠﻬﺘﻰ

ハヤスターン語Արեւմտյան ափ անկախ պետություն Ինքնավար Մարզ
クルディア語Kenara Rojava di Dewleta Serbixwe Herêma Xweser
BDBÖB
西岸州独立連合共和国
トルク語 Batışeria Bağımsız Birleşik Cumhuriyeti
ハヤスターン語միասնական արեւմուտք Բանկ Անկախ Հանրապետություն
クルディア語yekbûyî rojava banke Komara serbixwe
BBBC
サヒリ=クリム
Sahil Kırım
通称 西岸州 サヒリクリム バトゥシェリア

政府首班 ブラク・イルクユルドゥズ(秩序回復運動 トルク人)

標語 独立 自治 共存

臨時首都 ウユム
最大の都市 ユセクタンル
政府 全土暫定掌握政府 
議会 人民立法評議会

国名 =西岸州独立連合共和国
標語 =独立、自治、共存
=信念と結束が勝利を齎す
国歌 =我等の西岸州よ、永遠なれ!
首都 =ウユム
最大の都市 =ユセクタンル
元首 =アブドゥラー・ヤームル・エルアルタン統一国民代表(大統領)
公用語 =無し
政体 =共和制
議会 =人民立法評議会
通貨 =西岸州リア
建国 =フリューゲル暦648年5月初旬

民族救済統一運動(ユセクタンル地方トルク人臨時執政府)(穏健派民主主義 トルク系)
ここ数年間で急速に台頭してきた新興勢力であり、トルク系民族組織としては最大
トルキー帝国西岸州の州都であったユセクタンル特別区とその周辺地域を実質支配しておりユセクタンル地方トルク人臨時執政府という独自の自治政府も保有している
共和制民主主義と長年に渡る西岸州動乱の終結を標榜している
大きく分けて二つの内部派閥が存在している

  • ヤタハーン派(クルチ派、半月刀派)
 主流 議会制民主主義 独立派 反解放民主戦線 和解派
  • ユセクタンル派(首都派)
 議会制民主主義 トルキーとの将来的な合併 民族自決派 親サラド派

解放民主戦線(左派 共産主義革命 トルク系 クルディア系 ンベベ系 カルトヴェリ系)
西岸州最大の勢力
元はトルキー労働党の地方ソヴィエトであったが臨時社会主義連合政権の参加是非をめぐり労働党中央と激しく対立し離脱した
その後親トルキー労働党中央熱烈支持を掲げるアタチュク派の台頭で労働党中央との関係改善が模索されこの時期を起点にして臨時社会主義連合政権の解放民主戦線に対する多大な物的・政治的援助が始まったとされる
しかしトルキーが民主化する過程で再び労働党中央との関係が悪化、「労働党の忠実な息子」とまで渾名されたアタチュク派が反トルキー側に回る
もっともこれは解放民主戦線にとって最悪の選択であった
対立は日に日に激化し援助は極限まで減らされ遂に戦線維持のみならず自治や公務員への給料支払いにすら支障をきたすようになり解放民主戦線は徐々に劣勢に回り始めその勢力を後退させた
これに伴い諸政派との融和と和解、社会民主主義を説くサラド派が台頭 アタチュク派を丸め込み西岸州統一会議にまでこぎつけ諸政派との歴史的和解を実現、現状に至る
多数の派閥を抱えているが故内ゲパや内部抗争が激しいのも特徴
 ・アタテュルク派(黒赤派、急進派、農民闘争派)
  急進左派 過激派 ML主義 反トルキー 暴力革命支持 民族自決派 反民族救済統一運動
 ・サラド派(白赤派、第三の道派)
  主流 議会制民主主義 社会民主主義 ヴェールヌイ・トルキー支持 和解派 親秩序回復運動
   西岸州連合構想を初めて提唱
   西岸州統一運動における最大の功労者

解放人民戦線(左派 共産主義革命 クルディア系 ンベベ系 ハヤスターン系 カルトヴェリ系)
ユセクタンル地方トルク人臨時執政府統治下の地域に於いてゲリラ的戦闘運動を繰り広げる急進的過激派テロ組織
西岸州統一の断固反対と少数民族の自決権行使を掲げあらゆる手段をも厭わない
また西岸州統一会議には一度たりとも参加していない
第二回西岸州統一会議に於ける解放民主戦線と民族救済統一運動の歴史的和解に失望した解放民主戦線の一部過激派が本戦線と合流しつつある
これによって解放人民戦線の勢力はML主義の急先鋒であった解放民主戦線にとって代わり軍事・政治的拠点であるユセクタンル地方のみならず西岸州全土にまで伸ばしつつある

 急進左派 過激派 反トルキー 暴力革命支持 民族自決派 反民族救済統一運動

秩序回復運動(穏健派左派 トルク系 ハヤスターン系 クルディア系 ンベベ系)
南部地方における穏健左派勢力
勢力的にうんこだが解放民主戦線と民族救済統一運動の権力闘争を避けるため第三勢力である秩序回復運動から統一政府首班が担ぎ出された

ハヤスターン民族共同体(左派 ハヤスターン系)

独立民族同盟(クルディア系 ンベベ系 カルトヴェリ系 ギリシア人)

全カルトヴェリ人連合(カルトヴェリ系)

民主自治運動(クルディア系)

第二回西岸州統一会議でこれに参加した各政派・自治組織は諸政派を連合した西岸州統一自治政府を樹立することで合意
翌月諸政派による連立政権(全土暫定掌握政府)が組織される
第三回西岸州統一会議では西岸州独立自治区の成立を宣言する布告が採択された

トルキー=トルキー語西岸州東部方言=トルコ 34
アルミニア=ハヤスターン=アルメニア 18
カルトヴェリ=グルジア人 14
クルディア=クルド 12
トルキマーン=トルキー語西岸州南部方言=アゼルバイジャン人 5
ギリシア=ギリシャ 5
スラヴィア人=スラブ人 4
カラバユンドゥル=トルキー語西岸州西部方言 3
ンベベ(ギーニャ人)=うんち=ギニア系黒人 東アフリカ系黒人 2

政治

政権

第二次エルアルタン政権(654年政権)
役職は序列順

元首
役職 名前 政党 民族
統一国民代表 アブドゥラー・ヤームル・エルアルタン 解放民主戦線 トルク人
人民行政委員会
役職 名前 政党 民族
人民行政委員会議議長 アブドゥラー・ヤームル・エルアルタン 解放民主戦線 トルク人
統一内務委員会委員長 ダニエル・オララ=ヌケロ 解放民主戦線 ンべべ人
民族間調整委員会委員長 グンセルタン・タラパニ 解放民主戦線 クルディア人
統一外交委員会委員長 レヴォン・セルベカリャン 解放民主戦線 ハヤスターン人
統一国防委員会委員長 エドゥアルド・クルシェヴィリ 解放民主戦線 カルトヴェリ人
財務委員会委員長 ヤサール・トゥンジェル 解放民主戦線 クルディア人
工業労働委員会委員長 ゼバリ・ブルゥドゥク 解放民主戦線 クルディア人
統一教育委員会委員長 レヴォン・アデム=ドゥシャミアン ハヤスターン民族共同体 ハヤスターン人
科学発展委員会委員長 ナウート・ヤズディ 解放民主戦線 クルディア人
鉱山地質環境委員会委員長 オズギュル・セキ 解放民主戦線 トルク人
商業委員会委員長 イブラヒーム・メフムト・コルトゥルキ 解放民主戦線 トルク人
観光産業委員会委員長 シモン・エゴヤン 解放民主戦線 ハヤスターン人
農業食糧委員会委員長 ギュネス・カラオスマンオウル 解放民主戦線 トルク人
通信委員会委員長 バトゥシェン・サヒヴィリ 解放民主戦線 カルトヴェリ人

人物

アブドゥラー・ヤームル・エルアルタン
西岸州最大にして頂点の夢想家

レヴォン・セルベカリャン
エルアルタンの忠実なる弟子

政治スライダー

民主的 -◆----- 独裁的 「国家最高権力は専ら西岸州の人民に属する」
政治的左派 --◆---- 政治的右派 革新こそ時代の最先端だ
開放社会 ◆------ 閉鎖社会 自由は国家発展の礎となる
自由経済 ----◆-- 中央計画経済 民衆は富を分かち合う
常備軍 -----◆- 徴兵軍 国家防衛は国民の義務である
ハト派 -◆----- タカ派 愛すべき隣人と共に
介入主義 ---◆--- 孤立主義 立場を弁えた外交を

西岸州前史

567年 第一次動乱直前

「567年はまさに始まりの年だった。」
			――メフメト・サラド西岸州解放民主戦線代表者委員会副委員長(553 - 646)

「ある者は解放され、またある者は終焉を悟った。ただ、それだけのことだ。」
			――ハシム・バラミール第2代トルキー第二共和国首相(512 - 601)

2月~6月

第一次トルキー内戦が勃発。
トルキー本土で大規模な戦闘が展開される中、西岸州の急進共和派も当初は都市無産階級の支持を背景に経済活動が活発な沿岸諸州で勢力を拡大したが、やがて強力な駐屯兵団や屯田兵団を保有する国境付近の内陸諸州や廃位を恐れた属藩国が派遣した兵力が沿岸諸州に集結すると急進共和派は速やかに駆逐され、西岸州における勢力を失った。
このことから西岸州における帝政派と共和派との戦闘は比較的短期間でまた小規模なものとなった。また経済的な損失も少なく、一時期西岸州は内戦後のトルキーを牽引する存在とし一目置かれていた。
またこの間、内戦の影響によりトルキー本土からのあらゆる階級(もっも多くは貴族やクラーク、起業家などのブルジョワ階級であったが)の帝政派難民が多く流れ込んだ。皇帝もまたユセクタンル州に避難するが、ユセクタンル州総督ムハンマド・ルシェイ・パシャの意向によって皇帝の安全を確保するという名目の下、皇帝は西部属藩連合州(現在の開拓自治州)にあるトルキマーン島アクユルディズ宮殿に軟禁された。

7月~8月

西岸州での戦闘が一段落した後、各地の総督や知事から構成される臨時西岸諸州地方指導大会を開催。西岸諸州は本土(帝国)への追従を表明。

ユセクタンル州総督ムハンマド・ルシェイ・パシャとウユム州総督アフメド・デミレル・パシャ(冷酷官エクレム・デミレル・パシャ元帥の第一子)は三回に及ぶ会談の末、帝国本土の状況を鑑み各地の指導者を招集して西岸諸州の今後の諸方針を討議すべきであるとの結論に達していた。そこで彼らは西岸諸州の総督や知事、貴族、藩王、首長を招集し、二週間後にはそれら代表者から構成される臨時西岸諸州地方指導大会をユセクタンル州にて開催した。ブルジョワ階級から構成されるこの大会は極めて国粋主義的でかつ保守的なものであり、大会で国民議会への支持を主張する者は当然誰一人として存在しなかった。
大会は速やかに進行した。この大会では西岸諸州による一時的な自治政府"臨時西岸自治州"の建設に加え、帝国への追従と国民議会への敵対といった現状維持的な方針が採択された。

臨時西岸諸州地方指導大会が開催されてた同じ頃、クルディア人、ハヤスターン人(アルミニア人)、カルトヴェリ人などの非主流民族の間では極めて強烈な不快感が蔓延していた。
自分達の頭上で物事が決定される現状は彼らにとって到底看過出来るものではないし、もしこの状況が継続されるならばそれは何百年と続くトルキー人への隷属と抑圧の歴史--タタールの軛--が繰り返されることを意味したからだ。
彼らの代表者はトルキー人からの独立自治を目指すための評議会の設置を決定。これにトルキー人の革命家が加わり8月に西岸州連邦諸民族評議会(諸民族評議会)の開催が布告された。
だが評議会の雰囲気は終始険悪であった。トルキー国家内での穏健な自治を目指すトルキー人自由主義者、強力な社会主義革命を標榜する左翼勢力、完全な独立を目指す民族主義者などありとあらゆる勢力が参加したことで評議会内では激しい対立が繰り広げられた。
紆余曲折の末、当面は王党派勢力の強力な牙城たる臨時西岸自治州の打倒を目指し、民族問題に関しては棚上げすることで評議会内の目立った対立は一応の終結に至った。また評議会は臨時西岸自治州に対抗するべく西岸州臨時連邦政府の建設を宣言した。(事実上の二重権力状態)

ハヤスターン過激派民族主義組織「青い刃」が武力闘争を宣言。

9~11月

カラコユンル州で第55歩兵師団所属のカルトヴェリ人がトルキー人の上官を拘束し反乱を宣言(アラン=アラム事件)。反乱は2週間後に鎮圧されたが、その過程でトルキー人の鎮圧部隊によってカルトヴェリ人1000人超が虐殺される。この頃から緩やかな社会秩序の崩壊が始まった。
全カルトヴェリ人連合が武力闘争を宣言。青い刃と同盟を締結。

12月

二重権力状態が長引く中、地域情勢は悪化の一途をたどった。
  • 12月2日
ユセクタンルにて緩やかな民族自治を求め平和的なデモを展開するクルディア人とカルトヴェリ人の集団に対して総督府直属のユセクタンル第一機関銃連隊が発砲、3000人(諸説あり)超に及ぶ多数の死傷者が出る(断絶魔事件)。断絶魔事件の衝撃は西岸州全土を混乱に陥れることになる。
断絶魔事件を受け、各地で憤慨した非トルキー民族による暴動を含む騒乱が発生。諸州は対応に追われる。特にウユム市周辺やギュレカット州におけるクルディア人の武装闘争は苛烈を極め大規模な襲撃事件が相次いで発生した。
  • 12月4日
断絶魔事件に関する非難声明を採択するべく諸民族評議会開催されるが、直後に臨時西岸自治州の憲兵が乱入し発砲、多数の死傷者を出す。
  • 12月20日
ムハンマド・ルシェイ・パシャ臨時西岸自治州自治会長が左翼テロリストに暗殺される。
  • 12月21日
幾つかの非トルキー民族部隊が臨時西岸自治州に対して反乱を開始。
第1次西岸州動乱勃発(別名七色の内戦)。(571 - 590)

568年~590年 第一次動乱最中

「終わりだ、終わりだよ。何もかもが。」
			――アフメド・デミレル・パシャウユム州総督、臨時西岸自治州第2代自治会長(520 - 597)

第一次西岸州動乱
İlk Batışeria Devlet Türbülansı
Առաջին Արեւմտյան Բանկի Պետական Տրաբուլանսը
პირველი დასავლეთის ბანკის სახელმწიფო ტურბულენტობა
Beriya Dewleta Dewleta Yekemîn Banka Rojava
日時 567年12月21日 - 590年8月17日
場所 西岸州
交戦勢力
白軍 革命勢力 独立勢力
トルキー帝国(567年 - 571年)
-臨時西岸自治州
-トルク人人民連合政府
臨時全トルキー政府(571 - 590)
国民議会(567年 - 571年)
-トルキー第1共和国(671年)
トルキー第2共和国(587年 - )
ハヤスターン系(アルミニア)勢力
ハヤスターン民族独立委員会「青い刃」
ハヤスターン(アルミニア)民主連合同盟(ダシナク)
アルミニア民主共和国
カルトヴェリ系勢力
全カルトヴェリ人連合
カルトヴェリア民主共和国
クルディア系勢力
クルディア武力会議
-クルディア共和人民党
クルディア民主党
西岸州クルディア民族共和国
          西岸州臨時連邦(567 - 572)(589 - )
白軍
40万
革命勢力
59万
独立勢力
不明
結果 革命勢力と独立勢力が勝利。
協議の末、独立勢力の大幅な自治を認める形でトルキー共和国へ加盟。

 




590年~594年 暫くの平和


594 第三次トルキー内戦勃発


594~600 第二次動乱 --再び内戦へ--


600~604 戦闘の小康状態


604~622 激戦 --社会主義勢力の膨張--


622~635 停滞の時代


640~645 和平への道筋


645~648 歴史的合意達成 --西岸州国家--


地理

ウユム特別市
ユセクタンル特別市
ギュレカット州
トカレ州
カラヒサラ州
リュジン州
カルトヴェリ自治共和国
ハヤスターン自治共和国


西岸州軍事


衝撃戦車(şok tank)
所謂主力戦車
突撃戦車、打撃戦車とも
その強力無比たる性能を生かし戦線の主力として活躍する

  • ŞT-1
ヘルトジブリールから輸入した衝撃戦車第一号。
モデルはT-72M

偵察戦車(keşif tank)
軽戦車群
偵察とは名ばかりで国境警備やインフラが未発達な地域等での運用が主である

  • KT-3
いんむくん
最終更新:2018年03月21日 03:44
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