| 国名 |
エルタニャ及びオモレア諸邦連邦 |
| 公用語 |
オモレア語 |
国名
「エルタニャ」は連邦の中で最有力とされる勢力で、連邦の盟主である国家。
「オモレア」は連邦の統治する地域の名称。「オモレア諸邦」でエルタニャを含めたオモレア地域に存在する各国家を示す。
エルタニャをわざわざ独立させて表記しているのは、建国前にエルタニャが別の国家として独立するという案があったからとされる。
国家構造
エルタニャを始めとしたオモレア地域に点在する諸国家同士の緩やかな連邦。
盟主はエルタニャであり、連邦の首都もエルタニャの首都と同じである。
連邦には各国家が共通して従うべき連邦憲法はあるが、連邦自体の法律はなく、構成国家同士がお互いに自国の法律を調整することで実質的な連邦共通の法律となっている。
また連邦憲法の他に構成国家にも憲法があり、主に連邦憲法ではぼかされたり表記されていない部分を、明確にしたり補ったりする形で書かれている。
中央政府が各国の法律や憲法に介入することは基本的に認められていないが、連邦憲法に違反すると認められる法律や憲法には非難決議をすることができ、各国の法律の違いにより混乱が生じた場合は調整を求めることもできる。
また各国は中央政府の介入や政策によって権利を侵害された場合、中央政府に直ちに改めるよう抗議できる。
連邦政府
連邦の行政府は内閣であり、その長である大統領が国家元首となっている。
内閣は主に議会で与党となった政党から結成されることとなっている。
議会の解散権を有している。
各国の法律の違いから混乱が生じた場合に調整を求めることもできる。
連邦の立法府は連邦議会と呼ばれ、選挙の際には各国によって定められた議席数が選出される。
しかし連邦自体の法律を制定することはできないことから、実質的には内閣と協力して行政権を行使する機関と化している。
定数は550議席。任期は6年もしくは内閣が解散した時である。
内閣の不信任決議をすることができる他、連邦議会の定数の増減などを決定することもできる。
連邦の司法府は連邦裁判所であり、内閣から指名された連邦裁判所長官がその長である。
各国の制定した憲法や法律、さらに連邦政府の行った政治が連邦憲法と違反していないか審査することができる。
違反していた場合連邦政府の場合は撤回や修正を、各国の場合は非難決議をすることができる。
構成国家
構成国家は連邦が結成された経緯から、君主制を取る国からそうでない国まで様々である。
またそれぞれの利害や主義、主張の差異からその政治形態でさえ必ずしも同一ではないが、連邦憲法では主に以下の3つの要素で構成されなくてはならないとしている。
各国によってその呼び名も様々であるが、主に国内の行政を担う機関。
連邦と異なりこの長を直接選挙で選ぶ国もある。
選挙によって選出された各国の法律を制定することができる機関。
この呼び名は全ての構成国で「国会」となっている。
各国の制定した法律や行政が、各国の憲法に違反していないかを審査する機関。
更に連邦の行った行政が各国の権利を侵害するものかどうかも審査できる。
多くの場合その呼び名は「○○○(国名)最高裁判所」となっている。
国家一覧
連邦盟主であり、構成国家の中では面積や経済力共に最大である。
民主社会主義を採用し、オモレア人に社会主義が浸透する地盤を作った国。
この国の首都は連邦の首都でもあり、国内経済を牽引する役割も持つ重要な役割を占める国家である。
連邦内の君主制国家では最大で、国内で2番目に面積や経済力が大きい。
かつて汗国の侵略の際傀儡国として残された国の1つ。
汗国の建造物が多く残る他、汗国からの移住者の子孫も点々といる国である。
オモレア地域の山岳地帯に存在する国。
独立後山岳地帯に点在した私的領土や小国が合併することによって誕生した。
いわゆる「山岳方言」が強く、低地とはまた異なった農業が行われるなど特色ある文化を持っている。
内戦では中立を守ったため、国内では社会主義の勢力はあまり強くない。
内戦においてエルタニャ率いる穏健社会主義勢力と激しく対立し、国内における急進的社会主義の先鋭となっていた国。
現在でも不発弾や弾痕など激しい戦闘の爪痕が色濃く残り、物々しい雰囲気を醸し出している。
内戦後エルタニャの監視のもと穏健社会主義が形成されたため政情は安定しているが、現在でも急進的社会主義の象徴として語られることもある。
「ドプリ共和国」として独立し、その後王政復古した国。
独立以前は現在の王家やその知り合いの私的領土群に過ぎなかった。
ヒラダールファシスト党の支持が根強く、連邦結成後から何度も連邦憲法を無視した強力なファシズム体制を実現させようとしては中央政府に非難決議される国家。
独特の「ヒラダール方言」と言う方言がある。
内戦でもエルタニャと対立しており、講和として南部ヒラダール共和国を分離独立させられている。
内戦後エルタニャによってヒラダール民主共和国から独立した国家。
独立後からエルタニャの監視のもと穏健社会主義が形成されたが、その当時の内閣の方針がヒラダール民主共和国(南部での呼称は北部ヒラダール)に友好的かどうかによってその穏健度合いもまた変動するため政情はあまり思わしくない。
- トゥヒェン王国
- キシェール共和国
- ザダリ共和国
- カブイ共和国
- イラバダール=ルリエスク共和国
- ポネグル共和国
- ドニエク共和国
- エーダルネシク公国
政治政党
連邦の政治政党は多くの場合各国に跨って活動することは殆ど無く、したがって連邦議会には様々な国から様々な政治政党が出馬している。
そのため連邦議会では似たような政策を持つ政治政党が集まって大きな会派を作り活動することが多い。
以下は主な会派とその構成政党、さらにそれらの議席数を表す。
社会民主同盟
主に社会民主主義を掲げる穏健派社会主義政党による会派。
内戦において穏健派社会主義勢力が勝利したという経緯から国内での多数派となっている。
| 政党名 |
主な支持地盤 |
議席数 |
備考 |
| エルタニャ社会民主党 |
エルタニャ |
81 |
エルタニャの与党 |
| ボルスターン社会民主党 |
ボルスターン |
46 |
ボルスターンの与党 |
| ヒニロ社会民主党 |
ヒニロ |
41 |
ヒニロの与党 |
| ハクラニャ社会民主党 |
ハクラニャ |
18 |
ハクラニャの与党 |
| トゥヒェン社会民主党 |
トゥヒェン |
12 |
トゥヒェンの与党 |
| カブイ社会民主党 |
カブイ |
8 |
カブイの与党 |
| ヒラダール社会民主党 |
南部ヒラダール |
2 |
|
| 計 |
208 |
|
保守民主グループ
主に中道右派の保守的な政党による会派。
内戦において中立を貫いた国の政党が多い。
| 政党名 |
主な支持地盤 |
議席数 |
備考 |
| ボルスターン保守党 |
ボルスターン |
45 |
|
| エルタニャ民主党 |
エルタニャ |
36 |
|
| ドプリ民主党 |
ドプリ |
23 |
ドプリの与党 |
| オモレア保守党 |
山岳オモレア |
21 |
山岳オモレアの与党 |
| ローヒ民主党 |
ローヒ |
19 |
ローヒの与党 |
| 立憲党 |
イラバダール=ルリエスク |
10 |
イラバダール=ルリエスクの与党 |
| キシェール民主党 |
キシェール |
9 |
キシェールの与党 |
| ハクラニャ民主党 |
ハクラニャ |
6 |
|
| ドニエク保守党 |
ドニエク |
5 |
ドニエクの与党 |
| 立憲民主党 |
エーダルネシク |
4 |
エーダルネシクの与党 |
| 計 |
178 |
|
オモレアファシズム同盟
主にファシズムを掲げる極右政党による会派。
中央集権化や既存の経済体制の是正を訴えている。
| 政党名 |
主な支持地盤 |
議席数 |
備考 |
| ヒラダールファシスト党 |
南北ヒラダール |
21 |
北部ヒラダールの与党 |
| オモレアのための選択肢 |
特に無し |
14 |
ザダリの与党 |
| 独立ヒニロファシスト党 |
ヒニロ |
13 |
|
| 計 |
48 |
|
左派改革グループ
主に非穏健派社会主義政党による会派。
内戦において穏健派社会主義勢力と対峙したものもいる。
| 政党名 |
主な支持地盤 |
議席数 |
備考 |
| ヒニロ労働党 |
ヒニロ |
26 |
|
| ボルスターン人民党 |
ボルスターン |
9 |
|
| ヒラダール労働党 |
南部ヒラダール |
5 |
南部ヒラダールの与党 |
| ポネグル社会党 |
ポネグル |
5 |
ポネグルの与党 |
| 計 |
45 |
|
オモレア自由の会
主に中道左派の自由主義政党による会派。
社会民主主義とも中道右派とも違う無所属政党らによって結成された。
| 政党名 |
主な支持地盤 |
議席数 |
備考 |
| 自由党 |
特に無し |
22 |
|
| エルタニャ自由党 |
エルタニャ |
17 |
|
| ローヒ自由党 |
ローヒ |
7 |
|
| エーダルネシク自由党 |
エーダルネシク |
2 |
|
| 自由・緑・進歩の会 |
カブイ |
1 |
|
| 計 |
49 |
|
無所属
どの会派にも属さない政党。
無所属の間でも政策が非常に大きく違うことも多い。
| 政党名など |
主な支持地盤 |
議席数 |
備考 |
| オモレアサンディカ党 |
特に無し |
3 |
|
| 無所属 |
|
19 |
|
| 計 |
22 |
|
民族
民族としてはどの国家でもオモレア語を母語とするオモレア人が最大民族となっている。
しかしオモレア地域が単一の国家として統一された期間が短いことや、同じオモレア語でも方言の差などが大きいことから「オモレア人」としてのアイデンティティの形成には至っていない。
オモレア人以外の民族としては汗国時代に移住してきた様々な民族が挙げられるが、外来人種や亜人種などの在来人種以外の民族は少数民族としても確認されていない。
山岳地帯の山岳方言には亜人種由来と思われる単語なども存在することから、おそらく古来には亜人種が存在していたが、その後何らかの要因でオモレア地域外へと移住してしまったものと思われる。
遺跡の発掘調査などにより亜人種と思われる痕跡は主に山岳地帯において古代~中世に確認されることがわかっているが、特に在来人種と亜人種の抗争などが起こった痕跡がないことから、近代以降に亜人種が一切確認されなくなった原因はいまだ不明である。
オモレア語
言語としてはスラブ語派に類似するが、汗国からの語彙の大量輸入や汗国の言語との発音の混合から一概にスラブ語派と言い切れない雰囲気になっている。
現在でこそ標準語が存在し学校教育でも標準語が用いられることとなっているが、標準語が形成されるのは最近のことである。
古代から「標準語」と呼べるようなものはなく、中世以降もそれぞれの方言が乱立していた状態だったが、次第に諸国の交流が広がるにつれ方言ごとの違いが障害となり始めた。
そのため自然に「商業オモレア語」と呼ばれる通常の方言とは異なる諸国の方言がそれぞれ混ざった言語が形成され、それがオモレア地域の方言の異なる諸国同士の交流に使われた。
しかしこの商業オモレア語は同じオモレア地域でも場所によってやはり差ができており、オモレア地域の標準語としてはあまり相応しいとは言えなかった。
現在のオモレア語の標準語は連邦結成後にそれぞれの「商業オモレア語」を混ぜ、一部の語彙をエルタニャ方言の物に置き換えて形成されたものである。
歴史
第一バヤンウブル・カガン国に殴られるまで
第一バヤンウブル・カガン国に殴られるまでのオモレア地域には王国から現地の富豪の私的領土まで大小様々な国家が点在しており、お互いに影響力を及ぼしつつも特に大きな出来事はないまま経過していた。
しかし第一バヤンウブル・カガン国が急速に拡大し始めた時にオモレア地域に目をつけたことによって戦争が勃発。国力のない小さな国々は瞬く間に併合・または傀儡化されていき、最終的にオモレア地域全体が勢力下となってしまった。
第一バヤンウブル・カガン国が死す
しかし第一バヤンウブル・カガン国が衰退するとオモレア地域でも独立を目指そうとする動きが活発化し、最終的に様々な小国が分立する状態が復活。この間にオモレア地域には大量のバヤンウブル族由来の語彙が輸入された。
その後オモレア地域ではボルスターン王国が急速に拡大し、一時はオモレア地域北部全域を治めるほどにまで拡大したが、後述の出来事により統一には至らなかった。
イェスン・カガン国の侵入
当時のオモレア地域はボルスターン王国によって統一されようとしていたが、オモレア地域の南で拡大したイェスン・カガン国がオモレア地域に侵入し、南部の多くを勢力下に入れた上、さらに北部地域にまで圧力をかけ始めたためボルスターン王国による統一は当分先に持ち越されることとなってしまった。
その後すぐにイェスン・カガン国とボルスターン王国による戦争が勃発し、ボルスターン王国の総力を挙げることでどうにかイェスン・カガン国を南部から叩き出すことには成功したが、国内が荒廃してしまいすぐにボルスターン王国は分裂。
結局ボルスターン王国によってオモレア地域が統一されることはなかった。
テゲル・カガン国の侵入
イェスン・カガン国の侵入後のオモレア地域ではエルタニャが持ち直した以外は特に大きな国が生まれることなく経過していた。
しかし再びオモレア地域の南で力をつけたテゲル・カガン国がオモレア地域に侵入し、オモレアの平和は3度に渡って侵されることとなった。
この侵入に対し当時の北部の3大国家だったエルタニャ、ボルスターン、ヒニロと山岳地帯の諸王国が連携して地形を利用し対処し、敵の大軍をどうにか大損害が出る前に押し返した。
この連携は当時のオモレア地域ではあまり考えられないことであり、また対立が激しかった山岳地帯の諸王国が一貫して協力していたことから奇跡として受け止められ、当時の主戦場となった地域の名前から「オーストルクの奇跡」と言われた。
様々な思想の流入
その後「オーストルクの奇跡」からしばらくして国内ではオモレア地域を統一しようとする思想が芽生え、それが徐々にオモレア地域の一体化へと繋がっていった。
しかし北部の3大国を中心としてオモレア地域をゆっくりと一体化させていた最中に国内では社会主義を中心とした様々な思想が蔓延。
結果的にそれが各地での王政の廃止や革命につながり、そのままオモレア地域を巻き込んだ内戦へと発展してしまった。
この内戦はそもそも革命が置きなかった国や、内戦勃発時に統一されていなかった地方などは参加しておらず、オモレア地域全体が争っていたわけではないが、それでも内戦の規模はかなり大きいものとなった。
最終的にエルタニャを中心とした穏健社会主義勢力が勝利した。
当初はかつての計画通りに中央集権的な国家が目指されていたが、各国の反対により挫折し現在の連邦結成へと至った。
最終更新:2016年08月02日 23:30