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CL4-11-3
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■ 4-11-3:阿弖流為(アテルイ)の悲劇と『続日本紀』 〜史実と神話の交差点〜
■ 史実としての「蝦夷征討」と阿弖流為の登場
時代は下り、神話から明確な史実が記録される奈良時代末期から平安時代初期へ移ります。当時のヤマト朝廷(50代・桓武天皇)は、国家の版図を東日本へと拡大するため、東北地方の先住民「蝦夷(えみし)」に対する大規模な軍事侵攻を行っていました。この生々しい国家間戦争の記録は、正史である『続日本紀(しょくにほんぎ)』などに詳細に記されています。
この時、日高見国(現在の岩手県・北上川流域の胆沢地方)を拠点とし、強大なヤマトの正規軍を地の利とゲリラ戦術で幾度も打ち破った蝦夷の英雄がいました。それが阿弖流為(アテルイ)です。
彼は単なる野蛮な反逆者ではなく、高度な軍事統率力を持った東北の優れた指導者でした。彼の存在によって、ヤマト朝廷の東征は数十年にもわたって泥沼化することになります。
彼は単なる野蛮な反逆者ではなく、高度な軍事統率力を持った東北の優れた指導者でした。彼の存在によって、ヤマト朝廷の東征は数十年にもわたって泥沼化することになります。
■ 坂上田村麻呂との交感と、冷酷なシステムの論理
この状況を打破するために朝廷が派遣したのが、初代・征夷大将軍となる坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)です。
田村麻呂は武力一辺倒ではなく、蝦夷の文化や阿弖流為の器量を高く評価し、対話を試みました。阿弖流為もまた、これ以上の同胞の犠牲を防ぐため、田村麻呂を信頼して降伏を受け入れます。
田村麻呂は武力一辺倒ではなく、蝦夷の文化や阿弖流為の器量を高く評価し、対話を試みました。阿弖流為もまた、これ以上の同胞の犠牲を防ぐため、田村麻呂を信頼して降伏を受け入れます。
田村麻呂は阿弖流為を伴って平安京(京都)へ凱旋し、「彼は東北を治めるために有能な人物である。どうか命を助け、故郷へ帰してやってほしい」と朝廷に助命を嘆願します。武人同士の間に芽生えた、敵味方を超えた魂の交感でした。
しかし、平安京の貴族たち(冷徹な官僚システム)はこれを一蹴します。「野蛮人の約束など信じられない」として、阿弖流為は現在の大阪府枚方市にあたる河内国(かわちのくに)で無惨にも処刑されてしまうのです。
しかし、平安京の貴族たち(冷徹な官僚システム)はこれを一蹴します。「野蛮人の約束など信じられない」として、阿弖流為は現在の大阪府枚方市にあたる河内国(かわちのくに)で無惨にも処刑されてしまうのです。
■ 史実と神話が交差する「河内(かわち)」の恐るべき因縁
ここで、驚くべき地理的なシンクロニシティ(共時性)が浮かび上がります。
阿弖流為が処刑された「河内(かわち)」という土地。ここは、前回触れた神話の時代、神武天皇の軍勢が東征において、長髄彦(ながすねひこ)の強烈な抵抗に遭い、手痛い敗北を喫した激戦地(孔舎衙坂 / くさえざか)なのです。
阿弖流為が処刑された「河内(かわち)」という土地。ここは、前回触れた神話の時代、神武天皇の軍勢が東征において、長髄彦(ながすねひこ)の強烈な抵抗に遭い、手痛い敗北を喫した激戦地(孔舎衙坂 / くさえざか)なのです。
神話においてヤマトの建国を阻んだ長髄彦と、史実においてヤマトの東進を阻んだ阿弖流為。
この二つの抵抗の記憶が、「河内」という具体的な空間でピタリと重なり合います。神話において長髄彦が逃げ延びたとされる「荒覇吐王国」のファンタジーは、決して荒唐無稽な作り話などではありません。それは、阿弖流為のような【史実の英雄たちの無念と抵抗の血路】が、長髄彦という【神話のアイコン】に逆流して注ぎ込まれ、偽書という形で結晶化した「エーテル的記憶の真実」なのです。
この二つの抵抗の記憶が、「河内」という具体的な空間でピタリと重なり合います。神話において長髄彦が逃げ延びたとされる「荒覇吐王国」のファンタジーは、決して荒唐無稽な作り話などではありません。それは、阿弖流為のような【史実の英雄たちの無念と抵抗の血路】が、長髄彦という【神話のアイコン】に逆流して注ぎ込まれ、偽書という形で結晶化した「エーテル的記憶の真実」なのです。
■ 唯物論では読み解けない「歴史の有機性」
史実(ファクト)と神話(フィクション)は、分断された別々の存在ではありません。時に地理的な因縁を通して交差し、敗者の魂を後世へと伝えるための「有機的な一つの物語」として機能しています。
左派が好むように、神話を「矛盾だらけの非科学的な嘘」として切り捨て、無味無臭のファクトだけで歴史をホワイト化しようとすれば、こうした土地に刻まれた血と涙の記憶(民族霊の呼吸)はすべて死に絶えてしまいます。
左派が好むように、神話を「矛盾だらけの非科学的な嘘」として切り捨て、無味無臭のファクトだけで歴史をホワイト化しようとすれば、こうした土地に刻まれた血と涙の記憶(民族霊の呼吸)はすべて死に絶えてしまいます。
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