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CL4-11-1
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■ 4-11-1:偽書『東日流外三郡誌』と封じられた縄文の神・アラハバキ
■ 「偽書」というレッテルと唯物論の限界
日本神話を深掘りする上で、避けて通れないのが『東日流外三郡誌(つがるそとがぐんし)』や『竹内文書』などの「異端の書」です。最初に大前提として明記しておかなければならないのは、これらが現代の歴史学・考古学においては「後世に創作された偽書である」と確実視されているという事実です。
しかし、ここで「なんだ、ただの作り話か」と切り捨てるのは、極めてアーリマン的(唯物論的)な浅薄な態度です。神話や伝承に「100%物理的な史実」だけを求め、矛盾やフィクションを「価値のない嘘」として断罪する。それは、現代の左派的な「歴史のホワイト化(無菌化)」と全く同じ病理です。
偽書と断定されてなお、これらの書物が人々を強烈に惹きつけてやまないのはなぜか。それは、物理的な史実ではなく、正史(勝者の記録)から完全に消し去られた敗者たちの「集合的無意識(エーテル的記憶)」、すなわち【霊的な真実】がそこに投影されているからです。
偽書と断定されてなお、これらの書物が人々を強烈に惹きつけてやまないのはなぜか。それは、物理的な史実ではなく、正史(勝者の記録)から完全に消し去られた敗者たちの「集合的無意識(エーテル的記憶)」、すなわち【霊的な真実】がそこに投影されているからです。
■ 封じられた縄文の神「アラハバキ」
『東日流外三郡誌』が描き出す東北(津軽)のパラレルワールドにおいて、強烈な存在感を放つのが「アラハバキ(荒覇吐)」という謎の神です。
記紀(『古事記』『日本書紀』)には一切登場しないこの神は、ヤマト王権が西日本で成立するはるか以前から、日本列島全体を覆っていたであろう縄文の土着神(精霊)の記憶であると考えられています。東北地方の遺跡から発掘される、あの宇宙人のような奇妙な姿をした「遮光器土偶(しゃこうきどぐう)」こそが、このアラハバキ神の姿を写したものではないかという説も根強く存在します。
記紀(『古事記』『日本書紀』)には一切登場しないこの神は、ヤマト王権が西日本で成立するはるか以前から、日本列島全体を覆っていたであろう縄文の土着神(精霊)の記憶であると考えられています。東北地方の遺跡から発掘される、あの宇宙人のような奇妙な姿をした「遮光器土偶(しゃこうきどぐう)」こそが、このアラハバキ神の姿を写したものではないかという説も根強く存在します。
■ 「嘘」の中に噴出する魂の真実
ヤマト王権(アマテラスやツクヨミといった外来・統合のシステム)が列島を平定していく過程で、この原初の大地と自然の神(アラハバキ)は、まつろわぬ民(蝦夷)の信仰として徹底的に封じ込められ、歴史の闇へと追いやられました。
しかし、どれほど政治的な権力(正史)で弾圧しても、土地に根付いた民族霊の記憶を完全に消去することはできません。正史から抹殺された敗者たちの無念と、土着の神々への思慕が、数百年、数千年の時を経て、「偽書」という特異なフォーマットを借りて現代にマグマのように噴出した。それこそが『東日流外三郡誌』の正体です。
しかし、どれほど政治的な権力(正史)で弾圧しても、土地に根付いた民族霊の記憶を完全に消去することはできません。正史から抹殺された敗者たちの無念と、土着の神々への思慕が、数百年、数千年の時を経て、「偽書」という特異なフォーマットを借りて現代にマグマのように噴出した。それこそが『東日流外三郡誌』の正体です。
■ 神話の有機性とは何か
神話とは、無菌室で作られた「正しい道徳の教科書」ではありません。そこには、勝者の論理だけでなく、敗者の血と涙、異なる時代の記憶、そして意図的なフィクションすらもが重層的に混ざり合っています。この泥臭く、矛盾に満ちた複雑さこそが、文化の「有機性」であり、懐の深さです。
偽書の中に眠るアラハバキの記憶は、私たちに「目に見える史実(ファクト)だけが歴史の全てではない」というメタ認知を強烈に突きつけてきます。
偽書の中に眠るアラハバキの記憶は、私たちに「目に見える史実(ファクト)だけが歴史の全てではない」というメタ認知を強烈に突きつけてきます。
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