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ポロチャニア

国名 ポロチャニア帝国
英語 Porochania Empire
略称 ポロチャニア 幌
公用語 ポロチャニア語(多くの地域で使われる公用語)
英語(一部地域の公務で使われる公用語)
(その他各地域や末端行政においてそれぞれの言葉を使うことが認められている)
通貨 ズウォティ(~1930)→ライヒスマルク(1930~1999)→ユーロ(1999~)

概要

ポロチャニアとはポーランドなどの東欧諸国を始めバルカン半島全域、さらにヨーロッパロシアのほぼ全域を領土とする事実上の絶対君主制国家(1989年まで)、立憲君主制国家(1989年から)である。
なお1989年に立憲君主制国家となるまでも憲法上では立憲君主制となっており、実際機能しているとは全く言えなかったものの議会や選挙も存在していた。

歴史

1918年にポーランドが独立してから5年後、東南部にて急激に増加したポロチャニア人がさらなる権限を要求。
これをポーランドが徹底的に弾圧した結果ポロチャニア人があちこちで蜂起、ポロチャニア独立戦争(ポーランド内戦)が勃発した。
これにポロチャニア側が勝利した結果、この時の内戦の指導者だったポロチャニコフを皇帝としたポロチャニア帝国が誕生した。
その後第二次世界大戦では枢軸に加盟し、バルト地域やドイツ東部 バルカン半島などでポロチャニア人が増加し独立を求めていることを理由にそれらを編入し領土が拡大。
さらに1939年にはヨーロッパロシアで同様の現象が起きた際ソ連がその領土の割譲を拒否したために幌ソ戦が勃発。これにポロチャニアが勝利し、ソ連の分裂 そして主に東欧を中心とした超大国ポロチャニアの誕生という歴史的な出来事が発生した。
その後主に西欧を中心とした連合国側と主に中欧~東欧を中心とする枢軸国側の冷戦が勃発。この問題は枢軸国側の政体が完全に入れ替わった現在でも続いている。(この問題は連合国側と枢軸国側との間にほとんど戦闘が行われず勝敗が付いていないことにより起こっているとも言われている)

政治

1928年に独立した当時から定められているポロチャニア帝国憲法には世襲によって定められた皇帝と直接選挙によって定められた帝国議会がそれぞれ協力しあって政治を行っていくこととなっているが、実際には1989年以前は帝国議会が実質形骸化しており、逆に1989年以降は皇帝がほぼ名目上のみの存在となっている。
世襲によって皇帝が定まらなかった時は摂政議会がこの空白期間の代理を収めることとなっているが、実際にこれが機能したのは初代皇帝の没後と6代皇帝の没後のみで、いずれも1年程度で無事次の皇帝へ移っている。

議会は1989年以前は帝国議会の1つのみであったが、現在では帝国議会と衆議院の2つである。
選挙は直接普通選挙で、帝国議会が6年間隔で半数ずつ 衆議院が4年間隔もしくは議長や首相によって議会の解散が宣言された場合に行われる。
憲法の上では帝国議会も国民の総意とあまりにずれていたりあまりに衆議院とのねじれ国会がひどい場合は即座に半数ずつ選挙を行えることになっているが、実際には行われたことがない。
憲法改正(民主化)直後のポロチャニアの政治では立て続けに解散が起こり1年前後の短命な政権が続いたが、その後10年してからは人気を満了する首相が増えた。
議員定数は現在帝国議会が300議席 衆議院が517議席である。
この議員定数は1989年に憲法改正が起こってから広大なポロチャニアに多数存在する意見を出来るだけ議会に取り込むため続々と増加している。

議員定数の変化

年度 議員定数(帝) 議員定数(衆) 選挙
1928 50 - 制限選挙
1930 75
1989 200 200 普通選挙
1991 200 318
1992 200 340
1994 250 389
1999 250 421
2003 300 480
2007 300 489
2011 300 501
現行 350 517

また1989年以前は極端な中央集権がなされており、州こそあれどそこに地元の議会は存在しないという状況が続いていたが、これも1989年以降は州議会が創立されるなど地方分権が進んでいる。

政党一覧

それぞれの選挙の結果についてはポロチャニア/選挙を参考に

1989年以前の政党

  • ポロチャニア帝国補佐連合
1928年の建国時に結党。
基本的に皇帝の身内や取り巻き さらに皇帝に賛同する有力な人々で構成された連合政党。
党首はその時の皇帝であると定められていた。
この連合政党に著しく有利な選挙制度やこの政党以外に対する激しい風当たりの強さも合わせて1989年まで帝国議会の絶対安定多数以上 もしくはすべての議席を占め続けた。
しかし皇帝の交代や一時的に皇帝の権限が摂政議会に渡っていた時は最大で10議席ほどの獲得を他の政党に許した時もある。
1998年の憲法改正によって解散となった。
後継政党は皇族党。

  • ドイツ系ポロチャニア人協同党
1928年の建国時に結党。
極右ナショナリズムと国家社会主義を掲げる過激な政党。
1937年の初代皇帝暗殺直後の緊急選挙では3議席を獲得したものの、それ以降は圧倒的なポロチャニア帝国補佐連合に押され浮けず飛べずなことが続いていた。
1989年以降も存続。

  • ポロチャニアキリスト教民主同盟
1928年の建国時に結党。
キリスト教民主主義と保守主義を掲げる中道右派政党。
同じくポロチャニア帝国補佐連合に押され浮けず飛べずであり、最大でも5議席しか獲得できない状況が続いていた。
とはいえこの5議席とは1989年以前の帝国議会でポロチャニア帝国補佐連合以外の政党が獲得した最大の議席であり、当時の野党の中では最も党勢が大きかったといえる。
1989年以降も存続。

  • 急進左派連合
1936年に連合が結成。
主導政党は1934年に結党されたポロチャニア農工党。
それ以外の構成政党はポロチャニア共産党 農奴解放同盟 平等党 ポロチャニア社会民主党。
共産主義 レーニン主義 スターリン主義 社会主義などを掲げる政党の連合。
こちらもポロチャニア帝国補佐連合に押され浮けず飛べず状態で、最大でも2議席しか獲得出来ず多くの場合は1議席も獲得できない状態であった。
各党は1989年以降も存続したが、連合自体は構成が変わっている。

1989年以降

非常に大きな政党とそれ以外の構図や二大政党の争いに成ることは殆ど無く、温厚な政党の連合と急進的政党の連合との二大連合の争いの構図になりやすい。
  • 皇族党
1989年に解党させられたポロチャニア帝国補佐連合の議員の一部が集まった政党。
憲法改正前までの極度の独裁政治を目指す過激政党。
1989年の改正直後の臨時選挙では独裁政治の名残が残っていたため帝国議会で元の100議席に加え21議席を獲得し単独過半数で第一党。衆議院では21議席を獲得し第三党となったが、1990年の選挙ではわずか1議席 さらにその翌年では1議席すら獲得できず完全に影を潜めた。
更に1994年には速くも予算問題に直面し、解党となった。
解党後の議員の一部はドイツ系ポロチャニア人協同党に流れた。
シンボルカラーは灰色。

  • ドイツ系ポロチャニア人協同党
1928年の建国からの存続。
かつてはドイツとの統合を掲げた時期もあったが、現在では国家社会主義と極右ナショナリズムを掲げる従来の政策に戻った。
現在でも比較的人気は高く、ポロチャニアキリスト教民主同盟や急進左派連合、ポロチャニア社会民主党などの人気政党と議席を争っている。
第一党に成ることは少ないが第一党と僅差で第二党になることが多く、その場合は急進左派連合と共に野党連合を組む事が多い。
主にドイツ東部やポーランド西部で支持されている。
シンボルカラーはこげ茶色。

  • 急進左派連合
1936年の結成からの存続。
1989年の選挙の際の構成は1989年以前と同じだったが、1990年以降はポロチャニア社会民主党が抜け農奴解放同盟が解党しそれぞれの政党に分かれた代わりにある程度地元に根づいた共産党が入った。
指導政党はポロチャニア農工党。
それ以外の構成政党はポロチャニア共産党 平等党 ロシア共産党 民族統一党 統一バルカン労働党。
共産主義や社会主義、左翼ナショナリズムを掲げる政党の連合。
ポロチャニアではロシアや貧しい地域からの指示が根強く、議会でも比較的安定して議席を確保している。
またロシア地域の議会で与党となっていることも多い。
シンボルカラーは赤。

  • ポロチャニアキリスト教民主同盟
1928年の建国からの存続。
キリスト教民主主義と保守主義を掲げる中道右派政党。
バルカン半島やバルト地域 さらにポーランド西部やドイツ東部の一部などからの指示が根強い。
民主主義と保守主義を掲げているため多くの地域からの支援を受け、その結果ポロチャニアでは第一党を確保しやすい政党となっている。
シンボルカラーは青。

  • ポロチャニア社会民主党
1990年に急進左派連合から抜けた。
かつては社会主義市場経済を掲げる政党だったが、現在は社会民主主義を掲げる中道左派政党となっている。
主だった指示地域はないが、全体的にちょこちょこと支持をされその結果ある程度の安定した議席を確保している。
シンボルカラーはオレンジ。

  • ああああああああああああああ党
2007年に既存の二大連合制からの脱却を目指し設立された中道右派政党。
より地元に根付いた政治や二大連合制には出来ない政治を目指し、小さな政府や地方分権を掲げている。
党勢は2007年初選挙において13議席を確保するなど悪くはない。
2011年選挙では14議席 2015年選挙では更に伸びて31議席と二大連合以外の野党が存在しないポロチャニア議会の中では立派な「第三極」や「中堅野党」の立場を確保している。
シンボルカラーは紫。 なお「あ」は14文字。

経済など

領土的に非常に豊かな土地を大量に保有しているため世界でも屈指の大国となっている。
また人口も3億5737万人と非常に多く、この国を経済圏として見ても非常に大きなものとなっている。
経済圏としては同じ枢軸国であったドイツやイタリア、チェコ、フィンランド、日本
更に中立国デンマークやスウェーデン、トルコ、ブラジル、タイやかつての傀儡国家だったシベリアを巻き込み大経済圏を形成している。
またそれに加えかつてこの経済圏からの融資に救われたという縁からイラクやイラン、ポルトガルもこの経済圏に加盟している。

地域ごとの人口分布

場所 人口
バルカン半島 7500万
ポーランド 5353万
ルーマニア 3320万
スロベニア 200万
ロシア(ヨーロッパロシア) 1.147億(11470万)
リトアニア 469万
ラトビア 266万
エストニア 156万
スロバキア 764万
ベラルーシ 1024万
ウクライナ 5215万

同経済圏の人口

場所 人口
ポロチャニア 3億5737万人
ドイツ 1億0409万人
チェコ 1302万人
イタリア 5983万人
ポルトガル 1057万人
シベリア 255万人
デンマーク 561万人
フィンランド 543万人
スウェーデン 959万人
日本 1億2780万人
満州国 4608万人
タイ 6701万人
トルコ 7493万人
イラク 3342万人
イラン 7745万人
ブラジル 2億0040万人
リビア 620万人
チュニジア 1089万人


外交

ポロチャニア/東欧連合
ポロチャニア/ベルリン・ワルシャワ条約同盟(作成中)
かつての枢軸国や現在の経済圏に入っている国とは非常に友好的な関係を持っているが、一方でかつての連合国側とは完全に冷戦状態に入っており貿易など外交はほとんど無きに等しいどころか接する国境などでは小規模武力衝突が起こることさえある始末となっている。
なお現在「かつての枢軸国」と呼ぶのが長いので別の略称を使うが、それらの国はベルリン条約・ワルシャワ条約の2つの条約に基づいた「ベルリン・ワルシャワ条約同盟」という同盟に集まっている。言うなれば「ドイツ=ポロチャニア同盟国」だろうか?
またカザフスタンへ亡命してその全域を統治しシベリアやヨーロッパ・ロシア、さらにその際のいざこざで独立した中央アジア4国までを領有主張するソビエト連邦・さらに似た境遇をたどりウイグルに亡命した中国共産党(中華人民共和国)が同盟国側と冷戦状態に入っており、こちらでも緊張状態が続いている。

同盟関係としては前述のベルリン・ワルシャワ条約同盟に加盟している。
またワルシャワ条約によって同じくできた東欧連合にも同様に加盟。東欧議会には最大の363議席を有している。
これに加え関税の自由など経済圏内での貿易の自由化を目的としたウィーン貿易機構にも加盟しており、こちらはベルリン・ワルシャワ条約同盟の加盟国の他同盟国ではない東欧連合加盟国やそれらのどちらにも入っていない中立国も幾つか加盟している。
最終更新:2015年11月26日 17:49
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